閑話休題「宿屋にて」



「・・・・・・。」

お茶会三人組はひとつの部屋。アリスは別室に案内された。この世界では、安く狭い宿屋では相部屋なんていうのもごくあたりまえなんだとか。

「・・・。」

あんなことがあった後だ。大変気が滅入るというもの。気を利かせてシフォンがあえてアリスには一人部屋を用意させたのだが、誰でもいい、誰かそばにいてほしい。一人だと不安に心が押しつぶされそうだ。かといって、今の気分で三人の部屋にお邪魔するのもかえって迷惑なのではないかとも思ったり。子供のアリス、意外と気配りの出来る大人びた少女だった。

「少し寝てもいいのだけど。」

疲れがたまるにたまってる。仮眠程度ならしてもいいと思いきや、一度眠りに落ちたら、叩き起こされても起きないぐらいには深い眠りに落ちてしまいそうな気もした。やることなし、やるきもなし。アリスはただただ、ベッドの上に仰向けになって天井を眺めながらぼーっとするしかなかった。その時。

コンコン、とドアをノックする音。

「誰?」

半ば投げやりに、ドアの向こうにいる誰かに声をかけると。

「やはりこの部屋におったか!我である!」

とても溌剌と元気一杯の声が返ってきた。その声、口調。間違いようのない。アリスを送ってくれた、フィッソンだった。

「まあ!!鳥さん!」

あわててベッドから降りて、ドアの鍵を開ける。そこにいたのは・・・。

「きゃあ!!えっ、ちょっと!?」

フィッソン、なのだが。腹部に包帯を巻いただけの上半身に大きなタオルを羽織っただけの、なんとも言えない格好だった。男の裸には全くといっていいほど見慣れていないアリスは思わず手で目を覆った。

「どうした?」

そして、向こうからどたどたとこちらへ向かって走ってくる音が。

「だからその格好で出歩かないでと・・・!!」

チラッと見たアリスと目があったのは、エヴェリンだ。顔面蒼白、冷や汗いっぱい吹き出して。

「あ、あ、あ・・・アリ、アリス・・・あのアリスさ、さん・・・。」

どうして彼がいるのか、そしてそんなにあわてているのかも疑問だが。

「海亀さん、どうも。」

「海亀さん!?僕のことですよね!?いや、それについてはいいんですけど・・・。」

アリスが未だ目を覆っている原因がすぐ隣にいて、なおのこと顔見知りなもんだから気にしているのだろう。

「う、ううううちのフィニがすみませんでしたぁッ!」

まさかのエヴェリンが勢いよく、機敏な速さでその場で土下座した。当然、アリスも目を覆っている場合ではない。

「なんで!?なぜあなたが謝るの!?」

「どうせコイツ、謝る気なんかないので!僕の監督不注意ということでここはどうか!悪気はないんですよ!ただ、新しい服がまだ・・・。」

「上しか脱いでおらぬではないか。」

収集つかない大騒ぎは、ひとまずエヴェリンの必死のフォローでなんとかかんとかおさまった。


立ち話もアレなので、突然の来客を部屋に招いた。アリスはベッドの上に座り、二人はソファーに腰を下ろしている。

「そうなんですか・・・。」

事の顛末を聞いたエヴェリンはひどく落ち込んだ。彼がそこまで責任を感じることはないが性格なのだろう。フィッソンからも予め聞かされてはいた。フィッソンが怪我を負った知らせを、隙を見てレイチェルが伝書鳩を使ってエヴェリンに手紙として送っていたのだ。そして、慌てて駆けつて、今に至る。怪我の方も、順調に回復しているとのこと。

「我の判断が甘かった。どうにかできたはずだが。」

「私が甘えたのがいけなかったのよ。」

「いえいえ、元はと言えば、僕があの時提案したから・・・。」

「・・・・・・。」

お互いがお互いを責めている、重い雰囲気が周りを包む。誰が明確に悪い、というわけでもなければ、全員に問題があった、ともいえる。フィッソンの本来の姿であれば早く到着できるのを知って提案したのはエヴェリン、それに甘えたのはアリス。フィッソンは自分の判断の鈍さを責めたが、あれは不意打ちだったので責めようがないとも言えるが。

「・・・もう過ぎたことだから仕方ない。皆が悪くて、皆が悪くない!と思えば良いのでは?」

この珍文句に痺れを切らしたのはフィッソンだった。でも、あまりにも唐突すぎる発言に、二人の頭には疑問符が浮かんだ。

「悪くて悪くないって、どういうこと?」

アリスらしい疑問だ。

「みんなが悪いのなら悪くないわけないでしょう。」

エヴェリンらしい理屈だ。

「じゃあ、みんな悪くない!」

フィッソンは随分強引に押し切った。

「はぁ。」

「ま、まあ・・・。」

「誰しも良かれと思ったのだろう?悪気などないのであろう?これはただの過ちだ、な?もう埒があかん。面倒だ。もうそれにしよう。」

途中までいいこと言ってた気がするのに、最後にさりげなくぽろっと出た本音で台無しになったと同時に、おかげで少し緊張がほぐれた。

「アリス。」

しかし、次の彼の声には重みがあった。

「我はどうも女王に気に入られてないようで、お城にすら入れてもらえんのだ。だからお前の活躍をこの目で見る事は出来んのだが、お前なら大丈夫だ。勝てるさ。」

そういえば、あの時のジャックの言葉を思い出した。彼は女王に嫌われてるようで、城に入ることが出来ないとのこと。理由は知らないし、聞かなくてもいいならそっとしておこうとアリスは心に疑問をたそっと閉じ込めた。それとは別に、もう一つ記憶に蘇ったこと。ジャックに聞いたが答えは聞きそびれてしまった。

「ねえ、女王に勝ってアリスになったらそのあとどうなるの?」

フィッソンは腕を組んで唸り、エヴェリンは首を傾げるだけで表情は明るい。

「そこまではわからんなぁ、すまない。」

「なんせ、アリスが勝ったことは一度もありませんからね。負けても元の世界に帰れるだけだから大丈夫ですよ!」

違和感を覚えた。負けても死ぬ可能性があると知っていたら、彼の場合はそんな呑気な面はできなさそうだ。

「どうかしましたか?」

なんて聞くありさまなのだから。遠慮はしていたが、彼がその調子なので思い切って尋ねてみる。

「死んだアリスはいるの?」

「ははは、まさか。死んだアリスなんて一度もいませんでしたよ。女王の城には特別な扉があって、そこを抜けると元の世界に戻れる。僕たちは何度見送ったことか。」

「そう、なの?」

まさか、笑い話が返ってくるとは想像だにしていなかった。嘘ついてる風に見えない。でも、アリスはどうしても森の中で見たあの光景を忘れることなどできない。あれを嘘なんてとても思えない。果たして、どちらが真実なのだろうか。

「いくら女王とは言え、負けた相手に向ける怒りなどなかろう。」

なゲームに負けた後女王が何かする確率も少ない。確かに、負けた相手にはむしろ慈悲をかけたくもなるもの。蔑みこそすれ、怒りは湧いてこない。ますます混乱する。

「そういや喉が乾いたな。・・・みんなの分も、何か持ってきますね。」

「なら温かいものが良い。」

「ありがとうございます。」

エヴェリンが部屋を出た。落ち着いてさえいれば、気配りもできる優しい少年だった。

「へっくしゅ!」

でていってしばらくしてくしゃみが出たのはアリスだ。

「雨に濡れたのなら風邪をひいたのではないか?」

「大丈夫。でも少し寒いかしら。」

今のアリスは白いゆったりとした服を着ている。シフォンを含め、ここに来たアリスの見た目があまりにも汚らしいので宿屋の従業員が普通は有料のサービスである洗濯フルコースをタダで行ってくれたのだ。それはいいのだが、さすがに薄い布一枚を着ているだけでは寒かった。贅沢は言えないのはわかっているが、せっかくお風呂まで入ったというのに。一方フィッソンは布を羽織っているだけで平然としている。多分彼も風呂上がりなのだと思うから、状況はアリスと同じ。何が違うのだろう、と半ばうらめしそうに彼の背中を睨んでいたら不意打ちが来た。

「わあっ!」

振り返った彼が、羽織っていただけのタオルを投げつけてきた。見事、顔面に張り付いて滑稽なことに。

「なら貸してやろう、少しはマシかと思うが。」

確かに、アリスにしたらかなり大きく、やたら厚い布地で毛布にも匹敵するのではないかと。いや、問題はそうじゃなく。

「いやいやそしたらその鳥さんが裸じゃないの。」

背を向けているときはなんともなかったのに、身を覆うものが一切なくなったのでとうとう本格的に目のやり場に困ってしまった。

「我は不死鳥、こう見えて寒さにはつよ・・・。」

「私が見るに耐えないの!」

アリスが言っているのはそうじゃない。寒さに強そうなのは大体わかったから。

「もしや、背にも傷を負っていたのか?」

そういうことでもない。傷もない。どうやら、アリスがなぜ彼を直視できないから、この調子なら理解してもらえるのに時間がかかりそうだ。

「・・・そうだ!」

アリスはまだ目を開けることができない。が、気配と足音に気付いた。「なるほど、タオルを一旦取りに戻ったんだわ。」とほっとした・・・のも、束の間。


確かにタオルは取り上げられた。しかし、今度は後ろから覆いかぶさる。

「ちょっと、端を持っててくれ。」

「え・・・。」

まず視線にいったのは自分の左側に掛かる布を自分の手前に軽く引っ張った。そして。

「ええっ!?ちょっと、何を!?」

隣に体を寄せた彼が自分の右側、アリスと同じようにして、と。

「最初からこうすれば良かったな!さすが!」

確かに、タオルはかなり大きめであったため、少女と青年をすっぽり包むぐらい余裕である。お互いの体を完全に布で覆ってしまえば体を見ることもない・・・のだが。男性の上半身に薄い生地の布一枚で密着している状態だ。そちらの方が、アリスには耐えられない。まだ少女のアリス、おてんばとは言え箱入り娘。恋人でもない男性と、ほぼ裸でこの状態・・・と、頭の中はぐるぐるだ。

「やはり熱があるのではないか?」

そうじゃ、ない!声を大にして叫びたかった。かといって、顔中紅潮させている訳を、恥ずかしくて言えるわけでもなく。言って理解してもらえそうな相手でもなく。というか、近い。顔が。息をするのもできないぐらい近い。

「それにしても遅いな。」

扉の方を向いてしまう。本当、早く戻ってきて欲しい。何もいらないからこの鈍感の塊をひっぺはがしてほしい。

「・・・・・・。」

彼がとった手段のもう一つの理由は、こうした方が寒くない。といった単純なものでもあった。あたたかい、いや、あつい。アリスの気分の高揚だけではない。フィッソンが寒さが平気と言ったのもわかる気がする。体熱がやたら高いのだ。見た目は熱がある風に見えないから、きっとこれが平熱なのだろう。そういや彼は不死鳥だった。もしかすると、人間の時の体にも影響があるのかも。

「どうした?」

こもる熱にのぼせて、あとは色々と刺激にやられて、とうとうアリスはその場で力なく倒れてしまった。

「うーん・・・。」

意識はあるが、視界がぼーっとする。声も聞こえているようで聞こえないような。まさしくお風呂に長湯してのぼせたみたいな感じだ。苦痛はないので、大丈夫と言いたいところだが、譫言を口に出すのが精いっぱいだ。

「・・・・・・・・・。」

興味がない訳じゃないけど、まだ早いのよ。と、心の中でぼやきながら再び天井を眺める。いや、見ているものは天井か?自分に必死で声をかける声と顔が、ぼやけながらおぼろげに・・・。

「遅くなってすみません!途中、レイチェルさんと合流しまして・・・。」

「調子はどうだー?」

三人分の飲み物を運んできたエヴェリンが、隣の客であるレイチェルと偶然にも出会ったそうで、この部屋にフィッソンもいると聞いて様子を伺いにきてくれた。

「・・・・・・。」

せっかく持ってきてくれた飲み物を落として、全部床にぶちまけた。驚きのあまり、手の力が抜けた。レイチェルは顔面蒼白だ。

「ああ、ちょうどよかった。」

「なにやってんですか、お前はー!!!」

エヴェリンの怒りやその他諸々の感情がまぜこぜになった叫びをあげる。それもそのはず。


はたから見ると、上半身裸の男が少女をベッドに押し倒しているように見えたのだから。そしてその少女また・・・と言った状態で(ただのぼせただけだが)。タオルはと言えばここぞという時に役立たず、落ちているし。そのあと、必死に誤解を解こうとしたフィッソンだったが、叫びに駆けつけたシフォンがその場を鎮めるどころか余計に混沌となり、復活したアリスがなだめる羽目になってしまった、という。

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