散る命は薔薇の花弁の如く
「〜〜♪」
ジャックは鼻歌と共に廊下を歩く。手には紙の束を抱えて。その隣では呆れ顔の兵士。
「ジャック様。そんなに呑気でよろしいのですか?」
兵士の問いにジャックはウインクで返す。
「大丈夫ですよ!戴冠式までには何もされませんし、その日が過ぎてやばいってなったら逃げますよ☆」
「はぁ・・・。」
なんとかなりそう。兵士がそう感じたのは実際彼なら本当にできそうだとわかっているからだ。瞬間移動じみた魔法が可能な上何かと狡賢く生き汚いジャックだからこそ、と・・・。自分のためならプライドなんざも捨ててしまえる、そんな男みたいに思われているらしい。
「おやおや・・・。」
王室と書かれたドアの前で立ち止まる。ジャックは耳がいいのか、中からの話声もよくわかるそうで。
「エースと・・・女王陛下がお話ししておりますね。どれどれ。」
ドアに顔を近づけ、聞き耳を立てた。兵士は顔を青ざめてあたふたと彼の行為をやめさせようと必死だ。
「ジャック様・・・!ささ、さすがにおやめになられた方がよろしいかと・・・!」
「何をおっしゃいますか。このジャックさんをハブいたんですから、こうするのは当然です。」
作り物のごつい人差し指を立てて口元に「静かに」の合図。色々な罪悪感が兵士にのし掛かる。
「どーせクソつまらない仕事の話でしょうけど。」
しばらくじっとしている。二人の会話が途切れ途切れだが聞こえる。最初こそ、いい悪戯を思いついた子供みたいな笑みを浮かべていた。だが・・・。
「・・・アリスが・・・器?」
ある言葉を聞いた途端、表情は一変。戦慄が走った。
〜一方、一回の独房にて〜
光もろくに届かないような、隙間もなくびっしりと敷き詰められた石の壁。床も地面と同じく、埃をかぶって凹凸していた。冷たい。壁も床も、漂う空気もひんやりとしている。ピーターはそこに囚われていた。腕は例の囚人用の縄で縛り上げられ、足には枷、その先には鎖で繋がれた重り。膝立ちで座ることすら許されない。
「・・・・・・。」
こんな寂しい場所で、すぐ迫る死を待つ。ただひたすら終わりの時を待つしかない。彼女は忙しいと言っていたが、なにより社会が彼女の仕事では最優先。簡単な雑用だけは終わらせてさっさとこっちに向かってくるに違いない。時間は長いと感じ、その時が来れば早いと感じる理不尽なものだ。そんなものが支配している世界はもっともっと理不尽だ。
「・・・・・・。」
なんて考えても無駄。全てがとても、馬鹿馬鹿しくなってきた。
何もかも無駄だった。
気づいたらこの世界にいて、なにもわからない自分を拾ってくれた女王に仕えできた。それには唯一意味を見出せたものの、周りからはなめられないよう厳しくあれと女王の教え通りにやってきたのは無意味だった。そして、自分がしてきたことの意味ですら。せっかく連れてきたアリスだって。そう、新しいアリスは生きている。だけど自分が死んではもう会えないのだから意味がない。でも、彼女に救われた事は、無意味にしたくなかった。最後にアリスと会いたい。そしたら、死ぬことも無意味ではなくなる気がする。だが叶わない。ピーターは目を閉じた。思考するのをやめようとした。
「・・・兎さん・・・。」
アリスの自分の名前を呼ぶ声がした。いや、有り得ない。彼女が会いに来れるわけがない。とうとう幻聴まで聞こえてきたとなると切なくなる。
「兎さん!」
かすかにしか聞こえてこない声がいきなりボリュームがぐんとあがり、気配と物音を感じる。目を開けると、なんと目の前にアリスがいたのだ。どこからともなく、突然現れた。ジャックにしかできない真似が彼女に出来るとでもいうのか。
「あ・・・アリス、なんで、んむぐっ!?」
「しーっ!ばれちゃうじゃない!」
小声で叱責しながら反射的に彼の口を両手で押さえ込んだ。こっちもこっちで何が起こったかわからず、確かな掌の感触がただの幻ではないことを証明した。余計に混乱した。状況を飲み込んだかは別として、落ち着いてくれたみたいなのでそっと手を離す。
「・・・なんで君が・・・どうやってここに?」
するとアリスはポケットの中から色とりどりの気味悪いキノコを取り出した。そのうちひとつはかじられている。
「食べたら縮む不思議なキノコよ。猫さんが私を逃すために、持ってきてくれたの。逃げるためには猫さんも手助けがなきゃむりだったけど。」
なるほど、なら彼女がここにいる説明もつく。しかし小さくなっただけでは抜けることができてもここまでたどり着くには時間もかかるし危険もいっぱい!抜けた後はチェシャ猫も手伝う前提だったのだろう。
「兎さんの分も、ほら、まだたくさんあるわ。」
アリスが彼の手に無理矢理キノコを握らせ、その上から更に自分の手を重ねる。よく見れば手には擦った痕や服も土埃で薄汚れている。道中転んだりでもしたのか。せっかく綺麗に洗ってもらったというのに。誰かの為に何処まで自らを汚すつもりなのだろう。
「この部屋、小さな穴があるの。これさえあれば抜けられるわ。」
「・・・なんで僕なんか助けるの?」
アリスは真ん丸い碧眼を瞬きさせ、拍子抜けした顔を浮かべる。更に続ける。
「僕のことは君には関係ないじゃないか。」
辛辣にも聞こえるそれはただの疑問だった。アリスには何の罪もないのだから。アリスは表情を戻す。
「関係ないのも私には関係ないわ。」
今度はピーターが先程のアリスと同じような表情で彼女を見る。
「確かに・・・あなたは悪い事をしたわ。でも、仕方がなくてやった事でしょう?なのに・・・そんなことであなたを死なせたくないの。」
と、訴えかけるアリスの手にはより力がこもった。
「逃げ出してどうにかなるかわからない・・・でも、ここにいたら死んじゃう。やり直してほしいの。変わってほしいの・・・。もうこうならないように、過ごしてほしい・・・。」
アリスの声は震えていてだんだんとか細くなっていく。泣くのを堪えている。でも、それもここまで。
「生きていたらなんとかなるの。生きるのを諦めないで。だから私は助けたいの。私・・・あなたが逃げ切るまで帰らない。家族は心配するかもしれないけど、生きて帰ったらなんとかなるわ。」
手を強く握る。覚悟を決めた、真っ直ぐな瞳だ。
「いい!?その覚悟で私はきたのよ!途中で投げ出したりしないから!」
そう言って、そこら辺に散らばったキノコのうちの一つを無理やり口に押し付けた。行動そのものは強引極まりないが。
やはり、アリスはあの時から変わっていなかった。
困っている人を見ると、後先考えずに助けることもある。その結果自分が困っても構わない。やり切るまで諦めない。味のしない物を噛みながら、ピーターは彼女の覚悟を無駄にしないと決意した。これほど嬉しい事はあるだろうか!ここにきて諦めていたのに。ひとまず「儀式」まだ逃げればいい。
そうすればずっと一緒にいられるのだから。
〜所変わり、城にて〜
「女王陛下。」
王室と書かれた札のかけてある部屋、ローズマリーはそこで大きなガラスのテーブルに置いてある陶器で出来た白い花瓶に一輪の真っ赤な薔薇を挿している。
「準備は整いました。」
ドアの前にはエースが、鞘におさめた長剣を立てるようにして両手で持って、地面に根でも張っている如く微動だにせずじっと立っている。言葉少なに告げるとローズマリーは振り向いた。
「色々あったが無事に取りかかれそうで何よりじゃ。ピーターの処刑はその時行う。公表は明日する。」
「承知しました。・・・間も無く、ですね。」
「ああ、間も無くだな。」
それだけ言いながらローズマリーはまたも薔薇に目を向ける。我が子を想うような穏やかな瞳でいとおしく見つめていた。
「ようやく長年の野望が叶う時が来たのだ。アリスを妾に移し、妾はようやくこの運命から解放される。 奴なら妾に代わって良き国に変えてくれるはずじゃ。」
もの悲しげにそう言うローズマリーに「今の彼女」でいられる最期の刻が近付いてくる。アリスをわざと生かしておいたのは生身の体が必用なのと、あのゲームの真の意味は「女王」を継ぐにあたって相応しい人物か試す為であったのだ。アリスの体を得たローズマリーはただの少女。柵もない、何をしたって構わない。一方、女王の器を得たアリスは女王にならなければならない。片方の都合しか考えていない、あまりにも理不尽。そんな事、とうの昔からわかっていた。エースの言う儀式とは、まさにそのことである。この事を知っているのはキングとエースと、直接伝えたわけではないがジャックと、ピーターのみ。ピーターは従うしかないものの納得していない。そんな彼もここにはいないのだけれど。
今頃彼は何を思っているのか
それぐらいには気にしていたが。
「大変です!!女王陛下・・・!」
それは突飛に、突然に。ドアを激しくノックする、向こうから誰かが!
「なんじゃ、騒々しい。エース、相手せよ。」
「はっ。」
不機嫌に命じられたエースはゆっくりとドアを開けた。そこには軍服を着た兵士が酷く顔色を悪くして立っていた。エースと目が合うとほぼ反射的にびしっと敬礼をした。
「何の用だ。」
鋭い声で短く聞かれると背中を向けているローズマリーを一瞥してかすれ気味の声でこう言った。
「ピーター殿が逃亡しました!」
エースの表情はぴくりとも変わらなかったが、ローズマリーはその兵士の一言で怒りに狂いつつあるのが雰囲気で察してしまえた。兵士もさぞやこの場から逃げたかっただろう。
「逃げた・・・だと?」
「はい・・・!私はずっと扉の前にいまして様子を見に行ったらいなかったんです!逃げた形跡も、首輪もそのままで・・・!」
振り向いたローズマリーの顔はそれはもう狂気の沙汰の如く血が頭の先までのぼって真っ赤。酷いとしかいえない形相だ。
「なぜ中で見張っておらぬ!!使えん奴じゃ!エース、そいつを捕らえたら直ちにピーターを捜すのじゃ!他の者にも伝えよ!!」
「承知しました。」
あわれにも出来の悪いトランプ兵はエースに腕を拘束され、泣き言を喚きながらその場を後にした。
「脱獄しよったか・・・これではまさしく脱兎ではないか!!」
いままでの静けさが急すぎる雑踏にかき消されていく中で、ローズマリーは箪笥に立て掛けてある黄金の杖を手に取った。彼女の顔は憎しみや恨みというよりかは悔しさでいっぱいだった。
「どいつもこいつも妾の邪魔をしよって・・・許さぬ!!」
と地面に吐き捨てて、ヒールを鳴らした。
―――――・・・。
「無謀な・・・。」
城を抜けた外。空は随分と晴れている。清々しいほど、風は微かに冷たさと、謎の居心地の悪い気配と共に吹いて髪を揺らす。エースは正面玄関ではなく、ゲーム会場すなわち薔薇庭園とは反対側の廊下の途中にある唯一外へ通じる扉を抜けた。その先には空き地があり、距離はあるが城門まではまっすぐに行けば難なくたどり着ける。実は廊下に繋がってる塔。そこにピーターを閉じ込めていたのだ。もしかしたらその周りの壁などに身をひそめわずかなチャンスをうかがっているのかもしれない。
「さて、どうしたものか・・・報告から間もないが、すぐに兵士が回る。すぐに見つかると思うのだが・・・。」
塔を睨みながら頭の中で思考する。違和感があった。彼はジャックみたいな魔法が使えるわけではない。報告があったから時間はそれほど経ってないのも事実。今は城にいる兵士が総勢で探している。こんなに探す者がいれば逃げ切れはしない。もう見つかってもいい頃だと。
「逃げるとして手間がかかりそうな場所をあたってみるか・・・。」
ようやく足を動かした時だった。後ろからこちらへ向かって近づいてくる足音がした。
「エース!」
表情そのまま首だけ振り返ればそこにいたのはジャックだった。今走ってきエースはそんな彼を驚きの目で、ジャックは疑いの目でお互いを見あっていた。
「・・・一体どういうことですか?」
エースはすぐに冷静を取り戻し、状況を説明する。
「ピーターが逃亡した。総勢で探せと女王陛下の命令だ。」
「儀式ですよ!儀式!!ただの戴冠式じゃなかったんですか!?」
焦りと苛立ちに声を荒げる。そのまさかの相手の口にした言葉にエースが細い目を丸くした。
「何をおかしなことを・・・。」
「おかしいのはあなた達の思考回路です!!」
ジャックの感情を振り絞った声がエースの言葉を遮り更に続けた。
「そんな事をして、本当に救われるのですか!?アリスの方なんか、自分の体を奪われ、自分の自由さえ奪われる・・・これがあなた達のしたかった事なんですか!?」
しかし対称的にエースはまるで無機質に彼に返す。
「女王の事はそのまま放置などしない。私が約束する。それで良いだろう。」
「自分が自分のままで幸せになれない、そんなのを幸せと言うんですか?」
ジャックが悔しそうに吐き捨てた。無表情を頑なに崩しもしないエースだって彼のあのような態度は見たことがなく内心まだ驚いたままだった。
「私は女王陛下に忠誠を誓った者。彼女の望みには全身全霊を持って応じる事こそ私の忠誠。」
「それがいずれ不幸を招くとしても、ですか?」
エースは揺るがない。まるで話にならない。エースにとってはジャックが言っていることもさっぱりなのだから。
「・・・なぜ、そう言い切れるのだ。」
「貴方にはわからないでしょうねぇ・・・。」
ジャックはやっと笑った。人を馬鹿にする笑みだ。
「ねえ、エース。儀式、そしてその後には貴方の存在が必要不可欠みたいじゃないですか。」
長い袖から隠していた長剣を取り出し洗練された構えで切っ先を彼に向ける。
「狂っているのか・・・!」
獲物を奪い合う獣のような鋭い眼光を宿した瞳で威嚇する。大概の兵士はこれだけで剣を棄てて逃げ出す者さえいる。ジャックは彼と同じ立場、ほぼ同じ歴で共に働いてきた。今更見くびることなどない。
こんな状況下の中意味深な笑みを口端に表す。
「残念ながら、元から狂ってんですよ。」
そして、その刃を真っ直ぐ突き立てにくる。
「貴様・・・!!」
大きな剣を抜く余裕はなかった。代わりに腰元に携えている短刀で刃をはじく。当然、ジャックはこの程度の攻撃が効くとは思っていなかった。
「このジャックが、たかが両腕を斬られたぐらいで落ちぶれるわけないじゃないですか。」
これはただの宣戦布告。聞く耳を持たぬ者同士、刃でぶつかり合うしかないのだ。エースは大剣を鞘から抜いた。躊躇いなく相手との間合いを瞬時に詰め空に孤を斬りながら渾身の力を込めて大剣を降り下ろした。ジャックは軽々と後ろにバックステップしたあと今度は横に向かってくる刃をジャンプでかわした。これまでは本の数秒の流れだ。体をのけ反り、なんとエースの頭上を飛んであっという間に背中をとった。相手は剣の扱いには倍に長けている、物理攻撃を主体とするエースにはかなわないと思いきや、身体能力ではジャックの方が上であり、自身の能力を駆使すればただの力攻撃を弄ぶようにかわすことができる。更に、彼は義手だ。肘から下の痛覚もない、頑丈な素材でできた義手である。エースが片足を軸に体をひねり回って横に振り払うが、両手で受け止めてしまった。もっとも、ここまで使いこなすのには相当苦労したのだとか。
「エース・・・、アリスが女王になれば・・・物語は終わって・・・しまいます・・・。」
ジャックの方は肘が曲がって震えていた。力の差はここで出てくるみたいだ。
「この期に及んで何を・・・。」
一方エースはまだ力の八割方しか出していなかった。声も顔も余裕綽々だ。
「完結した物語にアリスは、もういらなくなる・・・もう、誰も来なくなるじゃないですか・・・!」
咄嗟に力を一気に出しきってエースの剣を跳ね返す。二人はその反動で後ろへ飛び退いた。
「突然何を・・・。」
剣を持っている手を力なく下げる。だが、かつて道化と呼ばれた男はそこにはいない。何やら大切なものを懸けて一騎討ちに臨む戦士の顔をした精悍な輩が二人、互いに頃合いを見計らっていた。
「この国の衰退を恐れているのなら心配ない。後のことは考えてる。」
エースも、彼が何故そんなことまで憂いるのかをいちいち気にしている暇などなかった。
「そういうことを言ってるんじゃありません。」
ジャックが再び同じ構えで剣の刃を向けた。
「なら、この<物語>はこれから誰を<主役>に語り継がれていく?・・・勘違いするな、この物語はもう物語にあらず。一つの世界として存在している。」
「ジャック?」
確かに聞こえた。ジャックの口から「もう一人の違う声」が時折重なるのを。しかしながら当の本人は全く気付いていないのだ。
「<不思議の国の主人公(アリス)>は閉じこめられた物語の主役として<永遠>に<彼等>の中で冒険を繰り広げてくれるでしょう。では、<主役>は誰だ?・・・そんなものいらない。」
譫言のように誰かの声を交えながら呟く彼に無気味な違和感しかなかったエースが目を覚まして欲しいと言わんばかりに声をあげた。
「貴様は誰だ!!」
「私はジョーカー。気まぐれにこの者に力を貸した、そしてこの物語を作った者。・・・気まぐれとはいえ、少々図に乗りすぎだ。全く・・・アリスという少女がそこまで大事なのかね。」
一瞬体がぐらつき、片足を踏ん張って、今度は剣の長い柄を音のするほど強く握りしめた。鍔から覗く瞳はなぜか「死んでいた」。エースは感じる。今のわずかな時間に彼の身に何かわからないが異変が起こったことを。まさかとは思うが、誰かに取り憑かれたような。考え過ぎかもしれない。今は余計なことを気にしている場合ではない。ほら、相手がこちらに向かって走ってくる。
「主役のいない物語など・・・誰が・・・誰が見るというのですか!!!」
意味不明な言葉を発しながらエースの方へ斬りかかってくる。おそらく首を狙っているみたいだがエースにとって彼の構えから既に行動を読み取っていた。
「・・・ッ!」
足止めにさえなれば、動けないようにさえすればそれでいいとエースは咄嗟に背中のベルトに備えていた短刀に手を伸ばす。剣で防御している隙に防備されていない部分を短刀の柄で突いて悶絶させて更に気絶させるというのだ。
「ジャック、そんなものより自分の心配をしたらどうだね。」
しかし、狙いも曖昧で力のこもってない刃は・・・とうとう完全に弾き飛ばされる。くるくると回りながら弧を描いて飛んでいく。これには予想外だが、丸腰だ。逆に手加減しやすい。この期に及んでエースにも情はあった。でも相手はそうじゃない。もはや自分の意思があるかどうかもわからないけど。ジャックはもう片方の袖から同じ剣が現れる。まだやる気だった。なら、迎え撃つまで。
「もういい。貴様の作者気取りはうんざりだ。」
エースの予測していた結果が突如崩れたのだ。
ほんのわずかな時間だった。それでも幾分と長い時が過ぎていたようにも思えた。止まっていたとさえ感じてきた。実際ほんの数秒だったのだろうが、そう思えるほど目の前に信じがたい光景が・・・。
「・・・これは・・・。」
ジャックの腹に、自らのが深々と刺さっていた。なんと、自分で自分を思いっきり刺したのだ。自分でも何が起こったか信じられないようで目を見開いて腹部から突き出ている剣の柄を凝視する。刺さった箇所から全身にまで激痛が廻り、冷たさから熱へ。剣を伝って鮮血がゆっくりと滴る。
<色々言いたい事はあるがさほど重要じゃなかったみたいだね。まあどちらの物語にせよお前は用済みだ。おっと、余計なことまで喋ってしまった。>
と、誰かが話しかける。声の主はここにはいない。エースには聞こえない。
「・・・って、・・・俺は・・・。」
肺に溜まった血が苦しくしわがれた声を振り絞るのが精一杯だ。エースもなぜか、動き出せなかった。
「神は、残酷だ・・・俺はやっと、これからだというのに・・・。」
虫の息も同然のかすれた弱々しい声で、最後の彼はやはり笑顔・・・それもこんな末路を嘲笑っているような自嘲の笑みで、ふと向こうにいる仲間を見上げた。
「早くこんな世界を出て・・・幸せに。」
途端に回りに無数のトランプが・・・否、彼の体がトランプとなり地面にばらばらと崩れ、落ちて、足元から段々と消えてゆく。彼の身体を貫いていた大きな剣もトランプの山の上に倒れ、その先には何もなかったかのように向こう側の景色が見渡せた。
「・・・。」
夢を見ている気分だった。これまでの出来事さえ一瞬に感じた。
「ジャック。最後までわからない奴だった。」
一人残されたエースは、仲間がいた場所へ歩み寄る。
「だが、あれがお前だったんだな。」
一歩、また一歩。足元には生々しい血の跡とハートのトランプがばらけていたり山になっていたり。真ん中にはハートのジャックのカードが真っ二つに裂かれていたものがあった。そっと半分ずつ拾い上げ左手に強く握る。彼の目には最後、どう映っていたのだろうか。更に終わりの果てに一体何を目の当たりにしたのだろうか。やりきれない気持ちがただただ込み上げる。その時、何かが空を斬って音速に近いスピードで向かってきた。
大剣を片手で振りながら身を翻し、その何かは甲高いキンッという金属音を立てて勢いよく跳ね返る。エースは今の一撃でその感触からおおよその見当がついた。
「暗器か・・・。いや、これは!」
地面に向かって薙ぎ払ったそれは、先が鋭く尖ったバターナイフ。まさかこんな、食卓に並んでいるのが正しい代物で自分を狙うなんて。だがそれがただの目眩ましだとエースは知らない。
「・・・っはあぁ!!!」
背後か女性の気合いを入れる声。エースは軽々と自分に降り下ろされる物を剣で受ける。今度はさっきとは比べ物にならないぐらいの衝撃と重みだ。それよりもエースが驚いたのは、奇襲を仕掛けた人物だった。
「・・・メアリ・・・貴様!!」
「お久し振りでございます、エース様。」
水色の長い髪、メイド服の女性。いや、彼女はメイド。ピーターに仕えている使用人がおしとやかな風貌に合わない巨大な斧を手にしているのだ。メアリは全くの無表情で、エースが力で押されているのにたいし彼女はびくともしない。
「残念なのはあっしも同じですぜ。エースの親分。」
そんなエースの後ろに、風のように颯爽と現れた。ナイフを投げた本人が悪びれもせず飄々としている。首だけ振り向いたら、そこに立ってこちらを不適な笑みで眺めている水色のつなぎを着た細身の青年。赤い瞳が光って見える。その瞳に目をわずかに奪われた刹那、エースの右目に謎の激痛が走った。
「なッ・・・ぐ、ぅ・・・!」
見計らったようにメアリは素早く身体を後ろに引いた。片目を強く押さえる。信じられるだろうか、彼の目には痛々しくもドライバーが刺さっていたのだ。
「目を奪われちゃったんですかい?」
「ビル・・・まだ、このようなことを!」
憎らしげに吐き捨てる彼を無視してビルは歩み寄る。エースも痛みに耐えて剣を振ろうとしたが、なぜか身体に力が入らない。
「ああ、それ毒塗ってありやして。いやぁ、フェアじゃないと?あっしも依頼以外素人以外は初めてでして・・・。」
手足が痺れてきて柄を持つ指先に痛みが走る。
「私に歯向かうということはつまり、貴様らを遣わした女王陛下を裏切ることになるぞ・・・!?」
立っているだけでも限界だっただろうエースは今身体に残されている力を出しきろうと足を踏ん張ったが、膝に何かが刺さる。ビルが咄嗟に毒塗りナイフを彼の足めがけて蹴ったのだ。下半身の力が失われ今にも崩れそうなのをなんとか耐えようとしている最中だ。
「私達が仕えているのはピーター様でございます故、彼を救うため。どうかお許しを。」
メアリが完全に油断していたエースの頭上に力一杯、その斧を降り下ろした。
―――――――…
*******
「急がなきゃ!見つかったら終わりよ!」
「わかってるけど・・・!」
その頃アリスとピーターは無謀にも城から真っ直ぐ城門までそのままの大きさで広い広い庭をぽけた突っ切っていた。なんと不幸なことに途中で肝心要のキノコを食べてしまったのだ!たかが数メートルでも後を退くのは自殺行為も同じ。冷静な判断も出来ない状態の頭はただ逃げることだけを考えた。駆ける。逃げる。ひたすら走る!アリスは息も苦しそう。向かい風が口に勝手に入り込んできて呼吸が難しい。だが、絶対にピーターの手を離すことはなかった。一方でピーターは走ることに慣れており、全く息をあげていない。
「・・・こ、こんなに広かったっけ・・・。」
アリスは少し絶望していた。城門が中々近づいてこないのだ。
「おかしいな。確かに、ずいぶん走ってる気がするけど。」
城からの出入りが多いピーターでさえ、変に感じていた。景色が全く変わっていない。明らかにこれは妙だ。近付いたら大きく見えるものがずっと変わらず向こうで佇んでいる。突然、耳も銃声がそう遠くない所から鳴った。アリスも思わず足を止めそうになった、が今はできるだけ遠くへ逃げなくてはならない。それでも彼女が立ち止まったのは連れて走っているピーターの動きが止まったからだ。
「兎さん・・・ッ!?」
いっこうに動こうとしない。ちがう、動けないのだ。ピーターの足からはとめどなく血が流れている。痛みのあまり声も出ないようだ。アリスは逃げることを忘れ側へ座り込んで彼の容態を確認する。
「あ・・・っぐ、撃たれた・・・。」
「そんな、誰が・・・!」
まさかこちらに向かって撃たれたものだとは、今知ってアリスは戦き慄く。ピーターはもう走れやしない。感情的に空しさと悔しさが鬩ぎあっている。
「アリス・・・君だけでも逃げて・・・!」
自分もここまでと痛感したピーターは彼女だけでも逃がそうとする。当然、アリスが置いていくはずがない。
「何を言ってるの!それじゃあ意味がないじゃない!」
痛々しい箇所に目を背けたくもなりそうな、涙目のアリス。ピーターはそんな彼女が見るに耐えなかった。
「僕はどうせ死ぬ僕のために・・・ジャックがわざわざ救ってくれた命を無駄にするのか!?」
「そういうことじゃない!!」
両者もやけくそにいい放つ。
「私、どうしたら・・・どうしたらいいの・・・?」
もう泣き言を言うか神頼みしかない、最悪の選択肢が目の前に表れたようだ。
「ほぉ、はずしたか・・・。」
表れたのは、最悪の結末かもしれない。
「女王・・・様・・・。 」
アリスとピーターの元に近づいてきたのは硝煙がもうもうと立ち上がっている黄金のピストルを右手に握っているローズマリーだった。
「遠距離系の武器は使ったことがないから上手くは当たらぬな。」
絶望がアリスの体の隅々に至る力を奪っていく。ピーターはローズマリーの気配を察知していたが足のなんとも言えない激痛でいっぱいいっぱいだ。
「・・・ジャックはついさっき死におった。すぐ側で、エースもな・・・。」
ローズマリーの低く冷たい声や瞳にはいやほど憎しみといった負の感情が込められていた。広い虹彩に映るアリス達の驚くさまはなんと滑稽か!
「そんな、なんで。」
ピーターが彼等の死を疑うのはごもっともだ。騎士隊長と王宮導師の肩書きを正式持つだけの実力がある者が簡単に敗れるはずがない。それをよく知っていたのは彼だった。
「わからぬ。じゃがあやつらは「最後まで」従順だった。」
ローズマリーが左手にとりだしたのは、ダイヤのエースとジャックのカードだった。
「だからじゃ。こいつらも居なくなる。ジャックとエースどちらも死んだら対応するカードを自動消滅する呪いをかけておったのだ。」
「なぜそんな事を・・・!」
アリスの訴えも素知らぬ顔。勝ち誇った笑みを浮かべたローズマリーは鼻で笑いながら左手に持っていたトランプを落とした。軽い紙は空気に踊りながら音もなく地面に落ちる。
「それよりも、お主らは随分同じ景色の中を走っておるのではないか?」
なんのことかさっぱりわからないアリスに対しピーターは既に見当がついていたらしく血の気が引いた。ローズマリーは歪に微笑む。
「「蕀の籠」よ。貴様らは妾の手の内でずぅーっと走り回っていたのだよォ!!」
ローズマリーもしかり、ジャックと似たような力を持っていたのだ。いくら走っても出口に近付けないのはその力の仕業だった。まさしく蕀にがんじがらめに囲まれた籠に閉じ込められいたよう。
「ふん。まだ逃げる気か?」
ふとアリスを見やった。反抗的に睨むその目が気に入らなかったのだ(当然アリスに逃げるつもりは一切ない)。その時、ローズマリーが銃口をこちらに向けた。正確にはアリスの腿に狙いを定めている。
「女王陛下!?」
「なに、少し痛い目にあってもらわんとな。」
引き金にゆっくり力が入る。
「間に合った、間に合った。」
空間に漂うもやもやとした濃い霧。そこから声が聞こえる。聞いたことのある声が。やがて霧は形を作っていく。
「お前は・・・。」
「猫さん!」
そう、現れたのはチェシャ猫だった。
「あれ?何してるの?キノコは?」
空中に浮いた自由なチェシャ猫はぐったりしているピーターの耳をつついている。
「食べ切っちゃったの・・・。」
「マジで・・・?」
まさかのチェシャ猫に引かれてしまった。なんで引かれたか不明だが、こんな表情もするなんて。笑っていたが。
「っていうか、そんなウサギ放っておけばよかったのに。アリスにとってどうでもいいでしょこんな奴。コイツにも食べさせたんでしょ?勿体ない、君一人なら逃げ切れたのに。」
「私一人逃げるのにこんなものいらないわ。」
チェシャ猫が首を傾げる。アリスは続けた。
「困っている人を放っておけないの。あなたもそうだからきてくれたのでしょう?」
「いや、猫は・・・。」
突然の乱入者にかき乱されたローズマリーはあの裁判で見せたような形相で銃口を真っ直ぐ構える。
「・・・あともう少しの所を邪魔しよって・・・!」
アリスはこの短い時間に期待や望みは何もなかった。
「思い知れッ!!!」
金切り声を上げながら彼女は引き金にかけた人差し指に力を込めて、そして思いっきり引いた。
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