理不尽裁判


「おっ?」

モップを肩に担ぎ左手には水が並々と入っていたバケツを提げているセージが空き部屋から出てきた。

「あれは・・・ピーター御前ではありませんか!」

セージは朝早くからうってつけの獲物を見つけて嬉しそうだ。一応、自分の直属の上司よりも上の立場にいるピーターだが自分にとってのおもちゃだった。とは言えそれを嫌々ながらも叱りはしないのでいい先輩とちゃんと慕ってもいるが。

「う~ん、でもなんか用事っぽいなあ。」

ピーターの前には数人の兵士がいる。やる気のない兵士を監視しているのか、セージは深く感心して頷いた。しかし、せっかく後ろから驚かそうとしていたのが台無しになったのはおもしろくないようだ。

「あり?みんな地下牢に向かってる?あいつらは処刑リストには入ってないだろ?入ってたなら昨日のうちに・・・これは一体・・・痛い!?」

後ろから誰かに頭を小突かれる。慌てて振り向いたらそこには呆れた顔のアルカネットが立っていた。

「全く・・・人のことを気にするあたり女子だよな。ストーカーみたいだよ。」

「カスタネット!!いだい!!」

新しいあだ名を口にした瞬間またもや頭を小突かれた。さすがに同じ箇所を二度も攻撃を喰らったものだから頭をおさえて涙目になって睨んだ。

唯一の仲間であるセージは除いて、他人には全く興味がないアルカネットにとって彼の行動がいかに滑稽に見えたか。仕事に戻そうと肩を軽く寄せたが断固としてセージは動かなかった。

「ストーカーとか!尾行だよ!」

「駄目じゃん!」

間髪入れずかえってきた。

「あっ・・・見失っちゃうよ!行かなきゃ!」

モップもろもろをその場に置いて足音を出来るだけ消しながら後を追いかけた。

「おい!・・・知らないからな、どうなっても。」

渋々セージに続いていった。

― ― ― ― ―…

― ― ― ― ―…


二人がたどり着いたのは、やはり地下牢へ続く扉の前だった。

「こんなところ、あんなメンツで行くことないっしょ。」

「どうかな。少なくともあんな雰囲気で行く場所ではないよ。」

扉のに耳をくっつけ端から見れば不審ま丸出しのセージの側でいかにも他人のふりをきめこみながら適当に話には応じた。

「まあねー。兵士さん達はずいぶんフランクな感じだったし。ていうかなんでアルついてきたわけ?」

とっさに名前を呼ばれたアルカネットは視線を斜め下に落としてぶっきらぼうに言った。

「心配だからに決まってるだろ。」

「・・・ぷっ、あはは・・・マジで?」

するとセージは振り向いて丸い目を二度瞬きさせた後、なぜか冗談を聞いた時みたいに小さく吹き出した。

「わ、笑う!?」

「そりゃあ笑うよー。だってさあ・・・。」

ポーカーフェイスも嘘っぱちのむきになったアルカネットに笑いを含んで続けた。

「浮かない顔していたけどさ、まさかそこまで上司思いな奴だなんて意外すぎて・・・。」

「・・・・・・。」

語弊というのはなんと面倒なのだろう。でも別に彼にとっては言い直すほどでもなかった。

「・・・今、ドンって音がしたよ?」

慌てて耳をそばたてる。アルカネットからは全く聞こえない。

「何の音だ?」

「さあ・・・壁にぶつかる音かな。・・・なんかもめてるっぽいねー。」

「本当に中で何をやってるんだろう?」

セージの実況でしか把握するしかないアルカネットもこれだけでは何が何だかわからず腕を組んで頭の中で想像してみる。

「・・・ん、えーと。」

「どうした?」

さっきまで興味本意でふざけてたセージの顔に真剣見が帯びる。

「笑い声の後に泣き声が聞こえたんだ。「やめて」とか「痛い」とか・・・。」

アルカネットの表情にもただ事ではないという様子が浮かび上がる。

「女王の命令じゃない他に何があるんだ?セージ、どっちがどっちかわからない? 」

「うーん・・・うわあ!なんかなんか悲鳴が・・・!」

「誰のなんだ!」

いつになく切羽詰まったアルカネットが問い詰める。一方でセージは困惑気味に弱々しく首を横に振った。

「いろんな声が混ざってわからないよぉ!でも悲鳴は多分、先輩・・・。」

「どいて!聞き分けるのは得意だ!」

我慢の限界点を突発したアルカネットはセージを無理矢理押し退け、五感を敏感にさせる。

「・・・どう?」

傍らで心配の眼差しでアルカネットを見守る。

「・・・弱ったぞ、セージ。僕もわからない。」

数十秒、扉に張り付いて沈黙していたアルカネットがようやく口を開いた。

「アホカネット!聞こえなけりゃあそっちこそ意味ないじゃん!!」

その時だった。

「「!!?」」

驚きのあまり体が跳ね上がり、時間をかけて扉の方に、間近で雷が落ちたような衝撃をもろに感じたような顔を向ける。

「今のって・・・アル。

「・・・ああ、セージ。僕にも聞こえた。」

お互いに同じ状況をおおむね理解すれば、セージがこうしてはいられないとなにかしら行動を起こしそうだったので慌ててアルカネットが彼を止める。

「ひとまず誰か呼んでくるから・・・!」

あくまで冷静な態度に苛立ちを覚えたセージは強く反抗する。

「バカか!それまで待てっていうのかよ!大事になってからじゃあ遅いんだぞ!?」

また言い返そうとするアルカネットを無視して扉の目の前で仁王立ちで構える。そして、帽子につけてあるダイヤのバッジを取り外し握りしめた。

「お前がバカだ!よせ!壊す気か!?」

「うるさいッ!!」

アルカネットは彼の腕を引っ張るがセージは力任せに振りほどく。

「ドアぐらいならボクが直す!何事もなければそれでいいだろ!」

すっかり感情的にのぼった思考回路で落ち着いた判断は出来なくなっていた。事実鍵などは持っていない。セージは、バッジを握った手を振った。

刹那、バッジだったものは長い柄に樽ぐらいはある巨大なハンマーに姿を変えた。身の丈あるほどの鈍器を腕の力だけで軽々と振り上げる。

「セージ、はやまるな!」

「どぉりゃあああああぁぁぁ!!!」

アルカネットの呼び止める声も虚しく、ハンマーは空に弧を描いて木製の扉をいともたやすく木っ端微塵に砕いた。


そこで見た光景。牢屋に飛び散る赤黒いもの。ぼろぼろの兵士達。穴を持って立ち尽くしている血塗れの上司。


-さぁ、裁判が始まる-




アリスは重い瞼を持ち上げる。その瞬間にカーテンの隙間から差し込む目映い光に目が眩む。脳に直接「朝」だと伝わった。空の色は薄く、やはりまだ肌寒い。随分長い時間眠りにふけたので目覚めは快調、疲れはとれて体もなんだか軽やか。

「・・・うっ、ん~・・・!本当によく眠ったこと!夢も見る暇なかったぐらい!こんなの多分初めてなんじゃないかしら。夢なんて寝てる間しか見れないのに、なんだか残念だわ。」

おもいっきり両手を上に伸ばした後、朝起きて早速長々と独り言を呟く。もはや癖なものは仕方ない。

「あら?いないわ。」

違和感に気付く。一緒に寝ていたこの部屋の主のピーターがいないのだ。体が軽かったのもきっとそのせいかもしれない。

「早起きさんなのね。」

ゆっくりベッドから体を出した。枕元に白い布の袋と置き手紙がある。早速見てみると。


おはよう、アリス。僕は仕事があるので先に部屋を出ます。服は洗っているので着られます。鍵をかけてあります、解除の仕方は下の通り。それでは。

ピーターより。


と綺麗な字で書かれていた。袋にはアリスがこの世界に来る前から着ていた水色の服やエプロンドレスなどが新品同様の仕上がりで入っていた。こびりついた血飛沫もまるで嘘だったかのように。脱いだ服をたたんで、朝の支度を終える。書かれた通りにドアの鍵を解除し、部屋を出た。

「そう言えばあの部屋、時計がなかったからわからなかったけど今は何時なのかしら?早すぎるのも嫌だけど、昼前も嫌!それ以上はもっと嫌!だって時間がもったいないわ。子供が外で遊べるのは日の出ている間だけだもの・・・。」

久々の長い独り言をつぶやきながら廊下を歩いていると、後ろからどたどたと忙しない足音が迫ってくる。

「朝っぱらからうるさいわね!」

朝っぱらから独り言でうるさい自分を棚にあげて少し腹を立てる。

「大変だ!だいぶ遅れたぞお!!」

「急げ急げ!裁判だ!」

兵士達が必死に走りすぎていく。

「裁判?何の事かしら?きゃあ!」

一人の兵士とぶつかるが向こうも急いでいるのか、気づきもしない。廊下をせわしなく行き交う兵士達はみな酷く焦っている。ほとんどは「大変」、「裁判」の単語を口々に叫んでいる。状況がさっぱり読めこめない廊下の壁際で茫然とするしかなかった。

「アリス!!」

後ろから聞き慣れた声が名前を呼ぶから振り向くと、レイチェルとフランネルが駆け寄ってきた。

「三月さん!ヤマネさん!」

これといって変わらない、出会った時と同じ姿の二人にお互いホッとした。だが一人足りない。

「帽子屋さんは?」

レイチェルは性分なのか、さっき兵士とぶつかった際に歪んだアリスのヘッドリボンを直してあげた。

「ちょっくら野暮用だってよ。すぐに戻るってさ。」

真っ直ぐ整ったヘッドリボンに満足したレイチェルは満面の笑みで頷く。粗暴そうに見えて丁寧な作業をするもんだ。

「あれからしっかり寝れたか?」

レイチェルこそ深い怪我を負ったのだから自分を優先してもいいだろうに。

「ええ、ぐっすり眠れたわ。おかげでもうピンピンよ!」

「そっか、よかった。」

二人は安堵の表情を浮かべる。が、それも束の間。

「アリス、今から緊急裁判が行われるんだ。」

急に真剣な顔でそう告げる。

「説明してあげてえけど、説明下手だしな。」

「城にいる人は全員強制参加・・・。今から始まる・・・見た方が早い・・・。」

アリスは気になる謎は質問攻めするに違いないとフランネルは先手を打った。アリスも「今はそれどころではない」、「今から見学できるならそれでいい」と、ついでに空気も読んでくれた。

「百聞は一回に過ぎず、て言うしな!」

「どれだけ聞かせるつもり?」

いい感じにしめたかったレイチェルは残念ながらそうはいかずアリスにしれっとツッコミを入れられたが。

「どこに裁判所はあるの?」

フランネルが背中を向けて振り向いた。

「真実の間ね。私達についてきて。」

レイチェルはアリスの背中を軽く押して後ろを歩く。一行は「真実の間」へと向かった。人混みに時折もまれぶつかりながら廊下を、客人三人は手で掻き分けたりしながら。兵士だけではない人も大勢いる。急なイベントに駆け付けられる人など少ないだろうから、きっと昨日の観客なのかもしれない。あれだけ部屋があれば泊まることも可能なはず。

「んんっしょ。」

アリスは仲間の背中を追いかける。いつやらレイチェルが先頭を歩いていた。背が高いのに加えて兎独特の長い耳がいい目印になった。

「ったく!一方通行ってのになんでこんな混むんだよ!」

この時ばかりは気を遣っている余裕もなく、行く手を阻む兵士を乱暴に押し退けていった。フランネルもなんとか自分の入れる隙間を作る。

「一方通行だから・・・?」

「列にでもなりゃあサッと行けるだろうが!」

苛立ち気味でそう呟く。しかしいざ周りは自分のことで頭がいっぱい。周りの声など聞く耳持たず。

「でも本当に急ね!誰が何をやらかしたのかしら!」

目の前のフランネルの背中を掴むつもりで手を伸ばす。

「さあ・・・裁判なんて余程の事件がない限り起きないから・・・きゃあ!」

横から誰かが体当たりしてきた(ぶつかっただけだがフランネルはそう感じた)。横にも人がいたので倒れるのは免れたが怪訝な顔で睨んできた。これじゃあたまったもんではない。会話にすらならないのだ。

「大丈夫か!?」

レイチェルが後ろを振り向く。

「大丈夫よ。ほら、あなたも前を向いて歩かないと。」

「痛い!」

フランネルが彼に注意を促した矢先、ちゃんと前を向いて歩いてたアリスも人にぶつかる。

「ぶつかるのは仕方ねぇな。はぐれるなよ!」

「うん!」

そうだ。いちいち気にしていられない。ほら、今もどこかで、てめえぶつかったな!だの、俺じゃねえ!だのあちらこちらで揉め合っている。さして自分達だけが気にすることではない。

「なんでこんな茶番に付き合わされなきゃなんねえんだよ。」

「どうせ死ぬのによ。」

「バカ、誰かに聞かれてチクられてみろ。俺らまとめて死刑だぞ!」

「誰が訴えられるのかは気になるけどな。」

途中で耳に入る会話が気になった。被告は明らかになっていないのか。いや、それよりも仲間を見失わないように気を付けなくては。

「おう、アリスの嬢ちゃん!」

話しかけてきたのはコーカスレースの時にいた梟の男だ。

「昨日はすごかったぜ。まあ色々あったみたいだからそれ以上は言わねえけど、おっと。」

この男はゲームが終わった直後に何が起こったのかも知っていた。さすがは大人、あえてお祝いの言葉をかけなかったのはあれを見たからだ。男中だが前のめりに傾く。彼も色々な人とぶつかりながらここまで歩いてきたのだろう。服がヨレヨレだ。

「嬢ちゃん、裁判は初めてだろ。これだけは教えてやる。いいかい。絶対女王に反論すんじゃねえぞ。死刑囚が増えるだけだ。」

周りを伺い、耳打ちでアリスに伝えた。いつものアリスなら「死刑囚なんておかしい!」と不満を口に出すのだが、ここにいると存外おかしいことでもないように思えてきた。もちろん、納得はしていない。すると、前から自分の腕を強く引っ張った。

「しょうがねえなアリスは!」

ついてきているかと思えば立ち話しているのだから慌てたレイチェルが連れ戻しにきたのだ。さすがの彼も、ややイライラ気味。アリスは強引に群れの中を割り込んでいく。やれやれ、これはいずれ後で謝るパターンかも。

「人がせっかく説明してあげてんのによ。」

男はぼやいたが、なんだかんだ言いたいことは言えて満足げでもあった。

ちょっとずつ歩みを進める。前方には「裁判中」と書かれたボードがかけられた扉があった。

「もう始まってるのね。」

一気に緊張感が高まるアリスに、扉の側にいた兵士となにやら手続きをやり取りして気さくな笑顔を向ける。

「なーに、そんな緊張しなくても大丈夫さ。」

「う、うん。・・・あっ!」

またまた見たことのある顔を見つけたので手を振り名前を呼んだ。

「海亀さん!」

と言ってもアリスが勝手につけた愛称だが。

「アリスだ!!」

城へ向かう前の宿屋でも会ったエヴェリンがそこにいた。貧弱ながらもなんとかかんとかこちらへ来る。この城にはアリス達より遅れてきたようだ。めちゃくちゃ語りたそうな顔をしている。と、いうことは?

「昨日のゲーム見ました!ええそりゃもう見事なコンビネーション!レイチェルさんは体育会系でバリバリ機敏な動きに慣れていらっしゃるのにそれに遅れを取らない!アリスも運動は得意なんですか?いやもう出会った雰囲気からなんとなくそんな感じはしていましたが何より途中からの快進撃・・・。」

興奮のあまりアリス以上の饒舌をぶちかました。意外や意外なのでアリスは喜ぶ暇もない!そんな後ろにも気配が。

「そのレイチェルさんがここにいるのをお忘れでねぇか?」

「ひえっ・・・。」

少し不満そうなレイチェルが。さっきの熱が一瞬で下がったどころか冷や汗かいて青ざめてまでいる。この二人、宿屋では一緒にいたところも見たし、あの時は・・・。でもこれではエヴェリンが可哀想だ。

「今ので少し緊張ほぐれたかも。」

「それはよかったです・・・。まあ見てるだけで結構ですよ、緊張する必要ないです。」

「俺も言ったぞ〜?ま、そーゆーこった。」

せっかく彼をほっとさせようと思ったのに、また固まってしまったではないか。

「じゃあな!」

レイチェルはアリスの腕をまたも掴んで離れた場所に突っ立っているフランネルと合流した。アリスったら、別れの挨拶もできなかった。

「三月さん。海亀さんのことどう思ってるの?」

「なんでんなこと聞かれんだ?」

こりゃあ聞いても無駄みたいだ。


いよいよ裁判所、もとい真実の間の扉が開かれる。

入った瞬間、他にはない異質な空気を感じた。言うなれば、息が詰まりそうな重々しが充満している。雛壇がぐるり囲んでおり、更に1段2段3段・・・首が疲れるぐらい見上げた先にまで幾重にもあった。シャンデリアがこれまた大きいぶん眩しい光を放っていたので視線をやや下げる。中央の奥、左右に階段が取り付けられた一際大きな席にローズマリー、両側の階段付近には紙を持った兵士とその少し前に槍を手に持ち鎧に身をかためた兵士がいた。裁判所には不似合いだが念には念を押しているのだろう。アリスのいた世界とではまるで事情が違う。女王の席を挟むように長いテーブルがある。それぞれにエースとジャック、セージとアルカネットが座っていた。セージはどこか浮かない顔をしている。若干気分が悪そうだ。

「女王様が裁判長みたいね。」

さすがに入る時は皆一人か二人ずつ並んで入っていき、ぞろぞろと。空席は人、人、人で埋め尽くされていく。アリス達も適当に空席を見つけて席についた。レイチェル達とは数メートルほど離れてしまったが、彼女は運のいいことに一番下の一番前に座れた。

「めんどくせー・・・。」

後ろからぼそっとあくび混じりな声が聞こえて、レイチェルにもあくびが移る。他にも四方八方からひそひそとした声がする。

「・・・あら?」

一番気になっていた被告席に目を移した。被告席には椅子はなく、教壇の前にあるような小さな机だけだった。そこには誰もいない。

「女王陛下、これで城内にいる者全員でございます。」

ようやく人の列が終わり、最後尾にいた兵士が扉の前で敬礼しながら告げた。その全員が座るのを確認すれば、女王が口を開く。

「そうか。では連れて参れ。」

「はっ!」

扉はまだ開いたままだ。兵士が外側に向かって手で合図をする。しばらくすると・・・。二人の槍を持った兵士がある人物を挟んで入ってくる。全員がざわついた。アリス達も例外じゃない。だってそこにいたのは。

「兎さん!?」

「ピーターの野郎じゃねえか!」

「静粛にお願いします!」

アリスとレイチェルが信じられない光景を目の当たりに思わず声をあげた。すぐさまローズマリーの側にいる兵士の一人が注意する。しかもピーターは、両手を縄で縛られていて、その縄の先を一人の兵士に。そして首輪までつけられて、繋がれた鎖の先はもう一人の兵士にしっかりと握られている。なぜかタオルを羽織っている。

「・・・!」

「ほら!よそ見したらダメ・・・するな!」

耳が反応してわずかに動く。アリスの声をしっかりと捉えた彼は顔を上げた。ああ、やはり何かを堪えてそうな表情。兵士に無理やり被告席に連れて行かれた。

ローズマリーが木槌を叩く。皆は一斉に真ん中に視線を向けた。こんなにもたくさんの視線が集中するのにも関わらずセージ達もびくともしない。やはり大衆の目に晒されるのは慣れているのかもしれない。

「皆の者鎮まれッ!!急ではあるが、たった今から第315回の裁判を始める!!いつもなら、妾は判決を下すのみ。執り行うのは白兎の役目であるが・・・今回はその白兎が被告という異例中の異例なので・・・。」

難しい顔で咳払いをした。

「裁判そのものを妾が行う。」

またも微妙にざわめいたがすぐに落ち着いた。

「今日の早朝、地下牢にて三名の兵士の遺体を発見。その場に凶器を持ったピーターがいた為、殺害の容疑をかけられており、本人も認めている。」

こればかりはなかなかざわめきが落ち着いてくれない。アリスは信じられるわけがない。この国のルールとかよく知らない。ただ、彼が人を殺すなんて。喩えたら死んだ人が目の前で生き返った、というぐらいには強い衝撃だった。でも逆に、「何かあったに違いない」とも思う。

「だが、殺害する瞬間を目撃したものはおらぬ。例えばの話。第一発見者はそこな二人であるが、本当に殺したのは二人で、白兎が庇っている可能性もある。」

「はい。」

ジャックが手をあげる。

「庇ったピーターの凶器に血がついているのは少々不自然なのでは?あの血のつき方はわざとではできないかと。」

「では奴も加担して、すべての罪を被った。」

「二人の服も持ち物も汚れておりません。・・・失礼、言いすぎました。どのみち、この真実の間で言えば良いだけのこと。」

眉間いっぱいにシワを寄せ、いかにも癇癪を起こしそうなローズマリーのきっと睨む視線に気づき、口を閉じた。笑顔だ。彼は全く動じていない。

「第一発見者はセージとアルカネット。発言を許可する。貴様らは、何があった?」

「はっ・・・女王陛下。不躾ながら、小生から一つ頼があります。」

アルカネットは椅子に手を添えたままローズマリーに力強い視線をぶつけた。だが相手は今や公平を仕切る裁判長。感情的になることはない。

「言うてみよ。」

「セージの証言件を小生にください。ほぼ同じ行動をともにしています。ですから・・・。」

「全く同じではなかろう?」

ぴしゃりと返されアルカネットは悔しそうに睨む。屁理屈と言えば屁理屈だが、かまわずローズマリーは続けた。

「ここは本人が直接言わねば意味がないのじゃ。公平に、平等に、誰にも等しく一人ずつ訊ねなくてはならぬ。今一度理解せよ、新人。」

ローズマリーにも表情はない。アルカネットは俯くセージを一瞥して、自らの目でみた事実を述べた。

「では小生個人の発言を。セージがピーター様を尾行しているところに遭遇。注意したけど聞かず、一緒についていき、たどり着いたのは地下牢。中から悲鳴と笑い声が聞こえました。最初はどちらがどちらかは分かりませんでした。しばらくして大きい物音が聞こえたので、セージが扉を破壊して中に入ると、血塗れのピーター様と兵士三人が倒れていました。」

「扉を・・・破壊じゃと?」

ローズマリーが低い声で呟く。傍観席が騒然としだした。

「静かにせんと首をはねるぞッ!!!」

怒りをぶつけるように金切り声を上げる。瞬間的にぴったりとやんだ。

「二人で行動したんなら、アルカネットさんが全部喋ったようなもんじゃない?」

と、アリスは心の声で呟いた。

「貴様らの処分は後々考える。座るがよい。次はセージ、証言せよ。」

席についたアルカネットの表情は冴えない。名指しされたセージは弱々しく腰をあげた。

「ボクが第一発見者だと思います。ピーター様と三人の兵士が一緒に行動をしているのを偶然見つけたんです。なんとなく様子がおかしいと思い、気になって後をつけました。」

そこにいる傍観者は彼の次なる言い分を今か今かと待ち、更にその場の空間内のなんとも言えない緊張感と荘厳な雰囲気に慣れてない新入りは耐えられず、息も苦しそうに胸をおさえる。

アルカネットはまるで自分の事のように不安に思い、ジャックは自分の部下をじっと見ていた。セージは訴えるように言った。

「悪い事とは思ってたんです!後ろめたい気持ちはあったんですが案の定・・・。」

「貴様は嘘を言っておる。」

周りがややざわついたが咎められるだろうとすぐに静かになる。セージは今にも泣き出しそうなほど、絶望的な崩れた顔で見上げた。いったい彼の何からそんなことが言えたのだろう、とアリスにとっては疑問だ。

「本当に後ろめたい気持ちはあったのか?」

セージは驚きに目を丸くさせたが下を俯き小さな声で答える。

「・・・いいえ。興味本意です。」

「ならよい。」

それ以上を問い詰めることはなかった。セージも軽く肩の力を抜く。

「この真実の間ってのは嘘が言ったらバレるんだぜ。どういう仕組みか知らねーが、空間の管理者権限だどうとからしいぜ。」

隣に座っている人が耳打ちで教えてくれた。難しい響きの言葉が出てきたので理解することをやめた。気になるけど、気になりだしたら聞かずにはいられないから。ローズマリーの「続けよ」という声。セージもそのつもりだったのか冷静さを微かに取り戻して引き続けて述べた。

「あのメンバーで地下牢に入っていくのはなんでだろうって、聞き耳立てて・・・あとはアルカネットの言う通りです。大きな物音がした途端静かになったから、嫌な予感がしたんです!」

徐々に声が震えてくるように黙って聞いていたアリスは感じ取り、やはりセージは既に限界に近い状態に陥りかけていた。

「入って・・・そしたらもう・・・そこにいたのは斧を片手に突っ立っていたピーター様と三人・・・。」

突然セージは口許を力ずくでおさえ踞り、慌ててアルカネットが彼の背中に手をあてる。

「女王陛下!お願いです・・・彼を・・・!」

必死に懇願する様を冷たい目で見下ろしながら。

「普通にゲロわーブチ撒かれたら嫌じゃ・・・セージの退場を許可する。アルカネットは残れ!」

と、告げた。さりげなく本音が出たような?アルカネットはそばにいた兵士に止められ、他の兵士が彼を連れて行った。

「トイレ以外で吐いたら殺せ。許可する。」

とも言って。アルカネットは気が気でないだろうが残念、ここには彼の味方をしてあげられる者は誰もいない。

「二人の証言に嘘偽りはない。次だ。殺害された兵士は縄を持っていたか。縄は倉庫にしかない。兵士共が泊まったのは数日前。泊まるまで用意した部屋にはそんなものはなく、泊まってから奴らが倉庫に入った記録はない。」

先払いをした後続けた。

「兵士が宿泊している間入ったとすれば、ジャックのみ。ジャック、証言せよ。」

「はっ。」

そう返事して席を立つ。テーブルの下からから巻いた状態の鉛色の縄を取り出した。

「昨日の夕方、兵士の五番から「縄が欲しい」と頼まれました。彼が何のために使うかは知りませんでしたし、訊ねてみても曖昧に濁されたので、とりあえず俺は「こちらの囚人捕獲用ではない普通の縄」を渡しました。」

鉛色の縄をローズマリーに見せた。普通の縄とは違い、一度縛られてしまえばまず自力ではほどいたりするのは難しそうだ。

「こうなるとはとても思ってもいませんでしたよ。俺にも処分が下されるんですかね?」

いくらそうだとはいえ、自ら後の事をたずねるなど命知らずにも程がある。

「・・・今は貴様の処分を考える時ではない。証言は真実じゃ、さっさと座れ!」

ほら、やっぱり不機嫌だ。いや、ここにきてから女王が機嫌よさそうにしたのは一度も見ていないが。

「エースにはアリバイがある。妾とほぼ行動を共にしてあった。この空間の管理者権限は妾にもかけられておる。・・・他、何か証言したい者はあるか!?」

しかし、実際目撃した人がごく限られているので余計なことを言っても無駄だと、ざわめくだけで発言はしない。もっとも、恐れ多くてできたもんじゃない。

「はい!質問があります!」

アリスは遠慮なく手をあげた。

「貴様の発言を許可する。」

「うさ・・・ピーターさん自身の発言はさせてもらえないのですか?」

ピーターは黙って俯いたままだ。ローズマリーは深くため息をつく。

「・・・心配せずとも、これから奴の番じゃ。黙って聞いておれ。」

アリスは一安心した。ここで嘘はつけないのなら、当事者の彼の発言が一番事実を帯びている。アリスは信じた。彼には何か訳がある、と。ローズマリーは見下ろす。無表情。なんの感情にも動かされない、確固とした無表情。

「汝に問う。ハートの兵士、二番、五番、七番 を殺害したのは・・・誰かのう。」

「残酷な聞き方!」

アリスが心の中で呟いた。

「・・・。」

やっとピーターが顔を上げた。なんとやつれたような表情。部屋で見たときとは別人だ。

「・・・僕です・・・。」

これほどにない生気のない声で答え、視線を下に落とす。

「なぜ殺害するに至った。」

皆が一斉に目を向けている中でジャックとエースはどちらを見ることもなく机に目を向けていた。無表情だ。私情は無視が公平。

「三日前ぐらい前から、三人から暴行を受けていました。主な場所は地下牢、隙を見るどころか今日は僕の時計に細工までしたんです・・・!」

傍観席からは「信じられない」や「マジかよ」などの疑いの声が口々にあちらこちらから聞こえてくる。

「まあ・・・なんてこと!!」

「・・・・・・。」

アリスはひどく憤慨し、フランネルは隣で何かを思い出していた。アリス達が城に来たばかりに出会った兵士の様子。特におかしいと思うほどでもなかったが・・・。

「静かに!」

ローズマリーの一声で辺りはしんとした静寂を戻す。

「嫌ではなかったのか?脅されておったのか?」

優しく感じる言葉はただの問いにすぎず。ピーターも感情を押し殺して答えた。

「僕が我慢すれば良い、そう思ったのです。」

今度もまた何か騒ぎそうな予感がしたが誰もみな黙っていた。

「ではなぜ、今回はそうしなかったのだ?」

気のせいか、彼女の声が怒りを堪えているような、低く、重い。するとピーターがいきなり机を両手で叩いた。ローズマリーもにわかに驚きを露にしている。

「僕は・・・耐えるだけで、受け入れるつもりは無い・・・!!嫌がる僕を見てアイツらもわかっているはずだ・・・。」

机の上に握り拳を、その上にピーターは顔を埋める。

「日に日にエスカレートしていくそれに、我慢ができなかった・・・。動機は以上です。・・・女王様、僕はここで裁かれ、罰を与えられる・・・ですが、僕は「悪」として裁かれるのですか!?」

と言って見上げた顔は悲観に崩れていた。目には溢れんばかりの涙を、タオルは微かにずれて、綺麗な仕事着は血塗れのボロボロだ。アリスは言葉を失った。これが、人の上に立って働く、ということなのか。

「妾は悪を裁くのでなく、罪を犯した者を裁く。この裁判において罪人に善も悪もない。」

トランプが仕切る裁判に情状酌量(おなさけ)は無し。

「さて、そろそろ裁きたい。私は今特に機嫌がよろしくない。貴様のせいだぞ白兎。」

ずっと不機嫌だったような、とアリス。いや、この裁判のきっかけとなったのは他でもない彼だから仕方ないのかも。

「白兎よ・・・貴様。耐えろと決めたなら耐えろ。」

「・・・え?」

勿論ピーターだけではない、見ている者全員が驚きと疑問の声をあげる。今回ばかりは女王も無視していた。

「そのままの意味である。何度受けたか・・・などと野暮なことは聞かぬ。ただ、耐えると決めたなのになぜ耐えなかった?」

観客は自然と黙った。近くでは息を飲む音さえ聞こえた。エースはただ真っ直ぐに前を向いていたがジャックは下を向いたままだ。

「女王陛下、僕は・・・。」

「甘いッ!!!!!!」

ローズマリーの怒りに満ち溢れた一声が響き渡る。ひどい形相で、鬼のよう。アリスも思わず身震いした。かつて、ここまで怒った人を見たことがなかった。それを近い距離で、自らに向けられたピーターの心境やいかに。・・・よほどうるさかったのだろうか、耳が下がっている。体も縮こまって、なんとも哀れ。

「まだ助けを求めてくれたら良かった。痛い?辛い?わかるよ。貴様は妾と同じじゃ、せめてもの情けとして救ってやらなくもなかった・・・ただ、耐えると言ったなら耐えてみせよ。貴様の覚悟はその程度のものか?・・・私は耐えた。」

最後の一言の時だけ。妙に、落ち着いていた。同じとはどういう意味?耐えたって、何に?アリスの頭の中で疑問が尽きない。

「女王陛下は・・・。」

「貴様を見ていると妾も反吐が出る。」

最後にそう言い捨てた後、咳払い。この咳払いは何かを切り替えるための仕草の一つだとアリスは理解する。手に木槌を持つ。

「もうよい。」

ローズマリーは判決の木槌を叩く。


誰もが息を呑んだ。そしてピーターに下されたのは。


「ピーター被告人には死刑!!」

しばし沈黙が続き、ピーターはその場で膝から崩れ落ちた。アルカネットは歯を食いしばり、ぎゅっと目を閉じて俯く。彼はおそらく誰かさんの後の事を考えている。エースと、ジャックもいつの間にかいつも通り。アリスは目の前で何が起こったか、理解が追いつかない。

「すぐに実行したいが、妾はしばらく忙しい。なに、贔屓にするつもりは無い。罪人となれば扱いは等しく、牢獄行きじゃ!!」

そこで立ち上がるジャック。

「なるほど女王陛下!いわゆる焦らしプレイというやつですね!?」

「それが貴様の辞世の句で良いのだな?」

なにを急にとっぴで馬鹿げた事を言い出すか、案の定ローズマリーにきつく咎められた。彼もそろそろ、危ないのでは・・・?

「よって、第315回裁判を終了する!兵士は各自、各々の仕事に戻れ!それ以外の者は妾の指示があるまで部屋から出ぬ事!!見張りもつけるからな!」

兵士は慌ただしく、観客は裁判について言い合ったり今後の対応に不満を零していたり。


アリスは茫然としていた。

どうにかして、せめて死から助けられないのか。

ああ、なんて自分は無力なんだろう。


「アリス。」

名前を呼ばれてハッとする。レイチェルだ。心配そう。その隣にはフランネル。こちらはとても眠そうだ。

「とりあえず出るぞ。」

そう急かされて、アリスは裁判所を後にした。



ー・・・


「シフォン、なぜお前が?」

大理石の小さな墓の前で、黒いコートとスーツに身を包んだシフォンが可憐な白い花束を抱えて立っていた。墓には「ナターシャ・ベルガモット公爵夫人」と彫られている。そんなシフォンの背中に少し後ろから、シグルドが声をかける。

「いいじゃないか。君もどうだい?」

振り向くことはない。シグルドは顔を横に反らす。気分は優れないようだがお墓を前にしたら大体はそうだろう。

「後でよい。」

「・・・そうか。」

それだけ言ったら墓の前に歩み寄り、花束とポケットから取り出した一つの封筒をそっと置いた。しばらく黙祷を捧げたらゆっくり一歩、二歩と下がり、愛しい人が静かに眠る場所を優しく穏やかな瞳で見つめた。

「大変だ!!大変だ!!!」

突如、向こうから誰かがひっきりなしに叫びながらやってきた。シグルドがその人物の異様な格好に仰天し、指をさして名前を呼んだ。

「マーシュ。なんだね、その格好は・・・。」

息を切らして駆けつけてきたのは、鎖かたびらをしっかり着こんで背中には長いジャベリン(槍の一種)を装備していた。膝に手を乗せて呼吸も不規則なものだから相当重い装備で走ってきたのかもしれない。

「そんな事より・・・はあっ・・・大変だぜ、ピーターが殺人容疑により処刑つって・・・たった今決まっ・・・。」

シグルドが機嫌も大層悪そうに睨む。

「なに・・・?」

「一体全体、なぜ彼が?」

シフォンも同じく睨む。両者ともマーシュに対してではないのだが、やはりそんな目を向けられると萎縮するわけで。

「し、知らねえよ・・・!そこまでは・・・。」

「アリスは・・・。」

彼の話を遮って呟いたのはシフォンだ。

「アリス?アリスもきっと他の観客と同じように部屋に戻されたんだろ。聞いた話によればしばらく部屋から出られないみたいだが。」

「しかしこれで、アリスが行動に出る事はない。彼女なら「彼を助けたい」と言い、じっとするはずがない。」

「無理だろ!?」

「無理だとしても、だ。」

男三人があーだこーだ話し込んでいる。

「僕も行く。行かなきゃ。アリスもいるが仲間もいるんだ。」

三人に気づかれないようなところ、木の枝の上にチェシャ猫が現れた。僅かに葉っぱが揺れる音も風に揺れた物だと思い込んでいるので誰も見上げたりしない。

「・・・・・・。」

でもチェシャ猫は聞いていた。ピーターの死刑、アリスが動かない状態なのも。ここで彼は考えた。アリスを逃せば良いと。逃した後のことは、正直考えちゃいないけど。

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