君は僕の特別なアリス

見渡す限りまっくら闇の中にぽつんと立っていた。そのくせ、アリス自身の姿は明るい空間にいる時みたいに鮮明に確認できるのだ。

「ここはどこ?」

ふらりと一歩二歩と前に歩みだす。何故だろう、恐怖心や不安感が全く感じられない。懐かしいようなこの感じ。かといって暗い場所を一人で歩くのは何度だっていい心地がしない。

「あんたが今回のアリスなのね?」

その時、ひたひたと、後ろから足音が自分の方へ向かってくる。振り向くとそこには、アリスと同年代ぐらいの少女。頭につけているリボン、全く同じのエプロンドレスを身に付けているが、髪の毛は茶髪のストレートロングでエプロンドレスの下は深紅。特徴的なのは所々に巻いているベルトや包帯、右目の白い眼帯。アリスとは瓜二つなようで、全く反対の雰囲気を醸し出していた。

「私は十三番目にここにきたアリスよ。ここって言っても、今あなたがいる淘汰の国。」

彼女も また、暗闇の中で鮮明に見えた。

「13番目?」

「そうよ。不吉な数字でしょ。」

不安げなアリスに対し13番目は無邪気な子供のような楽しげな笑みを顔いっぱいに浮かべる。

「ねえ、あなたはどうなったの?」

「秘密。それより、アリスになったのよね。おめでとう。」

はぐらかされた上にいきなりお祝いの言葉をかけられた。正直なところ、あまり嬉しくない勝利ではある。でも、祝福を蔑ろにするほどアリスは無粋ではない。

「ありがとう・・・。」

「アリス。」

茶髪の赤いアリスは変わらぬ笑顔でこう言った。

「アリスになったのならアイツを殺して。」

「・・・えっ?あなた、何を言っているの?」

一歩ずつ、ゆっくりこっちへと近づいてくる。ああ、その笑顔がとても怖く感じる。微笑みながら殺して、なんて平気で言うから、怖い。とっさに逃げようとしたのに足が動かない。

「勝ったのに野放しなんて許さない。殺して。女王を。」

「・・・!!」

真っ暗な中に、沢山の少女の首が現れる。顔に影がかかって表情全てを伺えないが、口はみんな、両端が吊り上がっている。口々に同じようなことを言い始めた。

「私の仇をとって。」

「あなたなら出来る。」

「あいつを殺して。」

アリスは耳を塞ごうとした、が。その腕を目の前のアリスに掴まれた。見開いた目は真っ赤で・・・。


「あなたが出来ないなら、私が殺るから。」

そして、彼女の首が転がり落ちた。


「いやあっ!!」

力一杯、彼女の体を突き飛ばした瞬間。景色ががらりと変わった。嫌な汗が顔を濡らしているのがわかる。乱れた呼吸を整える。起き上がった、そして違う景色ということでさっきのはすぐに夢だと理解する。アリスが今いるのはふかふかのベッドの中。オレンジ色の光りでうっすらと空間を照らされていた。辺りはさながらホテルのような、広い部屋だ。この部屋、覚えている。と、いうか・・・。

「・・・いつの間にか寝ちゃってたみたい。」

思い出した。まず、アリスはアルカネットとセージに連れられてこの部屋に着き、あまりの高級感と清潔感溢れる空間にしばし酔いしれたあと、綺麗なお風呂で綺麗さっぱり体を洗い、優雅にお湯にバラの花びら(専用の物である)を散らして至福の一時を堪能した後、、更に可愛らしいパジャマまで用意され、あまりのベッドの気持ちよさについ・・・。至れり尽くせりだが、結構好き勝手にくつろいでいたようだ。

「さっき見た夢は何だったのかしら。きっと、満喫し過ぎた私にバチが当たったのね。」

うさみみフードのついた淡いピンクの可愛らしいパジャマに身を包んだアリスがふと目に入った光景に違和感を覚えた。

「枕が二つあるわね。」

ベッドが一人には十分なぐらい大きいのにはさほど突っ込まなかったが、実は、今あらためてみればおかしな点は沢山あった。まず、洗面台には使い捨ての歯ブラシ等の横に誰かが使っていたであろう歯ブラシがあったのと、自分の着替えの横にもう一人分の着替えが置いてあったこと。あのときはすっかり浮かれていて注視しなかったが考えてみると明らかに変だ。もしやここは死んだ兵士が使っていたのではなかろうか。お風呂場から何か物音が聞こえてきた。血の気が引いた。アリスは幽霊を信じてはいない。だから、死んだ兵士が早くも亡霊となってうろついているなんて思わない。それに、もう一人分の歯ブラシや着替え。そこから考えつく結論は少々突飛ではあるが。


不審者がいる。


まさか、自分に気付かなかったのか?いやまさか。この部屋は今や貸切状態だ。それを知らない人が?ならまずアリスを起こすはずだ。やはり、気付かなかったのか?あり得ない。アリスの服がすぐそばにあるのだから。混乱している。物音のたびに怯える。ただベッドに入ったまま座り込み、色々と考えを巡らせている中、お風呂場のドアががらりと開いた。

「きゃああああ不審者!!!」

咄嗟に枕を開いたドアの向こうにいる人物に向かって投げつけた。勢いよく飛んだ枕はぼすっと乾いた音を立てて相手の顔面に直撃した後役目を終えたかのような床に落ちる。

「・・・・・・。」

投げられた人物は真顔で、こちらをじっと見ていた。 真ん丸い、ピンク色の瞳。シンプルなパジャマを着ている。

「・・・え?あれ?」

投げた本人は、そこに立っているのが何度か見覚えのあるまさかの人物にしばらく目を疑った。

「不審者っていうか、言っとくけどここ、僕の部屋だからね。」

まごうことなく、ピーターだった。特に狼狽える様子も怒る様子もなく落ちた枕を拾い脇に抱える。

「ちょっと待って!?私、ジャックさんにVIPなルームを用意してるからってあの・・・!?」

「はぁ~・・・。」

ピーターは疲れきった顔で深くため息を吐く。

「ジャックの仕業さ。」

騙されたのだった。理由は不明。不審者でもないと恐怖は消え失せたものの、代わりに別の感情が湧き上がってきた。今度ジャックに会ったら、散々問い詰めてやろうと心に決めた。一方ではピーターは枕をベッドに置いたらベッドの隣にある椅子に座り目の前の机の引き出しから分厚い紙の束を取り出す。

「ここはね、泊まり込みの際に利用しているんだ。ほんと、びっくりしたよ。君が僕のベッドであまりにも気持ち良さそうに寝息立ててるんだから起こすにも起こしにくいし。」

そこまでリラックスした状態を会って間もない、しかも男性に見られたのは少しだけ恥ずかしいアリスだった。

「しかも手の込んでる。一人用の部屋に枕とか二つあるわけないでしょ?全く、そんなことする暇があったらもう少し働いてほしい。」

ぶつぶつぼやきながら隣でライトの紐を引っ張ると書類に判子を押している姿が明らかになった。立っていればまるで子供のようなのに仕事に熱心な大人みたいに見える。

「何をするの?」

体ごと横を向く。ピーターは目もくれぬ。

「寝る前に少しだけ仕事をね。すぐ終わる。」

やはり彼は女王の側近で偉い人。働く大人と遊んでばかりの子供とは訳が違う。邪魔をしてはいけないし、そもそも他人の部屋に居座るわけにもいかないし(満喫しすぎたのを気にして早く退散したかったので)、あてはないがひとまずこの部屋を出ることにした。

「それじゃあ私は失礼するわ。」

「えっ?」

返ってきたのは理解でも追い出す言葉でもなく「えっ?」というなんとも間抜けな疑問形だった。

「えっ・・・?」

当然アリスも聞き返す。ピーターはようやくこっちを向いてくれた。

「そんな格好でうろつくのはやめた方がいい。城内はきちんとした服でいるのがマナーなんだ。部屋着でいていいのは個室だけなんだよ。」

初めで聞いた、そんな情報。郷に行っては郷に従え、なんて大袈裟だが場所によってそれぞれのマナーがあるなら従わなければならない。アリスはそういうのに厳しく言われてきた。ましてこの場所の所有者がだから。

「それにジャックの事だ。どうせ、他の部屋は用意していない。」

それもわかる。空き部屋だからといって勝手にお邪魔するわけにもいかないし。

「じゃあどうすれば・・・。」

立ち上がろうとした腰を、すとんとおろす。せめてシフォン達と合流できたら良いのだけど、考えてもむずかしいか。思考を巡らすに巡らしても良い考えが浮かんでこない。

「ここにいれば?」

「・・・は?」

仕事の合間に随分あっさり言うもんだ。いや。そう言ってもらえるなら嬉しいけど、申し訳ない気持ちもあり、他にも・・・。

「君も疲れてるんでしょ?どうせまたすぐに寝るだろうし、それなら迷惑にならない。」

そういう問題じゃあない、と心の中で呟く。すぐ寝るからいいってわけでもなくて、逆にそれがよくないと思ったりもするわけで。でも、何もできないアリスは次第に「迷惑をかけないのならいいか」という考えに行き着いた。なので、なるべく物音を立てないよう、そーっとベッドに潜った。ただ、その時はまだあることを考えていなかった。

「・・・。」

じっと彼の仕事風景を眺める。地味な仕事だった。ひたすら紙にハンコを押し、たまに万年筆で何かを書くの繰り返し。途中で何回か大きなあくびをするも、手際が良く、着実に仕事を片付けていった。

「さて、終わった。」

アリスはまだ眠たかったのかこんな短い時間でさえうとうと、。もちろんピーターは起こそうとしない、が、彼が違う仕草をした途端にはっと目が覚めてしまった。

「あとは寝るだけだー・・・んー・・・。」

小さい体でいっぱい伸びをする。その間に、アリスは気付いてしまった。そう。彼が寝ると言うのなら退かなくては。だってここは彼の部屋なのだもの。

「待って待って、えっ?なんで出るの?」

「だってここはウサギさんのお部屋なのでしょう?自分の部屋のベッドで寝るのは当然じゃない。」

アリスは決してわざとではない。

「じゃあどこで寝るの?」

肝心のアリスはと言うと・・・。

「床で寝るわ。」

「せめてソファーにしてよ!」

これもわざとではない。彼のツッコミに「それもそうね!」と素で気づいた様子だから。全く、アリスはこれでも客人だ。しかも女の子を床に寝させるだなんてたまったもんじゃないたいうのがピーターの本音だった。

「わかったわ。」

素直なアリス。ソファーなら尚更躊躇いもない。

「そうじゃなくて!そうじゃない!アリスはそのまま!じっとしてて!普通はこういう時逆なの!」

「でも・・・ッ!!」

突如アリスが頭を押さえる。かき氷を食べた後のキーンとした感覚が強くなったような痛みがした。

「どうしたの?大丈夫?」

「ちょっと頭が痛くて・・・。」

心配そうにしゃがんで覗き込む彼の耳も垂れ下がっていた。大きな声を出してしまったのも原因なのではないかと今度は囁くのに近い声で・・・。

「ほらもう。余計にちゃんと休まないとだ・・・ぶぇっくしゅん!!」

くしゃみで台無し。幸い、アリスの頭痛はほんの一瞬だったのでそこまで影響はなかった。

「一瞬だったみたい、もう平気よ。・・・寒いの?」

あーあ、今度は立場が逆になってしまった。外の気温は涼しい。部屋の中には空調などあるわけがないのでお風呂入った後もすぐにベッドに入らないと少し冷えてしまう。

「うん・・・まあ、ちょっとだけ・・・。でも僕がそこで寝て君が出たら、君が風邪ひいちゃうかもしれない。」

そこでアリスは考えた。ここで風邪ひいたらどうなるのか、と。お薬はあるのか、そもそも他のみんなに迷惑をかけちゃうかもしれない。風邪をひいたら大人しくお家で寝るべきなのに、どこで寝ろというのか・・・とか。

「・・・アリス。」

立ち上がったピーターは真剣な顔だった。いい考えがあるかと期待した。

「むこう向いて横になってて。」

何故だか知らないがふと嫌な予感がした。それでもいう通りにした。まだ期待していたから。何をするかといえば・・・。

「・・・んん?」

後ろで毛布がもぞもぞ動く感覚がする。おそらく背中あたり。自分も直で寝転んでるからよくわかる。ベッドが軋む感覚。何をしているか、ここまできてわからないほどアリスは鈍感ではない。だからこそとても驚いたものだ。

「えっ?えっ、待って!!な、なにを!?」

慌てて振り向いたらすぐそこに顔が。つまるところ今の状態は一つのベッドに二人潜っている状態なのだが、もともとベッドが大きいので窮屈ではないが、そうじゃなくて・・・。

「待って!」

勢いで出て行こうとしたらまさかのまさか、腕を掴まれ引き止められた。

「一緒に寝れば解決するでしょ?」

「そ・・・そうだけど・・・。」

アリスにとっては考えられなかった。だって、知り合った間もない他人の関係柄の男性と同じ寝床で寝るだなんて!お父様やお母様、友達に知られたらなんて言われるだろう。事実、アリス自身が男に慣れていないのもあるのでたったこれだけでも大変刺激が強い。しかし・・・。

「・・・・・・。」

正直言って見た感じ、一人の男ではなく、まるで弟みたいだ。相手の方も本当に眠いようで、過度に意識しすぎた自分が余計に恥ずかしくなった。なんとか平静を取り戻そうとしばらく顔を逸らした。

「・・・誰かと寝たことなんかなかった。こんなに安心するものなんだね。」

そう呟くピーターは仰向けだった。よかった。今この距離で目があったらやっぱり恥ずかしかったから。だが彼はどこか寂しそうだ。ここはあえてふざけた質問をしてみようとアリスが尋ねたのは。

「召使いさんとは寝ないの?」

「むむ無理だよ!あ、あくまで僕は主人なんだから・・・!」

毛布に頭の先まですっぽり潜る。思ったより面白い反応だった。

「主人だから、偉い人だから。なめられないように気を付けてるだけ。本当の僕はそんなんじゃない・・・。」

「・・・・・・。」

言われてみると。最初に出会ったときや久々にお城で再会した時は随分偉そうだったが、今の彼は全然違う。弱音を溢す始末。アリスは察しがよかった。それ以上を気にすることさえなかった。どう声をかけていいか、少し悩んだけど。

「私の前では本当のあなたでいればいいわ。」

・・・これでよかったのだろうか。外に出した言葉は口には戻らない。様子を伺うが、しばらくして顔を出したので聞いた直後の反応はわからなかった。さらに流れる沈黙。

「・・・君を見て思い出した。昔話になるけど・・・。」

話を始めたと思えば突然の思い出話。興味津々だ。

「僕はね、違う世界からここにアリスを連れてくる役目を担ってるんだ。女王の命令なんだけど、これは内緒ね。」

アリスはおとなしく聞いている。彼はそんなのお構いなしで勝手に、一方的に話し続けている。

「お仕事中に怪我をしたの。ここ以外の世界では今みたいな姿になれない。痛かった。雨も降ってたし、喋れないぐらい弱ってて・・・。その時、女の子が僕を助けてくれたんだ。」

予感がする。女の子というからにはアリスを見てその少女との記憶を思い出したのだと。

「服をちぎって応急手当をして、家へ連れ帰ったら家族を必死で説得して、病院へ連れてってくれたの。お礼を言いたかったけど、しゃべったら君以外は僕を変な目で見るだろうし、早く戻らなきゃいけなかったし・・・。」

ただただ黙って聞いていた。なぜか。彼は自分の記憶を辿っているだけのようだが。

「その女の子の名前はアリス。君を見てると何故か思い出してしまったんだ。また会いたいなぁ。っていうか、もしかしたら君かもしれないね、なんて。」

彼の話でアリスも思い出したことがある。だから真剣に、黙って聞かざるを得なかったのだ。

「私・・・。」

はっとしたかぼーっとしたかわからない曖昧な表情のアリスは目の前に「その時の情景」を見ているかのようだった。友達の家から一人帰る雨の中、道端に奇妙な生き物が血を流して倒れている。手当てするようなものも持ち合わせておらず、包帯の代わりになればいいかと服を力一杯に引きちぎって一切のためらいもなく痛々しい傷口に巻いた後、病院に連れて行かなくてはと判断したが、自分の足では行けない距離にあった。放っておけと反対した親を雨の中、傘も捨ててずぶ濡れで懇願したあの日を。

「小さい頃。道で怪我してるウサギを助けたことあるわ。なぜ忘れていたのかしら。しかもそのウサギも赤いチョッキ着ていた。あなたの言っているのと、私が昔にあったこと、完全に同じ。」

しかし、たまたま同じようなことが二人それぞれにあっただけかもしれない。だからアリスはあの時のあれがそれ、それがこれとは言えなかった。でもここまで偶然が重なると信じてしまいたくもなるわけで。幼き頃に助けたウサギと、異世界でまた再会するだなんて!

「アリス・・・。じゃあ、じゃあ僕は、君を・・・。」

君は僕を、ではなくて?と疑問だったがそこには触れない。

「こんな偶然もあるのね。ほんと、人生って何があるかわからないわ。」

「ごめん・・・。」

物思いに耽っているかのようにしみじみと語っていた彼が、今度は急に今にも泣き出しそうな顔でこっちを見ているからびっくりするに決まっている。

「なんで謝るの?」

はたして今までの話に泣く、さらには謝る要素はあっただろうか。

「会えたのは嬉しい、けど・・・。」

またもやアリスはパニックだ。これがお互いの記憶と一致しているのかどうかも決まってないのに。ああ、でもついには泣き出してしまった。すぐ袖で拭うけどもう遅い。

「ごめん、えっと・・・そう、ちょっと嫌なことも思い出して・・・。」

彼がそう言うのならそうなのだろう。でもやっぱり、悲しくて泣いている誰かを放っておくことはできない。こういう時、どうしたら自分は落ち着いたかを思い出す。それをするにはちょっとだけ勇気が必要だったけど。

「・・・・・・。」

後ろを向いてしまいそうなその前にアリスは彼の背中に腕を回してそっと引き寄せた。

「わっ・・・。」

時間が止まったような感覚だった。慌てふためくどころか何が起こったかわかっていなかった。次第に理解してもそのままじっとしていた。苦しいほどに、藁にも縋る思いに等しいぐらいの甘えたい気持ちを全身で肯定してくれる。ピーターにとってはたったそれだけだった。

「怖い夢を見た時や辛くて泣いた時はお母様がこうしてくれたわ。」

頭も撫でた。体をくっつけるとわかる。震えているし、嗚咽を堪えるために顔を押し付けているのも。同じく回した手はしがみつくようだった。何も言わずとも彼の気持ちはわかった。

「私がいる間だけになるけど、嫌なことがあったらこうしてあげる。」

せめて今だけは、心の安らぎになりますように。アリスもピーターもいつの間にか眠りに落ちていた。どちらも気持ち良さそうな寝顔で。




〜一方、中庭にて。〜


ぽつりぽつりとライトに照らされて薄ら闇と静寂に包まれた、薔薇咲く庭を扉の近くからローズマリーが見下ろしていた。

「母上・・・。」

呟く彼女の声はとても寂しそうで。その時、後ろから甲高い足音がゆっくりと近付いてくる。ローズマリーは振り向くことはない。こんな時間にこの場所を訪れる者など大概決まっているからだ。

「こんな所にいては風邪を引かれてしまいます。」

低く無機質な声。女王のそばにいる限り彼は鎧を脱がない。

「ふん・・・エースよ、貴様こそ明日のために早く寝たらどうじゃ。」

部下の前、毅然とした態度を取り戻す。それも意味がないとわかりつつも、しないわけにはいかない。一切振り向きもしないまま。

「アリスがあなたに勝った。即ち、あなたがアリスを代わりの女王と認めるも同然のこと。いよいよ、ですね・・・。」

しばらく葉が風に揺れて靡く音が心地よく静けさの中に響き渡る。少し黙ってからローズマリーが口を開いた。

「そなたには感謝しておる。妾の野望に付き合ってもらってな。」

エースはさも当然の如く淡々と返す。

「私は女王陛下に仕えるために喚ばれたのですから。」

声音には断固とした意志と忠誠を、背中越しに伝わってくる。

「・・・妾が喚び出しただけあってそなた達は唯一信じることができる。」

気のせいか、国を統べる傲慢な女王の顔はなく、悲しみを帯びた笑みを浮かべ吸い込まれそうな星のない夜空を見上げた。

「母上の優しさに漬け込んだこの国も、母上みたいになりたくないと虚勢を振るう自分も大嫌い・・・何もかも嫌。もう、嫌だ。」

「女王陛下・・・。」

エースはそれ以上は何も言わず、主の小さく見える背中を、ローズマリーは母との思い出の場所である薔薇咲く庭をしばし眺めていた。



〜所変わって、二階廊下〜


「まさかあの時をまんま夢で見るなんて・・・しかもやってしまった〜・・・。」

まだ微妙に空の色は暗く、朝日は雲という名の毛布にくるまって出てこようとさしていない。服は例のゲームでもお馴染みの豪華な仕事着に身を繕っていた。明かりの消されたシャンデリアは頼りにならず、しかしピーターは目が人よりは良かったため、ドアの近くにある小さな灯りだけだ歩くには十分だった。


「置き手紙置いてあるし、鍵の開け方も書いてあるから大丈夫だと思うけど・・・。」

働き者は大忙し。まだ夢見心地のアリスを置いて早朝の仕事に向かっていた。うつ向きながら独り言のように言い聞かせ廊下を歩いていると、視界に誰かの靴先が見えたのでハッとして立ち止まり顔を上げた。

「き、貴様らは・・・。」

次の瞬間、ピーターの表情が強張った。

「これはこれはピーター様ではございませんか!朝早くからお勤め御苦労様です!」

そこにいたのは三人のトランプ兵。だが彼らの番号は右から2、5、7。ただのトランプ兵だが、ピーターにとっては特別だった。悪い意味で。咳払いでいつもの「職業上の」自分を被る。

「一般兵士は予定表には7時からと記していたではないか。今は何時だと思っている?」

相変わらず子供のような外見とはミスマッチなその態度。かくも女王陛下と王の次に偉いのだから仕方ないのは仕方ないのだが。

「何を仰いますか!正しくは二時間後・・・でございますよ。」

七番が意味深な笑みを浮かべる。ピーターはまだ理解ができていない。

「君達こそ何を言って・・・。」

二番が笑いを人を小バカにするような目でこっちを見ながら言った。

「貴方がいつも持ってる時計、実は少しばかり細工をしまして」

「・・・貴様!!」

ピーターがいつも手にしている懐中時計の針をずらしたのだ。秒針の速さは変わらないので気付かなかったが、つまり彼の方が時間を間違えていたことになる。それを聞いて一気に業が沸いたピーターは酷い剣幕になる。

「早いにこしたことはないでしょう。俺たちもどうせ今からこき使われる、下手したら死ぬかもしれないんだ。せめて始まりはいい気分でいたいもんじゃないですか。」

「だからと言ってこんな・・・ん?」

七番がさりげなく背後にまわり肩を叩く。いつのまにかトランプ兵に取り囲まれていた。身長の差があるせいか圧迫感を四方から感じる。怪訝に見上げる。

「なんだい?」

目の前で距離を詰めてくる五番が下衆のような笑みで見下ろしてくる。

「何って・・・わかってるだろ?」

嫌な予感は的中した。ピーターの表情は、恐怖にひきつった。しかしながら不意打ちではないことを利用してあくまで上司としての威厳を翳す。

「君達、いい加減にしないと・・・!」

女王に言いつけるぞ、と言おうとした時、五番に髪の毛を雑に掴まれる。

「こっちはお前がアリスと同じ部屋に入ったのを知ってるんだよ。こっちが告げりゃあ女王陛下のことだ、流石のお前もどうなるかわかんだろうな。」

「・・・・・・。」

まさかもう知っている者がいるとは。アリス絡みで何かあったものならきっとただの騒ぎではない。たとえ誰かのせいだとしても、女王は聞く耳を持たない。今は尚更騒ぎを起こすわけにはいかなかった。

「わかったから、離して・・・。」

五番は苦痛に顔が歪む上司を半ば愉しんで見ていたがこれからはもっと愉しめるのを考えて笑顔で離した。一瞬バランスを崩すもすぐに立ち直る。

「・・・・・・。」

耐えろ。と自分の中で繰り返す。そう、長く続く苦痛ではない。我慢すれば後は何事もないように順調に時は進む。一行は廊下を地下牢に向かって歩きだした。


宴が始まる。これはその始まり。



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