仮初のお茶会
「~~~♪」
木がそびえたつ森の脇道には、随分とその場所に不似合いな人影が呑気に鼻歌を歌って何かを摘んでいた。
「・・・えっと・・・これ!じゃないわね・・・。」
ピンクのドレスを着たはかなげな少女。ナターシャが片手に藁のカゴを提げて雑草の中をかきわけて何か探している。
「・・・あ、あったわ!!」
一つのふさふさしたそれを・・・猫じゃらしを摘んでは近くに生えている同じのをばらばらの長さでまた摘んでゆく。カゴは段々と緑色の毛のようなものでいっぱいになった。
「家来に任せてもよかったんだけど・・・やっぱり自分でとってきたもので遊びたいもの!」
そういうと服についた汚れを軽く払い、満足げに帰路につく。
「ナターシャ=ベルガモット。もとい公爵夫人。」
知らない声に呼ばれ、警戒しながら後ろを振り向いた。夫人、ナターシャの顔が一気に青ざめた。
「・・・あ、あなたは・・・エース様?私に何の用・・・きゃああ!!」
「貴様に処刑の命令が下された。直ちに監獄へ連行する。」
そこには、たくさんの猫じゃらしとカゴだけが残っていた。
******
「・・・ほお~・・・。」
アリスは、一日の殆どを森で歩いただけな気がする・・・が。今度は森の中は森の中でも、ひと味違う森で、飽きることはなかった。パンジーやバラやヒマワリなど、季節という概念を無視して様々な花が所々に咲いていたのだ。違う季節の花がいっせいに咲いた所など見たことがない。しかもその中にはアリスのいた世界にはないだろう、水玉のオニユリなど奇妙なものまであった。
「お土産に持って帰りたいぐらいだわ!お姉様も、みんなきっと素敵って言うに決まってる!・・・でも、一気に持って帰ったら私のいる世界の季節に合わない花は枯れちゃうかもしれないわね。」
ふと、マーブル模様のペチュニアに目がいった。
「こんなのはどうかしら!いつの季節の花かわからないけど、こんな花・・・探そうたってないわ。枯れたらその時はその時よ!」
随分と機嫌が良さそうだ。更にアリスを上機嫌にさせるものが目の前に現れる。一匹、続けてたくさん、アリスの気配を感じて花の周りを沢山の子ウサギが飛び出してくる。野生の野ウサギのようだ。猫も好きだがこのような愛らしい姿を見たならいてもたってもいられない!
「かーわいいー!!」
早速一羽のウサギを抱き抱えると、最初は身体や頭を撫でてやる程度が抑えられず、思わず毛に顔を埋めた。
「うふふ・・・もふもふ・・・ああ、幸せ・・・!」
まさしく至福のひと時だ。表情は恍惚と言わんばかり。そんな様子を気味悪がったのかウサギはアリスの腕の中から飛び降りた。
「あっ!そんなあ~!」
少し落ち込むがもはや見ているだけで幸せなアリスはにやける口元を抑えながら花咲く道を進んだ。
「猫さんもついて来ればよかったのになぁ。」
そう、今この道をアリス一人で歩いている。先程まで一緒にいたチェシャ猫の姿はいない。
話を遡ると・・・。
二人で左に分かれた道を進んでいたら、途中でアルマと遭遇したのだ。アルマ曰く「適当に歩いてたらここにいた」とのこと。そして次は「遊んで!」とチェシャ猫にせがんだのだ。いきなりすぎるのでさすがのチェシャ猫も「今はそれどころじゃないよ。」とスルーしようとしたが、相手は手にボールを持っていた。猫は丸いものに反応するのがお約束。アルマはその気があるのかないのか、それを投げるや否や猫も猫らしい四足歩行で目を光らせてボールめがけて勢いよく走っていった。アリスは呆れてそんな野生剥き出しのチェシャ猫を置いて先に進んだのだ。
「猫さんはこれを見てどう思うかしら。」
猫がウサギを追いかける姿は想像出来ない。ましてや花にいたっては「何これ」で始まって終わるんだろうな、と考えるとこの気持ちを共有できる人がいないのは少し面白くない。
「それにしてもほんとウサギの多いこと。」
先程から足元をちょこまかと走り回るウサギに足を取られそうだ。
「ここはウサギの森なのかしら。」
すると、どこからか花の香りを掻き分けて何か違う臭いが漂ってきた。
「・・・いい匂い。これは・・・焼き菓子!?」
曲がり道を曲がると家が向こうに見える。犬ほど優秀な鼻ではないが、この匂いはきっとあの家からするのだと、アリスは好奇心に駆られその先まで小走りで向かった。
「・・・はっ、はっ、ここは・・・。」
アリスが行きつく先にたどり着いた場所に広がっていたのは、花と、白い隙間のある塀に囲まれた広い広い芝生だった。あまりにも広くてわからなかったが、後ろの方には全部レンガで作られた大きな家があったのできっと庭なのだろう。それにしてはかなり広い。その家から少し離れた所に何かがある。テーブルクロスが脚が見えなくなるぐらいかかったテーブルは、これもまた家と同じぐらい長さで、木で作られたツヤツヤの椅子がその長さを埋めるように沢山取り囲んでいた。テーブルには、遠くからは確認しづらいが小さな物がずらっと並んでいる。
そしてそこを、世話しなく動き回る人と、席に座っている二つの人が確かに見えた。テーブルにはたくさんのお菓子、紅茶がずらり。原因はまさしくそれだ。引き寄せられるように、芝生を踏んだ。
「おや?」
そのうちの一人が声をかけた。真ん中辺りの席に座っている人物だ。貼り紙やら赤く目立つリボンなどで飾られた大きめのシルクハットをかぶり、亜麻色の髪をを束ねた少年だ。アリスより少し年上と言ったぐらいだろうか。
「うっ・・・。」
思わずその場で固まった。少年は冷たく真っすぐな瞳でこちらを眺めていたが、しばらくしてどこか気取ったような笑みを浮かべ。
「Guten Tag!」
滑らかなドイツ語で挨拶をした。姉がたまたまドイツ文学の本を読んでいたのを盗み見ていつの間にか一部を覚えていたアリスもぎこちながらも同じドイツ語で返した。
「Guten Tag!」
少年は挨拶だけしたようでその後は何もいわずに目を伏せる。それでは間が持たないのでそれから続く言葉を探り出した。
「・・・あっ。みなさんは何をなさっているの?」
今更肝心要の質問をしてみるも。
「見た通りさ。何かおかしな事でもしているかね?僕達。」
なら尚更答えてくれたっていいじゃないか、と心の中でぼやいた。でも、少年はこれ以上取り合ってくれそうにない。そうだ、他の人に話しかけてみよう。少年の横に座っていた少女は茶色ネズミの耳を生やしており、まるで動物の毛のように広がったふわふわの薄いクリーム色の髪にリボンをつけている。服はワンピースのような服で首から何か提げていた。全体的に緩い雰囲気の少女だが、座ったまま気持ち良さそうに寝ている。さすがに眠っているところを起こしてまで聞きたいわけではない。
「あの人なら・・・。」
さっきからずっとテーブルに色々な物を運んでいる青年に決めた。オレンジのやや無造作な髪は毛先が暗く色が落ちているようにも見える。頭からは野ウサギのような茶色の長い耳が生えていおり、瞳は真っ赤で丸い。体格はしっかりしている。燕尾服を身にまとい首元には赤い蝶リボンを締めていた。青年は手の上のプレートに乗せたパイやらカップやらをバランスを崩すことなく歩いている。
「あ、あの!そこの・・・えーと・・・。
「んあ?」
プレートの物をテーブルに置いて空になった皿を載せながら振り向いた。
「これは今何をなさっているの?」
「見りゃわかんだろ。」
さもあたりまえのごとく返された。それがわからないから聞いているというのに!
「・・・・・・。」
あぁ、あまりにもおかれたもの全てが美味しそう。
「・・・私もお邪魔させていただいてよろしいかしら?」
図々しいとはわかりつつ、ここはダメ元でお願いをしてみた。すると・・・。
「はぁ!?」
と驚く声が返ってきてすぐに。
「邪魔なんかお前・・・ダメに決まってんだろ!!」
勢いよく断られた。今まででこれほどきっぱりと断られたことはない。潔さすら感じた。
「それに悪いが、空席はないんだ。諦めな。」
「見た所沢山あるように見えるんだけど・・・。」
アリスは誰もいない沢山の椅子を見渡しながら呆然としている。
「・・・お前の席・・・ねえから・・・。」
少女がぶつぶつ呟いた。寝言なのか、何気に話を聞いていたのか。しかしそのままテーブルに突っ伏して寝てしまった。
「・・・・・・。」
まともそうな人には適当に返されるだの、断られるだの散々だ。だが、仮にこれから他に誰か来るのかとすればこの沢山の品々も納得がいく。アリスは名残惜しそうにその場を後にしようとした。
「おいバカ三月。」
聞こえたのは少年の声だ。今までアリスは知らない人からもアリスと呼ばれていたぐらいなので自分のことではないのは明らかだった。
「お邪魔するというのはこの場合言葉そのままお邪魔するわけではないと何度言ったらわかるんだね。」
・・・・・・。なるほど、そういうことかぁ。とアリスはアリスで納得した。まさか、本当に邪魔すると捉えていたのかとは露知らず。ん?何度言ったら?
「えっ・・・。」
青年が固まる。少年は続けた。
「それに、この席は客人専用だ。招かざるとはいえ、彼女も座ることができる。」
ここらへんはよくわからなかった。
「いやあ、すまないね。うちのバカが失礼な真似をしてくれた。」
「あ・・・いえ・・・。」
少年はそう言ったきりで優雅に紅茶を嗜み、青年は硬直したっきり動かない。少女は寝ているし、アリスもどうしていいか戸惑う一方だ。
「・・・お邪魔しました。」
美味しそうなデザートを口に入れられなかったのは大変残念で仕方がないが、なんだか気まずいし、なんだか面倒にさえ感じて食欲も失せてきた。帰ったら何かおやつでも作ろう、と考えたり。
「ちなみにこの場合のお邪魔しましたはそのまんまの意味だね。あーあ、しかし、何もお邪魔していないのにそんなこと言わせちゃって。」
少年がわざと煽るように、向けて言ったのは青年の方に。だがそれを聞くと青年にも気を遣って立ち去ろうにもそうしにくいものがある。さあ、どうするアリス。
「・・・・・・。」
この頃には完全に面倒という気持ちの方が優っていたのでさっさと失せて忘れようとした。
「・・・。」
やはり立ち去ろうとした、その時だった。
「わー待って!待ってくれ!!」
今度は青年が慌てて駆け寄ってアリスの腕を掴んだ。
「!?」
先程とは打って変わって困ったような顔をしている。
「あのっ、あれはだな・・・勘違いだ!勘違いなんだ、な!?ほらほら、こうでも言わないとさぁ堂々と入ってくる輩もいるんだよ、な!?さっきのは仕方のないことで・・・。」
「今考えたろ、それ。」
少年が煽る煽る。青年は腕をしっかりと両手で握り必死な表情で懇願する。
「まあ彼の名誉のためにも付き合ってくれやしないだろうか。」
「そういうことだ!な!?」
しかし少年はさりげなく後押ししていた。自分より大柄な男にそこまで頼まれたらかわいそうでならない。
「はいはい、わかったわよ。」
今思えばかなり投げやりな返事だったと思う。てぐらい、彼女は疲れていた。だが、嬉しそうな表情をいっぱいに浮かべた年相応ならぬ笑顔を見たら満更でもなかったようで。急かすように背中を押されて中へ入らされた。
「・・・すごい美味しそうね。」
「だろ!」
青年は自信満々だ。テーブルの目の前まで来て見下ろしてみると、数々の陶器でできたカップやらティーポッドが椅子の前にそれぞれずらりと規則正しく並んでいた。真ん中が特に賑やかでカップには並々と紅茶が注がれており、皿には焼きたてのアップルパイや果物が盛られた大きなケーキ、一つの銀の皿にはマカロンやスコーンが一緒に積まれている。見る限り、まさしくお茶会といったところだ。
「そちらにでも座りなよ」
少年がその中のスコーンを一つ口に放り込んだ後、アリスに自分の反対側の向かい側の席を手に持ったフォークで指した。
「その態度は客に対して失礼じゃない?」
椅子を引いて腰をかけながらそう言うも少年はそのフォークを近くのケーキに刺して頬張る。
「僕は紳士ではなくただの帽子屋だからね。君も招かれた客ではないだろう?」
確かにアリスは招待されたわけではない。それにアリスも別に多少気になっただけでこれ以上咎めるつもりもなかった。
「・・・あなた、帽子屋なの?」
「いかにも僕は帽子屋だ。名はシフォン。」
だからなのか、帽子も飾り気があるのは。
「隣で寝ているのは眠りネズミ・・・ヤマネのフランネル。さっきからやたら目障りなそいつは三月ウサギの・・・なんだっけ。」
「レイチェルだ!お前がつけたんだろ!」
帽子屋がつけた、という辺りが気になるがそれよりも気になったのがレイチェルに対するシフォンの扱いの雑さである。
「レイチェル、客が来たんだ。何か出せ。」
「え、え?こんなにあるのに!?」
目の前の沢山のデザートを目の当たりにして疑問の混じった驚きの声を上げる。レイチェルは、アリスの席に置いてあるコップに紅茶を注いでその横に砂糖やらミルクやら置いてまたどこかへ行った。
「それぜーんぶ自分のだって言いたいんだろ・・・んげっ!」
からかうように呟いたレイチェルに向かって黒い塊のような焦げたスコーンが勢いよく飛んで見事後頭部にヒットした。投げたシフォンは腹立つ所か、真顔だ!
「いいから早く何か持ってこい!」
「・・・あの、私・・・その・・・これが食べたいかなーって。」
そっと、自分の近くにあるアップルパイを指差した。多分この場所に行く前に漂ってきた匂いは主にこれだろう、香ばしいかおりが食欲をそそる。
「君ならいいだろう。好きなだけ食べていくがいい。」
シフォンは目の前の果物が盛られた鮮やかなケーキを慎重にナイフで自分の分だけ切り分けていた。アリスも側にあったフォークとナイフに手を伸ばしてサクッと軽そうな音を立てながら一口大に切った。
「いただきまーす。・・・。」
アリスは一旦そのまま固まった。甘い物にはこの国ではろくな目に遭ってない。
「どうしたんだい?」
「これ食べたら体が大きくなったり小さくなったりしないかしら?」
そう訊ねるとシフォンは真顔で。
「仮に何か盛ったとして、自らそうしましたと明かす奴はいるかい?・・・安心しな。馬鹿にそんなことする脳はない。」
安心していいのか、どうやらそのバカをさすレイチェルには聞こえてないようだ。疑心暗鬼に口に運んだ。
「・・・んっ、んおいし~い!!!」
思わず顔を綻ばせる。
「そりゃそうさ、まずいものを作らせてどうするんだい。」
シフォンの言葉を無視してアリスは次々と頬張る。手ぶらのレイチェルがそれはそれは嬉しそうだ。
「これぜーんぶ俺が作ったんだぜ!野菜も果物も育ててるのは俺だ!そりゃあもう愛情をこめて作ったんだからとーぜん・・・。」
「キモい。」
得意げに語るレイチェルの話をシフォンは「キモい」の一言で終わらせた。実はあまり仲が良くないのではなかろうか。レイチェルは耳をしゅんと垂れ下げてどっか行った。そこでアリスは思いついたように気を利かせた。
「三月さんもせっかくだからお茶会を楽しみましょうよ。」
ずっと立ちっぱなしだし、もう食べるものも数は余る程ある上に今の彼は手に何も持ってない。そう言ってアリスは隣の椅子を引いてあげた。
「お、サンキュー。」
深く座れば両手を上に体を伸ばし首を振ればゴキッと鳴る。よほど休んでないんだろうなぁ。
「はい、どうぞ。」
と言ってアリスは新しいカップに紅茶を注いでやった。
「あー悪いな、客に気を使わせちまって。」
「そんなことないわ。」
「ほーお。今度のアリスはただのガキではないみたいだね。」
二人のやり取りを見て感心したシフォンはレイチェルの皿に焦げかけのスコーンを積む。いつのまにか眠りネズミのフランネル起きており、ぼーっとして活気がない目で積まれてゆくスコーンを眺めていた。ていうかどれだけスコーンを作ったんだとアリスも心の中で呟く。
「彼女は実に人品のいい人だ。」
突然シフォンは一旦食べる手を止め腕を組みアリスを褒めた。当のアリスは嬉しいという気持ちの半面、「この人誰かを褒めることも出来るんだ」と少し驚いていた。褒め言葉で滅多に出る単語ではないが。そんなシフォンにレイチェルは自信ありげにこう言い返す。
「いいや、人格がいいんだ。」
こちらもまたアリスを違う言葉で褒めた。アリスからしては双方の言ってることはさほど変わらないように感じた。もっと素直でわかりやすい言葉で褒めてくれたらいいのに、もしかしたら散々バカと貶されて対抗したくなったのか。
「どちらも同じようなものでしょ。」
褒められた本人はさりげなく話に割り込んだ。
「「違う!」」
二人同時に返された。アリスは何も言える気がしなかった。
「・・・礼儀正しい・・・て言えば・・・いいのに・・・。」
寝言のように呟くフランネルの声は誰にも聞いてもらえない。シフォンはやれやれと首を振った。
「あのなあ・・・。」
強気なレイチェルに冷静なシフォンは低い声で更に冷たい目で睨みながら言った。
「人格とは実に紛らわしい。お前はどの意味をとって言ってるか知らないが今のは明らかに人品だろう。」
「うっ・・・うん?」
レイチェルはまず話していることがなんなのか理解できていない。
「全く・・・どうせお前のキャパシティーはすっからかんなんだから無理して対抗しようとすると無様を晒すだけだぞ。辞書を百回ぐらい書き写しして出直してこい」
最後にすごいトドメを刺した。知らない横文字が理解できない。「相手が言ってることはなんとなく正しい」と思い込んで諦めてしまったのか「うん、そうだな・・・。」と負けてしまった。すると口数が少なかったフランネルは珍しくはっきりとしな声で誰かを特定せず問いを投げかけた。
「ヒラメとカレイの違いはなんだ。」
今度は難しい単語ではないのでレイチェルは得意げで。
「名前が違うだろ。」
「そんなこと聞いてないだろ。」
と言ったのにシフォンにばっさり切られる。アリスは苦笑いを浮かべながら特徴を思い出した。確かこの程度なら一般常識で知っている。
「目が体の左側がヒラメ、右側がカレイだったっけ?」
「正解。」
レイチェルは「してやられた!」と悔しがり、フランネルは無表情でそう答えた後、また次の問いを投げた。
「夫婦と夫妻。」
「う・・・うえぇ?」
一気にレベルが上がり、答える気のないシフォン以外は頭を悩ませた。これとばかりは非常に紛らわしい言葉である。
「夫が婦人になって夫が妻になるんだ!」
そう言うレイチェルももはや投げやりだ。そこでアリスはその答えの中でふと気になったことを呟いた。
「じゃあ公爵夫人は?」
対しフランネルはそれに基づいた新たな問いかけた。
「夫人と婦人。」
自分で言ったことだからというがアリスの頭の中は夫婦に夫妻に夫人に婦人と四つの言葉がどれが同じでどれが違うかわけがわからなくなった。一方レイチェルは頭を抱え完全に混乱している。もしや言葉の意味すらわからないのだろう。
「あまりいじめないでやってくれ。あ、そうだ、アリス。この国はどうだい?」
シフォンが唐突にアリスに聞いた。
「うーん・・・最初は大変なことばかりだったけど、とても楽しいわ!」
それを聞けば、シフォンはこれ程にない穏やかな表情を浮かべた。隣でレイチェルは二人の会話を小耳にしながらケーキにがっついている。
「それはよかった。ここで突然だが今閃いた。僕から一つ提案がある。」
アリスとレイチェルが顔を上げた。シフォンはそんな二人を一瞥してカップの残りの紅茶を飲み干して優しい落ち着いた声で尋ねた。
「アリス。どうだ、気に入ってくれたようならこの国に住んでみてはいかがかな?」
レイチェルは真顔でカップを落とし、アリスは目を丸くしてしばらく黙っていたがすぐに口元をおさえ軽くパニックになりかけた。
「ええ!!?ちょっ、ちょっと!なんでそうなるの!?」
「そ、そうだよ!いくらなんでも急すぎるぜ!!」
慌てふためくアリス。レイチェルも黙ってはいられなかった。
「そうかな?いい提案だと思うのだがね。慣れればもっと楽しくなるし、なにより君のいた世界で君を縛っていたものはここには何もない。素晴らしいではないか。」
シフォンはやけに大袈裟な身振りをする。
「・・・・・・。」
まさか悩むことになるなんて!確かに、めちゃくちゃな国ではあったが、それも慣れてしまえば楽しめるようになるんだろう。そうとなったら不思議に溢れたこの国は好奇心旺盛な彼女を毎日退屈させたりしない。しかし気になることもあった。アリスはこの国を完全に異世界の中にある国だと思い込んでいる。その中にいるシフォンはなぜ、アリスのいた世界をそうだと言い切れるのだろうか?
「そりゃ居てくれたらな?大歓迎ふぇへほほ・・・。」
レイチェルはスコーンを口いっぱいに詰め込んで途中から何を言っているかわからなかった。おかげで些細な疑問がアリスの頭からすっとんだ。アリスは真剣な顔で答える。
「ごめんなさい、私がいるべき居場所はここじゃないわ。」
「アリス・・・。」
レイチェルは驚いて、フランネルは感情が読み取れない無表情でこちらを見ている。
「でもここが嫌とか、そういうわけじゃないの。これでも悩んだのよ?家族が心配しているでしょうから一度は帰らないと・・・。」
「・・・そうか。」
低く小さく、しかしはっきりとそう言ったシフォンは帽子のつばに隠れて表情が伺えない。アリスは途端に慌て出す。
「せっかくなのにごめんなさい、あの・・・!」
ふと顔を上げ帽子から覗かせたその表情は、笑顔だった。
「・・・いや、いいんだ。君がそうしたいならそれでいいよ。」
「・・・帽子屋さん・・・。」
一安心したような、どこか不安な気持ちのアリスを横目にレイチェルは間に割って問いかけた。
「ほんとにいいのか?わざわざ聞いたのによ。」
「ああ。帰るべき場所がある。引き止めるのは無粋だ。」
「・・・でも・・・。」
それ以上はあえて何も言わなかった。
「この国は空想なんかではない。来たいならまた来ればいい。君は特別な客としてもてなそう。」
「そーだな。生きてる限りは会えるんだからいーってことで!な?」
レイチェルは隣に座るアリスの頭を無茶苦茶に撫でる。緩いウェーブのブロンドの髪が乱れて頭まで揺れる。だが、アリスの顔は、見ている方が幸せになるぐらい嬉しそうな笑顔だ!
「・・・この子なら・・・なッ!?」
ガタンッ
と寝言のように呟くフランネルが突然椅子が倒れるぐらい勢いよく立ち上がった。そこにいた者全員が驚いて一方を見れば更に驚愕する。今までずっと寝ぼけ眼だったフランネルは、眉を寄せ、いきり立ったような酷い剣幕だったのだ。そして少し離れたテーブルの上に素早く飛び上がりその衝撃でアリスの周りの食器や食べ物が散らかった。
「ヤマネさん!!?」
「どうしたフラン・・・あっ!さてはアイツだな!?」
途端にレイチェルも手当たり次第にスプーンやフォークを掴んで威嚇する。一体何が起こったのかわからず困惑するアリスに対し、シフォンは呑気に二杯目の紅茶を嗜んでいた。
その時だ。
「先に行っちゃうなんてひどいなー・・・なんて。」
気配もなく、なんとフランネルの後ろのテーブルにチェシャ猫が生首が生えていたのだ!
「・・・猫さん・・・そんな芸もできるのね!!!」
「・・・ゲイ?・・・なーにそれ。」
とんでもない再会である。アリスはチェシャ猫の特異体質を目の当たりにしているが、これはさすがに驚愕どころか恐怖だ!フランネルは身軽に振り返れば力を込めてチェシャ猫めがけてフォークを突き立てる。だが生首は一瞬で姿を消し、フォークはドスッと音をたてテーブルに真っすぐ刺さった。
「猫は美味しくないよ。・・・君と違ってねッ!!」
今度は全身姿を現した。長い袖から見える鋭く尖った鉤爪でフランネルの背後に回り首を引っ掻こうとしたがフランネルは軽々とジャンプでかわしてチェシャ猫の顎を狙って回し蹴りを一発食らわす。
「・・・・・・。」
アリスは唖然とした。
眠りネズミとは言い難い身の軽さとその野性剥き出しで、近寄るとこちらまで攻撃されかねないぐらい凶暴。一方のチェシャ猫は今までに見たことのないぐらいいきいきとした、獲物を狙う時のような輝いた目をしている。気取った様子はどこへやら。猫とネズミ。多分皆が親しんでいる「不思議の国のアリス」からのイメージからは程遠い、弱肉強食を形にしたような光景だ。
「今日こそ僕の胃袋に収まってもらうよ眠りネズミ!!!」
「窮鼠猫を噛むっていう言葉を知っているか猫もどき!!!」
チェシャ猫は一人称が、フランネルに至っては口調がもう荒くなっている。これが猫とネズミの繰り広げる死闘なのか。そして敗れたネズミはアリスの飼い猫が捕まえてくるように・・・?だが、このネズミならなんとかなりそうな気がするぐらいには、さっきから互角に戦っている。しまいには食器は粉々に砕けてお茶会とはとても言えない、もはや戦場と成り果てていた。幸いにもアリスやシフォンのいる範囲までには及んでいないが、相当うるさい。
「てめーら!いい加減にしやがれッ!!」
しびれを切らしたレイチェルは立ち上がり二人を止めに向かった。まだ紅茶の入ったポットやカップを投げつける(本人は止めているつもりである)。
「三月さん!?」
「温いソレじゃあ頭は冷やせないだろうに。」
シフォンは呆れて獣の争いを遠めで眺めながら言った。なるほど、頭を冷やしてもらおうとしてるのか。だが頭に当たってるわけでもなく、紅茶は中途半端な温さで、これでは火に油ならぬ火にぬるま湯だ。
「止めなくていいの!?」
アリスは向こうを指差す。しかしシフォンは
「好きにやらせておけ。僕にまで被害が来なければ問題ない。」
ザクッ
「・・・あ。」
「・・・。」
フォークが勢いよく飛んできてシフォンの帽子に突き刺さった。アリスの血の気は引き、シフォンは目を閉じてそっと立ち上がる。
「・・・帽子屋・・・さん・・・?」
恐々と尋ねた相手は冷たい無表情で、目は殺気立っていた。
「・・・僕の時間を邪魔する奴は許さない。」
シフォンは椅子の後ろに立てかけてあった杖を手に取る。あの杖で何をするのか心配そうに見ているアリス。シフォンはおもいっきり杖を横に振ればそれは杖の原型は全くない、黒く輝く銃器に早変わりしていたのだ!どうやら何かをすれば変形するらしい。アリスは呆然とその銃器を見つめている。そいつを慣れたように構え迷わず引き金を引き、三人に向かって弾をぶっ放した。しかも何発も。
アリスも止めようとした。だがエアガン並の威力しかないようで直撃したら「痛い」だの「やめろ」だの喚いている。もちろん、止めるのが目的ではなくただただ怒りをぶちまけているシフォンは相手の言葉など知らんぷりだ。
「・・・もう!こんなのお茶会でもなんでもないわ!」
いつ自分に飛び火しかねないのを恐れ、アリスは席を立ち銃声と怒号のうるさい、お茶会が開かれていたらしい場所を足速に急いで去った。三人は気づいておらず、延々と争いを繰り広げていた。
「・・・全く!危ないったらないわ・・・。」
ようやく静かな森の中を不機嫌そうにぼやいて歩くアリス。今は何もない道でさえ心安らぐ場所だった。
「・・・ん?」
目の前にはとてつもなく巨大な樹が立っていた。苔は生え、ツルが至る所に巻き付いている。かなり大昔からあったような、年季を感じさせるような荘厳で威圧感のある樹だ。その真ん中には、本来このような所にあるはずのないもの。大きな扉があった。
「樹に扉があるなんて、向こうに続いてるのかしら?」
樹の向こうにも道がある。もし何もなかったら向こうをそのまま通ればいいのだから、アリスは試しにその扉をゆっくりと押し開けた。
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