チェシャ猫の人間論
「ねえ、猫さん。」
「なんだい?」
しばらく黙って進んでいた(聞きたいことが山ほどあってどれから聞いていいのかわからなかった)がアリスの方はたまらなくなり、どれを聞くかも決めて無いにもかかわらず呼びかけてしまった。
「チェシャ猫ていうのは、あなたの名前よね?」
「まーそう言うんならそうなるんじゃない。」
曖昧にはぐらかされた気もするが、アリスは次に聞きたいことを続けた。
「じゃあ、あなたの種類は?」
「うーん・・・。」
考え込むチェシャ猫を期待の眼差しで見ていた。どんな種類の猫なのだろう。きっと彼女のいる世界には紫色した猫なんかどこ探したっていないはず。だから調べようも無いのたろうが、とにかく興味はある。それに、珍しいものを見た気がしてアリスの心は軽く舞い上がっている。
「チェシャ猫はチェシャ猫だよ。」
と答えるだけだった。
「えっと、そうじゃなくて・・・。」
聞き方が曖昧だったのかもしれない。今度は丁寧に尋ねた。
「・・・その、品種とかあるじゃない。ロシアンブルーとかスコティッシュフォールドとか。」
アリスは自分の中で一番に思いついた種類をあげた。
「ブルーティッシュ?」
「なによそれ・・・。」
「ていうか猫はチェシャ猫だよ。チェシャ猫だからチェシャ猫って呼ばれてるのさ。」
としか答えない。
「もしかしてチェシャ猫って、種類の名前なのね!」
「だからチェシャ猫なんだって。」
チェシャ猫は薄ら笑みを浮かべたまま全く表情を変えない。アリスはやや苛立ちを覚えている。
「猫は猫だよ。種類があってもそれは猫じゃん。」
「うぐっ・・・うーん・・・。」
言っていることもあながち間違ってはいないもののなんだか腑に落ちないようだ。
「あなたの言ってることは間違ってはいないけど、私の聞いてることには答えてないじゃない。」
「答えてはいるよ。」
確かにしっかりと答えてはいるのだ。しかし先程から二人の会話はあんまり会話になっていない。アリスはこれはダメだと諦めてしまいそうになる。
「話が全然合わないわ。」
「合わせる気ないもん。」
その言葉に何か言い返したそうにするも、相手は何一つおかしなことを言ってない。合わせる気のない相手に無理強いもしたくないアリスは退屈そうにチェシャ猫の隣を歩く。
そういえば出会った時からずっと笑顔を崩してない。にんまりと笑ったまんまだ。一体何を考えてるのだろう。そんなに面白いことでもあるのか、だが「あなたは一体何を考えてるの?」と聞くのはあまりにも無粋だと考えた。
「君は、一体誰?」
今度はチェシャ猫の方から話しかけてきたのでアリスは「やっとだわ!」と(何がやっとだか知らない)が暗い顔が晴れやかになった。
「私はアリス。アリス=プレザンス=リデルよ!」
「・・・へー・・・「君も」か・・・。」
「君も?」
チェシャ猫は「いやーなんでもない、あはは」とか言って笑顔だがどこか困った様子ではぐらかした。疑問には思ったが、「こんな顔も出来るんだ」とぼーっと考えていた。
「でも君はまだアリスじゃない。」
「・・・は?」
またいつもの笑顔に戻ったチェシャ猫から唐突すぎるそれに一瞬アリスは何を言われているかわからなかった。すぐに理解した。だが理解しきれなかった。
「・・・わ、私はアリスよ!?」
「なんで?」
「この国に来てからはみんなアリスだってウサギさん言ったもの!」
チェシャ猫は態度も何も変えない。もはやその笑顔が不気味にさえ思えてきた。
「みんな?アリスじゃないヒトもアリスになるってことでしょ。仮にその中にアリスがいたとしても沢山同じのアリスてヒトがいたら君はどのアリスだい?」
「えっ、ええーと?」
一度にこれ程までにアリスを連呼されてはどれが
「じゃあ、君が今、アリスということを証明してみなよ。猫にもわかるようにね。」
「うっ・・・。」
飼い猫達も、人間観察しながらそんなことを考えてるかもしれない。チェシャ猫の言うことは、いわば動物の視点から見た素朴な疑問なのかもしれない。答えるべき、なのだが答えが見つからない。
「でもやっぱり名前しかないわ。みんな私をアリスって呼ぶし、お母様が私につけたんだもん。」
「でもアリスじゃないよ。」
「じゃあ、今までの私は何だったのかしら。」
また会話が降り出しに戻りそうな、嫌な予感しかしないので渋々黙り込んだ。だがその静けさをチェシャ猫ら破る。
「今までの君がアリスだからそう言うけど。」
しばらくためてから続けた。
「名前がないのも不便じゃないよ。」
アリスはきょとんとした。
「でも、私を指すものがないじゃない。」
するとチェシャ猫は演技ががった大袈裟な素振りをした。
「例えば、先生から名前を呼ばれた、しかし君に名前がなければ、君を呼ぶことはない。」
「あー・・・まあそうね・・・。」
だがアリスはふと自分のいた教室風景を思いだした。先生によるが、厳しい数学の先生は居眠りしているのと教科書を読んでいるだけの生徒を瞬時に見分け一番の後ろの席までチョークを投げ飛ばす暴君である。そのあとには何事にもなかったように授業を始めるのだ。アリスは勉強は真面目にする方だがわからない問題だって当然ある。当てられた際にそれだった場合は難しい顔をされるのが嫌だった。
「先生はそれぐらいで諦めるような人じゃないわ。私に名前がなかったらきっと「お嬢さん」って・・・。」
チェシャ猫はくるりと身体をひねって一歩、歩み寄っては顔を丸くさせているアリスの顔を覗き込んだ。
「猫なら「お冗談」と聞き間違えた?と聞き返す。けどね。」
「・・・・・・。」
しばらく沈黙が続いた。
「・・・ぷっ・・・あは、あははははっ。」
アリスが吹き出した。今までにないぐらい、一度、笑い出したら止まらなかった。
「あははは、あはははは・・・なにそれ・・・お嬢さんとご冗談・・・ふふ・・・あははは。」
今度はチェシャ猫がきょとんとしている。こちらはこちらで今まで浮かべたことのない、間の抜けたような表情をしていた。
「・・・どうしたの?悲しいの?」
アリスは涙目になっていた目を拭いながら息苦しそうだ。しかしその表情は、悲しいというのとはもう反対で。
「い、いや・・・猫さんて・・・そんな駄洒落言うんだなって・・・最初は変な人かと・・・。」
「・・・・・・。」
呼吸を落ち着かせながらもまだ破顔している。
「悲しくないのに涙を流すなんてヒトはやっぱり変だ。」
チェシャ猫は背を向けて再び歩きだした。何を思ってそう言ったのかはわからない。しかし、雰囲気は幾分和やかになった。少なくともアリスはそう実感しながら後をついていった。
「あ、なんか思い出した。」
「・・・ふえ!?は、はい!」
アリスは猫好きだ。チェシャ猫といえど猫は猫なので、目の前でゆらゆら揺れる尻尾にいてもたってもいられなず、触りたい衝動に手が今にも尻尾を掴もうと・・・。
「・・・アリス?」
「なんでもない何を思い出したの!?」
既に尻尾の周りを囲むかのような手を慌てて引っ込めた。チェシャ猫はしばらくその様をじーっと(わざと)眺めていたが、アリスの必死な表情を見兼ねた。
「・・・尻尾はやめてね。」
「・・・う、うん・・・。」
見透かされていた。
「んで何を思い出したの?」
「夫人にはね、赤ちゃんがいるんだよ。」
「・・・え、ええっ!?うそ・・・やだっ、赤ちゃん!!?あっ、そういえば・・・!!」
アルマの言っていたことを思い出す。だが、正直あの時は夫人があんな少女だとはとても想像できなかったものだから。
「どうしてそんなに驚くのさ。」
心はさておき体はか弱そうだし、あの身体と年齢でよく子供を産めたものだと感心した。
「へえ~・・・見たかったなあー・・・。」
「あんな危ない所で?赤ちゃんにナイフなんか刺さったら本当の意味で赤ちゃん・・・。」
「言い方ってもんがあるでしょ!!」
そう叱り付けられると「あはは」と面白そうに笑っている。さてはこいつ、からかっているようだ。・・・でも、いつもああだとナターシャは言っていた気がする。
「言っとくけど、夫人の子供ではないんだって。」
「誰の・・・あ。」
そこまで言って途中でやめた。実際、特に問題もない普通の家族に生まれたアリスだが他人の家庭の事情に首を突っ込むのはあまりよくないと周りを見ていつしかそう学んだのだ。子供がいたと聞いた時は年頃の少女のように恋愛話にまで興味を持ったが子供ではないと聞いてから何も言わなくなるアリスは少女というより子供らしさがなかった。チェシャ猫は猫らしく人の事情などお構いなしだ。
「誰がパパだーとかは教えてくれないんだ。ヒトのれんあいじじょーなんか興味ないし。」
「そうよね。」
ちょっと一安心だ。
「拾ったのか預かったのか。まー捨て猫を拾って世話するぐらいお人よしなんだからいいんじゃない?」
確かに。夫人ならそのような雰囲気がする。
「猫さん。でもそういうのはお人よしじゃなくて、優しいて言うべきよ。」
「・・・ヒトの言葉って難しいなあ。」
そんな、二人で会話をしていたその時だった。
「そこの疫病猫!!」
その声のわずか後に、道の脇から人影が颯爽と登場した。三人の細身の男性だ!右から赤、青、黄の全身タイツを身に纏い口には風邪の時にお世話になるマスク、頭にはまりものようなカツラ、安っぽい白いマントが風になびいてひらひら揺れている。
「な、なんなの・・・?」
「なんなんだろーね。」
アリスのいる世界ではああいうのを俗に「変質者」と呼ぶのだが、この世界でおかしいと感じるものがそうでなかったりするので気にしないようにした。
「・・・ククク・・・貴様・・・そんな間抜け面をしていられるのも今のうちだぞ・・・!」
一番右側の男性がそう言った。そしたら隣にいる青いタイツの男性が「リーダーは真ん中だろ!」と言って二人は慌てて場所を入れ替えて何事もなかったように毅然たる態度をとっている。
「・・・猫から言わせれば、君達は存在自体が間抜けだよね。」
「いまどき流行らないわよ、そんなの。」
返ってきたのは辛辣な感想だった。
「ううううるさい!!時代が我等についていけてないだけだ!!」
「あの、俺やっぱやめていいっすか、あだっ!」
チェシャ猫とアリスの冷たすぎる反応にタイツ以上に赤くなったリーダーがこちらを指差しわめいている中、黄色いタイツの男性が呟いた瞬間リーダーにげんこつされた。登場早々グループ崩壊の臭いを漂わせている。
「で、何なの?あなた達は。」
「我々は貴様に用はないのだ。」
リーダーはびしっと、指を差したのはチェシャ猫の方だった。アリスも思わず差された方を見るが当の本人はビビりもしない。
「チェシャ猫め!!貴様・・・我等が同胞を・・・喰らいよって!!我々は仇を討ちに来た!!いざ勝負なり!」
アリスは心の中で「仇討ちでなんで勝負を求めるのよ・・・。」と呆れ返っていた。しかし、三人が取り出したのはなんとライフルだったのだからアリスの顔は一気に青ざめた。
「卑怯よ!正義のヒーローみたいなナリして!!」
「うるさい!これは勇気付けるための服だ!!それにこれは仇討ちだ、卑怯もクソも関係ないわ!」
そう叫べば三人は一斉に物騒な銃器を構えた。
「勝負って言ったのはなんなの!?めちゃくちゃよ!!」
三人はアリスの質問に相手をしなくなった。
「正義のヒーローの格好してたらそんな気になれるのかい?」
一方のチェシャ猫は三人を興味深そうに眺めている。
「逃げて!!危ないわ!死んじゃうわよ!!」
アリスは袖を引っ張ってなんとか逃げる気を起こさせようとする。早く射程範囲内から逃げなければ二人もろとも危ないのだ。弾は一つではない、ライフルも一つではない、素人かプロかわからない、運が悪ければどちらも死ぬ。まさかこんなところで死の危険を感じるとは思わなかった!だが決して、一人だけで逃げることはしなかった。そんなアリスが不思議で仕方なかった。
「なんで、出会ったばかりの奴のことなんか心配するの?」
アリスの顔は、涙で崩れていた。
「普通じゃないの、そんなの!目の前で殺されそうなの放っとけるわけない!そ!に私、まだまだあなたといっぱいお話したいことがあるの!」
必死だった。そりゃあ、目の前で誰かが撃たれるなんて避けたいものだ。だが、アリスはそれよりも・・・。
「大丈夫。」
チェシャ猫はそう言って
「猫は簡単には死なないから。」
アリスを軽く突き飛ばした。
「撃てえええ!!!」
リーダーの合図とともに、三つのライフルは容赦なく一方だけを目掛けて夥しい数の弾丸を放った。
「チェシャ猫さっ―――――」
アリスは身体を勢いよく起こして、仇討ちの惨たらしい餌食に遭っているそれに向かって叫んだ。きっともう、彼の耳には決して届くことないだろう名前を、鳴り止まない銃声に掻き消されながら叫んだ。
だが
そこには信じられない光景があった。
「―――なん・・・ッ、なんだ、と・・・!!?」
リーダーが先程の戦意むき出しの勇ましい姿とは反対にわなわなと戦いている。他の男性もそうだ、特に黄色はいまにも逃げ出しそうに後ずさりまでしていた。
アリスも同様だ。へたりこんだまま、信じられないと言わんばかりの表情で口を開いている。いや、誰もが信じられないのだ。なぜなら、今頃見るも無惨な姿で倒れているはずのチェシャ猫が、平然とした顔でかすり傷も服が汚れた様子もなくそのままの体勢で立っていたのだから。たしかに当たったはずだ、チェシャ猫は身を守るものもないし万が一全部避けたとしても体勢が全く変わっていないのはおかしい。アリス三人はしかと見た。
弾はチェシャの身体をそのまま通り抜ける様を
「・・・ひ、ひえええ!!」
「マグレだマグレ!!弾はまだある!ぶっ放せ!」
うろたえる黄色にリーダーは喝を入れもう替えのライフルをすぐさま構え、合図なしに引っ切り無しに撃った。
「・・・うーん、うるさいなあー。」
チェシャ猫はやれやれと言いながら、一歩、また一歩とゆっくりと歩み寄った。
勿論、銃は撃ち続けたままだ。だがアリスから見ても弾丸はチェシャ猫の身体をすり抜け向こうの虚空に向かって飛んでいく。まるでそこに何もないように、障害物がなかったかのように。
チェシャ猫がまるでいないように。
「・・・うわあ来るなあ!」
「猫は君達のお仲間いただきましたー。なんでかって?お腹もぺこぺこで食べるものもなかった所に現れたからでーす。」
リーダーの声なんかなんら聞いてない。ニッコリしながらどんどん距離を詰める。
「ここで質問。君達は普段何を食べてますか?・・・肉?だよねー。じゃあそれはなんの肉?・・・なんでもいーや。」
じり、じりと次第に三人との間は目と鼻の先になる。二人は銃を落とし、せまりくる不気味なそれに震え戦意を喪失していたがリーダーだけは諦めず近づいてくる対象に撃ち続けた。顔には恐怖の色が浮かんでいた。
「んじゃあさ、君達の食べ物にされたソレのお仲間達はどんな思いで毎日過ごしてるかな?」
とうとう、手も触れられる距離だ。弾も尽きたのか何度引き金を引いても銃口から何も飛び出ない。
「し、知るかそんなもの・・・ッ!!」
最後まで威勢を張るが身体も震え汗でびっしょりのリーダーはそう吐き捨てた。チェシャ猫は笑顔のままだ。
「猫もそうだよ。」
と言って、悪戯そうにニッコリと笑うと。長い袖から見える、鋭く尖った何かで、引き裂いた。
「いやあああああ~!!」
アリスは思わず目をギュッと閉じた。・・・が、悲鳴は聞こえたものの、どこか間の抜けた様子だったので恐る恐る目を開いてみた。真っ赤な全身タイツが見事に真ん中でぱっくりと避け、カツラまで取れてそこには全裸の男性・・・ややおじさんが胸と大事な所を隠して叫んでいた。きちんとネズミの耳と尻尾は生えていたが・・・頭は太陽の光を全反射するがの如く綺麗な更地、ある意味無惨な姿だ。
「あなたっ・・・咲きかけの未熟な蕾から花びらを剥くなんて最低よ!・・・もーやだあああ!ちょっとジロジロ見ないでよ!!」
「男なのに女みたいな喋り方してるー。」
煽るチェシャ猫はなんだか楽しそうだ。アリスは慣れない男の身体に目を伏せることしかできなかった。
「い、行くわよ!アンタ達!!」
「は、はいいっ!!」
オカマらしいリーダーは我先とこれまた女走りで、他二人もライフルを拾っては急いで後を追いかけ一目散に逃げていった。
「・・・・・・。」
追いかけようともせず、小さくなる三つの影を眺めていた。
「・・・猫さん!!」
アリスは慌てて駆け寄った。
「ケガは!?痛い所はない!!?」
「うん、へーきへーき・・・ッ、う・・・ぐっ・・・。」
チェシャ猫をなだめようと頭に手を伸ばした瞬間、突然お腹を抱え苦しそうに呻き背中を丸めた。
「猫さん!!!」
心配そうにしゃがみ込んでエプロンのリボンをほどこうとする。包帯にはなるぐらいの幅と長さだ。出来るだけのことがあるならと急いで手当てをしようとした。
「・・・うっそだよーん。」
と顔を上げて悪戯そうに舌を出している。勿論、彼の身体には穴の空いた跡も傷もない。現に痛そうな様子もない。
「・・・もう!!からかったのね!!心配したんだから!!!」
心配して損した上に馬鹿にされたとアリスは拗ねてしまった。
「まーまー。猫もろくに心配されたことないんでね。」
チェシャ猫も身体を伸ばし、呑気そうに大きな欠伸をしながらアリスの前に身軽そうに回ればいつものように薄ら笑顔を浮かべて
「行こうアリス、もう誰もいない。
「え・・・うん。」
今度は同じ歩幅をあわせて歩き始めた。
「・・・いやー、でもへんてこりんなヒトだったね。」
「そうねー。」
先程の危機感はどこへやらと今やもう過去のように話している。
「なんだか憎めないけど。」
アリスが小さく笑いながらそう言うとチェシャ猫は
「あいつらは猫を憎んでたようだけど。」
と返したのでそれ以上何も言わなかった。どちらが正しくもあり、悪くもあるのだから一方を責め一方を庇いたくはなかったのだ。やり方は少し、えげつないが。
ドッチガタダシイ?ナニガタダシイ?
「・・・ッ!!」
アリスに突然激しい頭痛が襲う。そして同時に、頭の中に直接入ってくるような誰かのどこか聞き覚えのある声・・・。
「アリス?」
異変に気付いたチェシャ猫は顔を覗き込む。頭痛はほんの数秒だけだった。
「・・・ううん、何でもないわ。行こう。」
「・・・。うん」
二人は気を取り直して道を進めて行く。
「・・・・・・。」
アリスはまたもや、ゆらゆらと揺れる尻尾に釘付けだ。
「・・・!」
そうだ。先程のチェシャ猫のように、もしかしたらこの尻尾もまた物をすり抜けてしまうのだろうか。
実はその話をしようと試みたのだが「チェシャ猫だから」としか返してくれなかった。本人も把握出来てないのか、生きてるうえで自分の事を全て把握している人間は少ないし自分もそうだ。だがあんなものを見せられては気にならないはずがない!
アリスは躊躇うことなく
チェシャ猫の尻尾を力いっぱい握った。
「いぎゃあああああああ!!!」
跳び上がる勢いで悲痛な悲鳴・・・いや、絶叫を上げた。思わずパッと離した瞬間尻尾を庇った。アリスの手は今頃空間で握り拳を作っているはずだったが、手にはまだ感触が残っている。
「・・・あ・・・。」
アリスはしまったと言わんばかりの顔で、チェシャ猫は相当今のがこたえたのか、涙目で歯を食いしばって小刻みに震えていた。
「・・・ひどいよアリス・・・油断してた・・・尻尾はやめて・・・やめて・・・。」
すっかり尻尾は本人の気分のように垂れ下がっている。さすがのアリスも申し訳なかったのか「ごめんなさい」と表では謝っておきながら「弱点はやっぱり尻尾ね・・・ふふふ・・・」と裏でニヤリと笑っていた。
そしてまたしばらく進み。
「・・・ハート、マインド、スピリット」
「・・・?なあに、それ」
チェシャ猫は急に横文字を羅列した。
「なんとなく思い付いた。さっきの三人見て。」
「ハートは弱い人達だったけど。」
リーダーはそうでもなかったけども。
「ハートって、心臓のことでしょ?」
チェシャ猫がたずねる。
「心臓の形をイメージしたらしいわね。」
どちらもうろ覚えである。
「でも心臓がハートって言われれば似てないでしょ。」
「・・・描く時にリアルだったらいやでしょう」
どちらもごもっともである。アリスの方は若干適当だ。
「猫はね、ハートていうのは心って意味だと思うの。」
「あながち間違ってはいないわね・・・。」
アリスは頷いた。
「マインドやスピリットには精神があって、ハートやマインドには心がある。スピリットには魂がある。ハートにはあと何が残されてるでしょう」
「!?」
唐突すぎるチェシャ猫のなぞなぞにアリスも「何言い出すの」と訝しげに眉を寄せた。
「わかったら尻尾触らせてあげる」
途端にアリスは深く考え込んだ。
「聞く限り、一つの言葉に含む意味は二つまでのようね・・・。」
どこかで見たような銅像のように手を口元に当て唸っている。しかし相手の挑戦的な態度に引き下がりたくもなかった。いきなりのなぞなぞの上になんだかレベルが高そうにも感じたが。
「感情・・・?」
アリスは自信なさ気にそう呟いた。チェシャ猫はいかにも拍手をしそう、手応えを感じ・・・。
「ぶっぶー!はーずれー!」
ハズレだった。
「えーそんなーっ!いきなり出されてもわからないわよ!!」
「いきなりも何も関係ないね。君がボキャ貧なだけさ。」
ムキになるアリスに冷静に留めを刺した。ああ、まさか猫にボキャ貧とまで言われるとは。動物とやらは案外容赦ない。
「・・・答えは?」
しかしこのままスルーされるわけにもいかない。尻尾のおさわり権は無くなったものの逆に猫が絞りだしたなぞなぞのレベルも知りたいのだ。
「答えは・・・愛だ。」
どうしたらよいものか?
どうしたらよいのだろうか。
「・・・ね、猫さんそれ・・・。」
「愛だ。」
こういう時にこういう事しか答えてくれないのだから困る。
「愛って・・・まあ、愛なんだけどーそのー・・・好きてことよねー、なーんてあははは。」
「ん?好きだよ?」
「!!?」
アリスは一気に顔を赤らめパニックになる。
「好き?え!?あ、好きい!?魚が!!?」
「魚もだけど、アリスも好きだよ。」
当のチェシャ猫は表情を変えないがからかっている様子もないようだ。アリス(14歳、恋愛経験無、彼氏無し)は何がなんだか訳がわからず混乱している。
「嫌いか好きかって言ったら、猫はわざわざ嫌いな奴と歩いたりしない。」
「・・・ううぅ~・・・そ、そうね。」
そう言われたからにはアリスは一息ついて落ち着かせた。それでも顔の紅潮は収まりきれない。
「でも、好きていっても色々あるじゃない。」
「色々?」
「友達としてとか、恋人としてとか、色々あるのよ。」
チェシャ猫は首を傾げる。
「好きに色々も何もないじゃん。好きは好きでしょ。」
「私達人間は色々なあるのよ。」
「・・・ふーん、ヒトは難しいなー・・・。」
チェシャ猫はそれについては対して興味がなさそうだ。猫にだって色々あるだろうに。
「それで言うなら私も好きよ、猫さんのこと。」
「カップル?」
「ちっがう!!!」
アリスは顔を真っ赤にして叫んだ。ちなみにチェシャ猫は無表情だ。人をからかい時ながら実に解せない。
「・・・えー、友達としてかな。うんそう!友達として好きよ!」
「トモダチ?」
チェシャ猫のその時の表情ったら、まるで見たことも聞いたこともない物を目の当たりした無邪気な子供のようなこと。逆にアリスはその様子をおかしいと感じた。
「ええ、友達よ?」
「・・・トモダチってなんだ?」
「・・・えっ、ええーと・・・。」
まさかではあるが向こうから聞かれるとは思わなかった。アリス自身、友達が普段どんなものか意識して過ごしたことはない。そんなこと考えて友達と遊んではない。自分にとって友達とはなんだろう。相手に言っておきながら自分が考えさせられるはめになった。だが案外、言葉にしようとしてみれば案外簡単だった。
「友達っていうこは、一緒に遊んでたまにふざけたり、困った時には慰めたり励ましたり、間違った道を進もうとした時は止めたり、みんなで一人の気持ちを分かち合うものなんじゃないかしら。少なくとも、私はそうだったわ。人それぞれだけど、今はお互いの考える友達でいいと思うの。」
思ったよりも長く話してしまった。はたして猫の頭では理解してもらえただろうか。
「・・・うん、じゃあ・・・。」
少しの間だけ黙り込む。さあ、なんて答えるか?
「猫と君はトモダチか?」
あぁ、なんて愉快でとても変わった友達なんだか。でも、最初こそ少し嫌な印象もあったものの、話してみると、あっと驚くこともあったり案外飽きなかったり、ようは今はとても楽しかった。こんな友達がいたらなぁ、とか思いつつ。
「・・・ええ、勿論!」
アリスは満足げに、笑った。
「あなたと話していると楽しいんですもの!」
*******
「あ。」
「お。」
二人はぴったり、立ち止まった。
目の前の道が二つにわかれていた。一つの道からまるで裂けるように細い道がそれぞれ分岐して長く続いている。
「どうしよう。どちらへ行ったらいい・・・どんな所へ着くのかしら・・・」
「あー・・・。」
アリスは二つの道を交互に見ながら悩んでいる。どの道がどの場所に続いてるかなんてわからない。だが出来るだけ安心な所が望ましい。
「確かねー。アリス、猫は知ってるよ。」
と一歩前に踏み出しくるりと振り返る。すると、尻尾が器用にアリスから見て右を指しながら
「こっちは帽子屋の家へ続く。」
次は左を指して。
「こっちは三月ウサギの家へ続く。」
「三月ウサギ・・・?」
アリスは聞いたことも名前に小首を傾げた。帽子屋というものはアリスのいた世界ではさほど珍しいものでも何でもない。あまりお目にかかることはなかったが、帽子を商売にしている職業なんて見たことはなくてもあったならそれはそれだけのことである。だが、三月ウサギとは何なのだろう。白ウサギと違い、その対象を象徴するものが色でもない外見的なものではなく、月の名前がついているのだ。何かしら由来があるのだろうか、チェシャ猫と同じようなものだとしたら尚更気になる。ありふれたものより、稀少で珍しいものにいつだって子供は興味をそそられるのだ。
アリスに迷いはない。
「三月ウサギの家に行きましょう!!」
「・・・いいのかい?両方頭がおかしい奴らだよ?」
チェシャ猫は尻尾を揺らしながら相手の感情を惑わすように。言った。
「ちょっとやそっとのことじゃあもう驚かないわ!それに道があるなら進むしかないもの!」
アリスは先手を切って左の道・・・三月ウサギの家へ続く道へと進んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます