甘い混沌と兎の家

アリスは茂みをくぐり抜け森の中の道をとぼとぼと歩く。それもそのはず、また白ウサギを見失ったからだ。更に、今度は先程とは違い周りが木々だらけで暗い森の中をたった一人で歩いてるものだから退屈で仕方ない。不思議の国・・・いや、淘汰の国に着いてからろくなことがない気がしてかた。コーカスレースとやらも結局はなんだったのか。もう少しルールをきちんとしていれば楽しめたのかもしれないけど。

「そういえばマーシュさんは今頃どしてるのかしら。・・・きっと皆に囲まれて土下座でもしているに違いないわ!」

自分をかばってくれたというのに可哀相な気もするが、ああなったのは自分のせいではないと言い聞かせた。


「あら?アレは何かしら・・・?」

道の先には石で作られた白い小さなテーブルがあった。その上には美味しそうなホールケーキが置いてある。生クリームいっぱいで上には苺が円を描くように丁寧に並べられており、チョコスプレーやアザランなど見ても楽しいカラフルなケーキだった。

「このカラフルで、なおかつ美味しそうなところがまた素敵ね。」

アリスは一度友人の誕生日パーティーに招かれその時に見たケーキが着色料をふんだんに使ったエキセントリックとも言える極彩色のケーキに「見た目をカラフルにすればいいってもんじゃないわ!」と文句をつけたのを思い出す。最終的に食べたが、生クリームの味しかしなかった。ケーキの上にちょんと飾ってあるクッキーのにはよくチョコで「EAT ME!」と書いてある。

「私を・・・食べて?」

そのまま意訳すればそうなるだろう。ここでまた、アリスはいつもの独り言を呟いた。

「でも、もしこれが私以外の誰かのために作られたケーキであればその人に向けられたメッセージかもしれないわ!でもこんな所において「私を食べて!」と書いてあったらお腹を空かせた違う人が思わず食べちゃうかも・・・せめて名前を書いておかないと・・・。」

といって、名前を書くための代物は持ち合わせていないわけだが。

「誰でもいいから私を食べてよ!」

とどこからか声が聞こえる。アリスはびっくりして身体ごと捻って森を見回すも誰も何もいない。

「ここよ!ここ!」

声の方向を向けば、ケーキだった。

ケーキがしゃべっていた。

「・・・この国ではケーキも喋るのね!でも食べ物がいちいち喋ったら食べるときはたまったものじゃないわ!」

ケーキはだんまりを決めているのでまた独り言みたいになっている。

「スープとか熱いものは「冷めるから私から食べて!」とかお魚だったら「骨も残さないで」とか・・・デザートは「なんでいつも最後なんだよ・・・」て愚痴ったりして・・・?でも私にんじん苦手だからにんじんは悪口言いそうだわ。シチューとかでもついつい残しちゃうのよね。そしたらきっと「俺を残すなんてもったいな・・・。」

「おだまり!!」

アリスはまた我に返った。このようなことを何度か繰り返しているような感じもするがついつい考えながら話すとそれに夢中になってしまうのはアリスの悪い癖。姉にもよくお咎をくらっていた。

「あなたの話なんか聞いちゃいないよ!私は食べた人のもんだから早く食べてよ!」

その言い方にむっとした。腰に手をあてびしっと指を差した。ちなみにこれは叱りつける時の母の真似である。

「人にものを頼む態度がそれですか!?」

するとケーキはその気迫に怯み「ひえええ」と弱気な声を吐いた。

「ごめんなさい食べて下さいませ!」

「それでよし!・・・でも一つ聞いていいかしら?」

ケーキは動くことはできたらきっと小首でも傾げていることだろう。

「食べられてる時って痛くないの?悲鳴とかあげられたらいい心地しないわよ。」

それを聞いてケーキはクスクスと笑った。

「食べられる私が痛みを感じてどうすんのよ。遠慮せず頂いてちょうだい。味は保証するから。」

食べ物にそんなことを言われると違和感を感じる。

「残さず、全部食べてね?」

「うーん・・・わかったわ!」

少食ではないがこの大きさは一人で食べるには厳しい。だがこんな森の中、もしかしたら誰にも食べられず腐ってしまうのは悲しいので、アリスは時間をかけたら全部入るだろうとそばに丁寧に置いてあったフォークを握った。実は会話している途中も食べたくて仕方がなかった。もう頭の中には白兎のこともテーブルマナーも何もない。

「いただきます!」

と大胆にフォークを突き刺す。・・・恐る恐る反応を伺うも何も言い返さないので安心して一口大を頬張った。

「・・・っおいし~!」

子供のような満足げな笑顔で心の底からに嬉しそうに言った。やはり甘い物は誰の心をも奪うもの。その後も遠慮なく次々とケーキを口に入れる。

「こんなでっかいのを独り占めなんて初めて!家では絶対有り得ない!ん~っ・・・ほっぺた落ちちゃいそう!ふはいほう!」

しかもこんなに食べながら喋るなんてことも、家であったら行儀悪いとどれだけ怒られるだろうか。アリスは今まさに、至福の人とかを堪能していた。だがそれもつかの間。

「・・・ッ、痛ッ!!」

頬いっぱいに詰めこれほどにない幸福感に満たされながら食べていると、突然頭に激痛が走りその場にゆっくり崩れてしまった。何がなんだかわからずただ頭を抱えて苦痛に顔を歪ませる。

「う・・・あぅ・・・痛い・・・っ。」

まさか、このケーキ、毒でも盛っていたのだろうか?つまりこれは罠なのか?なんのために?いや、それ以上深読むするほどの余裕なんて今の彼女にあるはずもなく、ただただ痛みに耐えている間時間が過ぎるのみ。


あれからどれぐらい時間が経ったのかわからない。段々と痛みもなくなっていった。

「・・・あれ?・・・なんだったのかしら?」

疲れた表情を浮かべながら立ち上がった。

「・・・・・・ん!?」

顔をあげればそこはまるで別世界。所々にやや大きな岩場があり、身丈より遥かに高い葉が生い茂っている。目の前には太い白い柱が佇んでいた。いつのまに世界が変わったのか、アリスは混乱した。

「え、えっ?何が・・・起こったの!?」

すぐ横には金属の物体が転がっている。よく見ればコレはさっきアリスの手の中にあったフォークだった!今やただの巨大な金属の塊にしか見えない。上を見上げる。白く丸く、大きい板は柱につながっている。信じられないが、アリスは状況を理解した。

「世界は変わってない・・・何も。・・・私がちっちゃくなったのよ!!!」

そう、この景色だって変わっていない。落ちていたフォークとテーブルの脚が証明している。なによりアリスがすぐ前に見た物だからだ。だとしてもアリスにしては謎でしかない。なぜ身体が縮んでしまったのか。

「あのケーキを食べたから・・・なの?」

見上げてもテーブルの裏しか見えない。一方ケーキはその上で嘆いていた。

「やっぱり!やっぱりあなたもそうなのね!私を最後まで完食してくれた人は一人もいない!なぜ!なぜなの!?いつもそう!腐って捨てられるか食べられても残されて捨てられるる・・・食べられないケーキはケーキじゃないわ!」

きっとケーキ自体は自分に何が入っているか全部は知らないだろうし、今の台詞からしたら自分はそういうつもりはなくただ最後まで食べて貰いたいだけだったのだ。同情するも、こんな姿にさせられて黙ってはいられない。

「だって・・・こんなんになったらもう、食べることができないじゃないっ!!」

と、どうしようもできない悔しさと悲しさに涙をぐっと堪えながら吐き捨てるように言ってその場から逃げた。


アリスは下を俯きながらとぼとぼと歩く。本来なら一歩ですむ距離を何十歩もかけて歩いていた。ついさっきのケーキの嘆きがぐるぐる回っている。

「あのあと・・・食べかけなんか、誰も食べないわよね・・・。」

いずれにせよこんな小ささじゃああんな太い柱をよじ登ることはできない。でもどうも諦めきれず、落ち込みながら広い地面を一人進んだ。

道の途中、木陰にもたれて座って寝ている人を見つける。無視して通りすぎようとしたが、アリスにとっては藁にも縋りたい気持ちだった。ただでさえ遠い所をこのままではいつになったらつくのかと考えたら絶望しかしない。道の真ん中を歩いていたアリスは小走りで駆け寄った。アリスの身体はその人の靴より少し高いぐらいの小ささだった。

「あーこの人も・・・。」

マーシュと同じ、青年。ワイシャツに布の長いズボンに革靴。シンプルを極めたどころかやや貧乏臭さも感じられる装い。深い緑色のウェーブがかった髪に茶色のメッシュが入っており、尻尾同様に頭から長い耳が垂れている。こちらは犬のようだ。清々しい青空、寒いとも暑いとも言えない穏やかな気温、これは最高のお昼寝日和ともいえよう。自分もこれぐらいの天気にはよくペットを連れて芝生に寝そべっていた。・・・さすがに、道の脇で寝るのはどうかと思うが。

「ふぁ~あ・・・私も眠くなってきた・・・疲れたせいかな。」

ケーキも結構の量を食べた後でこの天気だ。激しい運動もしたため身体は随分疲弊している。しかし、ここは我慢。うっかり寝てしまっては危ない。自分に気付かずあの大きな足でふんづけられちゃうかもしれない。ここでなんとかなっても今のアリスには危険がさらに増えたのだ、ゆっくり休んだりなんかできない。けどもアリスもへとへとだ。元に戻る方法のんかわからないし、それまでさらに大きくなった世界を歩き続けるなんて!

「・・・そうだわ!いいこと思いついちゃった!この人には、悪いけど・・・。」

アリスは青年の靴を拳に力をこめて何度も叩いた。

「ねえー!起きてー!起きてよーっ!!」

非力な小人サイズの少女がいくら強く叩いてもポコポコとしか鳴らない。これでは無駄だとわかり、次は服の袖を引っ張ったり噛み付いてみたりもしたがわずかに耳が動く程度で全く起きる気配がない。

「む~っ・・・どうしたらいいのかしら?」

腕を組み真剣に悩んでいると、微かに地面を何かが撫でる音がした。尻尾がわずかに動いたのだ。

「もう・・・私ったらおばかさんね!目の前にあるじゃない、とっておきの弱点!」

それを見て閃いたのかアリスは自信たっぷりの笑顔でじりじりと近寄る。

「よくダイナにも怒られたもん。だいたいの動物は嫌がるはずよ。ふふふ・・・。」

尻尾の真ん前に立ち止まりゆっくりと片足を上げた。

「アナタ達の敏感な所は・・・ここなんでしょう!!!」

全部の重心を込めて、尻尾をおもいっきり踏んだ。

「キャイン!!!!?」

青年は甲高い、見た目には似合わない犬らしい悲鳴を上げた。アリスが(なぜか)勝ち誇ったような表情で、涙目でキョロキョロしている青年をじっと見上げた。でもサイズがあまりにも小さいので一向に気づいてもらえるはずもなく。

「犬さん!犬さん!」

視界に入りそうな距離まで下がりジャンプしたりして叫ぶと、ビクビクしながらアリスの方を見た。

「お前が、踏んだのか・・・?」

「ごめんなさい・・・。ついうっかり・・・。」

もちろん嘘だが。

「・・・犬は、尻尾が弱いんだからな・・・気をつけろよ・・・!」

アリスは心の中で「知っているわよ。わざとやったんだもの。」と呟いた。

「ええ、二度と踏まないようにするわ!それはそうと・・・。」

苛立ち気味の青年はじっと睨んでいる。気持ちいいお昼寝タイムをとんでもない形で邪魔されたものだからそうなるのは当たり前だ。

「あなた、とても大きな体しているわね!」

「お前が小さいだけだと思うんだけど。」

ぐうの音も出ない。そんなこともわかっていると心でぼやきながら続けた。

「私、行きたい場所があるんだけど、こんな体じゃあいつ着くかわからないし、危険がいっぱいだしで困ってるの・・・こんなかわいそうな私をどうかそこまで運んでくれるかしら?」

かわいそうとは余計だったのかもしれないが、相手の同情を誘えたならそれはそれで構わない。

「やだ、お前、犬の尻尾踏んで昼寝の邪魔した。」

よほど痛かったらしい。だいぶ根に持っている。

「それは悪かったってば・・・。その件についてはお詫びとして、今からお願いすることに対してはお礼として、私にできることだったらなんでもするわ。」

予防線として自分に出来る範囲と言っておこう。・・・この小さな体でできることなんてなにがあるかわからないし。

「本当に何でもする?」

「え・・・ええ、もちろん!」

その時はその時と適当に考えよう。

「じゃあ連れてってやる。」

青年は大きな手の平を差し出した。アリスは「ありがとう」と言い手の平の真ん中に乗った。まさしく手乗りサイズである。ちょこんと正座しているその姿はまるでお人形だ。

「どこに連れてけば良い?」

そっけない聞き方をされても、アリスは偉そうに言えた身分じゃないのは承知している。相手の機嫌を損ねて振り落とされては大変困る。アリスはまっすぐ指を差して言った。

「白ウサギの家よ!」

「どこに向けて指をさしているんだ?」

至極真っ当なツッコミを入れられて。多分、アリスはどの方角にあるかなんて知らないから「前を目指して歩こう」みたいな意味で真っ直ぐさしたのかもしれないし、なんにも意味がないかもしれないし。

「ウサギの家、そっちじゃない。」

小さなアリスを乗せて青年は歩き出す。なんだか変な感じだ。車以外のものに乗せられて移動したことはあんまりなかったものだから。しかも、それが自分より倍以上も大きい人にだなんて!

「・・・・・・。」

見る景色が、いつもとは変わったように見えた。自分が歩くのではないのなら、さらに大きくなった世界も悪くないと思ったり。揺れるたびにちょっと不安になったアリスは青年の親指に腕を回して、はるか広い空をぼーっと眺めていた。

「・・・っていうか白ウサギに何の用だ?」

「あーそうそう。手袋!」

不思議の国だの、そういった経緯は言っても意味がない気がしたので省いた。

「手袋?」

「白ウサギさんが走っていったあとに手袋が落ちていたの。彼がどこへいったかわからないから、家に届けてあげたら確かなんじゃないかなって。」

「へ~え・・・。」

青年は話にさほど興味がなさそうだ。アリスはエプロンのポケットから取り出す。

「これなんだけど・・・まあ可愛い手袋だこと!見て、広げるとね、私の手より小さいのよ。」

青年からしたら自分の掌に収まる少女の手より小さなものなど、目で見るのも疲れる。

「でもそんな小さな手袋さすがの白ウサギでもはめられない。手袋もちっさくなってる。」

「まあ!ほんと!」

そうだ。

ポケットの中でなんら違和感がなかったのも、アリスも一緒に縮んでしまったのだ。服も身体に合わせて縮んだ時点で気づけばよかったものを!自身が一緒に戻らなければこの手袋だって指の先にも入らない。なんと哀れなことだろう。

「あ・・・あああ・・・私のバカ!なんておバカさんなの!服も体に合わせて縮んだのなら服の中にあるものも一緒に縮むに決まってるじゃない!あの時、放り投げればよかったのかしら!?でもそしたら、どうやって持っていけばよかったんっ、んわあぁぁっ。」

頭を抱えて酷く落ち込むアリスの頭を指でぐりぐり押す。あるいは突然始まったやかましい独り言を無理やり終わらせたいためか。ちなみに青年は撫でているつもりらしい。

「元に戻ればいい。」

アリスは訴えるように言った。

「でも・・・どうしたらいいかわからないわ・・・!!」

しばらく何か考えた後、青年は相変わらず指でつつきながらアリスに唯一の提案をした。

「青虫の所に行けばいい。」


「・・・は?」

青虫といえば、そこらへん・・・例えば畑の中の野菜や葉っぱの上ではいずり回っている所しか見た事ないし、そんなイメージしかない。たまに家の庭でも何度か見た事ある。姉のロリーナや友人は青虫を見る度悲鳴を上げたが一方でアリスはむしろそれを掴んで追いかけ回したりした。今思えばなんとはしたない事をしたんだろう。しかし好奇心の塊であるアリスは虫などで見くびるような少女ではないのだ。だがそれとこれとはまた別だ。葉っぱを食べる以外に何か出来ることがあったとしても、そんな不思議な力がある青虫なんて聞いたことがない。

「青虫よ?虫にそんなこと出来るわけないじゃない。」

「青虫は出来る。あいつ頭いい。」

どうやらこの国の青虫はそんな魔法みたいなことが出来るのだろう。人間のどんな科学者でも不可能なことを。

「あいつ、キノコに詳しい。この国にはいろんなのある。きっとお前にぴったりのキノコをくれる。」

この青年、どうも言葉足らずというか。説明なはずがさらに謎を生み出す天才なのかも、と、納得いかない様子のアリスに言った。

「身体でかくするキノコぐらいある。俺も、お前乗せたままはもう限界だ。」

なんとなくではあるがようやく理解できた。同時にさりげなく溢れた本音に焦り始める。

「・・・えっ、私そんなに重い!?」

「重くはない。でも片手使えない。」

ああ、なるほど。そっちか・・・。アリスはなぜか少しばかりホッとした。これでも一応はいろいろ気にするお年頃の乙女なのだもの。

「あと、気になって仕方ない。小さくてよく動くものはどうしてもつつきたくなるし・・・。」

しばらく間を置いて、真顔で言われた。

「ねえ、指で弾いたらどれぐらい飛ぶと思う?」

「・・・・・・・・・落ちて死ぬわね。今度は本当に。」

以降は青年は特になにも言わず、アリスはその話に触れなかった。触れてはいけない気もした。

「あっ、忘れてた。俺の名前はアルマ。公爵夫人のペットだった。好きな食べ物はキャベツだ。」

さりげなく言うのでうっかり聞き落としそうだったが、マーシュといいやたらと無駄な付け足すのは、この国でのしきたりかなんかだろうか?しかもキャベツときた。どちらかと言えば犬というよりお前の方が青虫っぽくないかと心の中でつっこんだ。

「私はアリスよ。アリス=プレザンス=リデル。好きな食べ物はシチュー。・・・ペットだった?」

便乗して自分も同じくどうでも良い情報を付け加えた。

「うん。でも赤ちゃんがうるさいし俺をいじめるから家を出た。」

「でもそれじゃあご主人様心配しちゃうわよ?」

アリスはペットを飼っている立場として、自分のペットではないにもかかわらず心配になった。この時、動物でもないのにペットとはどういうことだろうという疑問は頭に浮かんでこなかった。

「だって、探してくれないし。」

その言葉は何の感情もこもってないように聞こえた。実際ペットを飼って世話をしているアリスも複雑な思いだ。またも考えにふける。もしも、ペットに気に入らないことをして突然逃げられたらどうしよう。まず自分なら探しにいく。しかし見つからなかったとしたら誰かに拾われない限り最悪な結末を迎えるしかないのだ。野生に戻って生き延びたら人を恐れて攻撃するかもしれない。中にはこうやって、人にたいして冷めた感情しか持てなくなる。それはそれで、とても悲しいこと。

「夫人には今新しいペットがいる。俺も自由の身になったし。でも、今度は猫なんだって。」

急にアリスの目がキラキラと輝いた。彼女が飼っているのもまさしく猫だからである。

「まあ!猫!?私も猫を飼っているのよ!!その方とはきっと気が合うわ!」

対してアルマはというと。

「みんな、犬より猫の方がいいのかな?」

少しだけしょんぼりしていた。

「そんなことないわよ。犬が好きな人もいるわ。私も別に犬が嫌いなわけじゃなくてね・・・。」

そのあとはアルマのご機嫌取りも兼ねてたわいもない会話をしながら道を進んで行った。


「白ウサギの家は、あそこだ。」

と指を差した向こうには一軒家が見える。お世辞にも大きいとは言えない木造の家。屋根には二つの煙突が立っておりまさしくウサギのようだ。アリスは勢いよく立ち上がり、歓喜のあまりアルマの人差し指を握ってぶんぶん振った。

「やったわ!!さあ、早速訪ねてみましょう!あっ・・・でも、誰もいなかったらどうしよう。」

アルマも首を傾げるのみ。思考した結果アリスは一つの案が浮かぶ。

「玄関に置いておいたらいいわね。」

たいした案ではなかった。

「人の家に勝手に入っていいのか?」

さすが元は飼い犬。常識を以外にもちゃんと弁えている。もしアリスの世界の飼い犬が人の言葉をきちんと話せるようになったらこんなことを言い出すのかな、と、ふと考えてしまった。

「あなたのいうことは正しいわ。でもこれは仕方のないことよ。玄関より先にお邪魔するつもりはないし、これだけ置いたら立ち去るわ。」

でもアルマはまだ納得していない。

「鍵がかかってたらどうする?」

「あっ・・・。」

家を離れる時は鍵をかける。なんらおかしいことではない。でも、もし鍵なんかかかってたら手袋の置き場所がない。振り出しに戻ってしまった。

「ポストでもあればいいけど・・・でもポストに入れて大丈夫かしら?封筒に入ってないなら大丈夫よね?」

その前に元の体に戻らないことには意味がないのだが。するとその時、どこからかガサガサと葉っぱが擦れる音が聞こえた。少し離れた所からだ。アルマは耳がいいのか、その音がどの方向からしているのを瞬時に把握した。吠えるような大声で叫ぶ。尻尾は立っていた。警戒している。

「おい!誰だ!誰なんだ!出てこい!!」

「待って!あまり挑発したら!何が出てくるかわからないじゃない!」

アリスの静止する声には気づいてないようだ。

「うるさい!野良犬めが!!」

声のした方向からピシャリと叱り付けるような声がした。アルマは吠えるのをやめ、しばらく訝しげに前を睨んでいたが、聞き覚えのある声に強張った体から力を抜いた。

「・・・この声は・・・!」

アリスもわかった。やっと会えたのでその名前を呼ぶ声のなんと嬉しそうなことか!

「ウサギさんだわ!!」

いますぐにでも駆け寄りたいぐらいだが今の自分ではどう考えても無理だ。

「あのウサギさん!・・・道であなたのつけていた手袋を見たんですが・・・!」

「なんだねメアリー!私は今すぐに動ける状態にないのだよ!」

アリスはきょとんとする。アルマもきょとんとする。

「お前・・・メアリー・・・ていうのか?」

アリスを不思議そうに見下ろす。だが当の本人は呆気にとられ首を横にぶんぶん振って勢いよく立ち上がり主張した。

「私はアリスよ!あなたからもそう言ったのよ!?」

「何をほざいておる!メアリー!早く私の手袋を取ってこないか!」

可哀相に。こんな小さな体からいくら叫ぼうと声量まで小さくなってしまったのだから向こうまではっきりと聞こえるはずがない。おまけにそのメアリーという人と勘違いされているようだ。

「・・・メアリーって誰なの?」

力なく座り込むアリスにアルマは小声でぼそぼそと言う。

「白ウサギにはメイドがいるらしい。多分そいつと間違えてる。女だもん。」

「ウサギに・・・メイド・・・?」

「あいつ偉い奴だからね。当たり前。」

「偉い奴なの!?」

「聞いているのか!!!」

余計な想像を頭の中で膨らませている最中、怒鳴り声が見事に粉砕した。「なにもあんなに怒らなくても」とアリスはごねる。

「私の部屋に新しい手袋があるはずだ。今すぐ取ってこい。」

「わ、私がぁ?」

人違いとはいえ命令されてしまい素っ頓狂な声が出た。でもアリスのポケットの中にはすでに手袋がある。

「だから道に落ちてたの!!!」

声もかすれそうなぐらい叫んだがピーターには届きやしない。

「新しいのをとってこい、と言ったのだ。今からお偉いさんのところへ行くのに使い古しのものなど失礼に当たる!」

「・・・。」

そういうことかとようやく理解した。取り出した手袋を見る。こちらもぱっと見は新品同様に綺麗だが、アリスが雑にしまったせいでシワができてしまっていた。

「わかった、行くわ。」

返事したって聞こえないのに。そこでアルマが。

「わかったわ、行くわ。」

と、彼女の代わりに返事をした。もちろん、そのままの声だと怪しまれるので出来る限り女声に近づけようと裏声で。

「・・・メアリー?お前、声変わりでもしたか?」

「まあ、ウサギのくせに耳が悪いのかしら?」

アリスの呟きにアルマは。

「頭が悪い。」

と返した。アリスは何も言い返さなかった。ドアには鍵がかかっていない。今は悪い気など全く起こらず二人は家へお邪魔した。淡い色のドアを開けば中もまた木の板が敷き詰められた壁と床・・・だが木々ひとつひとつがワックスをかけたみたいに綺麗で、床は薄い真っ白なカーペットが敷かれ、真ん中より少し窓際の丸いテーブルにはティーセットと茶菓子があり、ベッドもシワがほとんどない。まるで新築のような、シンプルかつ清潔感のある家だった。天井には少し派手なシャンデリアが輝きを放っている。カーテンは無防備にも開けてあるが、なんせ森の中で日当たりが悪い。これぐらいがかえってちょうどいいのかもしれない。

「うわぁ・・・すごく整理整頓と掃除されてる・・・入るのが申し訳なくなってきた・・・。」

「でも仕方ない。命令された。」

「うん、そうだけど・・・。」

手を伸ばしてテーブルを指でなぞってみる。人差し指は白くならず元の色を保ったままだ。

「なんと!ホコリひとつもない!」

「しゅうとめみたいなこと言うなよ。」

一応姑がどのようなものかと知識だけはあったが、何故それを犬につっこまれなくてはならないのかとやり場のない思いをこめ青年を睨む。

「んのわっ!?」

後ろから頭を軽くはじかれた。力加減したので痛くはないものの、考えていたことの七割が頭から飛んでいってしまった。

「何するの!?」

「特に意味はない。アリス、その手袋貸して。」

とてもとても小さな手袋を指でつまむと鼻に近づけ、難しい顔で匂いを嗅ぎ始めた。

「犬は鼻がいいけど、あなたも?」

「みたい・・・・・・。新品なら、匂いは薄いだろうけど、物は試し。」

「ああ、あなたに手が届くなら、見つかったらよしよししてあげられるのに。」

「元に戻ったら、撫でて。」

そんな会話をしつつ、アリスは一旦地面に下ろされた。棚などの下を覗くには小さな体の方が都合がいい、役割分担である。

「うーん・・・埃はないけど手袋もない、と・・・。そっちはどお!?」

ぴょんぴょんと飛び跳ねてアピールする。これもまた鼻の効くおかげでもあるのか、すぐに気づいてくれた。アルマは首を横に振る。

「ここにはない。多分2階のどこかにある。」

と、言って、しゃがんで手を差し出すとアリスはそれに乗る。狭い階段を上がって曲がって、一番近くのドアに「ピーターの部屋」という看板がかけてあるドアがあった。すぐ下に貼り紙がある。

「勝手に入ったら許さない」

殴り書きのような堂々とした字で綴られている。

はたして自分達は本当に入って大丈夫なのだろうかというちょっとした不安を感じたが、これは本人から確か命じられたんだ!勘違いしたのも向こうが悪い!と意思疎通をしてドアを開けた。

「ここがウサギさんの部屋・・・。」

ほとんど何もない部屋だった。少し大きなベッドが端にあり隣には机。離れた場所にはクローゼットと本棚。机にこそ電話なり時計なり置いてあったがそれでも本当に寂しい部屋だ。

「これならすぐに見つかりそうね!」

アルマは退屈そうに部屋を物色する。アリスは早速手袋を発見した。

「あったあった!アレ!」

せっかく匂いを覚えたのに、アリスに先を越された。だって、机の上に置いてあるのだもの。

「わっ!?」

拾い上げたのはアルマだが、それを掌の上にいるアリスにわざと乗せた。

「もう!ちょっと!なにするの!?」

「なんとなく。」

手に負えない。きっと今もアリスを弄んでいるのだ。なんとか手袋から姿をあらわにした。

「さあ早速ウサギさんに渡さないと・・・。」

すると、ふと視界に妙な物が飛び込んできた。

「なにこれ・・・。」

気になったのでアリスは力いっぱい手を伸ばして拾った。水の入ったボトルだ。

「???」

アリスはそのボトルに貼ってあるラベルを見た。

「DRINK ME」

「私を・・・飲んで?」

「アリスを飲むのか?」

ボケか素かわからないリアクションを「んなわけないでしょ!」の一喝で黙らせ、他に何か書かれてないかを確認する。だが他は何もない。よほど私を飲んでほしいみたい。

「ドクロのマークはないみたいだけど、なにかわからないから怖いわね。」

「私を飲んでってあたり怪しい。」

そもそも人の部屋にあった飲み物はさすがに勝手に飲んだりはしないが、どうもおかしい。なぜならそのボトルは今の大きさのアリスの掌に収まるサイズだったのだもの。こんなもの、ピーターにとっても雀の涙ほどしかない。なんでこんなサイズのものがこんなところにあるのだろう。

「あっ、でも待って。」

思い出した。アリスがこんなにもちっさくなったわけ。「私を食べて」とかいうへんてこなケーキを食べてこうなってしまったのだと。・・・全く抵抗がないといえば嘘だ。でも、実際にあり得ないことが自分の体で起こったのだ。同じパターンで逆の現象が起こってもおかしくないのでは、と考え始めていた。

「どうした?」

様子を尋ねるアルマの声も耳に入らず、アリスは祈りながら、ぎゅっと目をつぶって透明の液体を口に流し込んだ。


「・・・遅いな・・・。」

茂みからウサギの長い耳が飛び出したように現れた。そして立ち上がり、沢山の枝ををかきわけて森を抜ける。髪や服に着いた葉っぱを大雑把に掃うと不機嫌そうな顔できょろきょろと見回すと誰もいない。肩を下ろし深いため息をついた。


「ん~・・・仕方ないな。自分で取りに行くか。」

そう言った時、背後から誰か近づいてくる気配を感じた。警戒してポケットに手を添え後ろを振り返る。そこには長いスカートを揺らし、素朴で飾り気のない、いかにも正統派メイドのような格好の女性が足音控えめに自分の元へ向かってくる。ピーターの知っている人物だったのかポケットに回していた手を下ろしたが表情は厳しいままだ。

「メアリー?お前・・・さっきあそこにいたのでは?」

メアリーと呼ばれたメイドは抑揚のない声で言った。

「いえ、私は少しばかり町に買い物に行っていました。番はビルに任せてあります。・・・おや。」

ピーターがまた何か言い出したそうにするもメアリーはポケットから新しい手袋を出してそっとはめさせた。

「・・・持っていたのか。」

「ご主人様が何かあった時に常にそれに相応しい対応をする、それがメイドの役目ですから。」

「・・・ふん。」

表情も一切変えないで奉仕するメイドのメアリーに何も言えないピーターはそっぽを向くが、あることに気付き顔の色が徐々に悪くなっていく。

「・・・ってことは・・・おい!さっき家に入っていったのは・・・!!」

酷く慌てる主人とは対称的に冷静になだめた。

「ですから、番はビルに任せております。元、「掃除屋」の彼に掃除出来ないものはないかと・・・。」

「あいつは信用ならん!!!」

ピーターはメイドの他に掃除を専門にして雇われているビルという男が住んでいる。元、掃除屋というのはこの世界では殺し屋を意味する。いろいろあって足を洗った彼を本当の掃除屋として雇ったはいいものの、あんまり役には立っていない。それは置いといて、ピーターは急いで家の方へ向かった。だって、さっき入っていったのが誰かわからない、もしかしたら盗人かも・・・?


バキッ


木が割れる音にピーターとそのあとを追ったメアリーは立ち止まった。


メキメキメキ・・・


「・・・なんっ・・・なんだ、この音は・・・!」

「・・・ご主人様!!」

とっさにメアリーに腕を引っ張られた。次の瞬間、木の巨大な塊が激しい地響きと共に先程二人がいた場所に落下した。もくもくと砂埃を立てて地面に横たわるようなそれをただ呆然と見ることしか出来なかった。

「・・・あっ、うわ・・・。」

何が起こったのか全く状況が理解できず目を見開き口をぱくぱくさせている。メアリーは既に「何が起こったのか」、その大元の原因を心配そうに見つめていた。

「ご主人様、あれを。」

あれと言われたものが何かはすぐにわかった。しかし、とても信じたくない光景だった。

先程までいつも見る自分の帰るべき場所。それが突然見慣れない姿に変わり・・・いや、一瞬の間に壊れていってるのだ。窓枠は外れ、家を構築している木々がぼろぼろと崩れ落ちてゆき、落下してきた衝撃で粉々に砕けたものもあった。一体何がどうなってこのようなことになるというのか。地震が起きてもないのに普通の家がこうもたやすく崩壊するわけがない。老朽化するほど古くもない。何が何だかさっぱりわからないままただただ傍観することしか出来なかった。

しまいには家の特徴でもある煙突がぐらりと傾き、いきなり下から蹴り上げられたように少し飛んでそのまま落下した。

「・・・ぼ、僕の家がああああぁッ!!!」

思わず悲観的な表情で頭を抱えて叫んだ。それさえも轟音に掻き消され虚しく響くこともなかった。

「・・・うっひゃああああぁ!」

気の弱そうな悲鳴を上げながらへつなぎをきた男がこちらへ向かってきた。実を言うと彼がビルである。

「大変ですご主人・・・家が・・・家がああぁ!」

涙目でピーターにしがみつく男に悲しみが怒りに変わりその場で爆発した。

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