白兎と不思議な穴
日曜日の昼過ぎ。時計の針はちょうど13時を指していた。太陽は真上から眩い光で地面を照らしている。空だって、雲一つなく、今日こそお出かけにはうってつけの天気だ。外では家族連れなどがそれぞれの休暇を賑やかに満喫していた。
一方、アリスは特に何もすることなく家の庭の芝生に寝転がって空を眺める。アリスも、こんな日に家の中で大人しくするなんて勿体ないと、親しい友達であるエイダやメイベルを誘ってみたはいいものの、各々が「予定がある」と断られてしまった。今のアリスは退屈で退屈で仕方がない。少し離れた場所には姉のロリーナが猫を膝に乗せて本を読んでいる。好奇心旺盛なアリスなら迷わず「どんな本を読んでるの!?」とたずねるところだが、アリスは姉がどんな本を読むのかだいたいわかっているし、その本は絵もなければ会話もない、子供には少しばかり難しい本ばかりなので興味が湧いてこなかった。だが、このままでは時間が止まってしまうのではないかと思うぐらい、あまりにも退屈だったので、話し相手にはなるだろうとロリーナの元へ駆け寄った。
「お姉様ー。何を読んでるのー?」
「あら、アリスちゃん・・・今日はね、久しぶりに童話を読んでいたのよ」
ロリーナは持っていた本をアリスに見せた。紙にしわがある。古い本のようだ。絵もあればちゃんと会話もあるので、アリスの興味は一気に湧いた。目を輝かせてページ一枚一枚を流し読みする。何より一番気になったのは、物語の主人公の名前が自分と同じ名前でかつ年の近い少女だったからだ。
「あははは、喋るウサギですって。穴に落っこちちゃった!」
すっかり気に入ったのか流し読みをやめ、今度は1ページずつしっかりと文章を目で追った。
「いいわね、楽しそう。私もこんな国に行ってみたい!」
その様子を微笑ましく見ていたロリーナが彼女の頭を撫でながら。
「・・・そういうのは物語だけにしてちょうだい」
と言ったがアリスは本に夢中で聞いていなかった。
「本当に不思議ね。始めからまるで私達みたい。でも喋るウサギなんて案外いたりして、ほら・・・今では鳥だっておしゃべりするんだもの。」
「そうね・・・しつけ次第ではキティも喋ったりして。」
と、今度は愛猫のキティを撫でながら言った。
「そうそう、ウサギが喋りながら走ったって不思議なことでもなんでもないわ・・・。」
突然、アリスの言葉が途切れた。視線は話の最中にかすかに聞こえた草が風に吹かれて揺れる音の方へと向いた。いや、風に吹かれたから聞こえた音じゃないんだとのちにアリスの確信に変わる。視線の先には、さきほどまでいるはずもなかった妙な何かが家の庭を走っていた。ピンクの真ん丸い目の真っ白なウサギが、まるで人間みたいな走り方で、しかも赤いチョッキを着て、時計を提げていて、なんと「大変だ!大変だ!」と短いけれども人の言葉を流暢に喋っているのだ。時折時計を見てはわずかに表情を変えたりなんかして。動物の表情の変化なんて微々たるものでとてもわかりにくいがアリスの目はしっかりと変化を捉えた。そう。まさに、今アリスが読んだ本の冒頭に出てくる「喋るウサギ」そのものだったのだ。
「・・・アリスちゃん?」
様子がおかしいアリスに声をかけるが、当の本人はすっかりウサギに釘付けだ。
「どうしたの?アリスちゃん?」
「・・・お姉様、大変だわ。本からウサギさんが飛び出しちゃったのかしら?」
「私には何も見えないわよ?」
どうやらロリーナにはウサギの姿が見えないみたいで、不思議そうに首を傾げるのみ。アリスはその発言自体が不思議だと思い、この出会いを運命だと感じた。喋るウサギと、それを追いかけたアリスという少女・・・。
もしかしたら、私も物語と同じ世界に行けるかもしれない。
アリスには少しばかりの空想癖があった。しかし、そんな彼女でもさすがにウサギを追いかけて不思議の国へまっさかさまなんて本気で信じちゃいない。あくまで、「そうだったらいいな。」という希望。だけど、追いかけて行ったら不思議の国はなくても何かがきっとある。そんな予感がしたのだ。まあ、なにもなさそうとしてもアリスの好奇心が勝手に体を、足を動かしていたわけなのだが。アリスはウサギを追いかけた。見逃さないよう全力で広い庭を走った。
「アリスちゃん!?」
呼び止めようとするロリーナの声も次第に遠くなり、最終的には声すら聞こえなくなった。周りの景色さえ見えてないぐらいウサギを追いかけるのに夢中だった。それでもロリーナはキティを降ろしスカートを引きずりながらアリスを追いかける。
「待って!ウサギさん!」
アリスは息を切らしながら走る。走りながら「家の庭ってこんなに広かったかしら」とも考えた。それにしてもさっきからちっとも距離が縮まらない。アリスも次第に体力が無くなってきた。諦めたくないという気持ちに体は上手くこたえてくれない悔しさでいっぱいだった。すると、なぜか追いかけていたはずのウサギの姿がなかったのだ。
アリスはおかしいと思った。アリスはウサギしか見ていなかった、しかも走っている間ずっとだ。そりゃそうだ、ウサギを追いかけていたんだもの。それに、あまりにもウサギの足が速いものだから油断していたらどっかに行って見つけられなくなるかもしれない。あとで誰かに「ウサギがチョッキ着て向かう場所はどこですか?」と聞いて親切に答えてくれる人がいるだろうか。
でもウサギはいなくなったのだ。まさか、アリスが追いかけてるのに気づいて一瞬のうちにどこかに隠れたのだろうか。いや、まず隠れる場所がない。あたりは広い芝生しかない。家や茂みだって一瞬では隠れるには無理がある。アリスは驚きを隠せないまま、ウサギがおよそいなくなった所まで走った。
その瞬間、アリスの視界が急に真っ暗になった。
「きゃっ・・・。」
一瞬何があったか理解できなかったが、円く切り取られたような青空が次第に小さくなっていくのと地につかない浮遊感でアリスはすぐに察した。だが察した所で冷静になれるはずがない。そう、アリスは今、深い深い穴に落ちてる最中なのだから。
「きゃああああああああぁぁぁぁああああ!!!」
頭の中はパニックで、ひたすら今の状況を把握出来ずただただ勢いよく落ちていく。落下してからおよそ十秒。普通ならこの短い時間でも余裕で死ぬぐらいの高さを落ちている。それどころか、まだまだずっと落下し続けている。ああ、落ちれば落ちる分、落ちた時はどれほどの痛みを感じて死ぬのだろうと考えてしまうと、死に対しての恐怖が一気に込み上げてきた。深い穴の向こうには物語のような不思議な世界が待っている。所詮そんなものは、やはり空想や絵本の中でしかありえない。これが現実。落ちた先に待っているのは天国だ。アリスは終わりを待っていた。もういい。ここまでの高さから落ちたらさすがにすぐに死ぬだろうから・・・。
「ああもう、何回こんな所通ればいいんだ・・・。」
すると、気のせいか知らないが先程の白ウサギの声が聞こえてきた。上から。しかしながらこの状況で上を見上げるのはなかなか難しい。
「・・・あ、あの!あなたは白ウサギさんですか!?」
「・・・自ら名乗りもしないで名前を聞くとは無礼だ・・・ああ、君はアリスだったな。いかにも、私が白ウサギだ。」
声変わりしていない少年のような声なのに堅苦しい口調で返ってきた。しかも、穴に真っ逆さまに落ちているというのに随分と余裕を感じられる。それより、何故名前を知っているのかが疑問だった。
「・・・ねえ、なんで私の名前を知ってるの?」
気になったのでたずねてみる。この時、アリスは穴に落ちている途中にもかかわらず落ち着いて話せているのか疑問にすら思わなかった。
「この穴に落ちた奴はみんなアリスだと決まってるからさ。」
すかさず答えが返ってきたが、アリスの求めていた答えとは違ったためなんだか納得がいかなかった。それでもちゃんと返してくれたので、諦めて他に聞きたいことを聞いた。
「あなたはなんでそんなに落ち着いているんですか?」
「まだ着いてなどおらん!!」
今度は先程より早く、しかも叱り付けるように返ってきたのでアリスは困惑した。しばらくしてから白ウサギが口を開いた。
「・・・と、帽子屋か猫なら言うのだろうが。私は違うぞ。」
こほん、と咳ばらいをしてからこう続けた。
「私は何回も同じようにこの穴を落ちている。だからもう慣れたもんさ。慣れないうちは今の君のようにそれはもう怖くて・・・。」
「何回も落ちてるってことは死なないのね!?」
白ウサギが喋っているのを割り込んでアリスが問い返したせいか機嫌を損ねたみたいで深いため息をついた。
「はぁ~・・・まあ、そうだよ。全く、せっかく人が答えてあげてるというのに、割り込んでまでまた質問で返してくるかい?」
「ご、ごめんなさい・・・。」
穴に何回も落ちる、つまり命の助かる嬉しさに声を大にして喜んだだけだ。そんなに怒らなくたっていいのに、と萎縮しつつきちんと謝った。
「この穴は不思議の国へ行く為の唯一の通行手段だからね。落ちて死んでもらっては困るし、落ちて死んだ奴なんか聞いたことない。というか死なない。」
「でもあんな高い所から落ちて無事なわけないじゃない。」
「・・・君の世界での常識ではそうなのだろう。」
どの世界でも大概高いところから落ちたら死ぬんじゃないか、と現在進行形で落ちているアリスは心の中で呟いた。少し間を置いてやや白ウサギは穏やかさのある声で続けた。
「そんな常識は不思議の国では全く意味がないんだよ。」
それを聞くとアリスはしばらく黙りこんだ。さっきまでは恐怖と絶望でいっぱいだったのに、徐々にこの穴の向こうで待つ世界に期待で胸を膨らませている。なんで自分は単純なんだ。でもそこには自分と同じ状況で平然としている存在がそばにいる事が大きい。
「・・・いつぞやのアリスは「不思議の国とか言ってほんとは天国なんでしょ」とか言ってたなあ・・・。」
アリスもそのうちの一人なのだが。
急に目に映る景色が変わった。穴はレンガ造りの壁で覆われ、本棚があったり小さな扉があったりした。一体こんな所に誰が出入りするのだろう。扉から出ていく人も危ない。またもアリスは聞きたいことでいっぱいになった。何もないスペースには沢山の貼り紙が貼ってある。何か書いてあるのだがさすがにそこまで確認できるほど優れた動態視力は持ち合わせていない。
「なんて書いてあるのかしら?」
と呟くと、どこからか女の子の声が聞こえてきた。
「まあ、この子が次のアリス?」
今度は立て続けに様々な方向から一斉に、しかも沢山と聞こえてきた。みんな好き放題喋っているのでひとつひとつを聞き分けるのは不可能だが、皆「アリス」の名前を言っているのは確かだった。
「・・・私の・・・が・・・アリスに相応しい・・・。」
「あんな・・・アリスなんて・・・。
「また・・・アリス・・・かわいそう・・・。」
落ちても落ちても絶え間無く聞こえる声はもはや雑踏と化し、うんざりしたアリスは大声で怒鳴った。
「一度に喋ったらわからないでしょ!!!」
その声は穴全体に響いた。
次の瞬間。
アリスは体に強い衝撃を受けた。
「うわっ、わああああああっ!!?」
急に目の前が眩しいと感じた途端にまた暗くなる。ずっと宙を受かんでいた体は勢いよく茂みの中に突っ込んでいった。ずっと落ちたままだったので、体が止まってもどっちがどっちかわからなかった。アリスは茂みに潜った身体を起こし、服や髪についた葉っぱを払い落とす。
「あいったたた~・・・。一体何が起こったの?」
地面についた自分の身体を見て、しばらくした後、状況を理解した。
「・・・ようやく・・・落ち・・・着いたのね・・・。」
ただ落ちただけなのだが。頭がまだうまく働いてくれないみたい。ゆっくり立ち上がってみると、確かに地面にはしっかり自分が立って影が繋がっている。何より足裏がつく感覚に安心感を覚えた。
「よかったぁ~。この茂みがクッションになったみたいね。」
普通はあんなに高い所から落ちてこんな庭にちょっと生えてそうな茂みで助かるはずがない。あまりの非現実的な現象にアリスの脳みそが「そういうこと」だと片付けてしまったようだ。
「何はともあれ、命が助かったんだからよしとしましょう。それにしてもまあ長いこと落ちたわね。」
幸いかすり傷程度で済んだからよかったものの、茂みに落ちた際に切った腕から滲み出る微量の血がどうも気になる。拭く物を持ってないので「あんまりよくないけど仕方ないわ」と言って軽く舐めて出血を抑えた。これぐらい抵抗はないが、もし家族や友人が見たらはしたないと怒られているだろうな、と、早くもそんな呑気なことを考えている有様だった。
「でもこんな深い穴、一体誰がどうやっていつ掘ったのかしら。」
アリスには空想癖ともう一つ。独り言が多い癖があった。だれも聞く人がいない中でアリスは話し続ける。
「人の家に勝手に穴を掘るのはよくないし、それに誰かが穴を掘ってる所を私も見たことないわ。第一、そんな穴なんて庭にはなかったもの。・・・勝手に穴が開いたなんて不自然よ!私の住んでる世界は不思議の国とは違うんだからそんな・・・。」
なにやらハッと気づいて、ぼうぜんと辺りを見回した。
「・・・ここは、不思議の国・・・?」
まさかとは思いながら、そこは全く知らない場所だったのでついついそう呟いてしまった。さっきまでアリスは下を向いていた。というか、まだ茂みの中に足を突っ込んだまんまだったので一歩、二歩と歩いて、茂みを抜けたら無機質な床を踏む。そこでようやく顔を上げる。白い壁に覆われた大きな円柱のような場所だった。四方八方に扉がついてるが大きさはバラバラで小さいものは足元から膝までしかなく、大きいものは自分の遥か上まであった。見上げると、かなり高い位置に天井があり、アリスが先程落ちてきた穴はなかった。
「・・・!?なんで?穴が・・・ない?」
何が起こったかわからないアリスの後ろからドアの開く音、高い足音が聞こえる。振り返ると、自分より少し年下ぐらいの小柄な少年がいた。赤いチョッキに首から提げた金色の懐中電灯と、あの白ウサギとどこか似たような服装をしている。それどころかピンク色の丸い瞳に頭部から生えたものは獣の、白い兎の耳だった。
「み、耳・・・。」
最初は飾り物かと疑うものの、見れば見るほど本物とそっくりで、思わず直接触れて確かめたくなるほどの毛並みだ。アリスはその耳に釘付けになっていて少年がすぐ目の前まで来ていた事に気付かなかった。
「・・・君。」
「はいいっ!!」
いきなり目の前から声がしたものだからびっくりして肩を上げた。少年の声もやはり、白ウサギの声だった。ちらちらとリアルな獣の耳と人間そのものの顔を交互に見ている。
「・・・さっきから僕の耳と顔ばかり見ているが・・・。」
少年の顔は少し不機嫌そうだ。口調もやや砕けている。じろじろ見られていい気がしなかった模様。
「あの・・・あなたは・・・白ウサギさんですよね?」
とだけ聞いて慌てふためく。
「あ、変なことを聞いてごめんなさい!その・・・さっき、あなたと同じ服装を着た白いウサギを見て・・・ああ、でも・・・。」
そんな変わったキテレツな生き物と似ていると言われたらさらに機嫌を損ねてしまう上に自分も変人と思われてしまうと色々考えたあげく言葉が詰まる。だが、そんなアリスの心配をよそに少年の表情が無表情にまで緩んだ。
「いかにも。逆に何だと思ったんだ。」
耳がたまに動いている。じっと見つめると、髪の毛が邪魔だが確かに頭からソレは生えていた。
「・・・う、宇宙人か化け物・・・。」
アリスがそう言った瞬間耳が垂直に立った。実際に兎という動物にそこまで触れ合った事がないが果たしてこんなに感情に合わせて激しく動くものだったのだろうかと、忙しなく動くうさ耳を見ていた。
「だって、人間が動物の耳を生やしているなんてありえないもの!おかしいわ!!」
「僕はウサギだ!ウサギがウサギの耳を生やして何がおかしいと言うのだ!」
「耳以外は人間と変わりないじゃない!」
「不思議の国ではこれもウサギなんだよ!!!」
アリスの中の常識が悲鳴を上げていた。頭が混乱する。こうもはっきり断言されたら、何を言っても意味がない気がして、悔しそうに口をぎゅっと閉じるアリスにさすがの少年もため息つきながらこれ以上強気に出ることはなかった。耳がかすかに下がる。
「まあ、さっきのは僕も大人げなかったよ。すまない。改めて、ようこそ、不思議の国へ。」
少年は手を胸にあて小さく会釈をした。さっきは聞き流してしまったが、ここはやはり不思議の国なんだと半分理解した。まだ実感が湧かないが。
「僕の名前はピーター=クリム=スカーレット。好きに呼んでくれて構わない。」
アリスもスカートの端を摘んでお辞儀をした。
「私はアリス=プレザンス=リデル。私の方こそ好きに呼んでもらってもいいわよ!」
「じゃあ早速だがアリス。君はきっとここがどんな場所か気になっているだろうから教えよう。」
そう言うとピーターは身体を右に向け手を広げた。
「さっき僕らが落ちた穴は異世界とここを繋ぐいわば通路、そしてここは不思議の国の入り口みたいな所だ。」
次に前方にある扉を指差した。
「どの扉も不思議の国に繋がっているが筋書どうり・・・一番楽に行けるのはあの扉かな。」
アリスは他の扉を見回しながら
「他の扉から行くとどうなるの?」
と聞くと同じく扉を見回して言った。
「僕は他の扉から入ったことも危険な道を通ったこともないからわからない。ただ、あの扉から行った道が一番安全だと聞く。」
その答えにアリスは「ん?」と首を傾げた。
「安全じゃないって、どんな危険があるの?」
ピーターはさも当たり前のように答えた。
「だからわからないってば。これも噂ではあるが、暗い森の中永遠に迷ったり、人食い花の餌食になったり・・・。」
アリスは聞いただけで身の毛がよだつ。
「少なくとも、僕が通る道にそんな危険な場所はないから安心したまえ。何かあっても、僕で対処できる。」
なにから信じていいかわからないが、淡々と言ってのけるからひとまずピーターを信じることにした。
「へぇ・・・じゃあ、あなたについていっていいかしら?こんなところに一人だなんて嫌よ。危険な道も嫌だわ。」
そりゃそうだ。行ったこともない場所に置き去りにされたり、危険な場所に出るなんてもってのほか。
「ああ、というか、ついてきてもらわないと困るよ。」
すかさず返された。
「僕はね。アリスという少女をここに連れてくる役目を任されているのさ。」
それを聞いて、穴に落ちる前の出来事を思い出す。あれはもしかして、偶然ではなく運命だったのだと。白ウサギに出会った時からアリスは、この不思議の国に落ちる運命だった、と。
「ただし、ここからは僕は君をいちいち待ったりなんかしないからね。」
「えっ?」
間の抜けた声がアリスの口から漏れる。
「不思議の国のアリスでもそうだったろ?君はただただ、走る僕を追いかけるんだ。」
「ちょっと待ってよ!待ってくれないの?もしはぐれたりしたらどうするの!?」
何にも知らない異国の地で迷うなんてたまったもんじゃない、ぞっとする。言葉は通じるだろうか、とかそんなレベルの問題じゃない。この時点でさえピーターのような人間かなにかよくわからない何かが他にもいたら?人食い花など聞いただけで恐ろしいとわかる生き物に万が一遭遇したら?
「大丈夫だよ。僕と君は必ずまた出会うよ。おっと、長話が過ぎた。」
ピーターは懐中時計の蓋を開けて時刻を確認すると。
「悠長にしていられない。さあアリス。忙しく走り去る白ウサギを追いかけるんだ。」
とだけ言い残して走り去る。アリスはわけもわからぬまま、しかし出来る限りはぐれたくないので急いで扉に吸い込まれる背中を追いかけた。扉を抜けると自然に重い音とともに閉まってしまい、辺りは暗く一層不安感が押し寄せてきたが小さい道標を追いまっすぐまっすぐ走り続ける。
息を乱すことなく、少し小声でに喋ったぐらいでは聞こえないほどの距離を空けて走りながら、ピーターは呟いた
「・・・大丈夫。」
「君こそが本物のアリスに相応しい。」
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