十三頁目 トキをワスれたユキウサギ
「ったく、無茶してんじゃねぇよ。ナハト」
と言って呆け顔のナハトを見つめる雪兎。
——余裕そうに見えていたら上出来。実の所、俺の心臓はバクバクだ。
時を少しだけ遡る。
「うるさい!お前には関係ないだろッ!!」
とナハトに突き放され、俺は少しの間立ち尽くしていた。
——実に滑稽だ。
さっきまで互いの刃とを切り結び、固い握手を交わしたのに、今ではもう“他人“だ。
道端で困っている人がいたら、助ける。だが、そのやり取りが終わってしまえばもう“他人“に戻ってしまう、ちょっとした日常のような。まさに今がそんな状態。
いくら死闘を繰り広げ、その果てに仄かな絆が芽生えたとしても、次また会えるか分からないし、そもそもの話、俺はナハトのことをよく知らない。
それほどまでに、彼との関係は薄っぺらい。
果たして「関係なくない」なんて言えるのだろうか?
加勢したいのに、体が言う事を聞かない。
こんなことを考えている暇も、猶予もないというのに。ナハトの拒絶が足枷となって邪魔をする。
瞬きすらせずに、目前で繰り広げられる死闘をただ傍観していたその時、とうとう力尽きて倒れたナハトに、ハスは無慈悲に手刀を持ち上げた。
動け、と。本能的に脳が命令する。
その時には、雪兎を縛る言葉の足枷は断たれていた。
ベシュロイニグング《加速》を使用した時の、体ではなく時間が加速したような感覚と共に、ハスの前に無理やり割り込むや否や、雪兎は振り下ろされた手刀を剣で弾き返す。あわよくば腕ごと持っていければと考えていたが、現実はそこまで甘くなく、彼の腕を大きく跳ね上げるに止まる。
しかしハスのその驚愕の表情を見れば、決死の割り込みが効果覿面であったことは明らかだった。
やられる前にやらなければならないという本能から、ハスの胸目掛けて体当たりをかまし、よろけた所で咄嗟に剣を一閃。しかし流石は数多の修羅場をくぐり抜けて来た暗殺者。目敏く死の匂いを嗅ぎ当て、ほぼ直感に等しいバックステップでこれを躱す。
チッと思わず舌打ちが漏れるが、ハスが後退するのを見て思わず安堵の息を吐いた。
そこへナハトが大股で迫り、かと思えば、雪兎の胸倉を掴んで怒鳴り出したのだ。
「おいユキト、なんで出てきたんだよ!お前には関係ないって言ったろッ!!」
「おっと、勘違いするなよ? このまま放っておいたら、俺にも被害があるんだ。保身ってヤツだよ」
半ば屁理屈に近い雪兎の言い分に、呆れたように首を傾げるナハト。仮面でその顔は見えないが、その下はきっと大口を開けていることだろう。
だが雪兎が悪戯っぽく歯を見せると、彼は大きくため息をついた。
「ったく、お前ってホントお人好しだよな」
「ま、建前だけどな」
「知ってるっての」
無愛想にそう返したナハトは、腰に手を置く。
「救いようのないくらいのバカだよ、お前は………」
嘆息混じりに吐いた独白に、微かな笑みが混じっていたことを、雪兎は聞き逃さなかった。
「ここまで来たら、もう運命共同体だ。とことん付き合ってもらうぞ、ユキト」
「あいよ」
視線は変わらずハスに向けたまま、二人は拳を合わせる。
パキポキと指の骨を鳴らしながら、ハスは雪兎を真っ向から睨め付けた。
「あ゛ー、今はそこの出来損ないと話してんだ。しゃしゃり出てくるたァ、何事だ?」
「さっきも言ったけど、ただの保身だよ。それに、一対二で戦ったほうが効率的でしょ?」
「雑魚が群れた所でイーブンだァ。テメェらの不利に変わりはねェ」
「そんなの、やってみなきゃわからないさ」
「へッ、抜かしてろォ! いくら障害が増えようが、ただ殺しゃあいいだけだァ!!」
雪兎の軽い揺さぶりに……ともすれば強がりかもしれないが、そんな言葉にいとも容易く乗っかる目前の狂人に、思わず「マジか」と小言が漏れる。
斬撃を飛ばせることをも忘れるほどに激昂したハスは、一直線に二人の元へ駆け出す。
しかし、突如として飛来した数多の鉛玉が、腹の底に響くような轟音を引き連れて大理石の床を穿った。
驚愕の表情を貼り付けたまま、砂埃と鉛の雨に呑み込まれ、沈黙する……。かと思いきや、飛翔する斬撃が砂埃を切り裂きながら、滅茶苦茶な方向へと乱れ散る。
姿を現したハスの衣服は細々となり、無数の穴が空いている。致死量とまではいかないが、軽傷とはいえない出血量だ。
しかし、肩で大きく息をするほど疲労しているとはいえ、今のでやれないとは相当しぶとい。
「雪兎くん、大丈夫!?」
遠くから走りながら心配の声を上げる響華の近くには、ガトリングへと変形したパンドラ《禁忌の箱》が浮遊している。やはり先ほどの弾幕は響華が張ったもののようだ。
響華に感謝の意を込めて親指を立てる。それを見た響華も、同じく笑顔で親指を立てた。
そんなやり取りを交わしていると、響華の傍から二つの影が飛び出し、ハス目掛けて一直線に突っ込むのが目に入った。
最初こそ誰だか判別が出来なかったが、距離が近付くにつれて段々と顔を視認出来るようになった時、雪兎の頬は思わず緩んでしまった。
全く……。無茶すんなよな、あいつ。
「おらぁぁあッ!!」
「せいッ!!」
陽也とブラッドが拳を振り上げる。突如として高速で接近する“人物“を見つけて、明らかにハスが狼狽している所を、俺らは見逃さない。
雪兎の左目の時計の針が動き、雪兎が消失。ナハトの体は黒い靄のようになって霧散。消えたタイミングは、ほぼ同時。
消えた二人の行方は、当然ハスの元だ。彼の両脇に実体化するや否や、二人は彼の腕をガッチリと拘束した。
「バカなッ!!?」
驚愕に目を剥き、焦りの感じられる荒々しく拙い抵抗を試みる。が、決死の覚悟で押さえ込む男が二人だ。そう易々と抜け出せるようなものではない。
もう目前へと迫った陽也とブラッドを見据え、俺とナハトは叫ぶ。
「「いけッ!!」」
勝利を確信した、獰猛な笑みを浮かべる陽也の拳がハスの鼻っ面にめり込み、確実に仕留めんと、ブラッドは笑みひとつなく冷静に手甲を腹に叩き込む。
骨が粉砕される音と、厚い壁越しに聞こえる破裂音のような音が、とてつもない衝撃と共に雪兎らに伝わる。
呻き声すら上げられないまま、ハスは赤べこのように首を前後に揺れ動かし、ダラリと脱力した。首の骨が折れたのだろう。揺れ動いた首は、とても不自然な挙動をしていた。
「ふぃー、これでひと段落かぁ?」
「取るに足らんな……」
拳を叩き込んだ張本人である二人が、気の抜けた声を漏らす。
「まったく、二人とも怪我人なんだから安静にしててくれよ……」
「わりぃわりぃ、なんかお前らがやり合ってんのが見えたんだが、勝手に体が動いちまってよ」
「このくらいの怪我で戦いを放棄するほど、柔な男ではない。第一、俺のベルセルク《肉斬骨断》を使うなら、傷が癒え切っていない今の方が都合がいいんでな」
だからって無茶し過ぎだろ…そんな言葉を表すように苦笑いを浮かべると、2人に拳を向ける。
「まぁ何はともあれ…ナイス、2人とも」
「ははっ!なんだそれ、水臭いなぁ…俺ら親友、だろ?こんくらい当然だっつーの」
「俺もあんな所業を見過ごすワケにはいかんからな。どうってことはない」
と言って、俺の拳に自分の拳を打ち付ける。そしてそこに人影が一つ。
「ちょっと~、俺を忘れるとかマジでありえなくないか?」
「ナハトに関しては、やる必要ないんじゃないか?だって”関係ない“んだろ?」
「…そのネタここで持ってくる?」
「冗談だよ。ナハトも、お疲れ様」
「おう。」と、拳…ではなく手のひらを向けてきたナハトとハイタッチを交わす。これで終わったのかな…そう思うといわれようもない充足感が心を満たし、気が抜ける。
…だけど、何かが足りない。言葉では言い表しようもないこの感覚…だがあえて言葉にするとすれば―
“何も感じない“。
この一言だけだ。それにこの感覚は”前からあった“。マリアさんが亭主だと知った時も、誰かが傷付けられているのを見た時も、行動で表しこそすれ、心の内では特に何も感じてはいなかった。ならこの感覚はいったい…
「「雪兎くーん!」」と俺の元まで走ってきた響華と蓬戯に俺は手を振って応える。何故か仲間と話している時は、そんな感覚にはならないのも引っ掛かる…俺の考え過ぎか?思案の結果何も思いつかなかったので、この事について考えるのはやめようとふと視線をハスの元へ持っていく…
その瞬間背筋が凍るのを感じた。
「ねぇねぇ雪兎k…」 「来るなッ!!」
「えっ?」と、困惑の言葉を発した蓬戯を突き飛ばすと同時に剣を抜き、攻撃を防ぐ構えを取る…その瞬間とてつもない衝撃が襲う。
あまりの切れ味にものすごい勢いで刀身が削れていくのを視認し、半ば本能的に叫ぶ。
「レゲネラツィオーン《再生》ッ!」
その瞬間ほとんど削れ切っていた刀身が瞬時に修復される…が、同時にまた削れていく。その度にレゲネラツィオーン《再生》を使い、刀身を修復するが、左目の時計の針もどんどん進んでいく。これではダメだと思い、気力で無理やり斬撃の軌道を変えるや、すぐさま体を捻って避ける。するとすぐ側を陽炎のような不可視の斬撃が掠め、頬に浅い切り傷が出来てから僅かな時差の後、後ろの壁が瓦礫と化す。
「へぇ、今の不意打ちも防ぐかァ…中々やるじゃねぇか」
唐突に砂塵の中からそんな声が聞こえ、全員が身構える。砂塵を切り裂き現れたのは…ハスだった。
「ッあー、さすがにさっきのは効いたわァ…まだ顔面がクソいてぇ…」
「…ヘラクレス《半神の英雄》を使った本気(マジ)のパンチだぞ?どんだけタフなんだよ!?」
「ちぃとばかし頑丈なだけだ…まぁそれはそうと…」
と言いながら首の骨を鳴らし、次に殺気に満ちた視線を向ける
「今度こそマジで殺す。」
あまりの殺気に、冷や汗が流れ出す…なんてヤツだよ、コイツは!?そこでハスが口を開いた。
「俺のネメシス《復讐の刄》の発動条件は、何かを“切る“動作をする事。それさえクリアすればどこからでも斬撃を放てる。」
それだけ言うとハスは、それまで手刀の形にしていた両手を解く。
「手刀で”切る“、足刀で”切る“、噛み千“切る”。あとはァ…」
そして両手をパーのような形にするその瞬間、俺はある可能性に行き着く。― 最悪の可能性に。
「指で空を”切る“」 「響華ぁ!!」
「えっ!?」と困惑する響華だったが、それに付き合っている暇はない。ニィっと笑ったハスが両手を勢いよく交差させた瞬間に現れた陽炎のような線の数は…”10本“。
響華もハスが両手を振ったのを見て、反射的に巨大な盾を三枚ほど生成する。刹那、鉄と鉄がぶつかる重々しい音が10回鳴り響いた。
「なっ、10回も衝撃が来たんだけど!?」
響華もようやくハスが10回斬撃を放ったと理解し、戦慄する。
「オラまだまだいくぞォ!!」
ケタケタと笑い声をあげながら両腕を乱舞させる。怒涛のラッシュで鳴り響く金属音。手も足も出せず、防御に回るのみ。
これではまずいと感じ、攻撃に移る為に左目を起動させる―が、突如として左目へ鈍い痛みが走った。
「……ッ、あークソッ!」
残り使用可能時間“15:08:09”。明らかに、一度に操作出来る時間をオーバーしていた。ナハトとの試合からほとんどクールタイムがなかった為に、一気に7時間分の時間を消費したという判定になっている。左の視界がぼやけ、僅かに暗転する。身体への影響は、既に活動に支障が出るほどになっていた。恐らく回復し切るのは数時間後。もちろんそんな時間的猶予はない。やはりここは、一か八かの賭けに出るしか…
「なぁ雪兎。」
その時、陽也が声を掛けてきた。
「どうしたんだ陽也?」
「この状況、何かアイツの目を逸らす事しなきゃ俺ら攻撃出来ねぇだろ?」
「…あぁ、確かにそうだが…」
「雪兎お前さ、何かアイツを絶対に倒せるって方法思い付かないか?」
「…ちょっと待ってろ」
そう言って俺は、フルスピードで頭を回転させて作戦を立てる…
ハスは脳筋ゴリ押しタイプだ。さっきの戦闘からも、奇襲に弱いというのは把握している。だから勝つには奇襲が一番の方法だが、問題はそこだ。今のハスは、“全方向に対応出来る”。つまり、すべての攻撃を引き受ける囮役が必須。それさえクリアすれば攻撃のチャンスはある。だけど…
「思い付いたぞ陽也。ただ、一か八かの賭けだし、なにせ囮役がいる。囮役をやる人は絶対に無傷じゃいられない。死ぬ可能性だってある…だからこの策はあまりとりたくな…」
「分かった。俺が“囮”をやる。」
「は?お前、今の話聞いてたのか?囮役は無事じゃいられないかもしれないんだぞ!?」
「だからこそだ!!」
「ッ!?」
突然の怒声に、俺の体が一瞬だけ硬直する。
「今の戦力を考えてみろ。蓬戯と響華は防御で手一杯、ブラッドの能力は相性が悪いし、ナハトも満身創痍で、他の能力持ちもまだいない。そう考えると、今行動に移れるのは俺と雪兎だけだ」
唐突に見せる陽也の正確な戦力把握に舌を巻くが、今はそんな場合じゃない。
「俺のヘラクレス《半神の英雄》と雪兎のリヒターツァイト《裁判の時間》。一番アイツの意表を突けるのはお前しかいない。」
「……」
「お前に一番の重荷を背負わせちまってるのは俺らが一番分かってる…けど、この役が出来るのはお前しかいないんだ。…だからよ…」
「絶対、ミスんなよ。」
そういって陽也は自分の心臓部を二回軽く叩くと、俺の肩を叩く。これも俺らが考えた仕草で、意味は…
“まかせたぞ”。
その瞬間、ぐっと心が熱を持ったような感覚になる。同時に何か…空白の空間にピースがはめ込まれたような感覚も。
突如、さっき聞こえた音より重い金属音と、「うっ!!」という響華の呻き声が耳に入る。そっちに目を向けると、必死に踏ん張る響華の姿があった。そして急にこっちに顔を向けると、
「雪兎!お前失敗したら殺すからな!!」
パンドラ《禁忌の箱》の影響もあってか口調がかなり荒々しくなっていたが、応援の声を投げ掛けてくれた。
「雪兎くん…ここは私たちに…任せてっ!」
それに便乗して同じく声援を投げ掛ける蓬戯。
「俺が出来る事はほとんどない…が、俺も全力でサポートする。例え命を落とす事になってもな。」
…ブラッドさん、それフラグって言うんですよ?という言葉を死に物狂いで抑え、強い意志を持って目を合わせる。するとブラッドは微笑み返してきた。
「うむ、いい目だユキトよ。これなら問題なさそうだ」
「あぁ…お前たちの想い、ちゃんと受け取ったよ。」
「よし、んじゃま…いっちょやったるか!」
「「「「「おぉッ!!!」」」」」
みんなの声が一つになった時、各自が動き出していた。
まず最初に仕掛けたのは響華。残り僅かな理性をかき集め、盾の傍らに創り出したのは二門のガトリング。それをハスに向けて乱射。今まで一方的な攻撃を加えていたハスにとっては最大の不意打ちだ。だが流石は有名暗殺者一族の生まれ、ネメシス《復讐の刄》をもってほとんどの弾丸を弾く。その光景を見て俺らはひやっとしたが、一方の響華は…凶暴な笑みを浮かべていた。
すると突然、響華が全ての盾を解除する。丁度響華の後ろで身を守っていた俺は冷や汗が流れたが、すぐにその理由に気付く。
ハスの攻撃を全て押さえ込んでいたのだ。流石だ響華!…と声を掛けようとした瞬間、またもや響華が驚きの行動に出る。
盾3つ分のキャパを使用し、更にガトリングを三門生成。合計…“五門”。勢いが増し、ハスの体にも所々傷が出来始める。これだけでも十分な働きだが、それでも響華は攻撃の手を緩めない。どころか、更には…
「フルバーストッ!!」
と、火力を増す始末。今ガトリングから吐き出されているのは、まるで複数のロープだ。弾速と弾数を極限まで上昇させたガトリングはまさに驚異。“禁忌”の名に相応しい姿だ。その弾幕を前に、ついにハスが退く。このままいけば響華1人でハスを倒せるかもしれないが…
「あはははははははっ!!死ね死ねぇ!!」
…響華の理性が既に限界だった。そんな彼女の背後に立ち、俺は一声。
「お疲れ…よく頑張ったな。」
とだけ言う。「えぁ?」という響華の情けない声。次の瞬間俺の手刀が頚椎を捉え、ストンと響華が崩れ落ちる。それを抱き止めると、自身の帽子を枕に、制服を布団にして少し離れた所に寝かせてやる。そして俺が振り向くと、既に第二フェーズが始まっていた。
「おせぇッ!!」「がッ!?」
ヘラクレス《半神の英雄》を使い、単純な身体能力の差でハスを追い詰める陽也。周囲の”何か“が陽也とハスをうっすらと映しているのを見る限り、ハスを逃がさない為に蓬戯がなにか仕掛けを施したようだ。咄嗟に思い付いた作戦とは言え、ここまで連携が取れるとは…俺ら4人の結束力を甘く見ているワケではないが、正直驚きを禁じ得ない。
「悪りぃ雪兎、案外お前の力を借りなくてもイケるかもしんねぇ!」
そう軽口を叩き、にぃっと笑う陽也だったが、それが虚勢であるのは少し観察すれば分かる事だ。
傍目から見れば陽也が一方的に攻撃を加えてるように見えるが、それは“こうするしかないから“だ。
陽也にとっては“少しでも足を止めれば即死級の攻撃が来る”。そんな地獄のような状況なのだ。いくら身体能力が上がった所で、メンタル面まで強化されるワケではない。この集中力がどこまで持つか…少しでも長く時間を稼いでくれれば、その分俺の能力の精度も上がる。が、それでも一度限りのチャンスだ。絶対にミスるワケにはいかない…!
―その時だった。
「ちょこまかとォ…しつけぇ!!」
それまで破茶滅茶にネメシス《復讐の刄》を発動していただけのハスが、突如陽也の頭を鷲掴みにしたのだ。
「ぶっ!!?」
そのまま地面へと叩きつける。
「陽也くんっ!!」
「お前もだァ!」
動揺で思わず風の障壁を解除してしまい、ハスを囲う“檻”がなくなる。その一瞬でハスが手刀一閃、蓬戯を襲う。恐怖で悲鳴を上げる蓬戯だったが、辛うじて障壁の展開は間に合い致命傷にはならなかった。が、障壁とネメシス《復讐の刄》が激突した衝撃で頭を打ち、気絶してしまった。
「ぬぉぉおッ!!」
怒りに満ちた表情で拳を振り上げ、真正面から突っ込むブラッド。だが、小細工なしに突っ込めば―命の危険に晒されかねない。
「ハハっ、おせぇよのろまァ!!」
遠くからでもハッキリ聞こえる程の風切り音と共に、ハスの回し蹴りが炸裂する。足から放たれた不可視の斬撃は音速で進み、ブラッドの右腕を捉えた。
「ぐおぉッ…!?」
鮮血と共に右腕が舞う。その右腕が地面に着く瞬間、ブラッドが崩れ落ちた。
「……さァて」
たった一瞬で3人を無力化したハスが次に視線を向けた先は空中。そしてその両眼が捉えていたのは…ハス目掛けて剣を振り上げる俺の姿だった。
「奇襲はもっと上手くやれよォ!ガキぃ!」
「はぁぁぁぁぁぁあッ!!」
後先考えず、無闇に左目の時計を起動。鈍い痛みが走り、平衡感覚が一瞬だけズレるが、そんなものお構いなしに時間を加速させる。
ハスは俺を迎え撃つべく、腰を深く落として構える。手の形は手刀。
確実に迫る運命の瞬間。ハスが死ぬか、俺が死ぬか、それとも…相討ちか。
俺の刃とハスの手刀が激突するその瞬間― 何処からともなく飛翔して来た3本の剣が俺らの間に割って入って来たのだ。
「「はぁぁっ!?」」
と、不本意ながらハスと驚愕の声をシンクロさせてしまった。その3本の剣は俺らの斬撃をもろに受けたが為に見る姿もない程損傷するが、同時に俺らの攻撃を完璧なまでに相殺させた。渾身の一撃を止められ、絶望に打ちひしがれる俺の体を何かが引き寄せる。そのまま乱暴に下され息が詰まるが、そんな事はどうでもいい。目の前に小柄な少女がいた。推測するまでもない、コイツが俺の邪魔をしたのだ。
「おいお前!俺の邪魔すんなよ!あのままいけば殺れただろ!?」
「たしかにそうだったかもしれないけど…そのままいってたら、おにいちゃん、しんでたよ?」
「なッ!?」
目の前にいた少女の正体は、Cブロックの試合で響華を苦しめた相手…レイヴンだった。
「…ここからは、わたし“たち“のりょうぶん。てだしはむようだよ」
「はぁ…?」
年相応のたどたどしい口調とは裏腹に、その内容は理解し難いものだった。私達の領分だと?ふざけるのも大概にしろよ。
「俺の仲間が目の前でやられたってのに、手出しは無用だってのか!?」
「まったく…のうりょくがせいげんされているいまのあなたは、ただのあしでまといだよ。あなたがつっこんでなにになるの?」
「っ…!」
己の能力、ノスフェラトゥ《狂夜の魔物》を巧みに扱い、攻撃と防御を自在に変えながらも、淡々と事実を述べていくレイヴン。
少し離れた所には、常人離れした動きでハスを牽制するルーサーの姿があった。彼も自身の能力、リッターオルデン《刃従えし騎士団》を、まるで呼吸するかのように扱う。そんな2人に、俺は改めて思い知らされた。
俺1人の力が封じられた所で、周りには何の支障もない、と。
先ほどの攻撃を遮られた時とはまた別種の負の感情が、俺の心を包み込む。
…だが心の何処かでは、空白の空間にピースが嵌め込まれるような心地良さを感じていた。
「……感情片・”劣等感“、カァ~。ヤッパ最初ハ負ノ感情片ガ先ニ集マッチャウヨネー」
そんな雪兎達を、コンソール越しに監視する4人がいた。
「当たり前だ。常人に非日常的なモノを与えれば、すぐに調子に乗り出すのだ。まずは最初に、自身がただの無能な人間であるという事を再認識させなければいけない。」
「んも~、そう言ってるチェシャも、本当はこの子達に興味津々じゃ~ん☆」
「…うるさい、監視を怠るな。ドロシー。」
「はい、私語はそこまで。ちゃんと仕事に戻ってね、君たち?」
「ハーイ」「失礼しました。」「りー。」
そういって、3人の彼女たちは1人の男の言葉を皮切りに、各々の監視対象を監視していく。
だが1人…彼女だけは少し違った。
その彼女は数多いる監視対象の中から、1人の青年だけをまじまじと見続けていた。
凝視を続けること約10秒。近くの本棚から一つの本を取り出す。その本の表紙には『No.463 J.T. Yukito Wasureji』と書かれていた。
そしてとあるページにサラサラと何事かを書くと、そっと本棚に戻した。そこへ件の男が現れると、彼女へ問う。
「なぁ…今なんか特定の偽人手帳(カバープロット)になんか書いてたような気がしたんだが…何かしたのか?」
その問いに、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべると答えた。
「フフ、ナイショ、ダヨ。グリム」
「まったく…ろくでもない事はするんじゃないぞ、アリス……いや…」
「“ヘル”。」
……なんだろう、俺の記憶が勝手に覗かれたような、気味の悪い感覚が残る。そんなはずないのに……
その時だ。不意にまたピースが嵌まる感覚がしたと思うと、突如として強烈な感情の波が押し寄せて来たのだ。
「くっ……そ……なんだってこんな…時に…ッ!?」
違う、違う違う違う違う違う!!なんで急にこんなロクでもねぇ事に興味湧くんだよ…!クソっ!!
なんで…なんで……急に……
「自分の手で命を潰したい…なんてッ!?」
このあまりにも強烈な謎の感情のせいで、思わずうずくまってしまう。
「おにいちゃん!?」
すぐ目の前では、レイヴンが必死にハスの攻撃を防いでいた。ルーサーは既に倒れてしまったようだ。ここで俺が動かなければ、今度はレイヴン達が…だがしかし、強烈な好奇心と劣等感が助けるという選択を拒む。
能力の過剰使用で既に使い物にならない俺が、今ここで動いたとして何になる?無駄死にする人間が増えるだけだ。
どうでもいいからさっさとコイツ殺っちまおうぜ?
それにまだ能力が使えてたとしても、ハスとの戦力差は明らかだ。
殺してぇ。鮮血を撒き散らしながらくたばる所を見てみてぇ。
だからどうせ俺なんか…
どうでもいいからさっさと殺らせろよッ!!!
何かした所で殺してぇ何の意味が殺すあるっていうんだ殺す俺みたいな殺す雑魚が殺す出しゃばった所で殺す一体殺す ―。
思考回路を経由するイカれた考えが暴走しだし、制御もままならないという所で、雪兎の脳内はブラックアウトした。
「…コイツは不味いな。」
「処刑執行対象がこうも凶暴なヤツだったとはな…早急に手を打たねば…っ!」
「そう?ならさっさと私が捕らえて来てあげるわよ?」
「…少しだけ待て。アイツの夢想(むそう)は強力だ。迂闊に手は出せん。」
「全く、相変わらずの慎重っぷりねぇ…」
そう会話しているのは、闘技場選手待合室の観戦席で監視を続ける、灰色の外套に身を包む者たちだ。
ハスの処刑を執行するらしいこの3人は、今か今かとタイミングを図っているようだ。
だが当のハスは滅茶苦茶に暴れている為、迂闊に手を出せない状況なのだ。悔しいが、今は参加選手達が粘ってくれるのを祈るしかない…だがその願い虚しく、今の状況へと至る。
今はレイヴンがうずくまっている1人の青年を守るべく、全力を尽くしている所だ。本当ならば、あんな腰抜けは放っておいてよかったと思うが、彼女の“立場上“…いや、性格上そんな事が出来るはずないのだ。今はそんな彼女を見守ってやる事しか出来ない…その瞬間だった。
ハスの能力が、レイヴンの能力で生成した影の蕾をこじ開けた。その反動でレイヴンが吹き飛ばされる。
勝ちを確信し、次にうずくまる青年を標的に定めると、凶器である手刀を振り上げた。これまでの戦闘でも同じような場面は何回もあった。だが、その度に幸運で危機を脱した。が…もう彼に助かる術はない。それでも諦めが悪かった3人は、その青年を助ける為に能力を発動すべく、手を翳す―
その時だった。
突如時間が巻き戻ったかのようにぬるりと立ち上がった青年が、ハスの首を両手で鷲掴みにしたのだ。
一体何事かと、思わず手を止め、次の瞬間背筋が凍るような感覚を覚えた。
…なにが起きたのか分からなかった。
ハスに私のノスフェラトゥ《狂夜の魔物》を破られ、私と…なによりも雪兎の死を覚悟した。がしかし、突然時間が戻ったかのように何事もなく立ち上がった雪兎が、造作にもないと言わんばかりに容易く首を鷲掴みにする。驚きのあまり、逃げる事も忘れて硬直してしまう。だが、彼が発した言葉だけは鮮明に聞き取る事が出来た…しかし、その意味を汲み取る事は出来なかった。
「…兎さん、捕まえた♪」
―なにやら僕は眠ってしまったらしい。冷たい雪の上。まだわずかに残る陽の温もり。何やら物音がした。ふと見てみると、そこには真っ白な兎が一匹いたのだ。兎は僕が一番好きな動物だ。もふもふで可愛くて、ピョンピョンと跳ねる動作が可愛くて、パクパクと口に放り込んでいく食事の仕方が可愛くて。なにより兎は僕が人生で一番最初に見た動物だし、なにより…無造作に兎の首を掴む。当然のようにジタバタと暴れ出す兎。だが俺は逃がさないようにしっかりと掴む。力を込める度に、抵抗する力も強くなっていく…そうそう、これだよこれ。非力な僕でも簡単に捕まえる事が出来てしまう程に弱い。この圧倒的支配感…そう。僕が兎を一番好きになった理由は…
「…うさぎさん、つかまえた♪」
人生で初めて…力で支配出来た生命だからだ。
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