十一頁目 第三十二回グラズスヘイム闘技大会 ユキト編


「やぁやぁユキトくん。 次の試合じゃ、よろしくね」


と、準決勝戦の相手であるナハトが、俺に向かってひらひらと手を振っていた。


「……どうも。」


外面モードである偽りの表情がふっと消え、いつも通りの気怠そうな顔に戻る。

そそくさとその場を去ろうとする……が、ナハトがそれを許さず、ふっと俺の目の前まで瞬間的に現れる。


「どわっ!?」


「まぁまぁそんなにカリカリしなさんな~。 別に悪いようにはしないって」


そう言って馴れ馴れしく肩に腕を回したナハトは強引に俺を椅子に座らせた。


「……ふぅ、ここまで来たんだ。ただの談笑ってワケじゃないんだろ?」


「おーユキトくん鋭いねぇ。実はユキトくんにちょっとした頼み事があるんだよ」


その一言で、弛緩していた空気が一気に引き締まるのを、身をもって感じた。


「実はねー、ユキトくんに………」


勿体ぶって間を開けたナハトは、改めて仮面越しに俺と視線を合わせると言い放った。



「降参してほしいんだよねー」



「……は?」


「ははっ!なーんちゃって。 でも別に冗談じゃないよ?降参してくれるならそれはそれで楽だからありがたいし」


何をふざけたことを言ってるんだ?と睨む俺に気付いたナハトは、演技掛かった仕草で身を引っ込めた。


「おぉ怖い怖い。 でも俺はただ優勝者に与えられる特権が欲しいだけなんだからさ~。 ね?」


「どうしてそこまで特権にこだわる?」


「別に賞品とか特権狙いじゃないのに優勝を目指す君たちの方が変だと思うけど……まぁ、そこは話さないと納得いかないよね」


椅子から立ち上がったナハトは大きく伸びをすると俺に言った。


「君の事だ、もう俺が有名な暗殺者一族の血を引いてるって事は知ってるんだろ?」


「あぁ。」


「まぁこーゆー事情があるもんでさ…… ほらッ」


と言って、いきなり左後ろにいた灰色の外套の男に短剣を投げつける。

短剣がこめかみに直撃した男は、「がッ!?」と言って崩れ落ちた。

唖然としていた俺を置いて、ナハトは説明を続ける。


「……っとぉ、こんな感じに監視の目が付いてるってワケよ」


問答無用で人を殺したナハトにカッとなった俺は、沸き立つ怒りのままに立ち上がるが、ナハトがそれを宥めた。


「おぉ、どうどう。安心しなって、別に殺してはいないよ」


「ほら」と言ってもう一本短剣を取り出す。聞けば尾行対策用に刃を潰した短剣を何本か所持しているそうだ。

木剣ではなくあえて殺傷出来ないように細工した短剣なら、色々と都合がいい。

例えるなら『峰打ち』と同じ原理だ。


「だとしても業務執行妨害で捕まるんじゃないか?」


「まぁまぁそこはさ……ね?」


「よくねぇよ。」


咄嗟的に突っ込んでしまう自分の体質を恨みつつ、ナハトに話の先を促す。


「で?監視が付いてるからどうしたいんだ?」


「あーそうそうそれ。んでもってそこからなんだけどさ……」


「そろそろメンドくさくなってきたから、特権で監視してる奴らを退かせようかなぁって」


ポリポリと頭を掻きながらナハトは言った。


「……それで俺に降参させよう、と?」


「そうそうそーゆー事。 まぁユキトくんが退いてくれたとしても決勝戦が残ってるワケなんだが……まぁ多分大丈夫っしょ」


楽観的な見解で、既に俺が降参するという事を前提で話を進めているナハトを見据え、「おい。」と睨み付けると言葉をぶつける。


「随分と話が飛躍してるみたいだが、俺は降参するつもりはさらさら無いからな。」


「— —ま、そう言うだろうとは思ってたさ」


「ついでに言うと負けるつもりもない」


「おーおー言うねぇ。 そういう所になんとなく惹かれたんだけどさ~」


苦笑気味に話したナハトはしばらく思案した後に「あっ」と声を上げると俺に向き直った。


「そろそろ会場の修復も終わるっぽいから、そろそろ帰るよ~」


再度手をひらひらと振ったナハトはその場を後にし、ただ一言


「ま、そこまで頑張るんだったらせいぜい楽しませてくれよ、ユキトくん」


とだけ言い残した。


「……やってやるさ、仲間と約束した以上負けるワケにはいかねぇんだよ………」


ナハトの挑発に静かな闘志を燃やした俺は、着々と修復が終わりつつある会場を眺めると、貸し出してもらっている剣に触れ、時を戻す。

闘技大会が開始する前まで時を戻した剣は、元々以上の輝きを取り戻した。


 -残り操作可能時間 22:46:12-






「さぁさぁやってきたぜAブロック準決勝戦!他はもう終わっちまったから、ここから決勝戦まで連続だぞぉ!!」


という司会者の言葉に、これまでで一番の盛り上がりを見せる。ナハトへの闘志を抱きつつも、司会者さんと観客の人たち喉大丈夫か?と考える自分がいた。

自身の頬を張って喝を入れると、修復が終わった舞台へと足を踏み入れた。

そして反対側からはナハトが姿を現す。相変わらず仮面で表情は見えないが、笑っているという事だけは直感的に分かった。


「やっぱ来たんだ。あの後急に恐怖が込み上げてきたから棄権しました~なんて事を考えてたのは、流石にお門違いだったかな?」


「ほざけ。」


ナハトの冗談を端的に返すと、剣呑な表情で視線を飛ばす。それに肩をすくめて応えたナハトは、ふざけた様子で返した。


「何もそんなにキレなくてもいいじゃん?」


その態度に若干イラッと来たもののなんとか堪える。このピリピリした二人の空気に多少気圧されている観客たちだったが、その空気を変えるべく司会者が叫んだ。


「レディ、ファイトッ!!」


その掛け声を合図に雪兎が二歩踏み出し、ウィデァフロング«反復»を使用する。

1分程の時を削り、一瞬にして距離を詰めた俺はすぐさま剣で切りつけた。

このスピードに対応出来なかったナハトは「おっ!」と驚きの声を上げると、タッチダウンライズというアクロバット技を常人の二倍程の速度でやってのけてかわし、すぐさま回転しながら二連蹴り……ジャックナイフと呼ばれる技へと派生させた。

雪兎は軽くバックステップで避けると旋風脚をお見舞いする。しかしナハトは身を屈めて後方へ下ってかわす。

このまま仕掛けても埒が明かないと思った雪兎は、過去にいた場所……すなわちウィデァフロング《反復》を使用した地点まで瞬間的に移動する。

同じく雪兎と距離を取ったナハトは短剣を抜き、腰を深く落とすと言葉を投げ掛けた。


「へぇ、押し出して場外……っていう単純な芸しか持ってないと思ったら、ユキトくん中々やるじゃん。 あれ?思ったよりも君に勝つのは骨かも?」


「そこまで俺は単純なヤツじゃないんだ。悪いな」


「いーっていーって! なんか楽しそうになってきたしさ?」


今の攻撃でも尚余裕の態度を崩さないナハトに若干焦りを感じるが、それを押し殺して冷静を装い、逆に問う。


「……能力使わねぇのは手加減か?」


「いやいやそんなワケないって〜 ただユキトくんの能力が未知数だったから、使うタイミングを見計らってただけさ」


そう言いながらテクテクと歩いてきたナハトは途中で足を止めると……


「じゃあさ、これから一分あげるから。好きに攻撃してきていいよ~」


突然短剣を投げ捨て、まるで「おいで?」と言わんばかりに手を広げて俺を見据えた。


「— — 何の真似だ?」


「ん~強いて言うなら……Bブロックのブラッドの真似かな?」


ちょっとだけ肩をすくめるナハト。


「ま、攻撃自体は受けないけどねー」


「言ってる事が矛盾してないか?」


「違~う違~う。これから一分の間に"俺に攻撃を掠らせでも出来たらユキトくんの勝ち"って事。それまでは俺から攻撃は仕掛けない。ただ避けるだけ」


「随分と甘く見られたもんだな」


早くも臨戦態勢を整えた俺は眼光鋭くナハトを睨め付けた。


「本当にそう思う?」


挑発気味に少しだけ首を傾げるナハト。


「……いや」


その問い掛けに行動で応えた俺は吼えた。


「上等ォ!!」


ウィデァフロング«反復»で再度距離を縮め、上段から肩を突き刺すべく飛び上がり、剣先を突き出す。

が、既に見切っていたナハトは半身になる事で容易くこの突きを避ける。だがこれも全て俺の計算の内だ。もともとあんな大振りな攻撃が当たるハズがない。

空中でリヒターツァイト«裁判の時間»を使用。剣を突き出す前に時間を巻き戻し、空中回し蹴りをお見舞いする。丁度半身になったナハトの後頭部に直撃する軌道だ。

殺った……そう思った矢先にナハトが首をくいっと傾け、俺の蹴りは空を切った。


「チッ、お前の後ろには目でも付いてんのか!」


そう悪態を吐くや、落下までの時間をキャンセルして瞬時に地へと降り立ち、半ば反射的に下段蹴りを叩き込むが、ナハトは飛び上がって避ける。

しかし、"避ける"にしては飛び上がり過ぎだ。好機だと見た俺は迎え撃つべく腰を深く落とし、機を見計らって勢いよく刃を振り上げる。

今度こそ捉えたと思った俺を、剣越しに横殴りの衝撃が襲った。原因はすぐに分かった。

信じられない事に、ナハトが空中で体勢を変えると同時に剣の側面を踏みつけ、軌道をずらしたのだ。

唖然として体が硬直する。そんな情けない様を見て、ナハトは再度挑発気味に言った。


「ほらほらー!あと10秒もないぜ~?」


あれだけの猛攻を仕掛けたというのに全く息を切らせていないナハトに


「……バケモンが」


と小さく吐き捨てる。

もう後がない。ならばもう出し惜しみしている場合ではない……ナハトと距離を詰めると最後の賭けに出た。


「ベシュロイニグングッ«加速»!!」


そう唱えた直後、俺の体は音速を超えた。

そしてその勢いのままに剣を振る。その速度は、予備動作すら肉眼では捉えられない程だった。


「おっとぉ!?」


通常の10倍速の斬撃に驚愕の声を上げるナハトだったが、流石はAブロック最強格。若干必死さを感じさせるが、それでも尚避け続ける。

手応えはもちろん無い。まるで"霧"を斬っているような感覚……そんな絶望感を覆す為に、枯れた喉から雄叫びを絞り出しながら斬撃を繰り返す。

この圧巻としか言いようがない試合を、その場にいた全員が瞬きもせずに見魅っていた。

だがナハトはというと— —


「ごー よーん さーん にー」


と、呑気にカウントまで始める始末。本格的に焦り始めた俺の耳に、無慈悲な宣告が届いた。


「いーち ぜろっ! はい、ボーナスタイム終了ねー」


最後に放った渾身の横薙ぎを、まるでパフォーマンスでもしているかのように上体を反らして避けたナハトは、曲げた体をバネにして前方へと勢いよく飛び立ち膝蹴りを雪兎の鳩尾へと深く突き刺した。


「カハッ……!!?」


これまでで類を見ない激痛にのたうち回る。

ギリギリ嘔吐はしなかったが、最早戦闘どころではなかった。


「ありゃ?鳩尾一発でもうギブか?手応えないなぁ…… これからは俺からも攻撃してくけど、掠ったら俺の負けってルールは続行ね〜 まぁ、あんまり意味はないかな?」


拍子抜けだ、というように肩をすくめると、気力を振り絞ってナハトを睨んだ俺の眼前に左手を向けた。


「まぁ、退屈ではなかったかなー。 楽しかったよ、ユキトくん」


スキルズジャックの予備動作を始めたナハトを性懲りもなく睨む俺は……不意に違和感を覚えた。確証はないが、今仮面越しに見えた目がなんか変だったような……そう意識した途端 ―。


「ッ!!?」


ナハトの左手に半透明の赤黒い蛇が巻き付いているのが見えた。その蛇はうねうねと蠢いており、完全に俺を標的として捉えている様子だ……

そうか、これが………


「俺の勝ちだよ、ユキトくん」


「お前の能力はそういう事かッ!」


ナハトの言葉を合図に大きく口を開いてこちらへ向かってきた蛇を横っ飛びに躱すと、蛇の胴体を断ち切った。


「なっ!?」


これまでのおふざけみたいな驚き方ではなく、初めて明確な動揺を見せるナハト。これを最後のチャンスだと見た俺は、ベシュロイニグング«加速»を使用する。

度重なる能力行使で能力の性能が落ち、本来10倍速であるハズが3倍速にまで落ちてしまっていたが、動揺したナハトとの距離を詰めるのには、この程度で十分だった。

ナハトに体当たりをかまし、馬乗りになると拳を降り下ろす……が、頬骨すれすれの所で止める。未だ動揺が収まらないナハトと目を合わせる事数秒。軍服の袖部分からナイフの刃が飛び出し、仮面ごと頬を浅く切り裂いた。


「ったく、暗器付けてたの忘れてたわ…… ほら、ナハトさんよ。攻撃、"掠った"ぜ?」


ようやく頭が冷えた様子のナハトは、微かな痛みを発する頬へと手を伸ばして撫でると、指を眺める。そこには確かに、血が付着していた。


「俺の勝ちだ。」


「……確かに、約束破るのは俺としても気分悪いからねぇ。 ……いいよ」


ナハトは倒れたまま両手を上げると面倒くさそうに言った。


「"降参"だ。」


静まり返る会場……刹那。


「ユキト選手のしょぉぉおお〜〜〜りぃぃい〜ッ!!!」


という司会者の興奮した叫び声が響き渡った。それが合図であるかのように、そこら中から大きな歓声が上がる。

その歓声で気が抜けた俺はしばらく空を見上げていた。

すると、ナハトが声を掛けてきた。


「俺の術のカラクリが見破られたのはいつ以来だったかなぁ…… まさかユキトくんにバレるとはねぇ」


「いや、俺もただの偶然だったからな。 諦めが悪かった俺のちょっとした奇跡だ」


「まぁ、その"偶然"ってのも実力の内なんだよ」


両者のしばらくの嘆息。


「……戦いや殺し合いでモノを言うのは、ほとんど"運"だ。少なくとも俺はそう思ってる」


遠い目でどこかを眺めるナハトの頭には、色んな出来事がフラッシュバックしていた。

初めて人を殺めた場面。雇い主に裏切られ、死にそうになった場面。遥かに格上の相手の殺しを頼まれ、九死に一生を得た場面……あれもこれも、全て"運"だった。

ユキトに惹かれたのは、運に恵まれているという、なんとなく昔の自分に似ていた部分があったからかもしれない。

我ながららしくもない感慨に耽っていたナハトはユキトを見て言った。


「なぁ、そろそろ降りてくれん?」


「あ、悪い」


ずっと馬乗りしていた事に今更ながら気付いて立ち上がると、ナハトの手を取って立ち上がらせた。


「……なぁ。最後になんで俺の術が見破られたか聞いていいか?」


「あぁ。 ま、ほとんど奇跡みたいなものだが……」


そう言って雪兎は話始めた。

雪兎が感じた違和感……それは『無い筈のモノが見えた』事。

— — 達人の武術家は、例え獲物ぶきを持っていなくても相手に武器の形を見せる事が出来るそうだ。

気迫、構え……そして体の重心の掛け方。たったそれだけで相手に武器を持っているかのように見せる、一種の錯覚。

雪兎は、その錯覚をナハトに対して感じていたのだ。


いるはずもない"蛇"が、ナハトに腕に絡み付いている。

不思議に思って目を合わせてみると、またもや違和感を感じ……

その結果、偶然能力を見破ってしまったという事だ。


「正解だよ、ユキトくん。 この術……スキルズジャック《能力干渉》は、不可視の蛇を噛み付かせる事で能力を阻害する毒を付与する能力。 視認出来るようにするには、獲物と使役者を理解することさ。」


完全に見破られてたか〜と額に手を当てて困ったような仕草をすると、さっきとは打って変わって真面目なトーンで言った。


「まぁ……決勝戦、勝ちなよ?」


「言われなくてもそのつもりだ」


一戦交えて砕けた二人は、互いの拳をぶつけると、舞台を後にした。


ユキトだけは腕を突き出し下を指差して。





「ほらほらぁ!じゃんじゃん行くぜAブロック2回目の準決勝ォ!!これで勝ったヤツがユキトとの決勝戦をやる事になるぜぇ!!」


待合室に戻った雪兎はすぐに次の試合の観察を始める。

陽也たちと会いたいのは山々だが、まず相手の情報を調べなきゃ意味がない。

舞台に上がったのは軽装の男槍使いと、血のように深紅のローブを纏った男だ。ただし深紅の方は手ぶら……魔法系の冒険者なのだろう。そして試合開始の号令が鳴り響く。槍使いは腰を深く落として溜める動作をすると、深紅の男に向き直ると駆け出した。その速度は尋常ではなく、残像が見える程だ。

対して深紅の男は手刀を作り、槍使いを待つだけ。そして槍使いは目にも止まらぬ速さで相手の傍を横切って……


— — 倒れた。


「……は?」


驚きで、疑問の声を上げるのが精一杯だった。

倒れた槍使いは白目を剥き、首から横一文字にかけて深い切り傷が刻まれており、勢いよく血を噴き出していた。

深紅の男はただ手刀を振り抜いた体勢で何かを呟いている。そしてその呟きはどんどんと大きくなり、ついには内容が聞き取れるようになった。


「この世の人間全てが憎い……人生の勝ち組が憎い……才能に満ち溢れ、運に恵まれた人間共が憎い………」


憎い……?疑問に思う俺らを置いて、男は呟き続ける。


「憎い……憎い……憎い………憎い、憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いィッ!!!」


最後は絶叫へと変わった呪詛を唱え続けた男は、再度絶叫を上げた。


「ネメシスァァァアアア«復讐の刄»ッ!!!」


そうして深紅の男が、手刀を思い切り横薙ぎに払うと……


— — 会場全体から悲鳴と崩壊の轟音が響き渡った。

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