中途(後天的な)障害の受け入れ方。その他の辛い状況にも応用できる

 私も障害がある。それは生まれつきではない。13歳?(中学1年生)の時に病気になり後遺症で障害者になった訳である。

 脳腫瘍だった。いわゆる脳のガンである。少し前まではテニス部で走り回っていたのに今はもう走る事すらできない。

 まあ、結論から言えば未だに障害を振りきれてはいない。これは夢で目覚めたら元の生活に戻ると信じている自分もいる。

 ただ、なりたての頃のように絶望はしていないしそれはそれで楽しんではいる。むしろ障害者になったおかげで見えるようになった事もあるだろうと。割りきれてはいる。たた、それだけである。

 中村天風という男を知っているだろうか。昭和の日本では最高レベルの瞑想家思想家である。一応言っておくと彼の著書をハウステンボスの社長が人生で最高の一冊と紹介していた。元々喧嘩っぱやい性格で学生の頃は軍人に物を投げ付けたり柔道の試合で負けた腹いせに闇討ちを仕掛けてきた相手校の生徒に仕返し、正当防衛ながら相手を刺し殺したりもしている。その後は右翼団体に所属したりもしているが今回紹介する話は軍事警察時代に彼が編み出した?その状況を楽に受け入れる方法である。それは、その状況を生まれつきだと思う事である。

 つまり、私で言えばこの障害は生まれつきと思う事だろう。逆に健康な頃が夢だったのだと。夢であればどんなにいい内容でもちっとも惜しくない。が、生まれつきそうだとしても、例えば生まれつき目が見えない人でも、目が見えるようになればと思う事はあるだろう。だからそれは天風だからこそ出来た訳である。

 だが、大きくは間違っていない。が、このテクニックは平時ではあまり役に立たないと思う。それを平時でも使えるようにする方法がある。と言うか、もはや別のテクニックかもしれない。

 それは、その苦しみから得たものの目を向ける事である。私の場合、病気になって見えるようになった事もあるし、働かない口実のようなものも出来たしそれはそれでいいんじゃないかと思っている。

元々私は思慮の足りない軽率且つ卑怯なな人間だったので、そういう意味では病気に感謝もしている。それに、手術中に神様っぽい何かを見たので、それは病気になったからこその経験だろうと(この神様っぽい物の名前を調べたりもしたが決定的なことは分からなかったが大方の候補は二つに絞られている)。

 目が見えない人も、目が見えないおかげで得られたものがきっとあるはずである。そこに目を向ければ、苦しみの中にもきっと幸せは見えてくる。

 少し前、Eテレで『ブレイカーズ』と言うアニメがあった。パラスポーツを題材にしたアニメである。ストーリーは、元々は健常者だった少年アスリートが、事故などで障害者になり絶望するがパラスポーツに出会いそれに熱中する物語である。

恐らく、健常者のままだったらパラスポーツには出会わなかっただろうしそこで以前よりも幸せを感じる事もあるだろう。

 捨てる神あれば拾う神ありと言うか、結局どこにでも神様は居るのではないかと思う。

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