麻原彰晃も悟っていたのでは?

 世間一般のイメージする悟りは、高僧と呼ばれるような人が、一生をかけてようやくたどり着けるものであろう。だが、それだけが悟りではない。悟りにはかなりの段階がある。最近だと「8週間で悟れますよ」なんてプログラムもある。

 彼も少しは真面目に取り組んだのだろうし少しは悟っていてもおかしくない。

 ただ、最終解脱までいったとは到底思えない。悟りは、客観的判断が難しい。主観的判断は、もっと難しい。自分では高いレベルの悟りを開いたと思っていてもそれは思っていたより大したものじゃなかったという事もある。実はこれ、よくある事なのだ。だが普通は師が諌めて終わるのである。が、彼には師と呼べるような師が居なかった。ヒマラヤの大聖者と呼ばれるパイロットババ氏の元を3日で離れたエピソードはあまりにも有名である。他にも、教えを乞うが長続きしないと言う、全体的に忍耐力に欠けている。

 忍耐力はかなり欠けていたが知識は豊富だったし少しは悟っていてもおかしくない。では何故ある程度は悟っている人が暴走したのか。

 それを理論的に説明できる。それは、退転位である。簡単に説明するとある程度悟っても気を抜くと転がり落ちてく位である。それは菩薩の五十二位と呼ばれるものの四十位より下では容易く起こりうると言われている。この四十位ライン、どれ程かと言うと、あの達磨和尚でも30位程度と言われているので、大抵の人間は四十位より上になど行けないだろう。

むしろ気を抜くと(修行を怠ったりいい気になっていると)反動でとことん落ちていく可能性もある。それは雪山とスキーの関係に似ている。上るのは大変だが降りるのは一瞬であり例えその意思がなくても降りる事はある。むしろ一度上ってから滑り降りると一切上っていない時よりも遥かに下に行くだろう。だからある程度上ってしまった人は死ぬまで気を抜けない。だから昔の賢人は山奥、あるいは行脚で生涯修行を続けたのである。

元は凄い宗教家だったが後年はおちぶれた人も少なくない。

 まあ、専門家等は魔境(魔境とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。ユング心理学で「魂のインフレーション」と名づけられた状態だという指摘もある wikiより)じゃないかと言う見方が多い。私はオウムのリアル世代ではないので当時の映像や情報から推測しただけで彼についてはよく分からない。だが、退転位の存在について触れてる専門家が居なかったのでそこだけは覚えて欲しい。

 だから、当時の彼を称賛していた人が、見る目がなかったとはならないのではないかと、私は思う。

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