第148話 私なりに真似しただけだよ
「幻術……そういうこと」
聞いてみれば、単純なことだ。
燃やしたと思ったマリンは、幻術で作った偽物だったということだろう。
機嫌が悪そうに、フンッと鼻を鳴らしながらアメリアは言った。
「くだらない小細工だね。言わなければ良かったのに、余裕のつもり? たかが幻術、種が分かれば怖くもなんともない」
「フッ、フフフッ。幻術と聞くだけで侮られてきましたが、あなたも変わりませんね。ですが、私はそういった輩を全て返り討ちにしてきました。たかがかどうか、貴方自身で確かめてみては?」
「言われなくてもっ!!」
躊躇なくアメリアは周りのマリンを燃やした。その中に一人、真っ先に逃げ出したものが居る。
逃がさない。その意思の元に、アメリアは一人抜け出したマリンに炎を放った。その炎はあっさりと残った一人も燃やし尽くす。
あっさりと殺せたことに、目を点にするアメリア。次の瞬間、離れた所にまたマリンが現れた。
そのマリンの周囲には、先ほど見た力を貯めた光線の【魔力弾】が複数浮かんでいる。今まさに放たれようとしているほどに、魔力弾は膨れ上がっていた。
それを見て、ぎょっと体を硬直させるアメリア。さすがにあれは全力で防がないとならないと、全力で魔力壁を作る。
壁を張った瞬間、光線は解き放たれた。衝撃に備えるアメリアだったが、障壁にぶつかる寸前、フッとそれらの光線が消えた。
(幻!! 本命は別──)
マリンの意図を悟り、周囲に警戒を向けたその瞬間、アメリアの背後から一発の魔力弾が撃ち込まれる。
「かっ──!? ぐっ、うぅ……!」
威力としては、脅威ではない。だが、完全に無警戒だった撃ちこまれた弾丸は、アメリアに確かなダメージを与えた。
痛みに呻くアメリアに、くすくすとマリンは笑う。。
「“目を騙す”。これこそ、幻術の基本にして奥義になります。どうですか? 分かっていても、意外に騙されるでしょう?」
「このっ……!」
怒りに任せ、また炎を放つアメリア。
それを躱しながら、マリンは思う。
(やはり動きは単純。読みやすい)
怒りに飲まれている今のアメリアは、視野狭窄に陥っている。
こういった輩は、生粋の【幻術師】であるマリンにとってカモだ。
(とはいえ、その火力は変らず侮れるものではない)
自分の直ぐ脇を通り抜ける炎に、ツーッと冷や汗が流れる。こんな物に飲み込まれては、肉片すら残らないだろう。笑みを見せ余裕を装っているが、内心ではギリギリの綱渡りに凍える思いだ。
理不尽すぎる力だ、と思う。同じ魔法使いとして、嫉妬が湧くほどに。
しかし、戦い方次第では立ち回ることは十分に可能。
「つまり、腕の見せ所という訳ですね」
ボソリと、マリンはアメリアに聞こえないよう呟いた。その表情は、挑戦的な色が浮かんでいる。
このような状況で熱くなるような性分ではないのだが……魔法使いの頂点である【賢者】への挑戦を、密かに望んでいた自分が居るのかもしれない。
たまには、戦闘の高揚に身を任せてみても良いだろう。
「さて、次はこんな物はいかがでしょう?」
炎から逃げながら、マリンはまたパチンと指を弾く。すると、何十本ものナイフが空中に現れ、それが一斉にアメリアに飛んで行った。
(ナイフ! ──いや、それよりもっ!)
ナイフから感じる微弱な魔力が、あれは幻術だと教えてくれている。ならば備える必要はない。それよりも、本物のマリンを見失う方が厄介。
その判断の元、アメリアはナイフを無視し、そのまま炎の魔法を維持しマリンを追いかけた。
アメリアの炎が、とうとうマリンを捕まえようとする。その寸前、幻術で作られたナイフがアメリアの身体に当たって霧散し──熱い痛みがアメリアに走った。
「ぐっ、いっ……!! そんな、何で……!?」
痛みで集中が途切れ、炎の魔法が消え去る。
己の身体を見下ろすと、肩と太ももに一本ずつナイフが突き刺さっていた。焼けたような痛みとそこから流れる血が、幻術ではないことを教えてくれる。
「んっ、ぐっ──痛ッッ!! ふっ、はぁ、はぁ……」
アメリアは痛みに耐えながら、肩に刺さったナイフを抜く。そして、まじまじとナイフを見つめながら、その感触を念入りに確かめる。
偽物じゃない。紛れもなく、実体のある本物のナイフだ。
フフフッ、と。不愉快なマリンの笑い声が届く。
アメリアがそちらに顔を向けると、マリンは手品のように、何も持ってなかった手からナイフを出現させた。
「幻術のナイフに紛れて、本物のナイフを投げただけですよ。私、こういった小物の扱いにも長けているものでして。
言ったでしょう? “目を騙す”ことこそ、幻術の基本にして奥義だと。駄目ですよ? 本物が混じっていないか、ちゃんと確認しなければ」
「このっ……!!」
遊ばれている。そう感じた瞬間、怒りが沸き立ち痛みを忘れさせた。
アメリアはそのまま、足に刺さったナイフも抜く。
躊躇いもない行動に、おやおやとマリンが困ったような声を上げた。
「そんな乱暴に抜いては、余計に傷が深くなってしまいますよ?」
「構わなくていいよ。自分で治すから」
「そうですか。ふふっ、さすがですね」
言った傍から、アメリアは回復魔法を使い己の傷を治した。
服に穴が開いた以外、何も変わらない姿に、マリンは目を細めて笑みを浮かべる。
(回復の魔法すら、高いレベルで使いこなすか。【賢者】とは本当に理不尽な力だ。しかし、確実にダメージにはなっている)
傷を治そうとも、失った血と体力は取り戻せない。
この流れを続ければ、おのずと勝利が訪れるとマリンは確信していた。
「──死ねっ!!」
「おやおや、落ち着く暇もない」
口ではそう言いながら、余裕を持ってマリンはアメリアの炎から逃げ回る。
そして再び幻術で大量のナイフを作り出し、アメリアに向けて飛ばした。
「──ッッ!! チッ!!」
苛立たしげに舌打ちし、アメリアは懐の短杖を取り出すと二度三度と振る。ほとんどのナイフが霧散する中、キンッと音を立て、何本かのナイフが地に落ちた。
「舐めるな。ちゃんと見れば、幻と実体の区別はつく」
「ですが、攻撃に意識を配分する余裕はない、ですよね? 投げナイフとはいえ、当たり所によっては死にかねないものを無視する訳にもいきませんしね。これではいつまで経っても私を殺せませんね?」
図星を指され、ギリッとアメリアは歯ぎしりした。
しかし、そうしたいのはマリンの方だった。
(幻術と混ぜた本物のナイフのみを的確に見抜く? ふざけた魔力感知能力だ)
魔力の多寡を見抜くことならば、熟練の魔法使いならば出来るだろう。だが、僅かな時間でその中から魔力のない物と見分けるのは、至難の業である。
実際、マリンはこの手で多くの相手を葬ってきた。それをあっさりと防がれては、たまったものではない。
(今ので返って彼女が冷静になってしまったか。戦いが長引くほど、彼女の対応力は上がっていくだろう。ならば、完全に慣れる前に仕留めなければ)
マリンは短期決戦に持ち込むと決断した。
そのために、まずは再び冷静さを失ってもらおう。
「それにあなただけならともかく、足手纏いも居ると大変でしょう?」
「──ッッ!! くっ……!」
アメリアが言い返す前に、マリンは大量の【魔力弾】を生み出す。それをアメリアと、エドガー、フィーリア両名に分けて飛ばした。
アメリアは炎の魔法を放ちそれらを相殺し、射殺さんばかりに睨み付ける。
「お前っ……よくも二人を!!」
「甘えないでくださいよ。戦いなのですから、弱点を狙うのは当然でしょう? 怒るのならば私ではなく、役立たずのお二人にお願いします」
「~~~~~~~~ッッッッ!!!!」
怒りのあまり、言葉を失うアメリア。
その様子を目にし、マリンはほくそ笑んだ。
(そう、そうやってどんどん怒ってください。怒りに飲まれれば飲まれるほど、罠にはまりやすくなる)
思惑通りに事が進み、優位を感じつつ。マリンはまた幻術混じりの【魔力弾】を放った。
アメリアだけに。あるいは二人の方に。あるいは両方へ。
自分だけならともかく、このレベルの【魔力弾】を幻術が混じっているとはいえ、今の二人に向ける訳にもいかない。
気づけば、一方的に放たれる【魔力弾】をアメリアがひたすら防ぎ続けるという形になっていた。
言いようにやられている実感が、アメリアの苛立ちを高める。それが頂点に達しようとした時、【魔力弾】ではなく、大量のナイフがアメリアの上下左右を囲むように現れた。
(──どれにも魔力を感じる! ナイフの現れ方も不自然! 実体は一つも無い! 二人の方には何もない!)
マリンの方を見れば、闇の光線を作ろうと魔力を貯めているところだった。
後手を踏んでいたと思っていたが、どうやらこの変わらぬ状況に痺れを切らしたのはマリンの方が先だったらしい。
決着を付けるべく焦り、雑な手に出たのだろう。
(これならいける!!)
幻術ならば無視して構わない。この瞬間なら、仲間を庇う必要もない。
殺意のままに、全力の魔法を叩きこめる!
動き出したナイフを無視して、アメリアは急速に魔力を高めた。
一瞬で攻撃態勢を作り上げ、マリンを焼き消すのに充分な炎が生まれる。
「──死ねっ!!!!」
そして、まさにその魔法を解き放とうとした瞬間。
──アメリアの全身に、ナイフが突き刺さっていた。
「──キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「そんなっ……アメリアさん!!」
甲高い悲鳴を上げるアメリアに、フィーリアは思わず声を上げた。
アメリアの身体に大量にナイフが刺さっていることを、外からはハッキリと見えた。まるでハリネズミのように隙間なく、ナイフがアメリアの身体から伸びている。
生きている方が不思議な状態に、フィーリアは顔を真っ青にさせる。
当の本人であるアメリアの絶望はそれ以上だった。あらゆる場所から刺された痛みに、呻く以外の行動が取れなかった。
文字通り全身にナイフを突き立てられ、どこが痛いのかすら分からなくなっている。眼球に刺さったナイフで、片目が見えなくなっている。
アメリアは膝を着き、必死に呼吸をしながら、反射的に目に刺さったナイフへ手を伸ばした。そしてナイフを掴もうとして──そこに何もないことに気づいた。
「はっ、はっ、はっ! ……見える……な、なんでっ……!」
恐る恐る目を開けると、問題なく景色が見えた。
そして改めて自分の身体を見下ろし、ナイフが一本も刺さっていなことを確認する。
混乱したアメリアに、マリンは笑って言う。
「どうしたのです? そんなに驚いた顔をして。戦いの最中に気を抜くのは感心しませんね。あっさり死んじゃいますよ?」
「お前っ……一体何を……!」
「何を、と言われましても。私は何もやっていませんが」
「とぼけるな! 私の身体に……!」
「私の身体に、なんです? 無事なように見えますが。それとも、全身にナイフで刺される夢でも見ましたか?」
その時の光景と痛みを思い出し、アメリアの顔から色が失っていく。
嘲るように嗤いながら、マリンは言った。
「もちろん、ただの幻術ですよ。貴方は幻に貫かれ、悲鳴を上げただけです」
「幻……そんな筈がない。だって……」
あの時の痛みは、確かに本物だった。
鮮明にその瞬間を思い起こし、目眩が襲ってくる。
そんなアメリアを、満足そうにマリンは見ていた。
「“目を騙す”のが幻術の基本にして奥義。ですが、それは第一段階に過ぎません。
極まった【幻術師】は、“脳を騙す”。貴方の脳を騙し、幻術を本物と認識させた。ゆえに貴方は全身をナイフで刺されたと認識し、その痛みを感じ取ったのです」
「……そんな幻術、聞いたことがない」
「【幻術師】の数が少ないのもありますが、ここまで極めた【幻術師】はそう居ませんからね。少なくとも、私は他にこれが出来る者を見たことがありません」
この時になって、アメリアは自分がマリンを侮っていたことを自覚した。
小細工しか出来ない小物だと、侮るべきではなかった。この者もまた、戦乱の時代を生きた──それも、頂点に位置する魔導師なのだ。
「所詮は幻ですからね。実際に負傷したりすることはありません。ですが、受けたダメージは本物と変わらない。それは今の貴方を見れば分かると思いますが」
ニタリとした笑みに、アメリアは何も言い返せなかった。
実際に、それは正しい。ゼェ、ゼェと荒れた呼吸に、真っ白に血の気の失せた顔。そして大量の嫌な汗がそれを証明している。
“脳を騙す”。人体に直接干渉する限りなく現実に近い幻は、所詮幻と切り捨てることは出来ない影響を残す。
「くっ……!」
アメリアはがくがくと震える膝に力を入れ、なんとか立ち上がる。だが、それが限界だった。
目だけは鋭くマリンを睨むも、強がりと見抜くには容易い。実際には動くどころか、意識を失わないだけで精一杯だ。
そして、精神的なダメージはより大きい。今のアメリアでは、魔法の行使にも影響が出るだろう。
思い通りの展開に、マリンは勝利の笑みを浮かべた。
再び、幻術で大量のナイフを作り出す。
引き攣った表情を見せるアメリアに、マリンは穏やかに続けた。
「幻術ゆえ、肉体が負傷することはない。だからといって死なないと高をくくってはいけません。幻とはいえ、許容量を超えれば貴方の体は死を認識します。なので、全力で防いだ方がいい。出来ればの話ですが」
「くっ……ぎっ、ぐっ……!!」
動けないからか、呻き声のようなものを出すだけのアメリア。
その姿から勝利を確信し、マリンは続けた。
「手こずりましたが、ここまでです。さようなら、アメリアさん。【賢者】との戦いは、柄にもなく楽しめましたよ」
「アメリアさん! 逃げて!」
マリンが手を振り下ろすと、ナイフがアメリアに向けて動き出した。
逃げ場のない状況に、フィーリアが悲鳴を上げる。
マリンも、フィーリアも。アメリアが再びナイフに貫かれると疑わなかった。
だが、そうはならなかった。
幻術のナイフがアメリアに触れようとしたその瞬間、近づいた端から、ひとりでに燃え上がった。
「……バカな。なぜ魔法が」
明らかにアメリアによってなされた結果に、マリンは呆然とした声を上げる。今のアメリアの状態で、この規模の魔法を使うなどあり得ないことだった。
しかし、アメリアがマリンを侮っていたように、マリンもまたアメリアを甘く見ていた。
アメリアは、ダメージで動けなかったのではない。
今も湧き上がる怒りに、震えていただけだった。
フィーリアやエドガーに、負けるのではと不安を抱かせてしまったことに。
姑息な罠をしかけ、勝ち誇っているマリンに。
そして、まんまとそれにはまってしまったふがいない自分に。
「──ああああああああああああああああ!!!!」
雄叫びを上げ、アメリアは全力で炎を生み出した。
ここに至って、アメリアの思考は単純化した。
もう無駄に考えるのは止める。相手に合わせようとするから、こうまで掌の上で踊らされるのだ。
合わせる、そんな必要はない。消耗も考えなくていい。
今はただ、この怒りに身を任せ──全てを燃やせばいい。
「これは……くっ!!」
アメリアの炎は、自身と二人の仲間を避け、それ以外の全てを燃やそうと広がっている。
マリンは咄嗟に距離を取りつつ、アメリアとフィーリアらに向けて幻術のナイフを飛ばす。だが、それらは遥か手前で燃え上がる。
「私の本気の幻術を、こうも簡単に……」
あっさりとかき消された己の魔法に、マリンはふらりと気が遠くなった。
“脳を騙す”まで高めた幻術は、通常の幻術とは存在度が異なる。こんなあっさりと搔き消されるような代物ではない。
ましてや今のアメリアが、このレベルの魔法を行使するなど……。
「──ふざけるなッ!!!!」
細心の注意を払い、罠にかけ。完全に優位を取ったと思ったら、たった一手で巻き返される。
【賢者】の理不尽な力に、マリンはブチ切れた。
全てを懸けても、殺したいと思うほどに。
「いいだろう! そうまでしなければならないというなら、私も命を懸けよう!」
マリンの魔力が高まっていくのを、アメリアは感じた。
それまでとは規模が異なる、幻術に費やすには過分と言えるほどの、自身に匹敵しかねない魔力量。
今までとは違う何かが来ると、アメリアは警戒した。
「【概念干渉】──【世界改編】」
マリンが呟いたその時、大地が揺れ出した。
そしてアメリアの周囲が地盤ごと浮き上がり、巨大な岩となって宙に浮かびだす。
アメリアは、揺れる瞳でそれらをじっと見ていた。気づけばアメリアの周囲は、持ち上がった岩盤で囲まれていた。
──幻術、じゃない? 本当に地面が浮かんでいる?
何度確かめても、浮かんでいる岩からは魔力を感じない。だから、幻術ではない。しかし、これはマリンが使う魔法では再現できない。
魔法の理屈からして合わない。混乱し、動かないアメリアに、マリンは険しい目をしながら言った。
「【概念干渉】──魔法を極めた者が、それを概念の域まで高めたことで至る魔導の秘奥。あなたもご存じでしょう?
そして幻術における【概念干渉】は、世界そのものへの干渉です。
“目を騙し”、“脳を騙し”、そして最後には“世界を騙す”。
世界に幻術をかけ、そう在れと望めば、世界は私の望む通りに動き出す」
一時の間、神へとなり替わる魔法。
それが、幻術の【概念干渉】。
マリンが出来れば使いたくはなかった、幻術の秘奥である。
コフッ、と。マリンは小さくせき込んだ。その口端からは血が流れている。
「“世界を騙す”ということは、簡単なことではありません。それは神の領分。禁忌の一つです。騙す対象が大きい分、反動が来る。今こうしている瞬間にも、私の命を削るほどに」
指で口を拭い、付着した血液を見て眉を潜める。これこそが、命を削っている証拠だ。
しかし、それでもマリンは口端を釣り上げた。
「しかし、貴方を殺せるのならば安い物だ!」
マリンが手を上げると、岩盤が揺れ出した。
まるで獲物に飛び掛かろうとするのを堪えているような、そんな動きにも、アメリアは固まって動かない。
自身の末路を悟ったのだろうと、マリンはあたりをつけた。
「貴方の炎なら、岩をも燃やせるでしょう。だが、幻術のように一瞬でとはいかない。表面を溶かすのが精々でしょう。そのまま虫けらのように押しつぶされて死ね!」
周囲を囲み逃げ場もなく、炎では防げない状況。
そして今のアメリアの精神状態からして、炎以外の魔法は使えない。
今度こそ勝利を確信し、マリンは岩を飛ばした。
周囲の岩が、同時にアメリアに降り注いでいく。
それらを眺めながら動かないアメリアに、マリンは勝利の笑みを浮かべる。
だが、マリンは勘違いをしていた。
アメリアは、恐怖で動けなくなった訳でも、諦めた訳でもない。
純粋に、この大魔法に見蕩れていたのだ。
(凄い……これが【概念干渉】)
知識としては知っておりながらも、まだ自分では至っていない。
魔導の秘奥を目にし、その神秘に触れ感動していた。一時とはいえ、怒りを忘れてしまうほどに。
そしてその秘奥に触れたことで、アメリアは魔法の理解をより深めた。
それを、自身で再現するにほどまでに。
巨大な岩に囲まれ、確かに逃げ場はない。しかし、隙間が無い訳ではない。
マリンへと続く道が、アメリアには見えていた。
アメリアが岩盤に押しつぶされようとする寸前、マリンは見た。
隙間から、アメリアがこちらに手を伸ばしている姿を。
その直後、二人の間でチリッと薄い火が走る。そして、ボッと一瞬だけ強く燃え上がった。
そして次の瞬間──マリンの眼前に、アメリアが現れた。
「は?」
目の前に現れたアメリアに混乱し、マリンの思考が止まる。
そんなマリンを尻目に、アメリアはそっとマリンの腹に手を当てた。
「──死ね」
ぞっとするほど冷たい声がマリンの耳に届いた瞬間。
ボウッ、と。掌から放たれた炎が、マリンの腹部を焼き尽くし、胴体に風穴を開けた。
「かっ……!?」
許容量を超えたのか、痛みすら感じないまま、マリンは力なく後ろに倒れていく。
ばたりと地面に倒れたマリンは、酷く冷静だった。
(ああ、これは助からないか。まさか私が、誰かに殺される時が来ようとは)
自分の状態を見極めながら、マリンは先ほどの事態を考えていた。
(目に止まらぬ高速移動……いや、違う。彼女に逃げるほどの隙間は無かった。物理的な移動ではない。岩をすり抜けて移動したような、そう、あれは空間跳躍だ)
だが、空間跳躍は複雑な儀式と代償を使って行使する大魔法だ。
いかに【賢者】といえど、単独で行えるようなものでは……。
(あの瞬間、確かに見た。私と彼女の間に走った炎を。そして、その直後に彼女が目の前に……)
そこまで考え、思い至る。
「まさか、空間を燃やしたのか……?」
二人の間にあった空間を燃やした結果、その間の距離が埋まった。結果、目の前に移動したように見えた。
存在しない空間という概念を燃やす。そういったことが可能な魔法を、マリンは知っている。
「概念、干渉……使えたのか……?」
「驚いた。そんなになっても喋れるんだ」
無残なマリンの姿を見て落ち着いたのか、それとも、どうせ助からないという確信ゆえか。
怒りが幾分か収まったアメリアは、冷めた目で見降ろしながら、マリンに言った。
「使えたなら、最初から使っている。あなたのを見て、私なりに真似しただけだよ」
「……バカな。見ただけで……使えるようなものでは……」
そこまでいって、マリンは諦めたように目を瞑り、空を見た。
炎の魔法の原動力になる、極限まで高められた怒り。
そして、見本となる概念干渉の魔法。
その二つが揃ったからこそ、アメリアは一足飛びでそれを習得したのだろう。
(つまり、私が彼女を引き上げてしまったということか)
「でも、礼は言わない。私達を踏みにじった謝罪代わりに、この術は貰っていくから」
それだけ言うと、アメリアは一切の興味を失ったかのように、あっさりとマリンに背を向け、二人の治療に向かった。
それに、もはや怒りも嫉妬も出てこない。
どこまでも理不尽に、襲われなくても魔導を理解する存在。
(これが【賢者】か。私程度では、到底及ばぬ)
かつて、【賢者】に相応しいと呼ばれた大魔法使いは。
本物の【賢者】を前に、敗北を認めた。
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