第147話 ここからが本番ですよ


 目が覚めたアメリアが最初に見たのは、今にもエドガーとフィーリアにトドメを刺そうとしているマリンの姿だった。


 それを見た瞬間、アメリアはカッと頭が熱くなり、感情のままに炎を放った。

 小癪にもマリンはすぐに宙を浮かび、己の炎から逃れた。


 大事な仲間から敵が離れ、一時の間が出来る。そうして次に思い出してきたのは、自分が操られている間の記憶だった。


 己の大事な物を触れられ、まんまと体と心を操られ。

 そして他ならぬ自分のせいで、二人が傷ついている。


 操られていた時はそれが当然と思っていたが、今になって後悔が押し寄せてきた。

 なんてことをしてしまったんだろう。なんでもっと、アイツに抵抗しなかったんだろう。


 二人が頑張ってくれなかったら、今頃二人は、私の手で……。


 悲しみ、怒り、罪悪感。いろんな感情がぐちゃぐちゃになっている。

 まともに二人の姿を見ることが出来ず、恐る恐ると目をやる。


「アメリアさぁぁん……!」


 だというのに、フィーリアは安心したように、笑いながらボロボロと涙を零していた。 

 それに呆気に取られつつ、アメリアは急いで炎を収めると、フィーリアに近寄った。


「フィーリア、ごめん……私のせいで……」

「いえ、いいんですっ! アメリアさんが無事に戻ってくれてよかったですっ!」


 恨み言の一つも言わず、心から喜んでくれるフィーリアに、アメリアは瞼が熱くなった。

 慌てて目元を拭い、礼を言う。


「……うん、ありがとう。傷を見せて。今治すから」

「そ、そうでした! アメリアさん、エドガー様が大変なんですっ! 私のことはいいから、エドガー様を!」


 フィーリアは急いで体を起こす。

 その下にいたエドガーを見て、アメリアは言葉を失った。


 分かっていたつもりであったが、エドガーは思った以上の重症だった。

 綺麗な毛並みは焼き焦げ、その下の皮膚があちこち焼きただれている。ヒュー、ヒューとかすれた息から察するに、肺も焼けているのだろう。


 放っておけば、そう遠くないうちに死ぬ。そう察するには容易だった。


「安心してっ。すぐに治してあげ──」


 治療に入ろうとして、アメリアは咄嗟に魔力の防御壁を張った。その直後、パンッ、と黒い【魔力弾】が衝突する。


 魔力壁の向こう側には、マリンがうっすらと笑いながらこちらを見ていた。


「邪魔をさせてもらいますよ。さすがに三人がかりとなると、私も厳しいので」

「マリンッ……!」


 ザワリッ、と。

 二人に気を取られ、引っ込んでいた憎悪がまた溢れ出る。だが、アメリアはそれを全力で抑えこんだ。


 だめだ。今、治療をしなければエドガーは死ぬ。フィーリアだって後遺症が残ってしまうかもしれない。


 そんなアメリアの心を見抜いてか、マリンは愉悦の笑みを浮かべて続けた。


「おやおや、私に構っていていいのですか? 見たところ、そっちのお二人は重症では? いかにあなたとはいえ、片手間に治療は出来ないでしょう?」


「──ッ!! お前ッ……!!」


 煽るような物言いに、アメリアは険しい目で睨み付けた。

 

 悔しいが、マリンの言う通りだ。


 マリンほどの相手と戦いながら、片手間に治療を施せるほど、エドガーの症状は軽くない。全力で集中しなければ間に合わないだろう。


 フィーリアも戦える状態ではない。当然、コイツが治療を見過ごす訳がない。

 ハッキリ言って、打つ手がない。


「何を躊躇う必要があるのです? どうせ間に合わないのですから、見捨てればよろしいのでは? ペットの代わりなどいくらでもいるでしょう?」

「────ッッ!!」


 ワナワナと体が震える。

 そのまま衝動のままに飛びかかってやりたくなった、その時。


「……アメ……リア……」


 エドガーのかすれた声が、耳に届いた。


 慌ててアメリアはエドガーを見る。エドガーは薄っすらと目を開け、アメリアを見上げていた。


「エドガー……! 待っててね、すぐに治すからっ!」

「いい……状況は……分かって……俺は……あとで……それより……あのクソ野郎を……!」


「駄目だよっ! すぐに治さないとっ!」

「だいじょ……ぶ……俺は……頑丈、だから……少しなら……保つから……信じろ……それより……アイツ……ムカつく、んだ……」


 ヒュー、ヒュー、とかすれたような呼吸で。

 エドガーは、声を絞り出した。


「だから……アメリア……あのクソ野郎、ぶちのめせ」


 うっすらとだが、力強い目で。エドガーはアメリアを真っすぐに見つめた。

 アメリアは小さく目を瞠り、フッと小さく笑うと、優しくエドガーを撫でながら言う。


「分かった。すぐに終わらせるから、待っててね」

「おぅ……なるべく、早くな……強がったけど……俺も結構……しんどいから」

「うん、分かってるよ」


 アメリアは立ち上がると、二人を背にしながら離れマリンの方へ向かう。

 そんなアメリアに、マリンはからかうような口調で言う。


「私に構っていてよろしいのですか? 放っておけばあなたの大事なペットが死んでしまいますよ?」

「エドガーはペットじゃないし、死なないよ。それよりも早く、私が貴方を殺すから」


「怖い怖い。思わず泣いてしまいそうです。しかし舐められたものですね。簡単に殺されるほど、私が弱いとお思いで? 杖は無くなりましたが、そんな物がなくても私は──」


 余裕な表情で語っていたマリンだったが、違和感を捉え言葉を止める。


(……なんだ?)


 違和感の原因は、アメリアの魔力だ。

 アメリアの力は、先ほど直に操作したことで完全に把握していたつもりだった。


 だが今、アメリアの魔力はマリンの予想を超え、膨大な量がその身の内に渦巻いている。


 そしてその魔力は、アメリアの意志に応えまた炎を生み出す。その炎はマリンとアメリアを囲むように広がり、空高くまで燃え上がった。


 それを見て、マリンは呆然と呟いた。


「なんですか、これは。先ほどまでのものとは……まったく……」


 規模も、質も、明らかに異なる。

 さすがに動揺を隠せないマリンに、アメリアはポツリと呟いた。


「私はさ、火の魔法は苦手なんだ」

「苦手? これだけのものを放ちながら、何を……」


「他の魔法に関しては、どれもすぐに覚えられたし、同じくらいの威力を出せる。だけど、火だけは駄目なんだよね。いくら練習しても、制御が効かないんだ」


 マリンを無視して、アメリアは独り言のように続ける。

 それは、何かを思い出しているようであった。

 

「本当はさ、私、魔法が嫌いなんだよね。魔法それ自体は勉強していて楽しかった気もするし、とても便利だけど……これがあったせいで私は故郷と、そしてトトと離れることになっちゃったから。そう思うと、どうしても好きになれないんだ」


 俯き、憂鬱そうな表情をするアメリア。

 そんな彼女から、マリンは目を離せなかった。


 アメリアの独白は続く。


「でも、私だって自分の立場は分かっているから、これじゃあだめだなって、何度もこの気持ちを忘れようとしたんだよ。でも、駄目なんだよね。火の魔法を使う度に、あの日の怒りが胸の内で渦巻くの」


(……魔力と精神の同調)


 アメリアの話を聞きながら、マリンはその理由を悟っていた。


 魔力は精神のエネルギーであるとされている。だからこそ、精神状態が顕著に魔法に影響を与える。


 だが時に、あまりに強すぎる魔法を放ったため、魔力の方に精神が引っ張られることもある。場合によっては精神が歪み、人格が変貌し、二度と戻らないほどに。


 だからこそ魔法使いは常に冷静であろうとする。そして魔法使いは制御の効く範囲で魔法を使うように、術式を利用する。一定の威力しか出ないように。


 アメリアは、火に関してその同調が強すぎるのだろう。術式で抑えようとも、抑えきれないほどに。


 そして火の原動力となる精神は──怒り。


 故郷と、大事な人から離されたがゆえの。

 自分を都合よく操ろうとした王都の人間に対しての。

 こんな面倒な役割を押し付けてきた、神への。


 普段のアメリアの落ち着いた姿は、それを抑えようと無意識に働いているもの。

アメリアの内では今も、燃え盛るような怒りが渦巻いている。


「だからさ、私、普段は火の魔法を使わないんだよ。制御が効かないものより、使い勝手のいい属性の方が便利だし、わざわざ火を使わないと倒せない奴なんていなかったからね。でも、貴方は駄目だね」


 今にも溢れようとする怒りを、ギリギリで押さえつけながら、アメリアは続けた。


「お前はエドガーとフィーリアを、そしてトトを。私の大事な物を踏みにじった。今だけは我慢しない。お前だけは……絶対に殺してやる!!」


 炎の熱量が更に上がり、激しく燃え盛る。

 余波で死んでもおかしくない中で、マリンは冷静だった。


(感情のままに魔法を使う。本来は魔法使いとしてタブーとされる行為だが、この場に至って、それが彼女の上限を取り払っている。魔法の威力という点のみで見るならば……)


 これまでは、本当の意味では全力ではなかった。

 怒りに委ね、思う存分に魔法を放っている今こそが。


(これが【賢者】の全力か──!)


 アメリアの怒りがそのまま形になったような炎に魅入り、マリンは思わず呟いていた。


「素晴らしい。同じ魔法使いとして、敬意を表します」

「そう。なら、そのまま焼かれて死んで」


 そのアメリアの炎を、外からエドガーとフィーリアの二人も見ていた。

 かすれた声で、へへっとエドガーは笑う。


「ケホッ……とんでも……ねぇな……これがアメリアの……本気か……」

「はい。これだけの力、精霊さんでもそう簡単には……いや、出来ない訳じゃないですよ? 本気でやればもちろんできますとも。ええ!」

「なに張り合ってんだ……お前……」


 二人が見ていると、広がっていった炎がアメリアの元に集まるようにして小さくなっていく。

 アメリアの目の前に、炎の球体が作られる。そして、アメリアはそれに手を伸ばし、冷たく言葉を放った。


「──死ね」


 炎の球体が破裂し、炎が荒れた川のような勢いでマリンを飲み込もうとする。


 それを見た瞬間、マリンは後ろに飛んでいた。


 少しでも魔法の威力を弱めようと、マリンは【魔力弾】に多量の魔力を込め、相殺を狙う。規格以上の魔力を込められたその一撃は、弾という形を変え、極太の光線となって放たれた。


「──ッッ!! 僅かの影響もなしか!!」


 だが、闇の光線はあっさりと炎に飲み込まれた。


【魔力壁】を張ろうともそのまま焼き殺される。そう判断したマリンは、宙に浮かび躱そうとする。だが、アメリアの炎は蛇のような執拗さでマリンを追い続けた。


 相殺を狙えないなら、術者を潰す。セオリーに従い、マリンは複数の【魔力弾】をアメリアに放つ。だが、アメリアに近づいた途端、その【魔力弾】は一人でに燃え上がった。


「魔力の余波だけで……!?」


 アメリアの精神に同調した魔力、魔法が。アメリアの殺意に反応し、自然と炎を作り、迎撃する。


 先ほどのように多量の魔力を込めた一撃ならば貫けるが、炎から逃げ回る今となってはその隙もない。


「ならば……亡者よ! 彼女を縛りつけろ!」


 マリンの声に反応し、彼の支配下にあった死霊が現れアメリアの元へ向かう。


 アンデッドまでに存在を昇華させていない死霊は、生者を直接殺せるほどの力は持たない。だが存在が薄い分、アンデッドよりも魔法の利きは薄い。


 死霊は僅かな抵抗ののち、魔法をすり抜けアメリアの身体に纏わりつく。


 今のアメリアには、死霊に絡まれたがゆえの倦怠感が襲っているはずだ。これで僅かなりとも魔法の行使に影響が出る──そのはずだった。


「足止めにもなりませんか……!」


 にも関わらず、アメリアの魔法に一切の減衰は見られない。それどころか、ますますその勢いを強くしているように見えた。


 魔法耐性が強いゆえに、精神体である死霊の影響が少ないのが一因であろう。

 だが、それ以上に……。


(強靭な精神力。それが死霊の干渉を妨げている。いや、それどころか、攻撃を仕掛けている死霊の方が恐れているような──!)


 纏わりついている死霊が、どことなしか震えているように見える。

 アメリアから伝わる精神力、感情を恐れているのだとしたら……一体どれほどの激情をその身に秘めているのか。


 そしてとうとう、死霊も堪え切れなくなったのか、ひとりでに燃え尽きる。

 死霊が消えたことに反応してか、アメリアの魔法はさらに勢いを付けた。


「ぐっ、くっ……! くぉおおおおおおおお!!」


 どこまでも追い続ける炎に、マリンには逃れる術はなかった。

 必死に足掻いたが、とうとう捕まり、一瞬にして全身を燃え上がらせる。


 忘れられない断末魔を叫びながら、マリンは始めからいなかったように、一片も残さず消滅した。


 それを成したアメリアは目を丸くすると、小さく舌打ちする。


「これで終わり? 冗談でしょ? この気持ちをどうすれば……ッッ!?」


 不完全燃焼がゆえのやり場のない怒りに、苛立ちが隠せない。


 どうやって収めようかと、戦闘から意識が離れ変えたその時、アメリアは魔力の高まりを感じた。


 咄嗟にそちらに首を向けた瞬間、闇の【魔力弾】が複数アメリアの身体に直撃した。


「がっ、ぐぅ……!!」

「アメリアさんっ──!?」


 悲鳴を上げるフィーリアに、アメリアは手を上げて無事を伝える。


 魔力耐性の高いアメリアにとって、魔力そのものを固めただけの【魔力弾】は致命傷には至らない。ズキズキと鈍い痛みが走るが、我慢は出来る範囲だ。


 だが、問題はそこではない。

 

 アメリアは【魔力弾】が飛んできた方向に顔を向ける。

 そこには、マリンが柔らかな笑みを浮かべて立っていた。


「駄目ですよ、そう簡単に油断しては。せめて敵をちゃんと倒したことをしっかり確認しないと」

「……ッッ!!」


 沈みかけた怒りが、容易く頂点に達する。

 だが、ギッと噛みしめて耐え、アメリアは問いただした。


「どういうこと? 確かに燃やしたはず……」

「ええ、確かに燃やしましたね。私の幻を、ですが」

「幻?」


 怪訝な表情を浮かべるアメリアに、マリンは語る。


「死霊の支配。死者の復活。闇の【魔法弾】。それらを使うことから、あなたは私を闇の系統を得意とする【魔法使い】と思っていませんか?

 ですが、これらは【死者の鏡】と杖を長年使用し続けた結果、後天的に適性が芽生えた後付けの才能に過ぎません。私が本来得た才能は別にある、ということです。

 有象無象ならそれで充分ですが、貴方が相手では私も全力でやらねば」


 パチンッ、とマリンは指を弾いた。

 すると、アメリアを囲むように、全く同じ姿のマリンが次々と現れる。


 アメリアは目を瞠ると、グルリと首を回し周囲を確認する。

 そんなアメリアに、全てのマリンが同時に声を出した。


『私が神から与えられた【天職】は、【幻術師】。幻を操ることに長けた魔法使いの【天職】です。さぁ、ここからが本番ですよ』











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