第132話 心当たりはないんだが……
翌朝である。
再び神殿に向かう六人の空気は、最悪だった。
「うっ、うぅぅ……」
フィーリアは胃に穴が開くような思いだった。
もちろん、昨日あんなことがあったのだから、ぎこちない雰囲気になるのは分かっていた。しかし、昨日よりも遥かにギスギスした空気になっているのはどういうことだろうか? まったく予想外である。
「ど、どうしたんですか二人とも? なんだか顔つきが厳しいですよ?」
「……別にいつも通りですよ。気のせいじゃないですか?」
「ああ、その通り。気にすることはない。ただちょっと虫の居所が悪いだけだ」
あえて能天気な笑みを浮かべ、フィーリアは後ろを歩く二人をからかうように声をかける。
しかし、ネコタもラッシュも、ムスッとした顔で答えるだけだった。
ネコタは持ち前の正義感と良識から未だにエドガーの暴挙が許せずに。そしてラッシュは、昨夜の善意を訳の分からない言い分で踏みにじられたから。
まぁ、残当である。
うぅぅぅ、と。小さく呻き声を上げ、どんよりと気持ちが落ち込むフィーリア。
さすがの彼女も、これは何かがあったに違いないと察したのだろう。たまらず、前を歩くエドガーにヒソヒソと尋ねた。
「何があったんですか、エドガー様っ。ネコタさんはともかく、ラッシュさんまであんな不機嫌に……また何かやったんですか?」
「──? さぁ? なんだろうな? 心当たりはないんだが……」
いけしゃあしゃあとウサギさんはのたまわった。
これが演技ではなく、本気なのだから性質が悪い。
その言葉を聞き拾った後ろの二人から殺気が漏れる。巻き添えを食らったフィーリアは、あぅ〜、と涙を流していた。しかし、肝心のエドガーは知らんぷりだ。
エドガーにとって、後ろの二人はどうでもいい。
彼にとって大事なのは、ただ一つ。
チラリ、と遠慮がちに、横を歩くアメリアに目を向ける。アメリアはその視線に気づくと、無言でフイッと目を逸らした。
その冷めた対応にガンッ、と岩にぶつかったようなショックを受け、エドガーはぐじゅっと鼻をすすった。
泣いてないっ、泣いてないもんっ! 男たるもの、そう簡単に涙は見せちゃ……あっ、やっぱ無理!
えぐえぐっと泣き出したエドガーにより、一層空気が重くなる。プレッシャーのあまりフィーリアまで涙目になった。どうにかならないかと、側に居たジーナに助けを求める。
「ジーナさんっ、ジーナさんっ! どうにか出来ませんか! 私、もう耐えきれません!」
「たぶん無理だろ。仕方ねえけど我慢しろよ」
「そんな適当なっ! 少しくらい考えてくださいよ!」
涙声で訴えるも、ジーナはどこか考え込んでいるような様子で雑に返してくる。そもそもどうにかしようとする気がないのは目に見えていた。
分かってはいたが、やはりあてにならない。頼りにならない仲間を見て、フィーリアは自分がなんとかしなければという使命感に目覚めた。その想いが報われるかはともかく、思わぬことで成長を見せたフィーリアだった。
♦ ♦
「よくぞ参られました。お待ちしておりましたよ」
結局、険悪な空気は晴れぬまま、六人は再び【死者の鏡】の間へと辿り着いた。
出迎えてくれたマリンに、アメリアが真っ先に声をかける。
「おはようございます、大神官様。あの、それで、鏡は……」
「ええ、分かっています。どうぞこちらへ」
マリンに促され、六人は【死者の鏡】の前に立つ。
鏡は、見た目は昨日と同じだった。割ってしまった時に減じた妖しげな雰囲気も、元に戻っているように感じられる。
鏡に見入っている六人に、マリンは自慢げな声で言う。
「一晩使い、なんとか鏡自体の修復は終わりました。いやあ、苦労しましたよ。久方ぶりの大仕事でした」
「あんな風に壊れたのに、たった一晩で? 凄いですね。本当に問題なく使えるんですか?」
「ええ、もちろんです。ただ、鏡自体は元どおりになりましたが……」
感心するネコタに、難しそうな顔をするマリン。
その表情から察しながらも、アメリアは希望に縋り一歩前に出る。
「……トト?」
不安そうな声で呼びかけるも、鏡に映った景色は、闇に波紋を浮かべるだけで、何者の姿も現れない。
やはりかと、マリンは残念そうにため息を吐いた。
「鏡の修復はしましたが、無理に鏡と霊魂との接続を切ってしまったせいでしょう。おそらく、トトさんは魂が散らばった状態で冥府を彷徨っている状態なのだと思います。それこそ、鏡の力をもってしても導けないほどに」
「そんなっ! なんとかならないんですか?」
「こればかりは、私といえど何とか出来るというものではなく。魂が回復して、また鏡で導けるようになるのを、時間が解決するのを待つしか……」
申し訳なさそうに目を伏せるマリンを見て、アメリアは本当に手段がないのだと悟った。
時間を待つことでしか、トトとの再会は叶わないのだろう。その間、トトはずっと彷徨っていることになる。
じっと、縋りつくように鏡をのぞきながら、アメリアは思う。
この鏡に映るような、真っ暗な闇の中を、たった一人で?
そう思った瞬間、目元が熱くなった。
キッと、アメリアは涙目で足元のエドガーを睨み付けた。
ウサギさんはダラダラと嫌な汗をかきながら背中を向けていた。さすがにこれで言い訳出来るほど、彼は肝の据わった男ではなかった。無実、とは思っているが。
苦々しく眉間を揉みながら、ラッシュは気の進まなそうな声で言った。
「……アメリア。それなら早いうちにこの街を発とう。俺達も余裕がある訳じゃないんだからな」
「ちょっと、それはあんまりじゃないですか!? それじゃあアメリアさんが可哀そうじゃないですか!」
「アメリアの心中は察するが、いつまでかかるか分からんのだから、そうするしかないだろう。俺達にはやるべきことがあるんだぞ」
「それは分かってますよ! でも──」
「……ありがとう、ネコタ。でも、いいよ。ラッシュの言う通りだよ。もともとは私の我儘だったんだから。全部が終わったら、またくればいいんだよ」
アメリアはそう言うが、それが無理しての発言だということは、感情を押し殺したような無表情と力のない声から分かる。
本当だったら素直に喜んでいるか、そうでなくとも、違った形で悲しみを受け止めることが出来ていたはずなのに。
そうすれば、たとえ辛くとも、アメリアは前を向いて歩けていたはずなのに。
──それというのも、全部ッ!
そう思うと、ネコタはエドガーを睨まずにはいられなかった。
だが、その思いはネコタだけではない。意図した訳ではないが、仲間のそれぞれが感情の違い、大小はあれ、エドガーをじっと見つめていた。
背中に圧迫した視線を感じながらも、ウサギさんは滝のような汗を流すばかりで、決してそちらに振り向こうとはしなかった。
向いてしまえば最後、家出してしまう自信がある。人生最大の修羅場であるとエドガーは感じていた。
「──なぁ、ちょっといいか?」
緊迫した空気の中、唯一エドガーに視線を向けていなかったジーナが唐突に口を開いた。
彼女は皆の視線が自分に移る中、気軽に続けた。
「だったらよ、次はあたしがその鏡を試してもいいか?」
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