第133話 お前に故人を偲ぶって心があったの?


 意外な人物の思ってもみなかった発言に、誰もが呆気に取られていた。

 そんな空気を察したのか、ジーナは不思議そうに言う。


「なんだよ。なんか変なこと言ったか?」

「いや、変なことっていうか……」


 ラッシュは未だに理解できてないかのように口ごもった。

 よっぽど驚いたのか、居たたまれなさも忘れエドガーが口を開く。


「お前が鏡を使う? え、嘘だろ? 何のために?」

「何ってそりゃあ……会いたい奴が居るからに決まってるだろ。わりぃかよ?」


「お前に故人を偲ぶって心があったの?」

「どういう意味だそりゃあ!!」


 怒鳴りつけるジーナだったが、すぐにうっ、と呻いた。


 エドガーほどではないにしろ、やはり誰もが似たようなことを考えていたらしい。目を丸くして、ジーナを見つめていた。


 不満そうにしながらも、ジーナは目を背けながら続ける。


「べ、別にいいだろうがよ。あたしだって会いたい奴の一人や二人居るっての。それとも何か? アメリアは良くてあたしは駄目だってのか! ああん!?」


「いいえ。そんなことはありませんよ」


 怒るジーナに、マリンは柔和に微笑んだ。


「鏡を使う権利は、誰にも平等にあります。もちろん貴方にも。どうぞご遠慮なくお使いください。それであなたの気がかりが晴れるのであれば、これ以上のことはありません」


「おう。そんじゃまぁ、使わせてもらうわ。──文句ねえよな!?」


「いや、別に文句がある訳じゃねえよ。それくらいなら待つから、存分に話してこい」


 ラッシュの返答に舌打ちし、ジーナはズンズンと鏡の前に歩いていった。


 その後姿を見ながら、仲間達は好き勝手に喋り始めた。


「意外だ……アイツにもまだ人の心があったとは」

「またそういうことを言う。あなた一切反省してないでしょ? 少なくともあなたよりよっぽど優しいですよジーナさんは。別におかしなことじゃないでしょ」


「しかしエドガーじゃないが、これは俺もびっくりだぞ。死んだらそれまで、と割り切る弱肉強食の世界で生きる女かと思ってた」


「そうですね。悲しむことはあっても、引きずったりしない人だと私も思ってました」

「死んでからもジーナが会いたがる人か。一体どういう人なんだろうね」


 皆の興味が集まる中、ジーナは鏡の前に立つ。


 じっと鏡を睨みながら、声をかけた。


「──ジジイ、聞こえるか? 聞こえたのならとっとと出てこい」


「おい、誰だアイツが優しいとか言ったの。やっぱり悲しむとかそんな殊勝な女じゃねぇぞ」


「い、いや、きっと仲が良いからこそですよ。そうやって気安く話せる相手だったんですって」


 実は恨みを持った相手なのでは、という疑惑が浮かぶ中、鏡が揺れる。


 そこに浮かび上がってきたのは、一人の老人だった。

 小柄で、白髪。顎から長いひげをへそまで垂らしており、ジーナと似たような白い拳法着を着ている。


 その老人は眠そうに目を開けると、ジーナを見てパチパチと瞬かせた。


「お主は……」

「久しぶりだな、ジジイ。元気にしてたかよ」


 ヘッ、と面白がるような笑みを浮かべるジーナに、鏡の老人は嬉しそうに頷く。


「おおっ、おおっ、久しぶりじゃなぁ……マリーちゃん」

「ジーナだ糞ジジイ。とうとうボケたか?」


 額にピキリと筋を作り、バッサリとジーナは切って捨てた。


 すげない返答に、老人は悲しそうに眉を落とす。


「つれないのぅ、リュシカちゃん。昔はもう少し優しかったのにのぉ……」

「ジーナだ。それ麓の村に在った酒場の看板娘だろ」


「懐かしいの、バニラ。お互い、歳を取ったが、今でもあの日々は色あせなく思い出せる。あの時の儂らは、誰よりも愛し合っておった」

「ジーナだ。そりゃテメェが若い頃あっさり振られた女だろうが。気色悪いこと吐かすな!」


「ほっほっほ、ありがとうのぅルルちゃん。お前さんに会うことだけが今の儂の生きがいじゃよ」

「ジーナだっつってんだろうが! そりゃわざわざ山まで来てくれた行商人だろうが! いい加減にしろ! 鏡ごとブチ割ってやろうか! ああんっ!?」


「じ、ジーナさん。落ち着いてくださいっ。さすがに二度も鏡を割るのは……!」


 本当にやりかねないジーナに、マリンは縋るように止めに入る。


 そんな二人を見ながら、ネコタ引き攣った表情で言った。


「あ、あれがジーナさんの会いたかった人かぁ。ええっと、お、面白いお爺さんですね」


「どこがだ。ただの色ボケジジイだろ。ジーナはよく我慢しているほうだと思うぜ。俺だったらとっくに鏡ごと蹴りを叩きこんでるわ」


「お前、マジでやめろよ。今度やったらしばくじゃ済まないからな」


「分かってるっつの。ジーナが我慢してるのに俺がやる訳ねえだろ」


 眺めながら好き勝手話している間に、ジーナは落ち着いてきたようだ。


 ふーっ、と長い息を吐き、眉間を揉みながら訊ねた。


「ジジィ、マジでボケたんじゃねえだろうな? あたしのことが分かんねえのか?」


「その貧相な胸を忘れるわけないじゃろ、バカ弟子。あれから大分経つというのに、相変わらず色気のない女じゃの。その調子じゃ恋の一つも出来ていまい? まったく、哀れな……」


「余計なお世話だ糞ジジイ! マジでぶっ殺してやろうかテメェ!?」


「いえ、あの、ジーナさん。その方は既にお亡くなりになっておられますので……」


 再び怒りを燃やすジーナを、マリンが宥める。本当に割られるかと、内心、気が気じゃない。


 怒り疲れたのか、ジーナはがっくりと肩を落とし、力なく呟いた。


「本っ当に昔と変わらねえな。色ボケてるところも、下らねぇ冗談を続けることも」


「偉大なる師との久々の再会で、緊張する弟子を和ませようとした儂なりの心遣いじゃ。なぜそれが分からん?」


「どこが偉大で、何が気遣いだってんだよ。腹が立っただけだっつの」


「ふん、相変わらず心に余裕のない女じゃな。昔と何も変わらん」


 髭を撫でる老人を、ブスッとした顔で睨むジーナ。


 じゃが……と、老人は続けた。


「色気はともかく、昔より背は伸びたか? 肉体も、旅立ったあの頃より鍛えられておるの。そしてなにより気配が違う。修羅場を潜ったか?」


「まっ、あれから大分経ったし、いろいろあったからな。そりゃ少しは変わってんだろうよ」


「ふむ、そうか、そうか。

訓練も欠かさず、死地を潜り抜けてきたと。どうやら女としてはともかく、武人としては成長しておるようじゃな」


「……へっ。当たり前だろそんなもん。べつに褒められたって嬉しくねえよ」


「かぁ~! 相変わらずひねくれた弟子じゃの。珍しく褒めておるんじゃから、素直に喜ばんかい!」


 しかめっ面になる老人を見ながら、ジーナは愉快そうに笑う。


 その後も、二人はお互い憎まれ口を叩きながらも、楽しそうに会話続けている。


 そんな二人を暖かい目で見守りながら、ネコタは口を開いた。


「あの人、ジーナさんの師匠だったんですね。旅の途中でもちょくちょく聞いたことがあったけど、そっか。亡くなっていたんですね……」


「糞だの色ボケだの、師匠に対する言葉遣いとは思えないけどな」


「まぁ、確かにそうだが、お互い憎まれ口を叩きあうくらい仲が良かったってことだろ。あれはあれで信頼関係の一つだ」


「はい。口は悪いですが、嫌いで言っている訳じゃないのは分かります。むしろ、凄く仲が良いみたいですっ」


「うん。お爺ちゃんと孫って感じがする」


いつものはしゃぎ方とは違うジーナの姿からは、確かに絆のようなものを感じる。


 お互い敬意を持っているようには見えないが、あれが二人のやり取りなのだろうとネコタは思った。どことなく、羨ましくなる関係だ。


 微笑ましく皆が見守っている間も、ジーナと師匠は軽口を叩きあい、会話を楽しんでいた。


 ジーナの近況を聞き、師匠はうむうむと、感慨深そうにその都度頷く。


「まさかお主が【勇者】の仲間になるとはの。やはり人生は分からんものじゃな。あの荒くれ者が人の役に立つ日が来ようとは……」


「あたし自身、そうなるとは思ってなかったけどな。まっ、必死になって頼まれちゃあ、あたしのなけなしの良心も嫌とは言えなかったってところだ。たまには人の役に立とうと思ったわけよ」


 ──嘘つけ。お前、金目当てだったろうが。


 シラけた仲間の視線に気づかず、へへっ、と照れくさそうにジーナは鼻をこする。


 が、弟子の本性を、師匠はお見通しだったらしい。


「お前がそんな殊勝な女か。どうせ金か酒で釣られたんじゃろ?」


「うっ、嘘じゃねえよ! 本当にあたしは国から頭を下げられてだなぁ……!」


「お主、やっぱり中身はそう変わっとらんの。大して知恵も回らんくせに、すぐにばれる嘘を吐いて誤魔化そうとする癖を直せとあれだけ言ったじゃろうが。聞いているこっちが情けなくなる」


「だ、だから嘘じゃねえって! その、金をもらう約束はしてるけどよ、少しくらいは世界の役に立とうと思ったりも……」


 気まずそうにジーナは目を背ける。


 それを見て、師匠はふっと笑った。


「じゃがまぁ、褒められたくて儂の前で見栄を張ろうとする所も、変わっておらぬようで安心した。まだ可愛い所も残っていたようじゃの」


「はぁ!? 違ぇし! 気色悪いこと言ってんじゃねえよ! ジジイに褒められて誰が喜ぶかよ!」


「くははは! 照れるな、照れるな。お主のことは知り尽くしておる」


 ぬぐぐっ、と顔を真っ赤にするジーナと、おかしそうに笑っている師匠。


さすがのジーナといえど、実の師匠には勝てないのだろう。手玉に取られているジーナを見て、五人は新鮮な物を見ている気分だった。


 師匠は笑いを止めると、優しい眼差しでジーナを見る。


「じゃが、安心したぞ。あの時の判断に間違いはないと思っておるが、喧嘩別れのようになってしまったからの。心配しておったというのが正直なところじゃ。武人としては立派に育っているようで何より。本当に、強くなったの」


「ジジィ……」


 思っても見なかった言葉に、ジーナは目を丸くし、ふっと力なく笑う。


「あの時は本気で憎いとも思ったけどな。だが、何年か経って、ジジイの言うことも分ってきた。あたしのためを思って、むりやりあの山から追い出したってこともな。だから、まぁ、今となっては感謝してるよ」


「驚いたの……どうやら儂の目も曇っていたらしい。心の方も成長しておったか」


「当たり前だろうが。あれから何年経ってると思ってんだよ。あたしだって少しは大人になってるっての」


「世間の大人と比べれば、まだまだろくでもない悪たれじゃがな」


「言ってろ、クソジジイ。テメェの弟子なんだから、おかしなことじゃねえだろ」


 お互い、また憎まれ口を叩いて笑いあう。


 師匠はまた何度か頷き、言葉を続けようとしたが、その時、鏡に波紋が揺れた。


「……どうやら、時間のようじゃの。あまり長居は出来ないらしい」


「そうかよ。ケチくせぇ鏡だな。久々の再会だってのによ」


「十分すぎるくらいじゃろ。本来ならもう二度と会えないところだったんじゃ。この奇跡に感謝すれど、文句を言うなぞ罰が当たる」


「……まっ、そりゃそうか」


 仕方なさそうに頷くジーナに、師匠は穏やかな笑みを浮かべる。


「技の方はどうじゃ?【形成】は出来るようになったか?」


「まぁ、昔よりはな。ジジイと比べると時間がかかりすぎて、実戦じゃろくに使えねぇけどな」


「そりゃ当たり前じゃろ。儂が何年、技を磨いたと思っておるんじゃ。出来るようになっただけ大したもんじゃ。めげずにその調子でやれ」


「うっせーな。分かってるよ。別に落ち込んでねぇわ」


「技だけでなく、肉体の鍛錬も忘れるなよ? いくら技を磨こうと、肉体が伴わなければ意味がない。【格闘家】の本質にして最強の武器は強靭な肉体。そして──」


「──強靭な肉体にこそ、何事にも揺るがぬ精神が宿る、だろ? 耳にタコが出来るほど聞いたっての。安心しろ、鍛錬はいつだって欠かしてねぇよ」


「うむ、それなら良い。それから、仲間は大事にするようにな。お主を見捨てず共に旅をしてくれるなど、めったに現れん。その仲間だけは裏切ることのないようにな」


「あぁ。それも分ってるよ。多少なマシな奴らだからな。まっ、精々上手くやるさ」


 別れが近付いているからか。二人の間に、どこか寂しい空気が流れている。


 それを察してか、後ろで見守っていた五人もしんみりとした気持ちになっていた。フィーリアに至っては、ぐすっ、と涙ぐんでいる。


 言いたいことは伝えたのか、満足そうに師匠は頷く。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「最後に、お主とこうして話せてよかった。楽しかったぞ」


「……ああ、あたしも楽しかったぜ」


 寂し気な笑みを浮かべたあと、ジーナは目を瞑る。


 そのまま、余韻に浸っているかのように続けた。


「本当に、懐かしい気分だった。

 表情も、仕草も、口調も、雰囲気も。まんま当時のクソジジイと同じだった。

 もう大分経つから忘れかけていたが、話しているうちに思い出したよ。ああ、こんなジジイだったってな。

 自覚はなかったが、あたしもそれなりに寂しいって気持ちを持っていたようだ。

 ありがとうよ。意外と楽しめたぜ」


「……ジーナ?」


 なにやら言っていることに違和感を感じ、エドガーは思わず声を出した。


 そして、それはエドガーだけではない。


 他の仲間も、マリンも、鏡の師匠も。訝る視線をジーナに向ける。


 そんな目が集まる中、

 

「──で、テメェは誰だ?」


 ジーナは穏やかな空気から一転、鋭い闘気を持って、師匠を睨み付けた。



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