第130話 大っ嫌いっ!!!!
「トト、私のことが分かるの?」
アメリアと、幼馴染のトト。鏡越しの時を超えた再会に、アメリアは喜びつつも驚いていた。
トトの姿は、アメリアの記憶にある姿と変わらない。柔らかそうな茶色い髪も、大人っぽい雰囲気も、優しげな顔つきも。ずっと忘れまいとしていた姿と一緒だ。そのことを思うだけで、また瞳に熱いものが溢れてくる。
だけど、自分は違う。大きくなって、昔とまるで違う姿になっている。バカみたいにはしゃいで明るかった自分はもう居なくて、暗くて性格の悪い、嫌な女になっている。自分が誰なのか、分からなくても仕方がないと思っていたのに……。
──なのに、トトは一目で、アメリアだと分かってくれた。
鏡に映ったトトは少しだけ目を丸くしながらも、笑った。
『うん、分かるよ。最初は誰かと思ったけど、すぐに分かった。君が大人になったアメリアだって。なんでかは、上手く言えないけど……』
照れ臭そうに目をそらし、頬をかく。
『その、綺麗になったね。びっくりしたよ。僕が知っている君は凄く可愛い子だったけど……今の君は、誰よりも綺麗な女性だと思う』
「……うん、ありがとう!」
アメリアは弾んだ声で、満面の笑みを浮かべた。
いつものアメリアからは想像出来ない姿に、ネコタ達は微笑ましそうな目をする。
「よっぽど嬉しいんでしょうね。あんなアメリアさん、初めて見ました」
「はいっ。アメリアさん、とっても可愛いですっ。今のアメリアを見ていると、私も嬉しくなっちゃいます」
「ずっと大事にしてた少年と会えたんだ、そりゃ嬉しくもなるさ。しかしあの少年、なかなかやるな。照れながらもしっかりと褒めるとは、女の口説き方ってのを分かってやがる」
「へっ、あたしにはマセガキにしか見えねぇがな。しかしまぁ、なんだ。あの歳のガキにしては、気の利いたこと言えてんじゃねえの?」
「──誰だお前?」
トトは概ね好評なようだったが、エドガーだけはなんとも言い難い表情だった。気持ち悪さに身悶えしているような、そんな顔だった。
『それにしても、一体何が起こっているの? なんでアメリアが大人に? それに、ここはどこ?
なんだか暗いし、そっちに出れないんだけど……いや、それよりも僕は確か……』
恥ずかしげに笑っていたトトだったが、現状の不可解さに気づき、疑問に思ったようだ。一つずつ確かめるように周りを観察していたが、何か思いついたのか、ゆっくりと顔が青くなっていく。
アメリアはそんなトトを見て悲しげに目を伏せ、落ち着かせるように言う。
「あのね、トト。今、私は【死と安らぎの神ハーディア】様の神殿に居て、【死者の鏡】っていう神宝を使わせて貰ったの。それで、トトに会いたくて、トトを呼んだの」
『死者の、鏡』
トトは呆然と同じ言葉を繰り返し、やがて、力なく笑った。
『そっか。そういうことなんだね。どうりで……』
賢い子だ、と誰もが思った。
おそらく、【死者の鏡】については何も知らないのだろう。だが、その名前だけで全てを悟ったらしい。年齢に似合わぬ理解力だ。
さすが、アメリアが頭がいいと評していただけのことはある。だが、その賢さが今は悲しかった。
『そもそも、僕がこうして話せること自体がおかしいんだ。だって、僕がどうなったかなんて、僕がよく分かってるんだから。でも、そういうことなら、全部納得がいくよ』
「……うん。やっぱり、トトは頭がいいねっ」
悔しげな、それでいて、諦めたような。そんなトトの笑みを見て、ボロボロとアメリアは涙を零した。
「あんな子供が、あんな表情をするなんて」
「一体何があれば、あんな顔が出来るんでしょう」
「チッ、ガキらしくねえな。素直に泣いてもいいのによ」
「なんにせよ、やるせねえな。こうなると分かってはいたものの」
「──どのツラ下げて言ってんだお前……」
五人がそれぞれ呟き、痛ましそうな顔をする。なお若干一名、発言は似ているが、意味も表情もまるで違っていた。
「トト、私ね。今、こうしてトトに会えて、凄く嬉しいの。もう、二度と会えないかもって思っていたから。どんな形でも、こうやって会えて、話が出来て、凄く嬉しい。でも、それと一緒くらい、凄く悲しい」
そう、そうなのだ。
再会を喜んでいるのは間違いない。だが同時に、それはあることを意味する。
トトにはもう会える可能性はないとは思いつつも、アメリアは希望を捨てきれなかった。それは、トトの死体が確認されず、行方不明だったから。
僅かな希望を、アメリアは密かに信じ続けてきた。
だが、こうして会えたということは。
「トトは、やっぱり死んじゃってたんだね……!」
言葉にしたら、止まらなかった。
涙が溢れ、手のひらから溢れる。感情が抑えきれず、引きつけのような声が漏れる。
痛ましいアメリアの姿に、誰も声をかけることが出来なかった。側に居るトトでさえ、心配そうに見ているしかなかった。
アメリアは涙を拭うと、真っ直ぐにトトに顔を向ける。
「ねぇ、トト。どうして急に村から居なくなったの? トトはどうして死んじゃったの?」
『……それは、聞かないでいた方がいいと思う。またアメリアが傷つくから』
「ううん、知りたいの。お願い、教えて」
じっと見つめるアメリアに、トトはため息を一つ入れ、話し始めた。
『アメリアが王都に行っちゃって、僕はずっと後悔していた。なんでアメリアに謝らずに、アメリアを行かせちゃったんだろうって。本当に傷ついていたのはアメリアだったのに、無理を言って困らせて、泣かせて……その挙句、姿も見せずにそのまま行かせて。最低なことをしちゃったって、ずっと自分を責めてた』
「──ッ! そんなの、私だって一緒だよ……! 私だって、何も分かってなくて、トトに甘えて、傷つけて……ずっと、ずっと謝りたかったんだよ!」
トトもずっと、同じ気持ちだった。
いつまでも自分を責めていたアメリアは、そうと知ってまた涙を零した。
己を責める二人の姿に、ネコタは悲しげな表情で呟いた。
「本当に、二人とも通じ合っていたんですね」
「うっ、ううっ……! 悲しいですっ……どうして二人が別れなければならなかったんでしょう……!」
「そうせざるを得なかったとはいえ、大人としては情けないにもほどがあるな。あんな子供に、あんな悲しみを与えちまったんだから」
「あたしだったら、女神に怒り狂っていただろうな。二人とも、大人すぎるぜ」
「ぐぉ……! カハッ、コッ、ギッ……ガァ……!」
誰もが二人を同情するように見ている。そんな中で、エドガーは何故か息が出来なくなったように、何度も胸をかきむしっていた。何か溢れ出ようとする物を押さえつけているような、そんな必死の形相だった。
『アメリアのことが忘れられなくて、毎日毎日、一人でずっと後悔していた。覚えてる? ほら、ブー様の祭壇。よく二人で掃除したよね』
「うん。もちろん覚えてるよ。トトも文句を言いながら、なんだかんだで真面目に掃除してたよね」
『アメリアが居なければ、僕もあんなの掃除しなかったけどね』
そう言いながら笑うトトに、アメリアも笑った。
振り返れば、今でも鮮明に思いだせる。子供達の仕事なのに、真面目にやっていたのは自分達二人だけだった。あの場所は誰にも見られない、二人だけの場所だった。まるで、世界に二人しか居なくなったような……。
当時を思い出し、アメリアは懐かしくも暖かい気持ちになっていく。
おのれブゥウウウウウウウ……ッ! などという背中からの怨嗟の声は、耳に入ってこなかった。
『あの場所は、一人になるにはちょうどいい場所だったから、僕は毎日あそこでアメリアのことを考えていたんだ。
もっとちゃんと話せば良かった。最後に笑って送り出してあげれば良かった。
毎日毎日、ずっと。僕が後悔で苦しんでいたことを、村の皆も分かっていたんだろうね。
大人はもちろん、村の子供だって、皆が僕を放っておいてくれた。だから僕も、一人になることが出来たんだけど……それがいけなかったんだろうね』
フッと。トトの瞳から、色が失われたような気がした。
『アメリアが王都に行って、何月か経った頃だったかな。いつも通り、僕はブー様の祭壇に一人で居た。そしてアメリアのことを考えていたら、急に頭に衝撃が走って、そのまま気絶したんだ』
「そんなっ! なんで……む、村の誰かにやられたの!? それとも、獣に!?」
怒りを見せるアメリアに、トトは力なく首を振った。
『どっちも違うよ。結局、村の人は最後まで気づかなかったけど、あの時、村の近くには人攫いが居たんだ』
「人攫いって……」
さぁっ、と。アメリアの顔が青ざめる。
トトは淡々と続けた。
『どうやら元々は遠い場所で活動していたみたいでね。あんまり派手にやりすぎて国に目をつけられかけていたから、拠点を放棄して、他の場所を探していたみたい。それで、たまたまあの村の近くを通りかかって、偵察をした時にブー様の所で一人居た僕を捕まえたんだよ』
「そんな……そんなことが……ッ!」
アメリアは立っていられなくなり、その場に座り込んだ。
その話を聞いていたネコタ達も、苦い表情をしている。トトは軽く話しているが、人攫いにあったというのなら、その末路は悲惨だろう。
やはり言うべきではなかったか。そう後悔しているような顔で、トトはショックを受けているアメリアを見ていた。
衝撃のあまり喋ることしか出来なかったアメリアだったが、ハッと何かに気づき、顔を上げる。
「人攫いが居たっていうなら、どうして村は狙われなかったの? なんでトトだけが」
『そうだね。それは運が良かったと言うべきかな? 下手をすれば、村の目ぼしい子供全員が拐われていたかもしれなかったし』
「良くなんかないよっ! トトだけが拐われるなんて、そんな……!」
突然声を張り上げるアメリアに驚き、しかし、悲しんでくれていると分かって、トトは嬉しそうに微笑む。そして、静かに首を振った。
『やっぱり運が良かったんだよ。そもそも、人攫いが派手にやり過ぎていたから、活動を自粛していたこと。まだ拠点が無かったから、攫うにもその余裕がなかったこと。そしてなにより、そこがアメリアの育った村だってこと』
「私? なんで私の村だからって……」
『正確には【賢者】が育った村だったから、だね。どうやら僕を捕まえた後、人攫い達はすぐに村を品定めしに行ったらしいんだ。
村はその当時、アメリアが【賢者】になったということで浮かれていた。だから、会話を盗み聞きしていた人攫い達もすぐにその事実に気づいて、そのマズさに気づいたんだよ。
【賢者】の故郷で何か事件があれば、確実に国が解決に乗り出す。せっかく逃げてきたのに、すぐに捕まってしまうってね』
それではなんの為に拠点を放棄してきたのかわからない。
だから、人攫いはすぐに村から逃げ出すことにした。
『本当は僕も連れて行きたくなかったみたいだけど、僕にはもう手を出して気絶させている。
そんな子供を返したら、気絶させた敵が居るってことがバレる。だから、僕だけは攫って行ったんだ。着ていた服を破いて、それに血をつけて、まるで獣に襲われて、そのまま巣に持ち去られた風を装って』
「……なんで誰も気づかなかったの! すぐに追いかけていれば……トトは……!」
偽装を見破れ、など、ただの村人に求めるのは酷であるとアメリアも分かっている。
しかし、それでもそう思わずには居られなかった。
『それからは、特に話すこともないかな。僕が拐われてから、僕は死ぬまで人攫い達の玩具にされたってだけで。今話したのは、その道中に楽しそうに奴らが話してくれたことさ。何も知らない子供が怯えさせて喜んでいたんだろうね』
フッ、と。自虐するような笑みを浮かべる。
それは、子供がするような表情ではなかった。
『あいつらは逃げていたせいで、女もまともに抱けなかったみたいでね。男でも、まだ可愛らしい顔つきをしているならって、愉しそうに笑っていた。
毎日毎日、次から次へと僕にのしかかって……それから随分経ってから、僕は誰かに助けられることなく、力尽きて死んだんだ』
「あっ……ああああぁぁぁぁぁ……ッ!」
その壮絶な内容にアメリアは堪えきれず、ガクリと項垂れ、涙を流す。
人攫いにあったというのなら、その最後もうっすらと予想はしていた。
しかし、トトが思った仕打ちは、思った以上に残酷だった。
自分が王都で厳しくも裕福な生活をしていた時、トトは、地獄のような苦しみを受けていた。
そう思うと、アメリアは自分を責めずには居られなかった。
「そんな……子供で、男の子なのに……」
「酷い……酷すぎますっ……それが同族の仲間にやることなのですか?」
「それが人間だ。特に、野盗や人攫いなんて連中は、子供だろうが自分達のおもちゃでしかねぇ。予想はしていたが、とんだクソ外道だったようだな」
「チッ、胸糞悪りぃ」
ネコタとフィーリアは顔面を蒼白にし、ラッシュとジーナでさえ不快そうな表情を隠そうともしない。まだあどけない少年が受けた苦しみは、無関係な他人の同情を引き寄せるのには十分すぎた。もし人攫いの居場所が分かっているなら、今すぐにでも滅ぼしてやりたいと思うほどに。
「ッ! コッ……ギッ……! だ、誰が……! 誰がネコやねん……! 俺はウサギやぞぉ……!」
一際強い怒りを見せたのは、エドガーだった。
血管がぶち切れそうなほど顔を真っ赤にし、プルプルと震えている。彼の正義がよっぽど許せなかったに違いない。
ペタンと座り込み、すすり泣くアメリアを見て、トトは気まずそうな声を出した。
『ごめん。余計なことを言ったちゃったね。アメリアを悲しませないようにするつもりだったのに、思い出したら我慢できなくなったみたいだ』
「違う……違うよ! 本当に苦しいのはトトで……わっ、私が知りたいなんて言ったせいで……思い出したくもないことを……ごめんっ……ごめんなさいっ……!」
『ううん、いいんだ。アメリア、泣かないで。僕はもう大丈夫だから』
「なっ、なんで……! 大丈夫だなんて……そんな訳っ……!」
ボロボロと涙が次から次へと溢れて、アメリアはまともに話せなかった。
顔をグシャグシャにして、それでも話そうとして、上手く話せない自分に苛立つ。
そんな自分を慰めようとするトトの優しさが、辛かった。何も知らず、王都で悠々と暮らしていた自分が、許せなかった。
「わっ、私が……【賢者】にならなければ……私も一緒に居れたのに……そうしたら、トトだけを、そんな目には……」
『それだと、アメリアが僕より酷い目に合わされていた。そっちの方が、僕は嫌だよ。アメリアのお陰で、村の他の子供達は守られたんだ。だから……』
「他の人なんて……どうでもいい! いくら【賢者】って言われたって……! トトが守れなかったら……意味ないよぉ……!」
アメリアの痛ましい姿に、ネコタとフィーリアは涙を流した。
他の者も、見てられないとばかりに目を逸らす。
『……そんなこと言わないでよ』
しかし、トトは困ったように笑うだけだった。
そして、どこか恥ずかしげな様子で話す。
『離れたばかりの頃はさ、アメリアが【賢者】に選ばれなければ良かったってずっと思ってたんだ。でもしばらくすると、その気持ちも薄れてさ。いつのまにか、僕の好きな子はそんなに凄い人だったんだって思うようになってきて、嬉しかったし、誇らしかった』
そう言って、トトはまた笑った。間違いでは無かったと、語るように。
『アメリアが【賢者】にならなかったら、確実にあいつらに拐われていた。近くに拠点を拵えて、いずれ襲ってきていたと思う。そう考えると、やっぱりアメリアが【賢者】になって良かったって思うんだ。そのおかげで、君は巻き込まれずに済んだんだから』
思い起こすように、トトは続けた。
『死ぬ直前、思ったんだよ。もしかしてこれは、僕が君の身代わりになって、君を守ったってことなんじゃないかって。その為に、神様が僕という存在を用意したんじゃないかって。
そう考えると、あの時ようやく、僕は君と対等になれたんじゃないかって思うんだ。ただの幼馴染みってだけじゃなく……本当の意味で、君に釣り合う男になれたんじゃないかって。
そう思うと、なんだか嬉しくてさ。もうすぐ死ぬって自分でも分かっているのに、不思議と辛くなかったんだよね』
まぁ、出来たのが身代わりだったというのが、情けない限りなんだけど……と、トトは照れ臭そうに笑った。
「トト……」
辛くなかったはずが無い。本当は、苦しかったと喚いて良いはずなのに。
なのに、トトが見せる笑みは、本当にそう感じているようで。
アメリアは、思わず見惚れてしまった。
『そして今、こうして君は僕に会いに来てくれた。こうして話す機会を得られただけで、僕は何よりも幸運だと思ってる。アメリア、僕は死ぬ前に、君にどうしても伝えたかったことがあったんだ』
「……なに?」
真剣な表情をするトトに応え、アメリアは涙を止め、言葉を待つ。
トトは、穏やかに続けた。
『僕は君のことがずっと心配だった。君は優しい子だったから、僕とあんな別れ方をして、ずっと自分を責めているんじゃないかって。これから先ずっと、僕のことが忘れられずに苦しむことになるんじゃないかって』
アメリアは、小さく目を開いた。
それはまさしく、アメリアが感じていたことだった。
『こうして鏡を使ってまでして、僕と話すことを望んでいたってことは、やっぱりそういうことだと思うんだ。でもね、もし僕のことを今も引きずっているのなら、やめてほしい。
君は悪くないし、僕は君を責める気もない。こうして会いにきてくれただけで……心配してくれていたってだけで、満足なんだ』
「──ッ! トト……ッ!」
ボロボロと、またアメリアは涙を流す。
何を言おうとしているのか、分かってしまったから。
これが──別れの言葉だと。
『君が僕のことを忘れないでいてくれたことは嬉しいけど、でも、僕のことでこれからも悲しんでほしくない。僕は君の重荷になりたくない。君には、これからずっと笑っていてほしい』
「いやっ……やめてっ……言わないで……!」
嫌だと、アメリアは力なく首を振る。
しかし、トトは優しい笑みを浮かべていた。これが正しいのだと言うように。
『どんなに大事に想っていたとしても、僕はもう死んでいる過去の人間だ。でも、君は今も生きている。生きているなら、未来に目を向けなくちゃいけない。重荷になるものは捨てて、未来に。だから──』
アメリアは震えていた。それは、一番聞きたくない言葉だったから。
離れて二人を見ていた者たちは、その光景に涙した。アメリアの悲しみも、トトの覚悟も理解したから。あんな子供が、どんな覚悟を持って、その言葉を口にしようとしているか、十分に伝わったから。
皆が見守る中、トトは涙を目端に浮かべ──精一杯笑った。
『僕のことは忘れて、幸せになっ──』
「ルォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
──ガシャアアアアアアアアアン!!
……誰もが、何が起こったのか分からなかった。
それを確かに見ているのに、衝撃のあまり、頭で理解することが出来なかった。
一番近くに居たアメリアは、ただ呆然とその景色を眺めていた。
離れていたネコタ達は、目を見開いて固まっていた。
大神官マリンは、引きつった笑みを浮かべていた。
そしてエドガーは──【死者の鏡】を蹴り倒し、宙を浮いていた。
確かめる間でもない。
何を血迷ったのか。ネコタ達の側に居たエドガーは、目にも止まらぬ速度で【死者の鏡】に跳び蹴りを決めたのだ。
皆が固まっている中でも、現実の時は止まらない。
【死者の鏡】に映ったトトは、ヒビ割れと共に消えていった。
いくつもの鏡片が宙を舞い、エドガーに蹴飛ばされた巨大な鏡が吹き飛んでいく。そして、やがて重力に引かれ、大地に叩きつけられた。
ガシャアアアアン! と、申し訳程度に残されていた鏡が、盛大に割れる。死者を写し出す神宝の鏡は、鏡面を全て粉砕し、枠だけとなった。
見るも無残となった鏡の姿に、皆が言葉を失う。そんな中、エドガーはシュタリと着地を決め、長い息を吐いた。フーッ、フーッ、と、エドガーは興奮を抑えきれず息が荒れている。
いち早く現実に帰ってきたのは、やはりネコタだった。
「お前なにやってんだよ!!」
普段の気弱な姿からは考えられない、激しい口調だった。
続いて正気を取り戻したのは、苦労性のラッシュである。
「テメェ、自分が何をやったのか分かってんのか!? こんな……こんなっ……! 洒落になってねえだろうが!!」
こんな暴挙に及んだ怒りもあるが、それ以上に気にかかるのはこの賠償である。信者の多いハーディアの、そしてその信徒達に強く求められる神宝である。一体どうやって弁償すればいいのか、というより、弁償できるものなのか。想像するだけで気が遠くなる。
「エドガー様……なぜこんなことを……」
「おい、よく分かんねえが……ヤバイんじゃねえのこれ……」
さすがにこの事態のまずさを理解したのか、楽観的なフィーリア、ジーナも真っ青である。フィーリアはエドガーの心が理解出来ないことに、そしてジーナはエドガーの犯した行動にドン引きしていた。
「はっ、はははっ……鏡が……粉々に……」
マリンは虚ろな目で乾いた笑い声を上げている。現実を受け容れることを頭が拒んでいるようだ。無理もない。
「…………」
そして、アメリアはペタンとその場に座り込み、呆然とした様子で鏡の破片を見つめていた。
そんなアメリアの姿に歯噛みし、ネコタは再び怒りを燃やした。
「エドガー! 何でこんなことをした!?」
エドガーの性格は、もう十分すぎる程に理解している。言っても直さないし、良いところもあるから、こういう人なんだろうと諦めていた。大抵のことは許せるから、それでいいだろうとも。
だが、これはさすがに冗談の域を超えている。
よりにもよって、アメリアの想い人の意思を踏みにじるなんて。その死を、冒涜するなんて。
いくら仲間といえど、許せることではなかった。
「おい! なんでこんなことをしたのかって聞いてんだよ! 答えろ!」
「──偽物だ!!」
「はあ!?」
無視して背を向けていると思ったら、凄まじい形相でエドガーは振り返り、叫んだ。
「死人に会える鏡なんてある訳がない! こんなもん偽物だ! ハーディア神の名を使った詐欺だ! だからぶっ壊してやったんだ!」
「今更何言ってんだよお前! 頭おかしいんじゃないのか!?」
「ネコタの言う通りだ! ていうか何を口走っているんだお前! 正気か!?」
よりにもよって、大神官の前で詐欺扱いである。逆鱗に触れるにもほどがあろう。下手すれば世界中で信者全員から命を狙われかねない。ラッシュは気が気でなかった。
ちらりと伺って見れば、マリンは口から魂が漏れ出したような顔で目が虚ろだった。幸いにも、ショックのあまり気絶しかかっているようだ。どうやら聞いていなかったらしいと、ラッシュはほっと息を吐いた。
しかし、ネコタはマリンのことなど目に入ってなかった。
エドガーの主張は、ネコタの怒りに火を注ぐだけだった。
「偽物だとか、詐欺だとか! お前ホントにいい加減にしろよ! もう少しまともな言い訳をしろよ! どうせトト君に嫉妬して鏡をぶっ壊したんだろ!?」
「違ぇよボケ! 俺はそんな器の小さい男じゃねえ!」
「嘘つけ! お前ほど器の小さい男いねえよ! だいたい根拠もなしに詐欺扱いしたって説得力がないんだよ!」
「根拠ならある!! だって俺がト──!」
一体どうしたのであろうか? 途端にエドガーは胸を抑え蹲った。額にはダラダラと嫌な汗をかいている。興奮して体調が悪くなったのだろうか?
しかし、エドガーの容体が悪くなろうが、ネコタの態度は変わらない。軽蔑した目で見下ろし、促す。
「だって俺が、なんだよ? ほら、続き言ってみろよ」
「……なんでもねぇよ」
「はぁ? なんでもない訳ないだろ。なんか根拠があるんだろ? 言ってみろよ!」
「うるせぇえええええ! とにかくあれは偽物なんだよ! だから割ってやったんだ! 文句あんのかこらぶち殺すぞ!?」
「なんだよお前。本気であり得ないんだけど」
泣くほどの逆ギレを見せ、さすがにネコタも引いた。
それにしても、態度も主張もあまりにも酷い。はっきり言って、弁解の余地が無さすぎる。正直、見るに耐えない。仲間としての情もなくなるほど惨めな姿であった。
仲間全員から酷い視線に晒され、エドガーも身じろぎする。そんな中、ゆらりとアメリアが立ち上がった。
「ア、アメリア……ッ!」
思わず声をかけ、エドガーは絶句した。
アメリアは、憎しみすら感じるほどの目で、エドガーを睨みつけた。
泣きながら、怒っていた。
「どうしてこんなことしたの?」
「えっ? いや、それは……だから、この鏡が偽物だと……」
問いかけたアメリアに、エドガーはしどろもどろに返す。
だが、アメリアはそれを聞いていなかったように続けた。
「せっかくトトに会えたのに……どうしてこんなことしたの……何か私に恨みでもあったの……?」
「ちっ、違うっ! それだけはありえない! ただ、あれは本当に偽物で……!」
「じゃあ、なんで偽物だと思ったの……?」
「それは……その……」
「……答えられないの?」
「いや、答えられないというか……伝える術がないといいますか……」
「なにそれ……意味が分からないんだけど……」
「…………」
「やっぱり、悪ふざけで壊したんだ……?」
「ち、違う! ふざけたんじゃねえ! そうじゃなくて……」
「じゃあどういうつもりだったの!?」
アメリアの剣幕に、エドガーはパクパクと口を開くばかりで、何も言えなかった。
そんなエドガーを、アメリアは憎しみを込めて睨み付けた。
顔をくしゃくしゃにして、悲しみと怒りがごちゃまぜになって、抑えられなかった。
「……最低……見損なったよ……エドガーは、こんなことをするような人じゃないと思ってたのに……!」
「ア、アメリア……! 俺は……」
「気安く名前を呼ばないでっ!」
感情が爆発したように、アメリアは叫んだ。
「エドガーなんか、大っ嫌いっ!!!! 死んじゃえっ!!!!」
──それは、エドガーの心に深く突き刺さった。
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