第129話 その覚悟は出来ています
”鏡の間”の前で立ち止まったマリンは、扉を一瞥して言った。
「どうやら、まだ他の信者が使用しているようですね。ちょうどいい。今のうちにアメリア殿に改めて問いましょう」
「問うって……何を?」
「もちろん、本当に【死者の鏡】を使うのかどうかです」
何を今更。そのためにここまできたのではないか。
疑念のこもった目を向けるアメリアに、マリンは答えた。
「【死者の鏡】によって、今まで大勢の人が救われてきました。しかし、必ずしも全ての人間が救われたという訳ではありません。
思ってもみなかった残酷な真実を知り、かえって傷ついてしまった人も居ます。中には、自ら命を絶ってしまうほどに。
ですから、私達は鏡を望む人達に必ず問うのです。リスクを知っても、まだ鏡を使いたいという気持ちは変わりませんか? 真実を受け止める覚悟はありますか、と」
マリンの問いの真意を理解し、アメリアは小さく目を見張った。そしてしばらく躊躇ったような様子を見せ、やがて、重々しく頷く。
「そう言われると怖いけど……でも、ここに来たのは、区切りをつける為だから。いつまでも、このままじゃ駄目だと思ったから。だから、私はどんな真実だろうと受け止めます。その覚悟は出来ています」
「……分かりました。それならよいのです。では、もうしばらく待ちましょう。直にこの扉も開くことでしょう」
ホッと息を吐くアメリアに、マリンは微笑みかける。
「大丈夫です。先程はああ言いましたが、傷つく結果を迎えてしまった人の心を慰めるのも、私たちの仕事ですから。静かに寄り添い、励ますことで、やがて真実を受け入れ、また自分で立って歩けるようになる。アメリア殿のことも、私達が全力で支えますよ」
「要らねえよ。それをやるのは俺らだ。お前らじゃねえ」
「エドガー……」
不機嫌そうな目でマリンを睨むエドガーを見て、アメリアは嬉しそうに小さく笑った。
エドガーはフンスッと強く鼻を鳴らす。
「アメリアには俺がついているからな。だから、何があっても俺が支えてやる。だから心配すんな」
「……うん、その時はお願いね」
「コイツ、美味しいところを持っていったな。実は狙ってただろ?」
「本当に目敏いというか、利に聡いと言うか……アメリアさん、もちろん僕達も居ますからね」
「そうですっ! 私たちがついてますから、大丈夫ですよ!」
「やけ酒ならいくらでも付き合うからな。嫌なことは呑んで忘れようぜ。いや、もちろん何もない方がいいんだが」
口々に励まそうとする仲間達に、アメリアは安心したように微笑む。
その光景を見て、マリンはフッと小さな笑みを浮かべた。
「余計なお世話だったみたいですね。どうもすみませんでした。さて、どうやら先に入った信者が鏡の使用を終えたようです。ご準備を」
マリンが言うと、ズズズ、と重そうな音を立て、扉が開かれた。
そこから一人の神官に連れられ、頬が痩せたご婦人が現れる。見るからに健康とは言い難いが、しかし、目元潤ませているものの、どこか晴れやかな表情であった。
婦人はマリンと六人を見て黙礼し、そのまま去っていく。その後ろ姿を、マリンはうれしそうに見送った。
「どうやら、彼女は良い結果に終わったようですね。さぁ、次はアメリア殿の番ですよ」
マリンに促され、アメリアは緊張した表情で中に入る。五人も後から続く。
そこには広大な空間が広がっていた。数十もの人が集まろうと余裕がありそうなほど広い場所だ。ちらほらと等間隔に壁に穴が空いている以外、何もない。上を見上げれば、遥かに高いところに天井がある。
光源は窓から差し込む光だけで、やや薄暗い。そしてその光が、真っ直ぐ広間の中央に集まっている。そこに【死者の鏡】があった。
大人一人を優に写せる大きさの姿見。楕円形で枠には微細な彫刻が刻まれている以外は、なんの変哲もない普通の鏡に見える。
だが、その鏡から感じられる空気にはただならぬ物があった。
魔物に対峙した時のような……いや、それよりも重々しい気配が、鏡から漂ってくる。少なくとも、ただの鏡ではないと確信させる雰囲気がそれにはあった。
六人の動揺を察してか、マリンは愉快そうに笑った。
「これが【死者の鏡】です。この鏡を前にした人は、最初は誰もがその威容に固まるものですが、どうやらそれは【勇者】とそのお仲間でも一緒のようですね」
「ああ、ちょっと物騒な気配を感じたもんでな。あまりに物騒なもんだから、本当に神宝なのかと疑っちまったんだ」
「ちょっ、エドガーさん! もう少し言葉を!」
慌ててネコタが嗜めるが、マリンは笑って流した。
「構いませんよ。これほどの気配を放つ物を見ては、そう感じてしまうのも無理はありません。
死者との再会を叶えることで、死に悲しむ人の心を癒す。意図する用途が素晴らしいものだとしても、それはつまり、使用者を死への境界に近づかせるということです。
生者である以上、この鏡に不穏なものを感じるのは当然のことなのですよ」
なるほど。言われてみれば、納得がいく。
生命である以上、死への恐怖は当たり前なのだ。むしろ、危険と感じない方がおかしい。
「鏡の前に立ち、鏡に向かって会いたい人の名を呼びかけてください。そうすれば、鏡にその者の姿が映り、話すことが出来ます」
マリンに手で促され、アメリアは一歩足を出し、止めた。
不安そうに、仲間達へ目をやる。五人共が応援するように、じっと自分を見ていた。
アメリアは小さく頷き、ゆっくりと歩く。そして、鏡の前に立った。
鏡には、臆病な表情をした自分の姿が映っている。負けないようにと、無意識に胸元を握りしめ、アメリアは呼んだ。
「──トト、聞こえる?」
アメリアの声に、しかし、鏡は答えない。
待っても変わらない光景に、ジーナがボソリと口にした。
「なんだよ、何も出てこねえじゃねぇか」
「まだろくに待ってねえだろうが。もう少し我慢してろ」
「でも、何の反応もないですよ? まさか失敗じゃ?」
「そんなっ、せっかくアメリアさんが勇気を出してきたのに!」
「──静かにしろ。ジタバタしてもしゃあねえだろうが。俺らに出来ることは見守っていることだけだ。分かったら黙ってろ」
心配そうにアメリアを見つめる仲間達の中で、エドガーだけは動揺を見せず、堂々とアメリアを見ていた。
癪に触る言い方だが、その姿を見て、ネコタ達は自分が恥ずかしくなった。そうだ、出来ることは何もない。なら、見守るしかないじゃないか。
心配する気持ちを押し隠し、四人は改めてアメリアと鏡に集中する。じっと見つめる四人。そして、隠れてニマニマと笑っているエドガー。
それから数分が立ち、何も変わらない光景に溜息をつきそうになる中で──
──鏡が、揺れた。
「おい、アレ、見ろよ」
「鏡に波紋が出て、映っているアメリアの姿が変わっていく!」
「それじゃあ、もしかして!」
「トトさんが来るんですね!?」
「──えっ」
鏡に波紋が揺れ、にわかに変わっていく様子に、アメリアは口元に手を当てる。ネコタ達は騒ぎ出し、マリンはその様子を微笑ましそうに見つめる。そして、エドガーは愕然とした様子で鏡を見ていた。
皆がそれぞれの反応を見せている間にも、鏡に映った景色は変わっていく。
波紋は少しずつ小さくなっていき、波が収まっていく。映っていたアメリアの姿が、徐々に縮み、髪が短くなっていく。
波が完全に止まった時、そこには一人の少年が映っていた。これがトトかと、ネコタ達四人は感心した声を上げた。
茶色い髪に、端正な顔立ち。着ている服装はどこにでも見かける村人のものなのに、その顔立ちのせいか、何故かそれが様になっているように見える。そして目を瞑っているのに感じられる、どことなく理知的な佇まい。
さすがアメリアが惚れていた少年なだけはあると、仲間内の誰もが口にせずとも共感していた。ただの村人らしからぬ、年齢に似つかわしくない利発そうな印象が、ますますそう感じさせる。
「……トト?」
ツツー、と涙を流しながら、もう一度アメリアは名前を呼んだ。
鏡に映った少年は、その名に反応し、ゆっくりと目を開け……ぼんやりとしながら呟いた。
『…………アメリア?』
少年──トトの声を聞き、皆がはしゃいだ姿を見せた。
「──え?」
なお、やはりエドガーは惚けた声を出すだけだった。
何が起こっているのか、全く分からなかった。
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