第121話 幻滅なんてすることなかったんだ



 砂漠の守り人の集落で、部族一の腕を持つ壮年の剣士シギは、一心に剣を振っていた。


 淀みなく流れるような連撃は、まるで鋭い舞を思わせる。ただの稽古だというのに、思わず見とれてしまう程の美しさに、自然と周りの目が集まる。本人はそれに気づいていないかのように集中しているが、しかし、それは何かを忘れたいがために無理に没頭しているようにも見えた。


 舞うように剣を振っていたシギが、ピタリと手を止めて、思い悩む表情を見せる。

 思い返していたのは、あの賑やかな勇者一行のことだった。


 この集落を出発してから、もう大分日数が経っている。順調に行けば、とうにここへ戻って来てもいい頃合いだ。


 それでも帰ってこないということは……。


 ──やはり、失敗したのか。


 その答えを思い浮かべた時、消沈している自分がいる事にシギは気づいた。


【グプ】の恐ろしさは、この砂漠に住む者ならば十分に知っている。それでも、あの者達ならばなんとかしてくれるかもしれない。そう、思わせてくれた。


 あれだけの強さを見せてくれた少年なら、あるいは。

 世界を救う【勇者】であれば、もしかしたら。


 この集落の皆が、同じことを考えていたのだろう。周りを見渡せば、誰もが心なしか物憂げな表情をしている。自分もそんな一人に過ぎなかったのだと、シギは今更ながらに自覚した。


 ──希望を抱いてしまったのが、間違いだったのかもしれんな。


【勇者】といえど、まだ子供。あの悪魔に勝てる筈もなかったのだ。

 あの時止めていれば……と、シギは思わずにはいられなかった。


 自分達が希望に縋ってしまったせいで、【勇者】を失った。砂漠の平穏を切り捨てなかったばかりに、世界の命運まで……。


「シギさん!!」


 シギが自らの行いを悔いていた時、集落の若者が息を切らせて駆け寄ってきた。

 その若者が走ってきたのは、勇者達がこの集落から出た時と、同じ方角だ。


 まさか、と小さく眼を瞠るシギに、若者は弾けるような笑みを見せた。


「勇者が……勇者さん達が帰ってきたんです!!」




 ♦   ♦




「いやー、まさか天井に穴が空くとは思わなんだ」

「そうですね。しかも、水に押し上げられてそのまま地表に出れるなんて」


 ジリジリと肌を焼く、太陽の下。茹だるような暑さに参りつつ、エドガーが呟き、ネコタが応える。

 暑さから気を紛らわせるならなんでもいい。そんな意図からの、半ば現実逃避に近い会話であった。


 しかし、言葉にせずとも同感を得たのか、他の者も会話に混ざる。


「地上に出れたのはいいが、危うく死にかけたけどな……」

「本当ですよ! あんなに空高く打ち上げられるなんて! 私、危うくおしっこ漏らすところでした!

怖かったです!!」


「そう? 私は結構楽しかったけどな?」

「だよなぁ。あたしもゾクっとして面白かったぞ」


「そりゃお前らは曲がりにも飛べるからいいだろうよ。俺は生きた心地がしなかったぞ」


 もう中年のオヤジには、心臓に悪すぎる。ネコタが途中で拾ってなければ……そう考えると、ラッシュはブルリと震えた。


 エドガーが忌々しそうに空を見上げながら、ぼやく。


「しっかし暑いな。ずっと地底に居た分、余計にくるぜ」

「そこでたっぷりも水の補給が出来たし、目的地もはっきりしてるんだから、行きよりはマシだろ。それに、あと少しの辛抱だ。見ろ、もう集落が見えている」


 ラッシュの言葉に、エドガーは視線を前に戻した。辛うじて見えるほどの距離に、テントがいくつも集まっている景色が見える。


 ニッ、と。エドガーは笑みを浮かべた。


「みたいだな。どれ、早いとこばあさんに報告してやるかね」




 ♦   ♦




 砂漠の守り人の集落にたどり着いた六人は、そこで見た光景に眼を瞬かせた。

 集落の人間全てが、六人の姿を見るべく集まり、出迎えようとしていたからだ。


「おいおい、大層な歓迎だな!! そんなに俺達に会いたかったか?」


 おちゃらけた事を言うエドガーに、守り人の一族は何も答えなかった。ただ、不安と期待を感じる瞳で、じっと見つめてくる。


 この空気には、さすがのエドガーも耐えられなかった。


「やだっ、凄く滑った!! 助けてネコタ君!!」

「知りませんよ! 自分の責任は自分で取ってください!!」


 尻拭いをさせようと縋りつくエドガーを、ぐぐっと押し返すネコタ。


 その間抜けなやりとりに、シギは肩の力が抜けた。

 緊張していた自分に苦笑しつつ、前に出る。


「よく戻ってきたな。無事に帰ってこられて何よりだ。こうして再会出来たことを、まずは嬉しく思う」

「あっ、はい! ありがとうございます!」


 無邪気に喜ぶネコタに、シギは頷く。そして、気まずそうな声で尋ねた。


「それで、無事に戻って来れたのは良いが、どうだったのだ? 思ったより余裕がありそうだが……その、なんだ」

「祭壇には辿り着いたのか、ってか?」


 エドガーにズバリと言われ、シギはむっと息を飲む。

 居心地の悪そうにするシギに、エドガーは気負いなく答えた。


「安心しろ。祭壇にはちゃんと行けたし、試練も通った。ついでに【グプ】ってやつもしっかり仕留めたからよ」

「仕留めた、だと?」


 シギは愕然として、大きく目を開いた。

 嘘ではないのかと、確かめるようにネコタを見る。

 ネコタは笑って頷いた。


「ええ、間違いなく仕留めましたよ。もう二度と、皆さんが生贄を出す必要なんてありません。だから安心してください」

『──わぁああああああああああああああああああああ!』


 聴こえていなかったかのように、僅かな間、砂の守り人達は硬直していた。そして、ネコタの言葉を理解した瞬間、爆発したような歓声を上げる。


 興奮し、誰もが笑いながらお互いを叩きあったり、抱きしめあう。中には、ほっとしながら泣き崩れた者もいる。


 そんな砂の民を見ながら、ジーナはぎこちない笑みを浮かべ、目を逸らした。


「その、なんだ。ここまで喜ばれると、流石に照れるな」

「長年、砂漠の民を恐怖させた怪物なんだ。無理もないさ」


「そうですね。皆さんが喜んでくれて良かったです。私も頑張った甲斐がありました」

「うん。本当に良かったね」


 喜びの止まない砂の民を、アメリアが微笑ましそうに見つめる。

 すると、砂の民達を掻き分けて、族長のファティマが現れた。

 その姿を見たエドガーが、茶化すように言った。


「よう婆さん。遅かったじゃねぇか。他の奴らはこうして出迎えまでしてくれてんのによ」

「ふん、悪かったな。生憎と、儂も歳でな。お主を迎える程度で急ぐほど、元気が有り余っている訳ではない」

「なんでぇ、可愛くねぇ婆だな」


 ムスッとするエドガーに、ファティマは意地悪そうな笑みを見せた。

 お互い、憎まれ口を叩いているが、楽しんでいるらしい。

 愉快そうに笑っていたファティマが、突然、厳しい表情になる。


「それで、じゃ。【グプ】を倒したと聞いたが」

「ああ。間違いなく仕留めたぜ。亡骸は、今まで生贄になった奴らと一緒に燃やしちまったから、もうないが。まぁそこは勘弁してくれ」

「そうか……本当にやってくれたのか……」


 遠くを見るような目で、ファティマは空を見上げた。

 それは笑っているようにも、涙を堪えているかのようにも見える。

 目線を前に戻すと、ファティマはフッと柔らかい笑みを浮かべた。


「お主達には礼を言わなければならんな。砂漠の民を代表して感謝する。本当に、よくやってくれた」

「なに、気にすんな。ついでだ、ついで。まぁそこそこ手こずったが、俺の手にかかれば大した相手ではない」

「なに自分一人の手柄みたいな風に言ってるんですか。皆の力でしょ!」


 ネコタはジト目をエドガーに向けると、あっ、と小さな声を出す。


「そういえば、すっかり忘れてました。これ、お借りしていた首飾りです。お返ししますね」

「ああ、確かに受け取った。それで、どうだった? 少しは役に立ったか?」


「ええ、とても。もしその首飾りが無かったら、僕達は祭壇にたどり着くことも出来ませんでした」

「……そうかい。姉様が導いてくださったか」


 ファティマは暖かい目で首飾りの石を見つめる。

 しかめっ面で、エドガーは言った。


「しっかしよぉ。婆さんも本当に人が悪いな。初めから全部分かってたんだろ? 知ってたなら教えてくれりゃあいいのによ」

「確かに保険のつもりで渡したが、確信は無かった。だから言わなかっただけじゃ。期待させるのも悪いしの。実際に役に立ったんじゃしいいじゃろ」


 けっ、と吐き捨てるようなエドガーを見て、ファティマは堪え切れずに笑う。このウサギを裏をかくのは、予想以上に楽しかった。

 それを察しながらも、やれやれと首を振り、エドガーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そう言われちゃあ、確かに責められねぇな。むしろ感謝しねぇといけねぇのはこっちの方か。それじゃあ、礼って訳でもねぇが、これも受け取ってくれ」

「ん? なんじゃ、儂が喜ぶ物でも……っ!?」


 エドガーが差し出した物を見て、ファティマは大きく目を瞠った。

 それは、ネコタから受け取った首飾りと、全く同じ物。


 それが、ここに二つ・・ある。


 一つは、今は亡きファティマの姉が持っていた物だろう。

 しかし、もう一つは……。


「そんな……何故……」


 震える手で、ファティマは二つの首飾りを受け取った。

 呆然とそれを眺め、自分の胸元にかけられた物に近づける。すると三つの首飾りは、ポウッと優しい光を灯した。


 ──まるで、再会を喜んでいるように。


 間違いないと、ファティマは唇を震わせた。


「馬鹿な……本当に、義兄様の物だというのか……何故これがここに……!」


 そう。それは、かつて敬愛していた、姉の婚約者の首飾り。

 ファティマに首飾りをくれた、張本人の物だった。

 信じられないと、ファティマは体を戦慄かせる。


「お主ら、これをどこで!? どこで見つけたのだ!?」


 見たことのない族長の姿に、誰もが驚いていた。

 まるで怯えたようにも見えるファティマに、エドガーは優しい眼差しを向ける。


「その首飾りは、同じ場所で見つけたもんだ。婆さんの姉さんが持っていたっていう首飾りと一緒にな」

「一緒の……場所に……」

「なぁ、婆さんよ。アンタ、言ったよな。姉ちゃんの婚約者は、姉ちゃんを見捨てて、耐えきれずに逃げ出したってよ」


 ファティマは、睨むようにエドガーを見ていた。

 エドガーはそれを受け止めて、柔らかい笑みを浮かべて言った。


「──逃げてなんか、なかったんだよ」


 その言葉に、ファティマは硬直した。

 エドガーは、語り聞かせるように続けた。


「急に姿を消したから、誰もが見捨てて逃げ出したって思い込んだ。でも、違ったんだ。逃げたんじゃなくて、【グプ】から愛する女を守る為に、姿を消したんだ。【グプ】の怒りを買うようなことをするな、戦うな、って言う連中から止められないよう、隠れて姉ちゃんを守ろうとしたんだよ」

「……違う……そんな訳がない……そんな訳が……」


 呆然と呟くファティマ。

 そんなファティマを労わるような声で、エドガーはさらに続ける。


「【グプ】は本当に恐ろしい化け物だったぜ。俺達は六人掛かりでなんとか倒すことが出来たが……それでも、逃げ出したくなるくらい怖い奴だった」

「…………」

「でもよ。その姉ちゃんの婚約者は、戦ったんだよ」


 それは、どれだけ勇気の要ることだっただろう?

 世界中で、どれだけの人間が、実行できるだろう?


「愛する女を守る為に、たった一人で、あんな化け物に戦いを挑む。臆病者には絶対に出来ねぇぜ」

「あっ……あぁぁ……!」


 ファティマは、俯いて顔を押さえ込んだ。

 目から溢れようとする熱い物は、とても耐え切れるものではなかった。

 何故だろうか。まるで初めから知っているかのように、ファティマの頭の中に、その光景が思い浮かんだ。


 ──大好きな姉を背に庇い、巨大な化け物に剣を構える、世界で一番カッコいいと思っていた男の姿が。


「確かに、結果的には失敗に終わっちまった。側から見れば、無謀としか思えない行動だったかもしれない。だけど、婆さんの姉ちゃんは嬉しかった筈だぜ」

「ぁぁ……あぁぁぁぁぁ……!」


「その首飾りを持っていた二つの遺体は、一人が庇おうとしているみたいに、抱いたように重なっていたんだ。きっと最後までその婚約者は、婆さんの姉ちゃんを守ろうとしてたんだよ」

「ぉぉぉ……おぉぉぉぉぉ……!」


「結局は守れず、一緒に死んじまった。けどよ、その男は、姉ちゃんを孤独にはさせなかったんだ。死ぬその瞬間まで、惚れた女に寄り添ったんだよ。なぁ、婆さん。幻滅なんてすることなかったんだ」


 許しを請うように、ファティマは膝を折る。

 そんなファティマの肩に手を乗せ、優しく支えながら、慰めるようにエドガーは言った。


「アンタが大好きだったその男は、臆病者なんかじゃねぇ。惚れた女に命を賭けることも躊躇わない、世界で一番カッコいい、本物の戦士だったんだよ」

「──ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」


 ファティマの手から、ボロボロと涙が零れ落ちる。それは、砂に吸い込まれて消えていく。しかし、砂の中に消えてもなお、次々と涙が零れ落ちていく。


 悔しさ。後悔。喜び。あらゆる感情がないまぜになって、枯れたこの身のどこに眠っていたのかと、とめどなく涙が溢れていく。


 長い時を重ねて積もり積もった思いは、そう簡単には消えることはなかった。しかし、確かなことが一つある。


 最愛の姉を失い、敬愛していた男に裏切られ、傷ついた少女は……長い時を経て、この日、確かに救われた。




 ♦   ♦




 広大な砂漠の中に、まるで夜の街に居るかのような、明りが集まった場所がある。

 砂漠の守り人の部族が、集落を作っている場所だ。しかし、その明かりの規模は集落を超え、大きくはみ出していた。


【グプ】が討伐された。その吉報を聞きつけ、周辺に居た全ての部族が集まっている。ありったけの食料と酒を持ち寄り、老若男女問わず、誰もが酒に呑まれ、肩を組んではしゃいでいる。それは、この砂漠で過去に例を見ない程のバカ騒ぎであった。


 今までの悲しみを忘れるように。自分達の命を脅かす脅威がなくなったことに、歓喜を爆発させる。誰もが泣きながら、笑いながら、満面の笑顔ではしゃいでいる。


 飲めや歌えや大騒ぎ。その賑やかな声の中心で騒いでいるのは、勇者一行の者達だった。


「ひゃっはああああああああああ!! 酒だ酒だぁあああああああ!! どんどん持ってこぉおおおおい!!」

「ふひゃひゃひゃひゃ!! まだまだ全然飲み足りねぇぞぉ~! ガンガン来いやぁああああ!」


「ううぅっ……! ぐすっ……ぼ、僕だって頑張ってるのに、女神様は……なんであんなに……ぐすっ……!」

「あ~あ~、分かった分かった。悲しいよな~、そういう時はほれ、飲んで忘れろ」

「そんなので誤魔化さないでくださいっ! ちっくしょぉおおおおおおお!」


「モグモグモグモグ──ああ、幸せですっ! 美味しい物がいっぱいで、食べ放題! おまけに賑やかで凄く楽しいですっ! ねっ、アメリアさん!」

「うん、そうだね。でも、ちょっと食べすぎじゃない?」


 それぞれが思いのままに、このバカ騒ぎを楽しむ。

 今だけは、世界を救う使命を忘れて、目の前の快楽を満喫していた。

 この英雄達の行動の一つ一つに、周りに居る砂漠の民達はやんやと喝采を上げ、盛り上げる。

 

 それを、ファティマは離れた所から、優しい目で見ていた。

 首から下げた三つの首飾りが、少しだけ重い。しかし、それは心地の良い重さだった。


「まさか、こんな日が来ようとはねぇ……」


 全ての部族が集まって、皆が幸せそうな顔をしている。

 現実を受け入れながらも、罪悪感を抱えてきた守り人にとって、あり得ない表情だ。

 そして、この光景を作ってくれたのは……。


「世界を救う前に、まさか私達を救ってくれるとはね」


 どこかちぐはぐな面子が集まった、頼りなく思える連中。

 しかし、そんな者達が、確かにこれだけの人間の心を救ってくれた。

 この者達なら、きっと、この世界も。今ではそう、信じられる。


「……ありがとう」


 ファティマは、小さな声で呟く。

 胸元にぶら下げられた三つの首飾りが、きらりと光ったように見えた。




 ──砂漠に悲しき涙は、もう流れない。








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