第70話 危ないから向こうに行ってろよ
「おおおおおっ!」
的はデカイ。特に狙う必要もない。ただ全身全霊で、この拳を撃ち込む。
勢いを全て乗せるつもりで、ジーナは拳を構えた。あの体を貫かんと殺意が溢れる。しかし、エミュールはジーナの予想を上回る動きを見せた。
『ウホッ!』
特に焦った様子もない、軽い声。しかし、やってきた攻撃は凶悪だった。
エミュールはまるで虫を払いのけるように腕を振る。なんでもない仕草だというのに、その速度はジーナに匹敵した。
──デケェ……!
分かっていたはずなのに、ジーナは自分が敵の武器を侮っていたことを悟った。
自らの体よりもなお大きい掌。その巨大な質量が、遠心力をつけて叩き込まれる。
「ぐがっ――!?」
その規格外の大きさに、武術の受けなどは意味をなさない。ジーナは全身に叩きつけられた衝撃に息をすることも許されず、吹き飛ばされ無様に転がった。
エミュールは転がっていく女を満足そうに見ていた。そして瞬時に身を翻す。その直後、エミュールが立っていた場所に電撃が襲った。
「そんな……」
アメリアが放った雷の魔法だった。完全に当たったと思ったのに、余裕を持って回避された。あの巨体からは信じられないほどの敏捷性だった。
予想外の結果に、アメリアは一瞬の惚けを見せる。一瞬、瞬き程度の時間ではあったが、エミュールにはそれで十分だった。
『ウホォオオオオオオオ!』
大質量による、あまりに見合わぬ速度での突撃。危険と分かっていながら、その迫力にアメリアは動けなかった。
「させるかよっ!」
アメリアを救ったのは、やはりエドガーだった。
突っ込んでくるエミュールを恐れることなく、それ以上の速さで迎撃に出る。その勇気は見事というほかはない。エドガーはすれ違い様にエミュールの顔面に剣を叩き込む。
エドガーの身が軽いとはいえ、己の速度も利用されエミュールの頭が跳ね上がった。その衝撃に突進が止まる。斬撃というよりも打撃に近い感触に エドガーは確かな手応えを感じた。
『ウホッ、ブルルッ!』
「マジかよ? 頑丈すぎるぞっ!」
だが、エミュールはブルブルと頭を振っているだけで、全く堪えた様子がなかった。顔の表面に薄く傷があるくらいだ。
そのタフさにエドガーは恐れよりも呆れを感じた。かつて戦った
エミュールが動き出す前に、ラッシュが仕掛ける。ミシリッ、と弓を引く腕が音を立てた。エドガーの一撃で見たダメージから、いつもより威力を優先した一射。
ゴゥウンッ、と放った矢が唸りを上げる。しかし、当たる寸前でエミュールは身を捻らせ矢を避ける。
どこまでもあり得ない回避性能だった。巨体と頑丈さだけでも反則的だというのに、理不尽すぎる。とはいえ、その回避能力は既に織り込み済みだ。
「【
今度こそとばかりに、エミュールの回避先にアメリアの電撃が襲う。
『グホゥ!? ……ウウウウウッ、ホァア!』
電撃がエミュールから体の自由を奪う。初めての有効打だった。とはいえ、喜びも短い時間で終わる。エミュールは咆哮を上げて腕を広げ、気合いで電撃をかき消した。その力技にアメリアは苦い顔をする。
そんなアメリアを見て、エミュールは得意げな表情をした。だが、勇者一行の攻撃はまだ終わっていなかった。僅かとはいえ、アメリアが作った時間は不意を打つのに十分だった。その隙を突き、エミュールの死角から迫っていた者がいた。
ここまで影が……否。
息を潜め、気配を消していたネコタだった。
「はあああああああああああ!」
勇者としての使命感。このままでは存在価値がなくなるという危機感。そして功名心。様々な感情が混ざり合ったその一撃は、過去最高の動きとなってネコタに力を与えた。
人類の救世主たる【勇者】最大の武器。聖剣での一撃が、エミュールの背後から襲いかかる!
ビュッ────ツルンッ!
「うぇえええええええ!? なんでっ!?」
『ウウウウウッ、ホォ!』
「グガッ――!?」
完全に捉えた。その筈なのに、聖剣はエミュールの体表を綺麗に滑り、刃は肉に届くことが無かった。あり得ない事態に状況も忘れ、ネコタは驚きの声を上げる。
間抜けがぁっ、と言わんばかりのエミュールの一撃に、ネコタは防御する間もなく弾かれた。
まるで砲弾のような速度で大木に叩きつけられる。ガハッ、とネコタは再び血を吐いた。しかし、その傷の重さは先ほどの比ではない。エドガーに蹴られた方がマシだと思うほどの痛みがやってくる。
『ウホォオオオオオオオオオオオオオ!』
「まずい! 誰か止めろ!」
背後からの奇襲は、エミュールを激昂させた。姑息な手段に怒り狂ったエミュールが、一直線に傷ついた卑怯者へと向かう。
ラッシュの声に反応し、皆がエミュールに攻撃を重ねる。だがエミュールは止まらなかった。
エドガーの剣も、ラッシュの矢も、ジーナの拳も、そしてアメリアの魔法でさえも。動きを鈍らせるのが精一杯で、エミュールを止めるには至らなかった。そして、エミュールはそれでもネコタを諦めなかった。最悪の状況を思い浮かべ、皆の表情が焦りに染まる。
『ホアアアアアアア!!』
エミュールが拳を振りかぶる。そしてネコタに叩きつけられようとしたその瞬間──エミュールの上半身がゴウッと燃え盛った。
『ウホオオオオオ!? ガアアアアアア!?』
「炎……フィーリアか!」
バッ、とエドガーはフィーリアを見る。仲間の窮地を救ったというのに、フィーリアは申し訳なさそうに身を竦めていた。
「ご、ごめんなさいっ! 動きが早すぎて、今まで捉えられなくて、それで……!」
「いや、でかしたっ! よくやった!」
最も失ってはいけない物を守ったのだ。これ以上の働きはない。
エミュールが焼かれている間に、全員がネコタの元に集まった。アメリアの治療でネコタが回復する。ぐっ、とネコタは呻き声を上げ、なんとか体を持ち上げる。
「す、すいませんっ。せっかくのチャンスだったのに」
「まったくだ。あんな絶好の隙を逃しやがって」
「ぐっ、このっ! ……いや、確かに言い返せませんけど、でもおかしいですよ! 完全に捉えたはずなのに、剣が滑るなんて!」
「ああ〜、それはもしかしたら聖剣のせいかもな」
「えっ? どういう意味ですかそれ?」
同情するような目を向けるラッシュにネコタは問い詰める。
憶測だが、と前置きしてラッシュは続けた。
「聖剣は神から力を授かった【勇者】の武器。そして【聖獣】は神から祝福を受けた生物。神の武器が、神の庇護下にある獣を傷つけることは出来ない。そういうことじゃないか?
でないとあんな滑り方はしないだろう。あいつが【聖獣】に相応しくない行動を取れば、聖剣も断罪の力を発揮出来るだろうが……」
「縄張りを守ってるだけだもんね。別にあの子は悪くないよね」
アメリアは納得して頷いた。獣が本能で生きているだけなのだ。なんら責められることではない。むしろ責められるべきは安寧を脅かしたこちらだろう。まあ、向こうも暴れることを良しとしている節はありそうだが。
なるほどな、とエドガーも頷く。
「つまり、ポンコツ勇者がなまくら勇者にランクダウンしたってことか。お前マジで役立たずだな。何しに来たの?」
「そこまで言います!? 僕だって好きでこうなってる訳じゃないですよっ!」
「そうは言っても、役立たずなのは事実だからなぁ。危ないから向こうに行ってろよ」
言葉はともかく、意外にもエドガーは気遣うような表情で優しくネコタに促した。
本当に本当に、優しい態度だった。
ネコタにとってはこれ以上ない屈辱だった。
「バカにしないでくださいっ! 剣がダメでも、囮くらいにはなれますよっ!」
「いや、戦術眼も未熟で足も遅い囮とか、マジで役に立たねぇから。目障りだから消えろ、俺たちの邪魔をするな」
今度は労わりの欠片も見られなかった。完全にトドメだった。
ネコタは泣いた。
「ぐっ、うっ……! くそっ、くそぉおおお……!」
「ネ、ネコタさん? あの、ネコタさんが頑張ったのは分かってますから、お気になさらずっ!」
「おい、慰めてる場合じゃねぇだろ。そんな泣き虫は放っとけ。あんまり優しくしてると勘違いするぞ」
「お前容赦ねぇな」
こんな時にまでブレないウサギにラッシュは畏怖した。もういっそ清々しいとも呼べる鬼畜さだった。ただまぁ、それどころではないというのには同感である。
「しかし驚いたな。さすが【聖獣】、ここまで強いとは思わなかった。ちょっと甘く見すぎてたか?」
「ありえないほどの巨体。異様なほどの頑丈さ。それに見合わぬ速度と敏捷性。速さこそ俺には劣るが、ありゃ手こずるぜ」
「ああ。絡め手を得意とする訳でもなく、厄介な特殊能力を持っている訳でもない。単純に、強い。タネも仕掛けもないが、だからこそこれといった弱点もなく、正面から突破するしかない。
あたしとしては好みのタイプだが、こうまで規格外だとな」
「私の電撃も、動きを止めるだけで精一杯だった。魔法の抵抗力も高いよ。でも、フィーリアの火は効くんだね? 精霊術だと違うのかな?」
「いっ、いえ。精霊術というより、エミュールは森の【聖獣】ですから、火に弱いんですっ。反面、エルフと同じく風と木には抵抗力が強いので、アメリアさんの雷も、風に近い領分ですから」
「なるほどなぁ。まるっきり打つ手がないという訳でもないか」
着々と、彼らの中で対エミュールの構想が固まっていく。それを見ていることしか出来ないネコタは物凄い疎外感を味わっていた。
──強く、もっと強くならなくちゃ……!
この世界に来て、これほど力を渇望した初めてだった。
それでいいのかと思わなくもない。
未だにエミュールは上半身の火を消化することが出来なかった。それを見て、ふむ、とエドガーは考える仕草を見せる。
「よっぽど火が苦手なんだな。フィーリア、もう一度同じことが出来るか?」
「ごっ、ごめんなさいっ。さっきのはたまたま上手くいっただけで、そう簡単には。全力で放てば問題ないんですけど、森に引火させるわけにはいきませんし、かといって威力を絞ればエミュールには効きませんし。
火の精霊さんは気性が激しいせいもあるんですが、私、制御が下手で」
「思いっきり手加減するか、全力しか出来ないってことか。扱い辛い女だな」
「それじゃあ私がやるよ。フィーリアほど火力は出せないかもしれないけど、私も火の魔法なら使えるし」
「あの、それだけじゃ倒せないと思います。エミュールはまだ本気ではないので」
「何? それはどういう……」
ラッシュが問いかけようとしたところで、エミュールは動きを止めた。
アメリアの電撃と同じく、気合で炎をかき消す。ようやく火は消えたといえ、ダメージは深そうであった。上半身のあちこちが焼き焦げ、フーッ、フーッと苦しげな声を上げている。
これならと、皆の顔に希望が見えた。しかし次のエミュールの行動に、一行は再び表情を引きつらせた
『ウウウゥゥ──ホォアアアアアアアアアア!』
森に全体がビリビリと揺れるほどの咆哮が響いた。すると、エミュールの体が光に包まれる。あまりの眩さに、エドガー達は目を押さえた。
その発光は数秒ほどで終わった。恐る恐ると腕を退ける。
そこには、変わったエミュールの姿があった。
全身がうっすらと柔らかい光の衣に包まれている。そして、体毛は黒から白へ。まさに【聖獣】と呼べる純白へと変化していた。
その姿を見て、ラッシュは呟く。
「なるほど。“光り輝くエミュール”。これが本当の姿って訳か」
「へっ。ただ体が白く変わっただけじゃねぇか」
「いえ、それだけではありません」
エドガーの強気な発言を、フィーリアは緊張した表情で否定する。
どういうことかと、エドガーが聞き返そうとする。が、それよりも早くジーナが気づいた。
「おい。あいつ、傷が治ってねぇか?」
「なにぃ?」
怪訝そうな顔をしながら、エドガーはもう一度エミュールを見る。すると、確かにフィーリアによって焼かれた体が、みるみるうちに治っていた。そして、そう時間が立たないうちに、全身の傷がふさがる。傷ついていた事実がまるで嘘であったかのような、そんな常識はずれの回復力だった。
『ウホ、ホホホッ!』
ドンドンと胸を叩き、得意げな顔でこちらを見てくるエミュール。実に腹立たしい表情であった。しかし、苛立ちよりも苦々しいものを感じる。
「な、なんですかあれ? 光って白くなったと思ったら、あっという間に回復するなんて」
「いくらなんでもありゃおかしいだろ。なんか仕掛けでもあんじゃねぇか?」
「はい。エミュールは森の【聖獣】です。それ故に、森の力を借りることが出来るといわれております。あの姿になったエミュールは、森の生命力をそのまま自分に吸収することが出来るんです」
「つまり、私達はこれから回復し続けるあの子と戦わないといけないってこと?」
「おいおい、そいつはちょっと反則だろ。ただでさえ強すぎるくらいだってのに……」
強靭な身体能力に加え、この回復力。森という領域にいる限り、この【聖獣】は不死身に近いと言ってもいいだろう。倒すことなど不可能だ。
これはいよいよ撤退を考えなければならない。誰かが足止めをして【豊穣の果実】を手に入れ即離脱。それが理想だろう。
だが、それがとてつもなく難しいことであると誰もが理解していた。難しい戦いになると、皆がしんどそうな表情を隠さない。
しかしただ一人。エドガーだけは思案げな顔をしていた。
「ふむ……」
「エドガー? どうしたの?」
「いや、ちょっと思ったことがあってな」
気遣わしげな顔をするアメリアに、エドガーは軽い口調で言った。
「あの回復力なら、やり過ぎたとしても問題ないんじゃねぇかな〜、と」
何気ないその言葉に、皆が目を丸くした。
皆の反応に気づかず、エドガーは続ける。
「あれなら何をしようが死にはしないんじゃないか〜、と。そう思ってな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます