第69話 僕が死んだらどうなるか分かってんですか!?



「そろそろエミュールの縄張りに着きます。ご注意を」


 先頭を歩くフィーリアが、緊張した顔で言った。

 この森に住むエルフにとって、森の守護獣であると同時に、逆らってはいけない猛獣でもある存在。自ら死に近づいているのだと自覚し、手に汗が出る。


 まさか、自分がこのような目に合うことになるとは思ってもいなかった。しかし、後悔はしていない。死ぬ覚悟も――出来ている。


「どんな動物なんだろうね。ちょっと楽しみだな」

「【聖獣】っても見た目は普通の動物とあまり変わらないと聞くからな。あんまり期待しないほうがいいかもしれんぞ」


「姿形なんぞどうでもいい。大事なのは強いかどうかだ。せめてあたしを楽しませるくらいの強さは欲しいところだな」

「そんな風に思ってるのはジーナさんくらいですよ。弱いならそれに越したことはないです」


「同感だな。楽に勝てるならそっちの方がいい。ま、今までの試練と違って戦うだけなら、なんとかなりそうな分マシか」

「今どこに向かってるのか分かってます!? もう少し緊張感を持ってくださいよっ!」


 半泣きになりながらフィーリアは後ろの五人に抗議した。世間話をするほど気楽な有様だ。これでは真剣になっている自分がバカのようではないか。


 エドガーは、そんなフィーリアを呆れた目で見た。


「お前な、そんな緊張してどうすんだ。もっと力抜けよ。でないといざという時に動けねぇぞ」


「エドガー様は気が抜けすぎなんですよ! なんですか! こんな時にまでアメリアさんに抱きしめられちゃって! 私にもやらせてくださいっ!」

「駄目。これは私の仕事。絶対に譲れない」


 キリッとした顔で、アメリアは断った。

 うぅぅ、と。フィーリアは弱気な声を出す。


「力を抜けって言われたって無理ですよ。相手はエミュールだって考えただけで……怖くて……」

「そんな怖がってばかりでもしょうがねぇだろ。ほら、もし勝てばその【豊穣の果実】ってやつも手に入るんだぜ? だからやる気出せよ」


「エドガーさん。子供じゃないんですから、それはいくらなんでも」

「【豊穣の果実】が私の物に……皆さんっ、頑張りましょうねっ!」


「フィーリアさん、それでいいんですか?」

「お前はこいつのことがまだ分かってないようだな。こいつほど操りやすい奴は他にいない」


「フィーリアさんのせいでエルフのイメージが……」


 やっぱりエルフに好かれていないのにはそれなりの理由があるのでは、とネコタは悩んだ。体面を重んじている者からすれば、あまりにも欲望に素直すぎる。


 やる気を見せたフィーリアが、ピタリと動きを止める。そして、その場で身を伏せるように合図をして言った。


「皆さん、ここからは特に慎重に。もうすぐ姿が見えるはずです」


 全員の顔が引き締まる。流石のアメリアもエドガーを下ろした。

 気配を可能な限り消し、茂みに身を隠しその先を覗きこむ。その視線の先にあるものを目にして、フィーリアは呟いた。


「──居ました。あれがエミュールです」

「あれが、”光り輝くエミュール”?」


 フィーリアと同じ格好で覗き込んだアメリアが、不思議そうな声で呟く。しかし、無理もない。その姿はアメリアの想像とはだいぶ違った。


 ポッカリと空いた広場の中央に、頂点が見えないほどの巨木が立っていた。その木の枝に一つだけ、ピカピカと輝く金色の実が見える。おそらくあれが【豊穣の果実】と呼ばれるものだろう。


 そしてその木の麓に、一匹の獣が眠っていた。


 呑気そうな顔だが、筋骨隆々とした体躯。全身を包む黒い体毛。聞いていた異名や名前とは、イメージがあまりにもかけ離れている。

 その姿を見て、エドガーは思わず呟いて居た。


「ただのゴリラじゃねぇか」

「いや、ゴリラにしては体毛が長いし、オランウータンでは?」


「ゴリラだかウンタンだか知らねぇが、予想と違うのは確かだな。あいつ、本当に強いのか?」


 ジーナは不満そうな顔をしていた。久しぶりに手応えのある相手だと思っていただけに、がっかり感が大きかった。

 逆に、ラッシュはホッとしたように言う。


「まさか弱いってことはないだろうが、戦えるような奴にも思えねぇな。とういか、寝てる今のうちに果実を取ればいいんじゃねぇか?」

「いえ、駄目です。これ以上近づいたら気づかれます」


 ラッシュの案に、フィーリアは厳しい顔で釘を刺す。


「エミュールは縄張り意識が物凄く強いんです。今は眠っているようですが、敵が縄張りに入った瞬間、警戒体制に入るでしょう。ですから、作戦を立てるなら今のうちです。ここで万全の体制を整えて……」

「いや。アイツ、もう気づいてるな」

「えっ?」


 びっくりしたように、フィーリアはエドガーを見る。

 エドガーは耳をピクピクと動かして言った。


「話している途中で、あいつの呼吸音が変わった。あれ、寝たふりをしてるぞ。完全に俺たちに気づいてる」

「でも、まだかろうじて姿が見える程度の距離ですよ? 縄張りに入ってないし、声だって抑えてるのに」


「間違いねぇよ。アイツ、意外と狡猾だな。こっちの油断を誘ってやがる。何も知らずに近づいてきたところを逆に意表をつく気だな」

「えっ、えぇ〜……?」


 フィーリアはまじまじとエミュールを見る。ちょうど、エミュールはゴロンと寝返りを打ったところだった。こちらに背を向けている形で、肘を立てて枕にして寝転がっている。隙だらけだ。今ならば不意を突ける気もする。


「エドガー様を疑う訳ではないですけど、本当ですか? とてもそうには……」

「エドガーさん、また適当なこと言って僕達をビビらせようとしてるんじゃ?」


「バカッ! こんな時にそんな真似するかっての! 分かんねぇのか? 明らかにありゃ誘いだろうが!」

「確かにな。こうしてよく見ていると、どうも動きが作為っぽい」


 ラッシュまでもが同意すると、皆がじっとエミュールの背中を見つめる。


「……あっ、今こっち見たよね」

「ああ、あたしも見たぜ。うしろ目でチラチラこっちを見てたな。なんかイラッと来たわ」


「眠ったふりしてノコノコと近づいてきたところを、ってつもりか。お前、あいつは普段どんな性格をしてるって言ったっけ?」

「その、温厚で……争いを好まない賢い獣だと……」


「明らかに罠に嵌めようとしている奴が温厚? 冗談だろ。容赦無く殺しにかかろうとしてるじゃねぇか」

「なんかかなり人間臭いですね。まるでエドガーさんみたい」

「はっはっは、ネコタ君。喧嘩を売っているのかね? うん?」


 エミュールの前に、ここで一戦始まりそうだった。

 まぁまぁとラッシュが宥め、続ける。


「どうやら不意打ちは効きそうにないな。趣味じゃねぇが、正面から行くしかねぇか」

「いいじゃねぇか。力比べだ。そっちの方があたし好みだぜ」


「あっ、あのぉ、他に方法はないですか? エミュールを相手に正々堂々なんて、正気の沙汰じゃないですよぉ」

「他の方法と言われてもな。ここから俺の弓かアメリアの魔法をぶち込むくらいしか……いや、そうだな。エドガー、なんとか説得できないか?」

「あん? 説得だぁ?」


「ああ。どうせ見つかってるなら先制攻撃なんか効きそうにないしな。だったら一か八かでお前が説得してみるってのも手だろ? 相手が【聖獣】なら、お前も言葉を理解できるんじゃないか?」


「まぁ【聖獣】なら話は出来るだろうが……ふむ、やる価値はあるか。そんじゃあ駄目元でいってみっか」

「あ〜? そんなつまんねぇことしなくてもいいじゃねぇか。言葉より拳で語り合ったほうがよっぽど分かり合えるぜ」


「脳筋はこれだから手に負えない。あのゴリラの方がよっぽど頭良いぜ」

「んだとウサギィ! テメェから片付けてやろうかコラッ!」

「止めなさいっての。こいつにはこれから交渉してもらうんだから」


「どれ、そんじゃ行ってみっか。ほら、お前らも隠れてねぇで行くぞ」

「えっ、僕らもですか?」


「当たり前だろ。あれは理性ある獣だぞ? これから交渉するってのに、後ろに戦力を隠しているような相手を信用できるか?」

「それもそうだね。騙し討ちを仕掛けてくるって思うかも」


「だろ? どっちにしろもう見つかってんだ。交渉しようが戦いを挑もうが、姿を表すのはいっしょなんだから腹くくれよ」


「うぅぅぅ、分かりました。エドガー様、お願いしますね。出来れば戦わずにすむようにっ!」

「それはあのゴリラに頼んでくれ」


 そっけなく答え、エドガーはピョンと茂みから飛び出した。

 丸見えになっているというのに、エミュールは背中を向けたままだった。それに少しだけ安心して、他の五人も姿を現す。


 エドガーを先頭にして、エミュールに向かって歩く。そして数歩近づいたらところで――エミュールの姿が消えた。


「は?」


 ネコタが間抜けな声を上げる。そして正気を取り戻すより早く、ラッシュの破裂したような声が響いた。


「上だっ!」

「チィッ!」


 いち早く反応したのは、ラッシュとジーナだった。


「えっ? きゃあ!」

「わっ」


 ラッシュが側にいたフィーリアを、ジーナがアメリアを抱きかかえ、その場から離れる。えっ、えっ、と。一人遅れたネコタは首を振ってその動きを追う。しかし、それはこの場においてあまりにも悠長に過ぎた。


『ウホオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

「危ないネコタァ!」

「げぼぁあ……ッ!?」


 ドカッ、とエドガーの跳び蹴りがネコタに決まった。ネコタは白目を向いて蹴飛ばされ、エドガーは反動を上手く使ってクルリと宙返りをする。


 そのエドガーの直ぐ目の前を、エミュールの拳が通り過ぎた。ズドンッ、とまるで砲弾のような着弾音。土は捲れ、飛び散った土片がエドガーの体を汚し、風圧で遠くまで飛ばされる。


 その直後、ドカッという音と、グゲェとカエルが潰れたような音が小さく聴こえた。ネコタが木に叩きつけられた音と苦しむ声だった。


 エミュールはぐるりと周りを見回し、また一足飛びで元の場所に戻った。六人から木と果実を守るような立ち位置に着くと、ブフンッ、と満足そうに息を吐き、泰然として構えている。


 その隙に、全員がネコタの元に集まった。


「ふぅ、間一髪ってところか。あの巨体であの動きとは恐れ入る。ネコタ、感謝しろよ。俺が居なけりゃ死んでたぞ」

「ゲフッ! 何を……感謝……ふざけっ……ゲハァ!?」

「なんだ? 大げさな野郎だな。血なんか吐きやがって」


「げっ、こりゃマズイ。アメリア、急いで治療を! エドガー! 助けるのはいいがもう少しやり方を考えろ!」

「なんでい、あれくらいで。これだから温室育ちのお坊ちゃんは扱いに困るぜ」


 エドガーは足手まといを見るような目でネコタを見た。

 薄い意識をなんとか繋ぎ止め、ネコタは己に誓った。コイツ、いつか絶対に殺す!

 ネコタは着々と勇者の心構えからはみ出しつつあった。


「ぐっ、かはぁっ! よ、良かった。死ぬかと思った」

「ああ、本当に良かったぜ。こんな所で【勇者】を失ったら、全人類に申し訳がたたねぇ」


「本当ですよっ! エドガーさんっ! あなた僕を殺す気ですか!?」

「なんだよ、助かったんだけゴリラに殺されるよりは遥かにマシだろ?」


「そうだけどっ、少しは悪びれよ! そもそも仲間に殺されかかってることがおかしいんだよ! だいたい僕が死んだらどうなるか分かってんですか!?」

「うわっ、出た出た。自分が特別だと勘違いしてるやつって本当に痛々しいよな……」

「実際、僕は替えが効かない存在なんだよ! もっと大事にしろよ!」


 まるで選民思想のような発言であった。

 ネコタの将来が少し心配である。


「ネコタ、気持ちは分かるが後にしろ。状況を考えろよ」 


 ジーナに言われ、ムッとした表情をするネコタ。しかし、こちらに背中を向けエミュールから目を逸らさないジーナを見て、素直に謝った。


「すいません。怒りが抑えられませんでした」

「気にすんな。あたしがお前でもそうなるわ。しかし、どういうことだ? アイツ、何で動かねぇ?」


 ジーナは誰よりも先にエミュールに備えていた。ネコタの治療している隙を、見逃すはずがないと思っていたからだ。追撃をしてくるなら、自分がその時間を稼ぐつもりだった。


 しかし、予想に反しエミュールは動かなかった。それどころか、ネコタが治療しているのを待っていたふしがある。

 フンッと。エドガーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「べつに難しいことじゃねぇ。ただネコタの治療を待っていただけだ」

「あ? どういうことだ?」

「アイツの顔を見てみろよ。ワクワクしてるだろ?」


 言われ、ジーナはエミュールの表情を見た。

 あからさまに笑っているわけではないが、なるほど。確かに、言われてみればそんな雰囲気があるような気がする。


「温和な【聖獣】? バカを言え。襲ってくるように隙をあえて見せたり、縄張りに入るなり先制攻撃。むしろ好戦的なゴリラじゃねぇか」

「そ、そんなっ……縄張りに入らない限りは大人しいから、てっきりそういう性格だとばかり……」


「いや、その縄張りはむしろ、アイツにとって縛りなのかもな」

「どういうこと?」


 アメリアが聞き返す。

 ラッシュは顎を撫でながら続けた。


「【聖獣】ってのは神の祝福を受けた生物だ。しかし、その多くには祝福を受けるだけの理由がある。

 【聖獣】は尋常じゃない力を持つが、その力を目的以外にみだりに使ってはならないとされていると聞く。

 たぶんアイツは、この森の守護を役目として与えられた【聖獣】なんだろう。その力は森を守ることのみに使われなければならないはずだ。その例外が、自分の縄張り入った侵入者の排除なんだろう」


「自分の力を思う存分に振るえる。そんな貴重な機会を、あっさりと終わらせるのはツマらねぇだろ? どうせならお互い全力で、思いっきり暴れたい。そんなところじゃねぇか?」

「ははぁ、なるほどな」


 納得顔で頷くジーナ。

 ピキリ、と。その表情はすぐにの引き攣った。


「ようするに、あたしらは舐められてるってわけだな?」


 全員纏めて相手にしても、自分が勝つと思われているという訳だ。


 ──ゴリラ風情がっ!


 獣にここまで舐められるのは初めてだ。そう思うと、ジーナは自然と殺気が溢れた。

 人類トップクラスの実力を持つ【格闘家】の殺気。常人ならばそれだけ気を失う圧力持つそれを前に、エミュールはニッと笑った。


『ウホォオオオオオオオオオオオオオオオオオ』


 雄叫びを上げ、ドンドンと胸を叩く。とても怯んでいるようには見えない。それどころか、興奮し楽しそうですらあった。


 そんなエミュールを見ながら、ジーナはエドガーに尋ねた。


「何だって?」

「『良いぞ! 出来る限り俺を楽しませてくれっ!』だとよ」

「ははっ、本当に舐めてやがんなあのゴリラ。上等だ、どっちが上なのか教えてやるよっ!」


 止める間もなく、ジーナはエミュールに突貫した。




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