第33話 ギギ……ギグ……グゲェ……
眼前の森を見つめ、ネコタは青ざめた顔をしていた。
「……大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です。ちょっと緊張しているだけですから」
気遣ってくれたアメリアに、ネコタはぎこちない笑みを浮かべる。
エドガーは煽るように声を上げた。
「そんなもん最初だけだからビビってんじゃねぇよ! 慣れたら緊張じゃなくてワクワクに変わるぜ!」
「それはそれで問題ですよ……」
魔物とはいえ、生き物を殺して楽しむのは倫理的に褒められたものではないだろう。こんなウサギのような人でなしにはなりたくないとネコタは思う。
「よし、それじゃあ探索を始めるぞ。騒ぐのはそこまでにしとけ。それから、ゴブリンを見つけたからって勝手に攻撃しないように。特にエドガーとジーナ。ちゃんとネコタに譲ってやれよ」
「分かってるよ。ゴブリンなんて雑魚の相手、やりたくもねえっての」
「心配しなくてもやらねぇよ。俺はむしろネコタが戦うところが見たいからな」
「そう言っておきながら手を出しそうだから言ってるんだよ。信用できるか」
「僕としては譲ってくれなくてもべつに構わないんですけど」
五人は森の中に入っていく。ネコタ以外は気負った様子もなく、自然体で辺りを観察していた。
道もなく、人の手が入っていない深い森。日本ではこんな場所を歩くどころか、見たこともない。
「凄い森ですね。これじゃあゴブリンを見つけるのも大変じゃないですか?」
「いや、そうでもないさ」
「え?」
あっさりとした返答に、ネコタは驚く。
ラッシュは頼もしい笑みを浮かべて言った。
「こういう場所でこそ、狩人の力の見せ所ってことだよ――っと。止まれ」
ラッシュは後ろの四人を止めると、側の茂みを掻き分けその先でしゃがみこんだ。そして手招きして地面を指差す。
「ほら、見てみろ。ゴブリンの足跡だ」
「えっ? 本当に?」
ネコタが覗き込む。一見すると何も無いように見えるが、じっと目を凝らせば人型の足跡のようなものがうっすらと残っていた。
「本当だ、凄い。どうして分かったんですか? 茂みに隠れていたのに」
「その茂みに、何かが通り抜けたような跡があったんだよ。だからその先を追ってみただけだ」
「そ、そうなんですか? 僕には見分けが付かなかったですけど」
「一見何も感じなくても、自然には情報が溢れている。ただ、その情報を捕まえることが出来ない奴が多いだけだ。それを確実に捉えるのが狩人、ってな」
「す、凄い……!」
紛れもなく、彼は自然のスペシャリストなのだ。常人には気付けない情報を自然から読み取る。探索において彼の右に出るものはいないだろう。
ネコタの尊敬の視線に、ラッシュはまんざらでもない顔を見せた。
「なに、そう大したことでもないさ。ただ人より目端が効くだけでな。……よし、こっちだ。ついてこい」
ラッシュは足跡の追跡を始めた。その背を四人が追う。
進むにつれ足跡だけではなく、茂みの掻き分けた跡や木についた不自然な傷などが増えていく。見た感じでは、まだ出来たばかりだ。確実にこの持ち主に近づいているとラッシュは確信した。
一時間ほど歩き、これはいよいよ近いとラッシュが感じたところで、休むのにちょうどいい開けた場所に出る。そこに残された跡を見て、ラッシュは小さく笑った。
「ここに居たのは間違いないようだが、どうやら少し遅かったようだな」
広場には焚火の跡や動物の骨などが落ちていた。何者かがここで一晩明かしていたのだろう。
ラッシュの言葉通りに周りの景色を見て、ネコタが残念そうな声を上げる。
「惜しいですね。もっと早く来ていれば」
「なに、獲物は近い。今から追えばすぐに追いつく。……よし、こっちだ」
はっきりと残った足跡に笑みを深め、ラッシュはまた歩き出す。その背をネコタが追おうとしたところで、
「——待ちな」
後ろから、エドガーの声が掛かった。
「なんだ? 何かあったのか?」
ラッシュが振り返り声を掛けるが、エドガーは反応を見せない。明後日の方へ向き、ピコピコと長い耳を動かしている。
「エドガー、どうしたの?」
不思議そうにしながらアメリアが聞いてようやく、エドガーは動き出した。
「……ふむ。こっちだな」
「あん? なんだって?」
聞き返したラッシュを無視して、エドガーは自分から森の中へと飛び込んだ。
「エドガー、待って!」
「おいっ、アメリア! ――ったく! あのクソウサギッ!」
慌ててアメリアがエドガーを追い、それにジーナが続いた。
それをラッシュはポカンとした顔で見続け、オロオロとネコタがうろたえる。
「アイツら、森の中で俺になんの断りもなく……」
「えっ? え? ど、どうしましょうラッシュさん」
「どうするもなにも、アメリア達が追いかけたんだから、俺たちも追うしかないだろう。まったく、勝手な行動ばかりしやがって」
疲れたようなため息を吐きながら、ラッシュはネコタを引っ張ってエドガー達を追いかけた。
突然歩き出したと思われたエドガーだったが、本人は何か明確な目的地があるらしい。迷わず森の中を歩き続けている。
ときおり剣を抜いて茂みを斬り裂き、後ろのアメリア達が通りやすいようにしている配慮を見せるが、険しい道でも構わず真っ直ぐに進んでいる。
まるで森の進み方をという物を分かっちゃいない、と溜息を吐きかけたラッシュだったが、あることに気づき目を瞠った。
「……ゴブリンの足跡が増えてる」
「えっ!? 本当ですかそれ!?」
「あ、ああ。ネコタ、あまり大きな声を出さないようにな」
注意しつつも、ラッシュはそれが間違いでないことを悟っていた。
進むに連れ、明らかにゴブリンと思わしき足跡や通った痕跡が増えている。
その事実にラッシュが驚いていると、ピタリとエドガーは動きを止めた。
そして地面に這い蹲り、目の前の茂みに頭を突っ込む。フリフリと尻を振っていたかと思ったら、茂みから頭を抜いて言った。
「着いたぜ。見てみろ」
四人は目をパチクリとさせ、顔を見合わせる。そして半信半疑ながらも、エドガーと同じように這って茂みの中を覗いた。
「嘘だろ……なんで……」
ラッシュは言葉を失った。
そこには、大量のゴブリンが生活をしていた。
森の中にポカンと開いたその広場には、小さな池がありその側でゴブリン達が焚火を囲んで食事をしている。大小様々なゴブリン達が生息しているそこは、紛れもなく巣と呼べる規模だった。
「エドガー、凄い……!」
「ほぉ、やるじゃねぇかお前」
「ふっ、これくらい朝飯前よ」
声を潜めながらも褒め言葉を送るアメリアとジーナに、エドガーはなんでもなさそうな顔で応える。
青ざめた顔でネコタは呟く。
「見つかったのはいいですけど、ちょっと数が多くないですか? ざっと見た感じでも百は超えてるような……」
「安心しろ、この面子ならゴブリン程度に負ける理由はない。むしろ訓練にはちょうどいいと喜べ。
それよりもエドガー。お前どうやってこの場所を見つけたんだ?
さっきの場所からここに繋がるような痕跡はなかったはずだが」
入念に調べ足跡を追おうとしたのだ。その足跡も、こことは別の場所には向かっていた。それは間違いないと自信を持って言える。だからこそ、エドガーがどうやってこの場所を突き止めたのかが気になった。
「べつにたいした理由じゃねえよ。こいつらの生活音が聞こえたからそれを辿っただけだ」
「音……え? あの場所から? ここまでどれだけ距離があると……」
「ふっ、俺の耳はどんな微かな音も聞き逃さない」
ドヤ顔で耳をピコピコと揺らす。
――ちょっ、ズルッ……!
ラッシュは心からそう思った。知識でも経験でもなく、聞こえたからそこに向かう。これほど単純で理不尽な話があるだろうか。自分のやっていることがバカらしく感じてしまう。
年甲斐もなくモヤモヤとした物を抱える。そんなラッシュに、エドガーは朗らかな笑みを向けた。
「ふふふっ」
「な、なんだよ笑みは……?」
「いえね、ちょっとラッシュ君に思ったことがありまして」
「おい、口調まで変わってるぞ。ていうかラッシュ君ってやめろよ、気持ち悪いな……」
憎まれ口を叩くが、エドガーの笑みは崩れるどころか慈愛のような物まで感じさせる。まるで迷い人を導こうとする神父のようだ。あまりのらしくなさに、ラッシュは薄気味悪さを感じた。
「宰相には嵌められ、資金の調達方法も結局は僕のコネ。そして探索でこの場所を見つけたのも僕の力。
パーティーの運営。探索での索敵能力。どちらも僕の方が上となれば、ラッシュ君の存在価値はどこにあるのかな、と。
ぶっちゃけると、ラッシュ君ってべつに居なくてもよくない?」
グサリッ、と。その言葉はラッシュの胸に深々と突き刺さった。
馬鹿な……この世界で俺ほどの【狩人】は……だが現にこうして……何の役にも……!
「俺は……要らない子だったのか……?」
「そ、そんなに落ち込むことないですって! ほら、さっきの広場を見つけたのはラッシュさんですし、それがなければエドガーさんもこの場所を見つけることは!」
「ぷっ、くくくっ! 確かになんの役にも経ってねぇよなぁ。しっかりしろよオヤジ。そのままだと本当に追い出されちまうぞ」
「はははっ、ジーナさんも他人事ではないですよ?」
あんっ? と、ジーナはエドガーを見る。
エドガーはやはり優しげな笑みをジーナに向けていた。
ゾクッと、ジーナの背筋に寒気が走った。
「ジーナさんもここまで何もしてないんですから、そろそろ役に立つところを見せてくれないと。でないとラッシュ君と同じ扱いですよ」
「ウ、ウサギ……テメェ……!」
「ああ、いや、ジーナさんは戦いが本職ですからね。それすら僕以下だとしたら、どうなんでしょう?
戦いしか出来ない人間が、それすらもロクに出来ないとなると……」
「あ、あたしがこのオヤジ以下だとでも言う気かテメェ!」
「そこまではいいませんが……そう言われたくなければ、頑張ってくださいね?」
自分が狙われていることにジーナは気づいた。明言せずにプレッシャーをかけているあたりが実に嫌らしい。もし万が一、このウサギ以下の成果しか上げられなかったら……!
――ガサッ!
その時、五人の背後で茂みを掻き分ける音が聞こえた。
やはり、というべきか。そこに現れたのは数匹のゴブリンだった。
おそらくは斥候から戻ってきたところなのだろう。ゴブリン達は五人を見ると目をパチクリとさせ、声を上げる。
「ギッ? ……ギグアアアアアア!」
「ッ! ゴブリ――」
ネコタが言い切る前に、ジーナが動いた。
一瞬でゴブリンに接近。懐に飛び込み地面を強く踏みつける。そのエネルギーを拳に伝え、全力で振り上げる。
ジーナの拳がゴブリンの顎を捉え、バゴンっと音を立てた。殴られたゴブリンは頭を宙に飛ばし、首から噴水のように血を吹き出してその場に倒れる。
――ネコタは少し漏らした。
「しっ! 次――」
獲物を探すジーナ。が、目を隣に移したところでピタリと動きを止めた。
エドガーの足元に、三匹のゴブリンが横たわっていた。
エドガーは剣を振り、ん? とジーナの方を見て感心した声を漏らす。
「おおっ。もう一匹倒したのか。やるじゃん」
「————————ッ!」
ジーナは無言でそれを見つめると、焦った表情でゴブリンの巣へと飛び込んだ。そしてエドガーもそれを追いかけた。
「ニ! 三、四!」
「五、七、これで八匹目っと」
「くっ!? 六! 七! 八! 九! どうだぁ!?」
「十二、十五、十七! ふはははははは! 私と君の差は永遠に広がるばかりだなぁ!」
「くそがあああああああああああ!」
「テメェらネコタの訓練だって言っただろうが! 好き勝手やってんじゃねぇ!」
立ち直ったラッシュが怒鳴りつける。が、二人は聞く耳を持たず次々とゴブリンを狩り続けていた。特にジーナは鬼気迫る表情をしている。パーティーのヒエラルキーを守るために必死のようだ。
ゴブリンの悲鳴と断末魔が響き、血しぶきが舞い散る。そしてその惨劇を遊び半分で作り出していく二人。どちらが悪か分からなくなる光景だった。
「ああ、ったく。あいつら、あれだけ注意しろと言ったのに結局これか。すまんなネコタ。お前の訓練なのに」
「い、いえ。僕はべつに……そ、それよりもあの二人を止めませんか。いくらなんでもゴブリン達が可哀想で……」
「そうしたいが、俺が言っても止まらんだろ。それにゴブリンは一匹残らず倒さないと被害が出るからな。やってることはむしろ褒められることなんだぜ」
「そ、そうですか……」
ネコタは呟き、惨劇から目を背けた。
分かってる。頭では分かっているのだ。ここで見逃したら、不幸になる人が出てくる。確実に滅ぼさないとならないということは。
だが、もう少しやりようがあるのではないか?
せめて堂々と戦ってやれば……こんな、まるで虫を潰していくかのような……これじゃあただの虐殺だ。あまりにも酷い……!
想像もしていなかった光景にネコタは葛藤していた。
そんなネコタ達を穴と見たのか、一部のゴブリンが向かってくる。目は血走り、必死の形相だ。本能的に、ここを抜けなければ命はないと直感しているのだろう。
「おっ! よしよし、ちょうどいいな。ネコタ、あいつらを殺ってみろよ」
「ぼ、僕ですか!? ……あ、あの、ちょっと数が多くないですかね?」
軽く数えて十匹以上はいるだろう。実力的には問題ないだろうが、初陣にしては確かに多いかもしれない。もっとも、戦う気分になれないというのが本音ではあるが。
「んん、まぁ確かにちょっと多いかもな。アメリア、すまんが少し数を減らしてくれるか?」
「ん、分かった」
アメリアは頷くと、杖に魔力を流し、唱える。
「【
うっかり、というような声が漏れた。
杖の先端から炎が吹き出し、舐めるようにゴブリン達を飲み込む。声を上げることすら許さず、その炎は全てを燃やし尽くした。
骨すらも残さない結果にネコタは絶句し、ラッシュは頭を抱える。
「ったく、少しだけと言ったろうに」
「……ごめん。やりすぎちゃった」
「い、いえ……。誰にでも間違いはありますので、気にしないでください」
心なしかションボリとしているアメリアに、ネコタは震える声で慰める。アメリアさんだけは、何があっても怒らせないようにしよう。ネコタは心に誓った。
「チッ、もうゴブリンが残ってねぇじゃねぇか。あいつら、ネコタの訓練だとあれほど言ったのに」
ラッシュが見廻す限りでは、生きているゴブリンが見当たらなかった。先ほどまで聞こえていた悲鳴すらも聞こえなくなっている。ということは、ジーナとエドガーも狩り尽くしたのだろう。
どう叱りつけてやろうかとラッシュが考えていたところに、エドガーがピョンピョンと跳ねながら帰ってきた。その後ろにはジーナが絶望の表情でトボトボとしながら歩いている。どうやら軍配はエドガーの方へ上がったらしい。
「お〜い! こっちは片付けてきたぜ!」
「片付けたら駄目なんだよバカ野郎! 訓練だって言っただろうが!」
「うるせぇなぁ。わざわざ怒鳴らなくても分かってるっつの。ちゃんとネコタの分は用意してあるぜ」
「なに?」
ラッシュがキョトンとした顔を見せる。
ネコタも目を丸くしていた。
「まだ残ってるんですか? どこにも見当たりませんけど」
「もちろんだ。ほれ、こっちだ。ついてきな」
エドガーが先導し、その後を追う。
不思議そうにしていたネコタだったが、エドガーに案内された場所にあった物を目にし、言葉を失った。
「ギギ……ギグ……グゲェ……」
血まみれになり、両手両足を切断されたゴブリンがそこに横たわっていた。もう暴れる体力も無いのか、苦しげにうめき声をあげているだけだ。
凄惨な姿に絶句するネコタ。
エドガーはいい汗かいたとばかりに額を拭うと、爽やかな笑顔で言った。
「さっ、どうぞ遠慮なく」
「さ、最低だ……! いくらなんでも、こんな……人間じゃない……!」
「いやまぁ、獣人ですしおすし」
「そういう意味じゃなくてぇ……! 鬼畜……! 悪魔ぁ……!」
か弱い少女のようにガタガタと震えながら、エドガーを指さすネコタ。
その態度に、エドガーは拗ねたような顔を見せた。
「ちぇっ、なんだよ。せっかくネコタの為を思って用意してやったのに……」
「いや、さすがにこれは俺もどうかと思うぞ?」
ネコタほどの拒否感はないが、ラッシュも微妙な顔でゴブリンを見ていた。
「なんでぇ。おめぇまでネコタみたいなことを言うのかよ」
「そりゃあなぁ。実戦経験を積ませようとしてるのに、とどめだけ渡しても意味ないだろうが。それと、べつにゴブリンに同情するつもりはないが、意味なく敵を痛めつけるのは趣味が悪いぜ」
「バカ言え。ちゃんと意味があってやったに決まってるだろ」
「ほう?」
ラッシュは意外そうな目をする。
ネコタは嫌悪感をにじませた目で見ながら言った。
「意味? 痛みつけて楽しんでいただけじゃないんですか?」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ……。いいか?
殺しの経験がない奴でも、殺らなければ殺られるっていう状況になると案外殺せるんだよ。だって、そうしないと自分が死ぬからな。
殺すために殺すんじゃなくて、生きる為に仕方ないんだって免罪符があるから、心理的にもそっちのが楽だしな。
だけど自分に一切の危険はなく、一方的にトドメを刺すっていうのは、自分を守るためっていう言い訳が聞かない分、よっぽどの覚悟がないと出来ないんだぜ?
殺す覚悟を身に着けるなら、こっちの方が身になるだろ。戦闘技術は訓練でもう鍛えてあんだし」
「なるほど、一理あるな」
「ラッシュさん!?」
ネコタはぎょっとしながらラッシュを見る。
「えっ? ちょ、まさか本気でやらせるつもりですか!?」
「いや、納得できるだけの理由だしな。確かにそっちの方がお前にとっては良い経験になる。それに、戦わせるにしても相手がもう居ないし。ここはエドガーの好意に甘えさせてもらおう」
「好意!? この外道の所業が!?」
「うるせぇなぁ。いいからとっとと殺っちまえよ」
エドガーはクイと顎でゴブリンを指す。
ネコタは地面に倒れているゴブリンを見た。呻き声を漏らすばかりで、もはや動く気配がない。放っておいてもそのうち死ぬだろう。これにトドメをさせと言うのか?
――駄目だ、出来ない!
ネコタは目で助けを求める。だが、ラッシュは静かに頷き、ジーナは落ち込んでいてそんな余裕はない。そしてエドガーに至っては問題外。
最後の望みとばかりに、アメリアに目で訴えかける。
それが届いたのか、アメリアは頷いた。
「頑張って」
味方は居なかった。
逃げ道がないと悟り、ネコタは空を仰ぎ見る。なぜ、どうして僕が……!
苦しむネコタの腰元に、ポンッとエドガーが手を置いた。
「ネコタ……一思いにやってくれ。これ以上は見ていられねぇ……!」
ウサギに殺意が芽生えた。
なんで辛そうに眼を逸らす? クッ……! ってなんだおい? 悔やんでいるつもりか?
ネコタは息を吐き、腰の聖剣を抜いた。まさか聖剣を初めて実戦で使う機会が、処刑になるとは思ってなかった。何かが間違ってる。素直にそう思った。
高々と構え、横たわっているゴブリンを見下ろす。今にも殺されようとしているというのに、ゴブリンは動きもしなかった。出血が多く、反応すらできないのだろう。ただ虚ろな目で、地面を見つめているだけだ。
「──ッ!」
覚悟を決め、ネコタは剣を振り下ろした。
聖剣は容易くゴブリンの首を斬り飛ばし、返り血がネコタの顔面にビチャリと届く。転がったゴブリンの頭を目にすると、徐々に体から力が抜けていった。小さく体が震える。それを誤魔化すように、ゆっくりと息を吐く。
「よし、良くやった。大丈夫か?」
「……はい。まぁ、なんとか」
「嘘つけ、顔が真っ青だろうが」
なんとか答えてみたものの、見抜かれていたらしい。
ラッシュの言う通り、ネコタは吐き気を堪えるだけで精一杯だった。映画でスプラッタなシーンを見るのとは比べものにならない、現実での体験。しかも、それをやったのは他ならぬ自分だ。その経験は、ネコタが思っている以上にキツイものだった。
ほとんど抵抗はなかったというのに、斬った瞬間の感触がいつまでも手にこびりついて離れない。これが生き物を殺すということか、とネコタは実感し、恐怖した。自分はこれからこれを繰り返していくんだという、事実にも。
「辛いだろうが、負けんなよ。お前の代わりはいないんだ」
「……はい、分かってます」
それが勇者としての使命なんだということは、この世界に召喚され、説明を受けた時から理解している。どんなに辛くても、辞めるわけにはいかない。そうすれば、この世界の人々は滅びを迎えるしかないのだから。自分の身可愛さにそれを見逃せるほど、ネコタは薄情な人間ではなかった。
(全部納得して、勇者としてやっていくと決めたんだ。こんなところでくじけてはいられない!)
そう言い聞かせ、ネコタは自ら心を奮い立たせた。優しく、平和な世界から連れてこられながら、残酷な現実に立ち向かう強さを併せ持つ。その気質は、まさしく勇者と言えるだろう。
だからこそ、彼はこの世界に呼ばれたのだ。
こいつなら大丈夫。
必ず乗り越えられる。
そう他人に期待させる、立派な強がりだ。この最初の壁さえ乗り越えられるなら自然と慣れていくだろう。一つの不安要素が晴れ、ラッシュは小さく笑みを浮かべる。
同じことを思ったのか、エドガーもニヤリと笑って声をかけた。
「おう、お坊ちゃん。きつけりゃ吐いてもいいんだぞ。無理すんな」
「……いえ、少しは強がってないと、耐えられそうにないんで」
からかい半分と分かって、ネコタは顔を青くしながらも、なんとか笑って見せる。
その反応に、エドガーはますます笑みを深くする。
「ほぉ! なんだ、意外と根性あるじゃねぇか!」
「ははっ、正直今にも吐きそうですけどね。自分がどれだけ甘い考えだったのか思い知らされました」
「いやいや、初めてでそれだけやれるなら大したもんだよ! なかなか出来ることじゃねえぜ!」
「そうですか? エドガーさんがそう言うなら、僕も自信を持っちゃおうかな。ははっ、なんて――」
「よし、その意気だ! そんじゃあその調子で次行ってみようか!」
「え?」
間の抜けた顔をするネコタを横目に、エドガーは物陰にあった布を剥ぎ取る。
そこには、猿轡を咬まされた無傷のゴブリン達が拘束されていた。
「ンギィイイイイイイイ! ギイィイイイイイ!」
「ギギャ! ギギャアアアアアア!」
もはや殺されるのを待つばかりだというのに、ゴブリン達は涙を流しながらも、ネコタを増悪の瞳で睨み付ける。それはまるで、愛する者の敵を目の前にしたかのようで……。
クラッと、ネコタは気が遠くなった。
「あ、あの……これって、まさか……」
「いやー、運が良かったぜ。うっかり皆殺しにしちまったと思ったところに、さっきお前が殺したゴブリンがこいつらと一緒に隠れていてなぁ。
しかも勝てるわけねぇのに、何故か向かって来やがったんだ。
こいつらも仲間が殺されかけてるのに、逃げずに泣いて睨むだけでな。まぁ手間が省けたから俺は楽だったけど、正直何がしたかったのかさっぱりだったぜ」
「それは……守ろうとしたんじゃないですかねぇ……!」
ネコタの震えた声に、エドガーはキョトンとした顔を見せる。そして、ポンッと手を叩き、
「あっ、ああ! そうかそうか、仲間を守ろうとしたのか!」
「普通に考えれば……分かるでしょ……ッ!」
「いやだって、こんな害虫共に守るなんて発想があると思わなくて」
その思考がゲスすぎる。
「そうか。でもそうなると、こいつらはもしかすると家族だったのかもしれねぇな。
さっき殺した奴がお父さんだろ? こいつは雌だからたぶんお母さん。んで、こっちの一回り小さい奴ら……子供だろうな。
こいつの方がちょっと大きいから、君がお兄ちゃんで、こっちが弟君かなぁ?
あっ、ってことはこいつらにとってネコタは父親の仇なんだな。はははっ、どうりでやけにネコタを見る目が生意気だと思ったぜ!
ほらっ、がんばれっ! がんばれっ! お父さんの仇討ちだっ!」
「あんたは……なんでそうやって……!」
ネコタは目眩がした。
薄々気づいてはいたが、思い込みだと目を逸らそうとしていたけど、もう駄目だ。完全にそうとしか見えない。僕は、目の前で、父親を……!
拘束されたゴブリンたちを見る。見上げる瞳と目が合った。その瞳の奥から湧き出る黒い感情に、思わず膝を着きかけるほどの罪悪感がのしかかる。
「さっ、ネコタ君」
「ヒッ!?」
ポムッと、エドガーがネコタを励ますように叩いた。
怯えるネコタに、エドガーは微笑む。優しく笑っているその笑顔が、ネコタはなによりも怖かった。
まるで、悪魔が笑っているように見えた。
「もう一踏ん張り、頑張ってみようか」
「あっ、あぁぁぁぁああ……」
目の前が真っ暗になったような気がした。
──その日、ネコタは何か大切な物を失った。
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