第23話 しょうがねぇな。もう少しだけだぞ


「なぁ、放っておいていいのか? 一応宰相なんだろ、あれ」

「いいんだよ。側に居たってグチグチと口を出すだけだ。放っとけ」


 それもそうか、とウサギは納得した。実際、ウサギとしてもその方が都合が良い。分かりやすい獣人蔑視の激しい人間だ。どうせ嫌味を言われるだけなら、居ない方が精神的に楽である。


 ウサギが招き入れられた部屋は、軽い運動なら問題なく出来る程の広さだった。部屋の中央にテーブルと椅子が置かれ、そこに三人の人間が座っている。


「連れて来たぜお前ら! 見ろよ! 本当にただのウサギにしか見えねえ!」


 笑いながら言うジーナに、ラッシュは呆れたような声を出した。


「お前ね、失礼にも程があるでしょ。お互い自己紹介すらまだ済んでないだろうに」

「おっと、それもそうだな。あたしはジーナ。【天職】は【格闘家】だ。さっきの試合は見せてもらったぜ。誰かの戦いを見て武者震いをしたのは久し振りだ。お前、中々やるな」


「ありがとよ。お眼鏡に適ったようでなによりだ」

「でも、こうして間近で見ても強そうには見えないよな、お前。さっきの試合を見ていなきゃ、とてもじゃねぇけどSランク冒険者とは信じられねぇよ。はははは!」


「ふっ、よく言われるよ。俺の外見を見て勝手に油断してくれるから、戦うとなると便利なんだが、格下に舐められるのは面倒だぜ。その点、お前は外見と【天職】が釣り合ってて羨ましいな」

「ん? どういう意味だ?」


「女で【格闘家】だと、場合によっては困ることもあるだろ? 良かったな、胸が小さくて。重さを感じない分、身軽に動けるもんな」


 部屋の空気が一気に冷えた。

 ラッシュも、ネコタも、アメリアも、ジーナから膨れ上がった殺気に無表情になって口を閉じた。


 ――笑ったら殺される。三人は必死だった。


「……良い度胸だなテメェ。流石Sランク冒険者。怖い者知らずだ。それとも獣だから、人の逆鱗を触っちまったのを理解してねぇのか?」

「貧乳」


「ははっ、おいこら畜生。まさか仲間になるからって殺されないとタカくくってんじゃねぇだろうな。だがな、生憎とあたしは殺る時は殺る女だぜ」

「でもお前貧乳じゃん」


「ここまで言っても分からねぇか。はっ。察する知性すらないとは、所詮獣だな」

「だけどお前貧にゅ――」

「シャア!」


 ジーナは拳を放った。拳がウサギの顔面を捉えた瞬間、ウサギの姿はブレ、蜃気楼のように掻き消える。唖然とするジーナの背後に、ウサギが音もなく現れた。


「――残像だ」

「馬鹿な……このあたしが完全に見失って……どういうことだ? 今の速さ……お前、さっきの試合よりも……」

「素人め。あんな人が大勢いる場所で本気なんか出すわけないだろうが」


 当然といった調子のその言葉に、ジーナは衝撃を受けた。

 実力も、戦闘に対する意識も、完全に自分の上を行っている。


 ――ウサギに負けた!


 かつてないほど強烈な敗北感に打ちのめされ、ジーナは四つん這いになって項垂れる。


 ──まず一人。と、ウサギは嘲笑を浮かべた。


 これから共に旅をするなら、上下関係は最初にしっかりと叩き込まなければならない。外見で舐められてきたウサギの、歪な処世術である。


「いや、驚いたな。まさかジーナをここまで簡単に手玉に取るとは」

「なに、そこまで驚く程のことでもない。こんな隙だらけの女なら軽くあしらえるさ。その点、あんたを煙に巻くにはちっとばかし苦労しそうだ」


 ウサギの言い草に、ビクンッとジーナの体が震える。

 ラッシュは照れ臭そうに笑った。


「ははっ、まさかあんた程の剣士にそこまで言わせるとは、俺も捨てたもんじゃねぇな。俺は【狩人】のラッシュってもんだ。一応、このパーティーの監督役を任されている。これからよろしくな」


「なるほどな。確かに苦労していそうな面構えだし、面倒なことを任せられそうだな。従ってやるから、精々良い旅にしてくれ」

「厳しいね。だがまぁ、上手くやってみせるよ」


 苦笑しつつも、ラッシュはウサギに手を差し出した。

 ウサギはその手を掴む寸前で、ハッ!? と顔色を変え、チョコンと触るだけで目を逸らす。


 あん? と、ラッシュはその不自然さに疑問を持つ。


「えっと、首刈り殿? 俺が何かしたか? 正直、少しばかりショックなんだが」

「ああ……いや、俺の都合だから気にしないでくれ」


「いやいや、何かあったなら遠慮せずに言ってくれよ。これから命を預け合う関係になるんだ。不和の原因があるなら予め知っておきたい」


 珍しく真摯な表情で、ラッシュはウサギを見つめる。

 ウサギは躊躇いを見せていたが、気まずそうに、


「その、言いにくいんだが……ちょっと臭いがな。ツンっと鼻に来て触りたくないというか、気持ち悪くなったというか……獣人だから鼻が良い分、なおさらキツくてな。オッさんの加齢臭はちょっと……」

「加齢……!」


 その指摘は、ラッシュの心に容赦なく突き刺さった。男として、その言葉はハゲと同等以上の威力を持っていた。まるでこの世の終わりかのように、ガクリと肩を落とす


 ――これで二人。ウサギは黒い笑みを浮かべる。


 格付けは着々と進んでいた。


 スッ、とウサギが次の獲物に目を向ける。ビクリッ、とネコタは体を揺らした。勇者としての直感か。この獣の危険性にネコタは気づきかけていた。


「……お前は?」

「はっ、はい! 僕は【勇者】のネコタです! よろしくお願いします!」

「ほう、お前がね。ほ〜う、ほうほう」


 ジロジロと、ウサギは品定めを始めた。

 ダラダラと汗を流しながら、ネコタはじっと固まっている。


「……チッ。勇者でイケメン。欠点無しとか嫌味かよ」

「す、すいません」


「あ? すいません? 自覚ありますってか? 自意識高けぇなおい」

「い、いえっ! そんな滅相もない!」


「ふん、まぁいい。ところでネコタって本当に名前か? なんか変わった響きだな」

「あっ、それは苗字……じゃなくて、家名ですね」


「ほぅ、家名を持ってるたぁ、良いとこのお坊ちゃんだったのかお前」

「いえ、僕の故郷ではどの人も家名を持ってるんですよ」


「平民でもか? そいつはすげぇな。それじゃあ名前はなんて言うんだ?」

「えっと、イヌキチって言います」


「イヌキチ?」

「あれ? 発音出来てますね。こっちの人は言いにくそうにしてたから、ネコタで通してたんですけど」


「ネコタ……イヌキチ……『猫田犬吉』?」

「うわっ、綺麗に発音できてる! ていうかよく家名が先だって気づきましたね? こっちの人は皆間違えるのに、凄い!」


「いや、凄いのはお前だろ。なんだよその名前。親は何を思ってそんな名前を付けたんだ? お前、実は嫌われてたのか?」

「いや、愛されてたと思いますけど……えっと、ウチの親が猫より犬派で、名前に犬を付けたかったらしくて、それで」


「それにしたって犬吉はねぇだろ。何時代の人間だよ。太郎より酷いわ。ハッキリ言ってドン引きなんですけど」

「あれ? なんで太郎なんて知って……」


「そんなことはどうでもいい! 話を逸らすな!」

「アッ、ハイ。すいません」


「今重要なのはお前の名前だ。虐めまっしぐらだろそれ」

「そ、そうなんですよね。小さい頃から名前でからかわれ続けて、皆は遊び感覚なんですけど、小学生時代は本当に辛かったです。好きでこんな名前になった訳じゃないのに……」


「そっか。苦労してきたんだな、お前」

「ははっ、昔の話ですけどね。ウサギさんも笑って良いですよ。もう慣れましたから」


「わははははははははははははははははは! 犬吉とか正気かよ!」

「笑いすぎだろ! 少しは遠慮しろよ!」


「しょうがねえだろ。犬吉なんて冗談みたいな名前を言うのが悪いんだ。吐くならもっとマシな嘘を吐けよ」

「冗談じゃない! これは僕の本名だ!」


「え、マジだったの? じゃあ尚更悪いだろ……ペットにだってもう少しマトモな名前を付けるわ。ハッキリ言ってキラキラ以下だぞお前」

「キラキラ以下っ……!?」


 あんまりな評価に、ネコタは沈み込んだ。

 ウサギはなんと声をかけるべきか悩み、首を振った。これでいい。これでいいのだ。殺れる時に殺っておかねば。その甘さが命取りになる。


 同情をしつつも、ウサギはそれを振り払う。なにはともあれ、これで三人。

 そして残りは――


 ウサギはアメリアの方に顔を向ける。アメリアは、じっとウサギを見ていた。緊張しているのか、肩に力が入っている。


 目と目が合い、お互いを見つめ合う。何故だか、アメリアは懐かしさを感じていた。同じことを思っていたのか、ウサギもふっと笑う。温かい空気が二人の間で流れていた。


「お嬢ちゃん、名前は?」

「……ア、アメリア。一応、【賢者】ってことになってる」


「そうか。思っていたのとは大分違うな。まさかこんな可愛らしい子が賢者様だとは思わなかったぜ」

「可愛らしい……」


 ぽうっと、アメリアは頬を染めた。


「可愛いって言われたのは久し振り。美人だとかはよく言われるけど」

「そうか? どちらかと言うと可愛い顔つきだと思うけどな。いや、もちろん美人ではあるが」


「嬉しい……ありがとう。ウサギさんも可愛いよ」

「よせやい。俺は男だぜ。可愛いって言われても嬉しかねぇや」


 ぷいっと、拗ねたようにウサギは顔を背ける。

 アメリアはアワアワとしながら言った。


「ご、ごめんなさいっ」

「ふっ、冗談だよ。そんなに恐縮しなさんな。こんなことくらいで怒りはしねぇよ」

「うん、ありがとう。優しいんだね」


「ははっ、まぁな。俺が優しいのは美少女限定だけどな」

「……もうっ」


「――待てやそこのウサギ! テメェあたしらとアメリアとで扱いが違いすぎんだろうが!」

「俺らが何したってんだ! アメリアの様に扱えとは言わんが、それなりの対応を要求する!」

「僕もです! いくらなんでも酷すぎると思います!」


「ちっ、バカ共が喚きやがって」


 喚く三人に、ウサギは鬱陶しそうな顔をする。

 その騒ぎが目に入っていないかのように、アメリアは聞いた。


「ねぇ、ウサギさんの名前はなんて言うの?」


 あっ、と。三人が声を上げる。

 ウサギは満足そうに頷いた。


「さすがアメリア。礼儀っていうもんがよく分かってる。人を通り名やウサギ呼ばわりする無礼者とは大違いだ」


「お前、まさかそれが理由だったのかよ」

「確かにうっかり聞き忘れてましたけど……」

「思ったより器小さいなこのウサギ。いや、見た目通りか」


「黙ってろこの常識知らず共が!」


 ウサギは一喝し、ゴホンと咳払いをして、アメリアを見た。

 ニヤリと笑い、その瞳を見ながら。


「”エドガー”」


 ――己の名を、伝えた。


「ウサギ獣人の魔剣士、”エドガー”だ。カッコいい名前だろ?」

「エドガー……。うん、カッコイイね」


「ははっ、ありがとうよ。これからよろしくな、アメリア」

「――ッ! う、うんっ。よろしくねっ」


 エドガーが差し出した手を、アメリアは恐る恐ると握りしめる。


「ふわぁっ……」


 アメリアはにぎにぎと何度も手を握り返し、ほうっ、と息を漏らした。


「凄くふわふわ……気持ちいい……」

「ふっ。俺は毛並みの手入れを欠かしていないからな」

「うん。凄く良い。こんなの初めて……ねっ、ねぇ。抱きしめてもいい?」


 遠慮がちに聞くアメリアの手を離し、エドガーは顔を顰めた。


「俺はあんまりベタベタされんのは好きじゃねぇんだがなぁ」

「そ、そっか。それじゃあしょうがないね。無理を言ってごめんね」


 残念そうに眼を伏せるアメリア。

 そんな彼女を目にして、ウサギはやれやれと言わんばかりに息を吐く。


「しょうがねぇな。少しだけだぞ」

「あっ」


 アメリアが何か言う間もなく、ピョンとエドガーは座っているアメリアの膝に乗った。アメリアは感動で震えながら、ゆっくりと腕をエドガーの胴に回す。


 その感触に、アメリアはへにゃりと表情を崩した。


「はぁ……柔らかくて、温かい……凄く幸せ……」


「……おい、なんかあたしの知ってるアメリアと違うんだが」

「ああ、俺も驚いてる。あんな顔も出来るんだな」

「いつも無表情だから分からなかったですけど、アメリアさんて普通の女の子だったんですね」


 いつもと違うアメリアに三人は驚く。

 その表情を引き出した当の本人は、アメリアに抱きしめられながら感慨深いものを感じていた。


 ――あの別れの日から、この日が来ることを夢見て走り続けてきた。


 挫けそうになる度に、アメリアの為にと己を奮い立たせ、努力を重ねた。強さを求め、何度も死線を超えてきた。


 そうして久しぶりに会ったアメリアは、昔よりもずっと綺麗な姿だった。あんまり面影がなくて、別人なんじゃないかと不安にもなった。だけど、そうじゃなかった。


 こうして接してみれば分かる。表に出すのが下手になっただけで。アメリアは昔のアメリアのままだ。エドガーはそれが何よりも嬉しかった。


 彼女にとって、自分は新しく仲間になったウサギの獣人。可愛がるだけのマスコットに過ぎない。そのマスコットが自分に向けている気持ちなど、知る由もないだろう。これからも、エドガーの方から教えることはない。


 だけど、それでもいいとエドガーは思っていた。


 もう二度と、かつての自分を名乗ることは出来ない。だけど、アメリアが気づくことがなくても、この子の笑顔を守れる。この子の傍に居られる。それだけで十分だ。


 その為なら、なんだってしてみせよう。自分の気持ちを覆い隠して、道化にでもマスコットにでも、なんにだってなってやる。


 それでも……いつか、別れなければならない時が来るだろう。その時は、悲しみのあまり泣き喚くかもしれない。だけど、この今が守れるならそれでいいとエドガーは思った。


 せめてそれまでは、この幸せな時間を楽しみたい。

 それがエドガーの、ささやかな望みだった。


「……着痩せするタイプか。成長したなぁ」

「エドガー、何か言った?」

「いや、なんでもない。それより、もういいか?」


「も、もうちょっとだけ」

「まったく、しょうがねぇな。もう少しだけだぞ」


 口では、そんなことを言いながら。

 アメリアの温もりを感じ、エドガーは心地よさそうに瞳を閉じていた。







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