第12話 見てるかブディーチャック!



「おい、どうした? どこか痛むのか?」

「……あ、いや、なんでもない。ちょっとぼうっとしていただけだ」


「おいおい、本当に大丈夫か? すぐ近くに俺の家があるんだ。来なよ、手当てするから」

「あ、ああっ。ありがとう」


「なに、気にするな」


 バラドはカラッと笑うと、ゆっくり歩き出す。トトもすぐにその後を追った。


 トトはバラドの隣を歩きながら、横目で表情を伺う。バラドは申し訳なさそうにしているが、それだけだ。トトに対して、それ以上の感情を見せていない。すぐ隣に居るのは、実の息子だというのに。


 もやもやとした気分に陥ったトトに、バラドは気軽な声で話しかける。


「だが、あんたも無用心だな。いくら田舎とはいえここは王国領だぞ。それなのに堂々と村に入って来たら、そりゃあそうなってもおかしくないだろ」

「さ、最近は良い人間ばかりと会ってたから、つい気が緩んでたんだ」


「はぁ、よっぽど呑気な村にばかり寄ってたんだな。ところでアンタ、旅人かい? こんな何も無い村に入ったのは、宿を求めてって所か?」

「あ、ああ。それもあるけど、近くの村で【賢者】が出たって噂を聞いてね。この村に居るっていうから、一目見てみたいと思ったんだ。本当に賢者様が居るのか?」


 トトの作り話に、バラドはなるほどねと苦笑を浮かべた。


「そこまで噂になっていたのか。ああ、確かにこの村が賢者様を出した村だよ。だがちょっとばかし遅かったな。ちょうど今朝、王都に出発してしまったんだ」

「そ、そうか……そいつは惜しいことをしたな」


 ――アメリアはもう居ないのか。


 一目だけでも。そう思ってここまで来たのに、それすらも叶わないなんて。トトは胸に穴が開いたような気がした。


 そんなトトの気も露知らず、バラドはからかうような口調で言う。


「だが、その方が良かったかもしれんぞ。アメリアちゃんの護衛の為に、王都の騎士様が殺気立って護衛をしていたからな。アンタが近づけば、もしかしたら斬られていたかもしれん」

「獣人だもんな。王都に住むような奴らが見逃す訳ないか」


「その通りだ。となると、やっぱりアンタは運が良かったのかもな。騎士に斬られるより、子供に虐められる方がマシだろ」

「そっちの方が情けないけどな」


 まったくだと、バラドは笑った。

 トトもつられて笑うが、内心では落ち込んでいた。

 この姿では会うことも許されない。そう、改めて突きつけられたから。


「そのアメリアちゃんってのが、賢者様の名前か?」

「ああ、とても可愛い子だよ。まだ子供なのに、世界を救う為に頑張るんだ。大したもんだよな」


「なぁ、その子はちゃんと出発できたのか? 子供なんだろ? 行きたくないって泣いたりはしなかったのか?」

「ああ〜、それがなぁ」


 バラドはボリボリと頭を掻く。


「泣いてはなかったが、最後まで暗い顔のままだったな」

「そうか。親元から離れ離されたら、そりゃ寂しいもんな」


「ああいや、それもあるんだが、昨日うちの息子と喧嘩しちまってな」

「――ッ! へ、へぇ。そうなのか。仲が良かったのか?」


 トトは動揺を押さえ込み、なんとか言葉を絞り出した。

 バラドは頷くと、ぼやくように続ける。


「うちのトトとアメリアちゃんは幼馴染でな。小さい頃から不思議と仲が良かったんだ。将来は結婚させようと親同士でも約束していたくらいだ」

「賢者様の婚約者か。そりゃ凄いな。だけど、喧嘩しちまったのか」


「ああ。だが、仲が良かったからこそじゃねえかと俺は思ってるよ。親バカだが、うちの息子は子供とは思えないくらい賢いからな。この別れがどういう意味になるか、ちゃんと分かってたんだろう。

 そこをよく分かっていないアメリアちゃんと、その辺りで拗れちまったんだと思う」


「……賢者様の結婚相手か」


 そうだ、と。バラドは重々しく頷いた。


「先に婚約して、本人同士が望んでいても、村人じゃ逆らえねよ。

 こんな理不尽に引き離されたら、いくらトトでも傷つくさ。何も分かっていないアメリアちゃんと衝突してもしょうがない。あいつだって、まだ子供なんだから。

 俺が力になってやりたくても、こればっかりはどうしようもない。まったく、無力な親だ」


 ——全部、分かっていたのか。


 バラドの横顔を、トトはじっと見上げる。


 良い親だと思っていながら、二回目の人生だからと、どこか冷めた付き合い方をしていた自覚はあった。子供に成り切れて居ない自分に、罪悪感を感じていたのだろう。だから、そんな風になってしまったのかもしれない。


 だけど、バラドはそんな自分をここまで想ってくれていた。なのに、トトはそれにまったく気づいていなかった。どこまでも薄情な自分が、恥ずかしく思えた。


「……そんなことねえよ。きっと息子さんも感謝してると思うぜ」

「ははっ、だと嬉しいがな」


 バラドは笑って流す。きっと、獣人がお世辞を言ってくれた程度にしか思っていないだろう。トトが直接言わないと、この気持ちは伝わらない。


 今までごめんと謝りたかった。大好きだと伝えたかった。だけど、それはできない。


 ――もう、人間じゃないから。


「まぁそれでな、アメリアちゃんは息子に謝りたかったそうなんだ。しばらく会えないから、ちゃんと仲直りして別れたいってな。


 だが、うちの息子は昨日の夜から姿を消しちまってたんだよ。それでとうとう現れなくて、アメリアちゃんは行っちまった。あのバカ息子、一体どこに行ったんだか」


 ズキリと、罪悪感がトトの胸に刺さる。


 自分が呑気に寝ている間にアメリアは行ってしまった。その心に浅くない傷を残して。

 勇気づけたかったのに、やっていることは真逆だ。何をやっているんだと、トトは自分を責める。


  おっ、と何か思いついたような顔をして、バラドはトトに目をやる。


「なぁ、アンタ外から来たなら、うちの息子を見なかったか? トトっていう名前で、茶髪のガキなんだが」

「い、いや。すまないが見てないな」

「そうか。まったく、本当にどこに行っちまったんだか。帰ってきたらぶん殴ってやらないとな」


 わざとらしく拳を上げるバラドに訴えかけるように、トトはじっと見つめる。


 ——違う、違うんだよ、父さん。

 ——トトは何処にも行っていない。ここに居るんだ!

 ——俺がトトなんだ!


 トトは心の中で叫んだ。だが、いくら叫んでもバラドが気づくことはない。

 言葉に出来ないもどかしさに苦しんでいるうちに、いつの間にか二人は家にたどり着いていた。


「ほら、着いたぞ。ここが俺の家だ。悪いが、事情は伝えておくから、治療は妻から受けてくれ。俺はバカ息子を探しに行かなくちゃいけないからな」

「あっ、ああ。すまないな」

「なに、気にするなよ。——っと、そういえば」


  バラドは扉に手をかけたところで、トトに振り向く。


「まだ名前も聞いてなかったな。俺はバラドってんだ。アンタは?」

「お、俺は……」


 言ってはならないと分かっていた。だが、トトは耐えられなかった。

 自分を大事にしてくれていた父親から、名前を尋ねられているのに。

 嘘をつけるほど、トトは強くなかった。


「俺は……! 俺は、ト――」


 ――言いかけた、瞬間だった。


 突然、胸に張り裂けるような痛みが走った。


「ぐっ、ああっ――!」

「お、おい、大丈夫か!?」


 胸を引き裂いて、外から心臓を直接握りつぶされたような息苦しさ。耐えきれず、トトは胸を抑えてうずくまる。そしてトトは確信した。


 あのまま名前を言っていたら、自分は間違いなく死んでいた。

 契約は間違いなく、トトの体を縛り付けているのだ。


「傷が痛むのか? ほら、早く中に入れ」

「い、いや、大丈夫だ」


 呼吸を整えトトは立ち上がる。

 胸の痛みは消えていた。どうやらあの痛みは警告のようだ。トトにその意思がなければ、すぐにでも引くらしい。


「……悪い、俺、やっぱりもう村を出るよ」

「はぁ? どうしたんだ急に? そんな怪我で何を言って……」


「急用を思い出したんだ。親切にしてくれてありがとう!」

「おっ、おい!」


 引き止めるバラドを振り払って、トトは村の外に向かって走り出す。

 バラドが呆気に取られてそれを見送っていると、トトは振り向いて言った。


「本当にありがとう! 今までの恩は忘れない! 俺、アンタが大好きだ! それじゃあな!」


 そして、今度こそトトは村を出て行った。


「……なんだったんだ、あいつ?」


 消えた獣人のことを思いながら、バラドは首を傾げた。




 ♦︎   ♦︎




 トトは村を出ても走り続けていた。

 ドタドタと足音を立てながら、必死に。少しでも早く、村から遠ざかりたくて。何度転んでもすぐに立ち上がって、また走る。


 村の姿が見えるか見えないかというところで、ようやくトトは足を緩めた。そして、力無く空を見上げる。


 トトは、泣いていた。


「うっ、あっ、ああ……うぁああああああ……!」


 うめき声のような嗚咽を出して、トトは人目も憚らず泣き続ける。

 悲しくて、我慢できなかった。だから、耐え切れなくなる前に逃げ出した。


 目の前に家族が居るのに、自分の名前も言うことが出来ない。それがこんなに辛いことだなんて、知らなかった。


「ダメだ……! こんなの、耐えきれねぇよぉ……!」


 なんでもないと思っていた子供達からの迫害は、傷つきながらも、仕方ないことだと納得できた。

 だが、父に気づいてもらえない悲しみは、それとは比べ物にならなかった。


 母を目の前にした時のことを考えたら、怖くて会うことが出来なかった。すぐ側に自分が居るのに、他人のように振る舞われる。そのことを想像しただけで、悲しみが溢れてくる。


 これがアメリアだったら、一体どれだけの悲しみになるだろう?

 きっと、自分は耐えられないだろう。そして名前を出して、アメリアの前で死ぬことになる。アメリアにそんな光景を見せるというのか?


「そんなの、絶対駄目だ……!」


 それはアメリアを悲しませ、傷つけるだけだ。いや、もしかしたら、獣人の戯言として片づけられて終わりかもしれない。それはどんな終わりよりも惨めだろう。そんな死に様で、本当にいいのか?


「嫌だ……そんなの認められない!」


 なら、このまま兎の獣人として、アメリアにも関わらずひっそりと生きいくか? いや、それは自分が辛いだけだ。だったら、何か意味のある生き方をして死にたい。


 そしてどうせ死ぬなら、アメリアの為に死にたい。


 アメリアの前で、そんなカッコ悪い姿を見せたくない。好きな子の前でカッコつけたい。男として当然の意地が、トトを奮い立たせた。


 ——俺は、何の為に力を手に入れた?

 ——アメリアの隣に立って、守るためだろう?

 ——騙されたとはいえ、こんな姿になると分かっていたら契約はしなかったのか? 

 ——本当に、ブディーチャックが言っていたように、自分の利益の為だけに力を求めたのか?


「違う! そんなことはない!」


 キッと、トトは空を睨みつける。


 ──獣の姿になると分かっていても、きっと契約をした。

 ──だって、アメリアが大好きだから。

 ──アメリアを守るために、俺はそれでも力を求めた筈だ。


 ——悲しいからなんだ。辛いからなんだ。姿はどうあれ、力は手に入れた。これでアメリアを守ることが出来るじゃないか!


 ——俺が行く道は、きっと辛い道になる。決して報われることはないだろう。この選択を後悔する日が来るかもしれない。


 ――だけど、俺がどうなろうとアメリアだけは幸せにしてみせる。それが、俺に出来ることだ!



「見てるか! ブディーチャックゥウウウウウウウ!」


 天を睨みつけながら、トトは叫んだ。


「今の俺を見て、お前は笑ってるだろう! だけどな、情けないのはここまでだ! 俺は決めたぞ! 俺はこの姿で生きて、必ずアメリアと一緒に戦う!」


 その叫びは、神への宣戦布告であると同時に、自分への誓いでもあった。


「それはアメリアを可愛がっていたお前の思い通りなんだろうさ! だけど、それでもいい! お前の思惑通りだろうと、俺はアメリアの傍で戦い続ける! 俺が決めたんだ! 俺の意思で、アメリアを助けるんだ!」


 もう迷わない。そう心に決め、トトは胸を張る。

 

「精々指を銜えて見てやがれ! お前が馬鹿にしていた男が、お前の気に入った女を幸せにするところをな!」


 トトは空を睨み付けたまま、そう言い切った。

 涙は既にない。その瞳は、闘志に燃え盛っている。戦うと決めた戦士の目が、そこにあった。


 トトは振り返り、うっすらと映る故郷を見る。

 その姿を目に焼き付けて、トトは歩き出した。





 ──こうして、決して報われることのない、トトの長い旅が始まった。



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