第10話 こんなの聞いてない!


「アメリア、頑張るのよ」

「大丈夫。お前なら出来るさ。父さんたちはいつでもお前のことを応援しているからね」

「……うん」


 翌朝。

 村の入り口には、アメリアの出発を見送ろうと大勢の人が集まっていた。


 両親から別れの挨拶を受けているというのに、アメリアは心ここにあらずといった調子だ。キョロキョロと辺りを見回しては、寂しそうに俯く。


 村の皆が見送りに来てくれている。だけど、一番大事な人はここに居ない。

 もう行かなくてはいけないというのに――トトはここに居ない。


「ねぇ、おじさん、おばさん。トトは何処に居るの?」

「すまん、実は朝から姿を見てなくて、どこに行ったのかも分らないんだ」


「あの子ったら、アメリアちゃんと会えなくなるっていうのに、本当にごめんなさいね」

「……ううん、しょうがないよ」


 ――やっぱり、嫌われちゃったのかな。


 昨日の出来事を思い出し、アメリアは後悔した。

 待ってくれないと言われたのが悲しくて、泣いて喚くことしか出来なかった。だが、冷静に考えれば、トトがそう言うには何か理由があったはずだ。


 いつだってアメリアの我儘を聞いてくれたトトが、あれだけ頑として受け付けなかった。いつもとは明らかに違う状況。なら、それなりの理由があったはずだ。


 それなのにアメリアは確かめもせず、泣いて当たり散らし、逃げ出した。トトなら分かってくれると思ったのにと、自分のことばっかり考えて、トトの気持ちを知ろうとしないで。


 朝になったら謝ろう。そして、本当の理由を聞こう。

 そう思っていたのに、とうとうトトは来なかった。


 それくらい、もうあたしには会いたくないのかもしれない。二度と顔を見たくもない。そう思われてると考えると、アメリアは泣きそうになるくらい悲しかった。


「アメリア様、そろそろ参りましょう」


 後ろから、クレメンスが毅然とした口調で言う。

 アメリアは名残惜しそうに集まった人たちを眺め、クレメンスに縋った。


「お願い、もう少しだけ。もう少しだけ待って。最後にトトに会いたいの。ねぇ、少しで良いから」

「なりません。もう十分に待ったでしょう。王都で国王がお待ちになっているのです。これ以上、来るかもどうかも定かではない者を待つ時間はありません」


「アメリア。さぁ、クレメンス様を困らせてはいけないよ」

「トト君には、私達が伝えておくから。行きなさい。頑張ってね」


「……うん」


 父と母に言われ、アメリアは力なく頷いた。

 クレメンスに手を引かれ、馬車に乗り込む。その寸前、また集まった人達を見回す。だが、やはりトトの姿はない。


 アメリアは落ち込みながら座席に座る。間もなく、馬車が動き出した。

 少しずつ遠ざかる村の皆を窓から覗きながら、対面に座るクレメンスにアメリアは尋ねた。


「ねぇ、クレメンス」

「はい、なんでしょうか?」

「昨日は護衛で、あたしの家の外に居たんでしょう? 昨日、トトは家に来なかった? それで、あたしに伝言とか預かってない?」


 祈るような瞳で、アメリアはクレメンスを見つめる。

 だが、クレメンスは申し訳なさそうに首を振った。


「いえ、昨日は誰も訪ねて来ませんでした。一晩中見張っていたので、誰かが訪ねて来たなら見逃さないのですが」

「そう……。うん、わかった。ありがとう」


 ──ああ、やっぱり嫌われちゃったんだ。


 ポロポロと、アメリアは涙を零した。家族との別れでも出なかった涙が、とめどなく溢れる。


 もっとちゃんと話せば良かった。もう一度会って、ちゃんと謝りたかった。しばらく会えなくなるのに、なんでこんなことになっちゃったんだろう。考えるほど、後悔の念が渦巻く。


「…………」


 そんなアメリアを見ながら、クレメンスは小さく笑っていた。

 自分の思い通りに事が運んでいることに喜びながら。


 村が見えなくなっても、アメリアはしばらく、静かに泣き続けていた。




 ♦   ♦




「うっ、あっ、あぁ……」


 森の中で、トトは目を覚ました。

 木々の隙間から差し込まれた光が目元をくすぐる。トトは手で光を遮りながら、体を起こし、辺りを見回す。そして、首を傾げた。


「俺、なんでこんなところで……」


 見慣れた祭壇前の光景。少し見上げればブー様の石像が見える。なんでこんな所に居るのかと、昨日のことを振り返る。


 ――確かアメリアの家に行って追い返されて、それで……。


「……そうだ。ブー様と契約して、力を!」


 全てを思い出し、トトは立ち上がった。そこで、また首を傾げた。


「あれ? 何かいつもと違うような……」


 普段と異なる感覚を感じ、トトはその場で考えこんだ。

 なんだ、なにが違う? いつもとは異なる違和感の原因を探り始め、そして気づく。


「そうだ、景色が違う」


 とはいっても、周りの景色に変化が生じているわけではない。ただ、見え方が違っている。


 普段見ている景色より、あらゆる物が高くなっている。石像を見れば分かりやすい。いつもは見下ろしているのに、何故か今は見上げている。


 ここまで理解して、トトは言い表せない焦燥感を覚えた。

 物の場所が変わってないのに、見え方が変わるなんて、どうなったらそんな状況になる?


 トトは焦りを抑えるように、手を顔に伸ばした。そして、今日一番の驚愕に襲われた。


「————は?」


 トトの手は、真っ白な毛皮に覆われていた。


「え? ……いや……え?」


 まるで動物のような、白い毛皮。いや、変わっているのは、毛皮だけではない。見慣れたはずの手も、まったく違う形に変わっている。


 これは人の手ではない。

 

 これは――動物の足だ。


「……は? は……は、はあああああ!?」


 あり得ない事態に、トトは己の体を見回した。そしてさらに混乱する。


 腕も、足も、胴も。全身が白い毛皮に覆われている。着ていた服はその場に脱ぎ散らかされており、全裸ということになるが、トトは恥ずかしがる余裕もなかった。


「なんだっ!? なんだこれ!? なんでこんな……俺はどうなって……!」


 呆然と己の手足を見ていたトトだが、ハッと顔を上げ何かを見つけると、急いでそこに向かって駆け出した。慣れない感覚で歩くことさえ覚束ない。ドタドタと不器用に足を動かし、何度も転がりながら、ようやく目的の場所へたどり着く。


 そこには、湧き水が溜まる小さな池あった。トトはその池を覗き込み、絶句した。


 薄々は、分かっていた。だが、認めたくなかった。

 水面に薄っすらと映っていたのは、白いウサギだった。


「……ウサギの獣人?」


 それが、今のトトの姿だった。


 この世界には獣人が居る。そして、獣人には大別すれば二種類に分かれる。

 一つは、人の体の一部に獣の特徴を備えた、獣のよりも人に近い【獣人種】。

 そして、獣に限りなく近い姿を持ちながら人の知能を備えた【源獣種】。


 トトの姿は、明らかに【源獣種】と呼ばれるものだ。そしてその事実は、トトに強烈な忌避感を生んだ。


【獣人種】なら、人に近い分まだ許容できたかもしれない。だが、この姿は完全に人から離れた獣の姿。人間として生まれた者が容易く受け入れられるはずもない。



「なんで……どうして、こんな……」

『——プッ! アハハハハハハハハハハハ! いいね! 予想通りの反応だよ! トト! 君は本当に期待を裏切らないね!』


 放心状態のトトの耳に、どこかからか声が届いた。忘れもしない、この声はーー!


「ブディーチャック! これは何だ!? お前、俺に何をした!」


 トトは祭壇の石像を睨みつけ、叫ぶ。

 石像はぼんやりと薄緑色に発光していた。その光に反応するように、声が辺り一帯に響く。


『何をって、忘れたわけじゃないだろう? 僕と契約したじゃないか。どんな代償を払ってでも、力が欲しいって。それがその代償の一つだよ』


「これが代償? ふざけるな! こんなの聞いていない! こんなウサギの姿になるなんて! これじゃあ……!」


 アメリアに、会うことも出来ない。

 トトは光る石像を睨みあげ、怒鳴り散らす。


「俺を元に戻せ! 早く元に戻せよ! こんなの認めない! 認められるか!」

『認めないって言ってもねぇ〜。君も納得済みでそうなったんじゃないか』


「ふざけるな! こんなの聞いてない! こうなるって知ってたら、俺は!」

『契約をしなかった、かな?』


 先回りされ、トトは言葉に詰まる。

 そうだと返答するより先に、意地悪そうな声でブディーチャックは続けた。


『そうだよねぇ〜、だって力を手に入れても、アメリアちゃんと結ばれないと意味ないもんね。ウサギの姿じゃ、そんなの無理だもんね』


「そんなこと言ってないだろ! そういうことじゃなくて――」

『違わないよ、トト。まさか、自分で気づいていないなんて言わせないよ?』


 トトは息を呑む。

 トトの心を抉りだすように、ブディーチャックは続けた。


『君が力を求めたのは、アメリアちゃんを欲したからだ。

 アメリアちゃんの側に居るだけじゃ足りない。アメリアちゃんに愛されたいと思ってるんだよ。

 無償で助けたいなんて、そんなカッコイイ自己犠牲の精神なんて持っていない。君はアメリアちゃんの好意という見返りを求めて、力を欲したんだ。

 ほら見て、君の為に僕はここまで頑張ったんだ! だから褒めてよ! 好きになってよ! 

 そんな気持ちで僕と契約したんだよ。だからこそ、ウサギになって怒ってるんだろ?

 さっきも言ったとおり、人間と獣人の君じゃ結ばれることはないもんね』


「そんな……こと……」


 ない、と。トトは即座に否定する事が出来なかった。


 頑張っても、アメリアと結ばれることはない。違う誰かと夫婦になって、幸せそうなアメリアを見ているだけしか出来ない自分。その未来を想像しただけで、心が張り裂けそうな痛みを覚えた。


 そしてそれは、ブディーチャックの指摘が当たっていることを示している。

 己の浅ましさを自覚させられ、トトは声を出すことも出来なかった。


『さて、そんなトト君に残念なお知らせで〜す! 実はトト君が払った代償はそれだけじゃありません! もう一つありま〜す!』

「え?」


 聞き間違いかと思った。これだけでも、既にここまで絶望しているというのに、まだ何かをあるのか? これ以上、俺から何を奪うというんだ?


『君が払った代償は二つ。一つは、人を捨て、獣の姿になって生きていくこと。そしてもう一つは、他の誰にも、君がトト自身だと教えてはいけないこと。君はこれからトトではなく、別人となって生きていくんだ』

「……え?」


 あまりの衝撃に、トトの理性はそれを理解することを拒んだ。

 頭の中で、グルグルと様々な感情が混ざり合う。

 半ば無意識に、震える声でトトは呟いた。


「なんだよそれ……それって、どういうこと……?」


 呆然としたトトの瞳から、ツゥーと、静かに涙が零れ出す。

 それを見てか、ブディーチャックの笑い声が響いた。


『プッ、アハハハハハハハハハハハ! 

 その言葉通りの意味だよ! 君はこれから別人となって生きていかなくちゃいけない! 他の誰にも、自分がトトだったことも、そうなった経緯も、絶対に喋っちゃいけない! 

 友人にも、家族にも、そしてもちろん、アメリアちゃんにも! 

 残念でしたー! 君はアメリアちゃんと結ばれないどころか、自分トトの気持ちを伝えることすら出来ません!』


 自分がトトであることを、誰にも喋ってはいけない。

 アメリアにも、教えてはならない。


 代償の意味を理解した瞬間、ストンッと、トトは地面に膝を着いた。トトにとって、それは喚くことすら忘れるほどの衝撃だった。


 自分がなんの為にこの姿になったのかも、何の為に頑張るのかも伝えてはならない。どれだけ頑張ろうとも、報われることはない。


 それは、トトにとって最大の絶望だった。


「なんで……」

『ん? なんだって?』

「なんで……こんなことをするんだよ……」


 涙声で、トトは言う。


「俺が何をしたんだ……ただ、アメリアの側に居たいって……そう思っただけなのに……なんでそれだけで、俺からいろんな物を奪うんだよ?」


『いやいや、そもそもその願いが分不相応じゃない。ただの【村人】がそれだけの力を求めたら、代償が大きくなるのは当然だよ。だから、それに見合うだけの代償を払ってもらった。たったそれだけのことだよ』


 うんうんと、なにやら頷くような気配を感じる。

 ふざけるなと、トトは思った。


『まぁまぁ、そう悪いことばかりでもないよ! 君の代償がよっぽど大きかったせいだろうね。かなり良い具合に僕の力が渡っている。良かったね! 今の君は世界で見ても、最上位に近い潜在能力を持っている。あとはその力の使い方を覚えるだけで、誰よりも強くなれるさ! それこそ【勇者】よりもね!』


「だけど……アメリアに言えないんじゃ意味がない。俺は、アメリアに会いたくて頑張るのに……トトのままで会わないと意味がない。それに、父さんや母さんになんて言えば……」


 いや、ブディーチャックの言う通りなら、伝えることすら出来ない。

 自分達の愛する息子がどうなったのかを知ることも出来ず、ある日突然、姿を消すことになるのだ。

 それは、どれだけの悲しみなのか……。


『んー、まぁそうだね。君の親御さんには申し訳ないかもね。でもさ――』


あっさりとした口調で、ブディーチャックは言った。


『それ、僕には関係ないし』

「……ふざけるなああああああ!!!!」


 我慢の限界だった。

 トトは相手が神であることも忘れ、祭壇に上がり、うっすらと光る石像に掴みかかる。


「ふざけるな! 俺を元に戻せ! 早く元に戻せよ! 父さんや母さんが悲しむ! アメリアだってそうだ! あんな別れ方をしたんだ! あいつ、絶対に落ち込んでいる! ちゃんと謝んないといけないんだ! だから俺を早く元に戻せよ! 戻せええええええええええええええ!!!!」


『アハハハハハハハハハハハ! 無理だよ、そこまで契約の力が定着しちゃったら、僕でもそう簡単には戻せない。諦めて現実を受け入れることだね。アハハハハハハハハハハハ!』

「笑うなあああああああああ! 殺す! 絶対殺してやる! 姿を見せろ! 出てこいよォオオオオオオオオオオオオ!」


『殺されると分かって出てくるわけないだろ。馬鹿だなぁ、君は。もっとも、君じゃ僕を殺すなんてできないけどね』

「うっ……ううっ……! ……うわあああああああああああああああああああああ!!!!」


 怒り狂って、自分が死にそうだった。

 それだけ、トトの慟哭は激しかった。

 相手が神だろうが、どうでもいいと思えるほどに。必ず殺してやると、そう誓える程に。


 だというのに、神はどこまでも勝手で非情だった。

 石像の明滅がゆっくりと小さくなっていく。まるで、石像に宿った生命力が消えていくように。

 それに、トトは嫌な予感を覚えた。


「まっ、待て! お前まさか!」

『あー、ごめん。ちょっと疲れてきた。まぁ、伝えることは伝えたし、もういいかな。そろそろ飽きてきたしね』


「ふざけるなよ! まだ言いたいことがいっぱいあるんだ! 俺をこんなにしておいて、勝手に消えんじゃねえ! お前が消えたら、俺はどうすればいいんだ!? この気持ちをどこにぶつけりゃいいんだよ!」


 トトの言葉を聞いているのか、いないのか。

 一方的に、ブディーチャックは告げた。


『それじゃあトト。最後の忠告だ。くれぐれも代償の重さを忘れちゃダメだよ。

 獣の姿はともかく、自分の正体を秘密にすること。これは簡単に破ることができる。その気になれば、誰にでも言うことができるんだ。

 だけどね、だからといって喋ってはならない。もし禁を破ってしまった場合、その罰則は君の命で払ってもらうことになる。

 ハッタリだと思うのは君の勝手だけど、素直に守ることを僕は勧めるよ。神の契約を甘く見てはならない』


 罰則は、己の命。その事実に、トトは言葉を失った。

 己の正体をばらすことは、命を捨てると同義。そう教えられては、軽はずみな行動は出来ない。この神は、最後になって自分の行動を縛りつけてきた。


 ブディーチャックは楽しげな声で言う。


『ま、せいぜい頑張ってね。たとえ報われなくとも、好きな人の為に頑張る。そんな君の純愛、楽しみに見させてもらうよ。アメリアちゃんをしっかりと守るんだよ。それじゃあね』

「まっ……待て! 待てよ! まだ話は――」


 トトの叫びも虚しく、石像は光を失った。

 そうして、神はあっさりとこの場から姿を消した。


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