第9話 ハァ? バカじゃないの?



 トトは目の前の少年をまじまじと見つめた。


 歳は自分と同じ頃だろうか? サラサラとした金髪に、華奢な体型。柔和な顔立ちで、親しみやすさを感じる微笑を浮かべている。まるで物語の王子様がそのまま飛び出したような、そんな少年だった。


「ねぇ、聞いてるの?」


 少年の苛立った声に、トトはハッとなる。



「えっと……ごめん、何?」

「だからぁ、どんなことでもするって言ったのは本当かってこと」

「あっ、ああ。確かに言ったけど……」


 少年の問いに答えているうちに、トトは冷静になった。


「って、いや、ちょっと待って!」

「何? やっぱり嘘だった?」

「いや、そうじゃなくて! そもそもお前は誰だ!? 村の奴じゃないよな!?」


 狭い村だ。同年代の子供なら一人残さず知っている。それも、こんな目立つ少年なら忘れる訳がない。


 トトの当然の疑問に、金髪の少年は気怠そうに眉を下げる。


「えぇ、そこから? 面倒だなぁ。というか僕のこと分からない? 君、思ったより察しが悪いね」

「そう言われても、お前なんか見たことないぞ」


「おまけに薄情ときた。僕は君のことをよく知っているというのに……ガッカリだよ」

「いや、その、ごめん」


 はぁ、とため息を吐く少年。

 そんな少年の態度に納得のいかないものを感じつつも、トトは頭を下げた。


「まぁいいや。分かんなくても無理はないし。アメリアちゃんなら分かってくれそうだけどね」


 アメリアの名を出され、トトの眉間に皺がよる。


「アメリアのことを知ってるのか? アメリアなら分かるってどういうことだよ? よく考えれば、どこから現れたんだ? お前、何者だ?」


「あれあれぇ? アメリアちゃんの名前を出しただけで嫉妬しちゃった? さすがついさっきコテンパンに言い負かされたばかりの負け犬は違うね! 卑屈と劣等感で凝り固まってるじゃないか!」


「どこのどいつだって聞いてんだよ! 質問に答えろ!」


 少年は鼻で笑い肩をすくめる。その仕草に余計トトは苛立った。

 トトをからかう様に、少年は言う。



「そんなに怒るなよ。ちょっとからかっただけだろ」

「早く言えよ。俺は今、気長に聞いてる余裕はない」


「まぁ、あれだけボロボロにされたら……あぁ、そう睨むなって。そうだな、僕が座っているこの場所がどこか? それがヒントだ。そうするとほら、分かるだろう?」


 手を胸に当て、にっこりと笑う少年。

 トトは苛立ちながらも、その言葉を検討し始める。


「どこって、村の守り神の祭壇だろ。というか、そこから降りろよ。一応、神様の座る場所――」


 なんだからと続けようとしたところで、気づいた。

 いつも祭壇の上に飾ってある物が、消えている。


「あれ、石像が……」

「ああ、気づいたかい? そう、君が考えている通りさ」


 やれやれ、と疲れたように首を振る少年。

 ピンときた直感にありえないと思いつつ、トトは口にした。


「……まさか、お前が石像だって言うんじゃないだろうな?」

「そうそう、大正解! やっと気づいたね! おめでとう!」


 まさか正解だと思わず、トトはポカンと口を開ける。


「まぁ、石像そのものが僕なんじゃなくて、石像を依代にしてここに現れたんだけどね。それじゃあ、改めて自己紹介を。僕はブディーチャック。【獣と森の神ブディーチャック】だ。よろしくね」


 少年――ブディーチャックはにっこりと笑って、トトに手を差し出す。


 トトは無意識にその手を握り返すが、頭は混乱していた。


 ブディーチャック……獸と森の神……神?


「え? 神? 神様?」

「だからそうだって言ってるじゃん。何? まだ信じてないの?」


「いや、だって神様って言われても、子供だし……そんな名前の神様なんて聞いてことも……」

「本当に酷いな。もうずいぶん長く僕のことを祀ってくれているのに」


「祀ってるって……え? ブー様?」

「僕の名前、そんなに言いにくいかね? 一体どこでブー様になっちゃったのか。まぁ、それはそれで可愛いからいいかなって思ってたけど。君も言いづらかったらブー様でいいよ」


 それでいいのかよ神様、と、トトは呆れた。


「まぁ、僕のことなんてどうでもいいんだよ。それで、どうなの? さっき言ったのは本気なの?」

「え? 本気って何が……?」

「だーかーらー、なんでもするから力をくれって言ってたじゃん。僕の言葉、通じてる?」



 馬鹿でも見るように、ブディーチャックはトトの顔を覗き込む。しかし、トトは気にも留めない。

 ブディーチャックの言葉に、トトの心は囚われていた。


「もしかして、お前が俺に力をくれるのか?」

「そうそう、やぁっと通じたね。良かった、あと何回繰り返せばいいのかと思ってたよ」


「ほ、本当に? 嘘じゃないのか? 俺は【村人】なんだぞ? それでも、アメリアの側に居られるだけの力が手に入るのか?」


「側に居るどころか、将来的にはアメリアちゃんより強くなれるよー。もしかしたら、これから現れる【勇者】よりも強くなるかも」

「――――ッ!」


 ブディーチャックのその言葉に、トトは興奮した。

 それが本当なら願っても無い。くれるというのなら是非とも貰いたい。そうすれば俺も、アメリアを――


「ただし、もちろん代償を払ってもらうけどね」


 続けたブディーチャックの言葉は、熱くなったトトの頭に冷水を浴びせた。


「代償……」

「うん。それだけの力をまさかノーリスクで手に入るとは思っていないだろう? 何かを得るなら、何かを捨てる覚悟を持たないとね。何も捨てずに得るものだけ得ようってのは、そりゃあ虫が良すぎるってもんでしょ」


 確かに、納得のいく話だった。

 力だけを求めて、ただで貰えるなんて都合のいい話だ。そんな良い話がそうそうあるわけがない。なんらかの対価を払うのが当然だろう。


 だがそれを差し引いても、ブディーチャックの提案はトトにとって魅力的な物だった。


 届かないという現実を知り、打ちのめされていたところに差し伸べられた手なのだ。危険だと分かっていても、掴まずにはいられない。たとえ、どんな代償を払ったとしても。


 力を与える代わりに、代償を求める。神というよりは、まるで悪魔だ。


「……少し聞きたいことがあるんだけど」

「ん? なんだい?」


「そもそも、なんでお前は俺にそんな力をあげようと思ったんだ? 神様がわざわざ、こんな何処にでも居るただの村人の願いを聞く必要なんてないだろ?」


 善意か? 悪意か? または求めているものがあるのか?


 全てが分かるとは思っていないが、答え次第では何かが見えてくるかもしれない。些細な変化も逃さぬよう、トトの目が鋭くブディーチャックを捉える。


「や、気まぐれ」


 予想外の返答に、トトはズルリと肩を滑らせる。

 随分と身も蓋もない答えだった。


「き、気まぐれ?」


「うん。あのね、僕って暇つぶしにいろんなことをやってるんだけど、君の村の観察もその一つなんだよね。あの村が出来た頃から、ずーっと住人達のことを見てきたんだよ。だから、あの村についてはいろんなことを知ってるわけ。村の成り立ちだとか、子供達の遊びスポットだとか、不倫現場を目撃したりとか、そりゃあいろいろね」


 おい、最後。トトは心の中で突っ込んだ。


「だから君たちの事も、村で何が起きたのかも知っているんだよね。そんな中で、個人的に気に入っている子が傷ついているんだ。そりゃあ助けてやりたいって思うじゃん?」

「それってつまり、俺の為に力を貸してやりたくなったってことか?」


 自分の苦悩を知り、励まそうとしてくれる人が居た。しかも、それがよりにもよって神様だ。見てくれていた人が居る。そう思うと、トトは不覚にも目頭が熱くなった。


「ハァ? バカじゃないの? そんな訳ないだろ」


 勘違いだった。感動しかけていただけに、ダメージは大きい。

 蔑むような目で見られ項垂れるトトを無視して、ブディーチャックは続ける。


「僕が気に入ってるのは、アメリアちゃんだよ。断じて君なんかじゃないから、そこは間違えないように」

「アメリアを? それは【賢者】だからか?」


「おいおい、馬鹿なことを言わないでくれよ。アメリアちゃんの魅力は【天職】なんかじゃない。それは君もわかってるだろ?」


 心外だと言わんばかりに首を振り、ブディーチャックは言った。


「僕ってこれでも神だからさ、永いこと生きて、いろんな人間を見てきたんだ。

 大抵は欲に塗れた奴らばかりで、僕が気まぐれに姿を現わすと、表面上は敬っているくせに、どうにかして利益を狙うような奴ばかりでね。

 正直うんざりなんだけど、そのせいでもあるのかな? 

 人間の純粋な行動とか心だとかが、凄く綺麗に見えて大好きなんだ。アメリアちゃんなんか特にそうだよ」


「それはまぁ……確かに」


 まだ子供とはいえ、あれだけ素直で純粋な女の子はそう居ない。

 トトの肯定に、ブディーチャックは二へッとだらしない笑みを浮かべた。


「だよねぇ。本当に良い子だよあの子は。あの村で今でも僕に対して本気で祈ってるのは、アメリアちゃんくらいだ。

 村の大人ですら僕の由来を忘れて、惰性で続けている風習なのにね。

 おまけに、好きな人にとても一途。あんな可愛い子は他に居ないよ。その相手が君みたいな小生意気なガキっていうのは、ちょっと趣味が悪いと思うけど」


「うるさいな、ほっとけよ」


 冷めた目で見るブディーチャックに、トトはブスッとしてそう返す。

 何か言い返したい気もしたが、あながち間違いではないと思った。


 自分にアメリアは眩しすぎる。それを分かっていながら、無謀にも手を伸ばそうとしているのだから。


「まぁともかくさ、僕はアメリアちゃんが成長をしていくのを楽しみにしていたんだよ。それはもう実の親のような気持ちでね。それこそ、彼女の一族に【加護】を与えてもいいと思うくらいに」


 なのに――と、不機嫌そうにブディーチャックは続けた。


「あのクソ女神、アメリアちゃんによりにもよって【賢者】なんていう厄介物を押し付けやがった! 僕が唾つけといた相手を横から掻っさらうなんて、ふざけた奴だよまったく!」


 怒りを見せていたブディーチャックは、がっくりと肩を落とす。


「あの子には俗世から離れたこの村で、のびのびと育って欲しかった。そうすればなんでもない日常を幸せに思う、そんな純真な心を持った大人になっていただろうに。

 王都みたいな政治と利権でドロドロに塗れた場所に連れて行かれたら、あの子の心が濁っちゃうよ。あのクソ女神と薄汚れた大人達に振り回されると思うと、不憫でしょうがない。そこで僕は思いついたわけだよ!」


 落ち込んで見えたブディーチャックが、急に顔を上げ、明るくなる。


「せめてそんなアメリアちゃんを励ますために、何か出来ることはないかなってね。

 だけど、今更【加護】を与えようにも、もうアメリアちゃんは【賢者】っていう【加護】に近い【天職】を持っちゃってるから、僕から【加護】を与えることは出来ない。ならどうすればいいか? 

 誰か他の人間に【加護】を与えて、アメリアちゃんの支えになってもらおうと思ったんだ!」


「それが、俺?」


「そう! 僕は心から君が気に食わないけど、アメリアちゃんが好きな男の子だからね。そして、君もアメリアちゃんの側に居るために、力を求めている。なら、君を選ぶのもおかしくないだろう?」


 その答えに、トトはすんなりと納得出来た。

 長々と語っていたが、結局の所、こいつの行動原理は一つ。


「お前は、アメリアが好きなんだな」


 気に入った子だから、助けたい。そんな単純気持ちだ。

 当たり前の動機に、トトは小さく笑う。とても神様とは思えない。


「いいのかよ、そんなことで【加護】を与えようとするなんて。神様だろ?」


「う〜ん、なんか勘違いしてるね。この世界で神ほど気まぐれで勝手な存在は居ないよ? 

 外敵が存在しないほどの力を持っているからこそ、本能のまま、欲望に素直に生きる。それが神だ。秩序なんてどうでもいい。ただ自分の思うままに生きるだけさ」


「それでいいのかよお前。アルマンディ様は人間に【天職】を与えてそれらしい行動をしてるってのに」


 それに、【魔王】から世界を守るために【賢者】を選定している。それがアメリアなのは受け入れられないが、さすが創世神。こんな小さな村で崇められている神とは格が違う。


「いや、あれは創世の時に人間の能力調整をミスったせいで、後からテコ入れしているだけだから。全然偉くないよ」

「え?」


 トトは耳を疑った。


「それ、本当か? え、いや、本当にそんな理由で?」


「あいつ創世の女神らしく力もあるし美人だけど、逆に言えばそれしか脳がないからね。頭悪い癖にちからだけ持ってるから厄介というか……そもそも【魔王】だって世界を作った時の瑕疵案件だし。うん、やっぱりあいつが全部悪い。だから僕も怒ってるんだよ。そのせいでアメリアちゃんを巻き込んで」


 うんうんと頷くブディーチャックの前で、トトはがっくりと肩を落とす。

 この世界の真実は、トトを打ちのめすに十分すぎた。


 結論、全部アルマンディのせい。自分が苦しんでいる原因がこんな簡単に纏めらる軽い物だったとは。さすがにやるせなさすぎる。


「そんな奴のせいで、アメリアが……俺が……」

「気持ちは分かるけど、どうしようもないから諦めなよ。その代わり、僕が力をやるからさ。まぁ、君の為じゃなくて、アメリアちゃんの為だけど」


 そう。そうだった。

 衝撃なことばかりで忘れかけていたが、重要なのはそれだ。


「で、大体話したけど、どうする? 僕の力、欲しい?」


 ニヤニヤとしながら、ブディーチャックはトトを見る。まるで、どう答えるのか分かっているかのように。


 確かに不安はある。今一つ、信じきるには信用が置けない相手だ。しかしそれでも、トトの選択は一つしかなかった。


「ああ、欲しい。いや、お願いします。ブー様、貴方の力を俺にください」


 トトは今までの態度を改め、真摯に頭を下げた。

 ふぅん、と。ブディーチャックは面白がるような顔でトトを見る。


「君ならそう言うと思ったけど、本当にいいのかい? 

 僕は君を気に入って【加護】を渡すわけではない。これは取引だ。君は僕に代償を払い、僕は君に力を与える。

 ただの【村人】が【賢者】に匹敵する力を得るには、相応の代償が必要になるよ。それでも、君は力が欲しい?」


「……ああ、欲しい」


 躊躇いながらも、トトはしっかりと頷いた。


「正直、信じていいのかっていう気持ちはあるよ。騙されてるんじゃないかって、心の隅で今も思ってる。だけど、たとえ騙されていたとしても、アメリアの側に居るためにはどうしても力が要るんだ。それにさ」


 気恥ずかしそうに、トトは笑う。


「ブー様は俺のことが嫌いかもしれないけど、アメリアのことが好きだってのはよく分かった。そこだけは信じていいと思う。アメリアの力になるために俺を利用するっていうなら、俺を殺すようなことはしないだろ?」

「……くっ、あはははは! そうだね、確かに君の言う通りだ」


 ブディーチャックは大声で笑うと、立ち上がった。


「よしっ、いいだろう! それだけの覚悟があるならもうこれ以上は何も言うまい! 契約成立だ!」


 ブディーチャックは愉快そうにしながら、パチンっと指を鳴らす。

 瞬間、トトの周囲地面が輝き、薄緑の光が立ち上った。


「うぉっ、なっ、なんだこれ!?」

「動くな。そのまま大人しくしてろ。下手に動くと死ぬよ」


 突然の変化に驚きながらも、ブディーチャックの言葉にトトはピタリと動きを止める。

 そんなトトを見ながら、ブディーチャックはクツクツと笑った。


「君は馬鹿だね。どんな代償を払うのかも聞かずに、アメリアちゃんの為というだけで契約を結ぶなんて。しかし、それは正解だ。君はうっかりしていただけだろうが、それは破格の対価となる」

「えっ?」


 思ってもいなかったことを言われ、トトは惚けた声を上げる。

 そんなトトに、ブディーチャックは初めて好意的な笑みを見せた。


「アメリアちゃんが欲しい。そんな欲から来ている行動だろうけど、それだけ、君もアメリアちゃんが好きだということだろうね。それなら……うん、ちょっとだけ君のことが好きになったよ。喜びなよ、トト。目が覚めれば、君は英雄にも等しい力を手に入れることが出来る」


 もっとも――と。

 ブディーチャックは、薄く伸ばした三日月のような笑みを浮かべた。


「目が覚めた時、君がその代償を受け入れられるかは知らないけどね」


 その最後の言葉は、トトの耳に届くことはなかった。

 立ち昇る光の中に混じるように、トトの意識は遠く、薄くなっていった。


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