第8話 なんで俺は村人なんだ……!
(今頃、アメリアは泣き疲れて眠ってるのかな……)
誰もが寝静まる深夜。
トトは自分のベッドで昼間のことを考え続けていた。
考えれば考えるほど、自分の馬鹿さ加減に嫌になっていく。結局の所トトがやったのは、アメリアを勇気付けるどころか、ただ傷つけただけだ。
アメリアを傷つけたくなかった。だから、説明もせずに否定だけした。
しかし実のところ、自分が傷つきたくなかっただけではないだろうか?
アメリアを待つことが出来ない。それを認めたくなくて、隠していただけじゃないだろうか。そのせいで、アメリアは深く傷ついた。
(……謝ろう。それで、ちゃんと全部話そう)
それで、上手くいくかどうかは分からない。
だけど、このまま別れるのだけは駄目だ。
トトは音を立てずに部屋の扉を開ける。居間のテーブルには、父と母が眠っていた。部屋に引きこもるトトを心配して、そのまま待っていたのだろう。
トトは心の中で謝りながら、音を立てずに家を抜け出した。目指すは、アメリアの家。何度も通った場所だ。目を瞑っても分かる。明かりがなくとも問題ない。
(謝ってちゃんと話そう。俺が待てない理由と、俺の本当の気持ちも。その方が、きっと――)
アメリアの為になる。そう信じて、トトは走り続ける。
すぐにアメリアの家が見えた。トトは速度を緩め、バクバクと鳴る胸を抑える。拒絶されると思うと、不安に押しつぶされそうになった。だが、ここで怖気付くわけにはいかない。
覚悟を決め、トトは一歩前に歩き出した。だが、
「――止まれ」
横から聞こえてきた無機質な声に、トトは足を止められた。
こんな時間に、一体誰が? 予想外の相手に、トトは恐怖する。
夜の闇から現れたのは、昼間に目にした騎士クレメンスだった。その手は油断なく腰の剣に添えられている。
「何者かは知らんが、動くな。動けば容赦なく斬る」
そう告げるクレメンスの声は、なんの感情もない。ただ事実のみを口にしている。
たとえ子供でも、動けば本当に斬られるとトトは悟った。
「ん? 貴様は昼間の……」
クレメンスはトトを確認すると、剣から手を離した。しかし、その目は相変わらず冷え切っている。まるで、道端に落ちた石ころを見ているかのように。
「こんなところで何をしている?」
「ア、アメリアと話がしたくてっ、それで……」
「アメリア様はとうにお休みになっている。早く帰れ。明日、別れの時間くらいなら作ってやる」
迷いなく断るクレメンスに、トトは怯んだ。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「非常識なのは分かっています。だけど、どうしても今話さないといけないんです! だから、お願いします!」
「……調子に乗るなよ、村人風情が。貴様の我儘で、就寝中のアメリア様の手を煩わせると? 何様のつもりだ? それとも、たまたま同じ村に住んでいただけの貴様にその資格があるとでも?」
「おっ……ぼ、僕はアメリアの婚約者です! それでは理由になりませんか!?」
それを口にしたのは、賭けだった。それでも関係ないと、追い払われる可能性もある。だが、それに縋るしかなかった。
そして、それは幸運にもクレメンスの関心を引いたらしい。ただし、思ったものとは、逆の方向で。
「くっ、くくっ。貴様、今もアメリア様の婚約者のつもりなのか? 笑わせるなよ。下賤な村人風情が」
「え?」
「彼女は【賢者】となったのだ。【賢者】の使命は【魔王】を倒すだけではない。その神聖な血を後世に残すことも含まれるのだ。王都では既に、彼女にふさわしい伴侶の選定が始まっている。そしてその中には、この私も含まれている」
「――――ッ!?」
こいつが……アメリアと?
そのことを想像しただけで、トトは凄まじいほどの吐き気がした。
クレメンスは突き放すように続ける。
「私の他にも、地位や実力の有る者達が彼女の伴侶の席を巡って競い合っているのだ。誰が選ばれてもおかしくない、それほどの男達がな。少なくとも、貴様のような村人とは比べることすらおこがましい」
クレメンスはトトを見下ろし、吐き捨てるように言った。
「現実を見ろ。もはや彼女は、貴様ごときが触れていい存在ではない。ましてや婚約者だと? 身の程を知れ、餓鬼が」
「……知るかよ、そんなの」
「なに?」
「そんなの知るかって言ってんだ!【賢者】だからなんだ! 俺はアメリアの婚約者だ! アメリアだってそう思ってる! そんなの認められ――」
それ以上、トトは言葉に出来なかった。
気づいたら、トトはクレメンスに蹴り飛ばされていた。
地面を転がり、やがて勢いをなくしてその場に止まる。だが、激痛のあまり息を吸うことも出来ない。少しでも痛みを抑えようと、地面に蹲り悶え苦しむ。
「ぐっ……うっ、うぇええええ……!」
「騒ぐな。アメリア様が気づくだろう」
吐瀉物を吐き出し、苦しむトトの姿を見てもクレメンスは何も思わない。聞き分けのない子供に罰を与えた。ただそれだけだ。
「これ以上騒ぐようなら、いくら子供といえど容赦はせん。そもそも、村人風情が騎士である私に反抗するだけでも許しがたい暴挙だ。処断するに足る理由になる。それが嫌なら、大人しくここから去れ。今なら見逃してやる」
「……ぐっ、げふっ! そっ、それでも……」
えずきながら、トトは言った。
「それでも……会わないと駄目なんだ……アメリアは今、傷ついているから……会って、ちゃんと謝って……それで……!」
「自分で傷つけておきながらか?」
予想外の言葉に、トトは呆然とクレメンスを見つめた。
クレメンスはその視線を受け止め、続ける。
「昼間、アメリア様が泣いて帰ってくるのを見た。あれは貴様が原因だろう?」
「なんで知って……」
「元々この村に来たのは、アメリア様が王都に向かう条件として、婚約者だとかいう貴様に会うことを願ったからだ。
口約束で出来た婚約者など放っておけばいい物を、アメリア様は頑なに譲らなかった。それだけ、アメリア様にとって大切だったのだろう。
そのアメリア様が、貴様と話に行って泣きながら帰って来たのだ。貴様が原因だというのは聞かずとも分かる」
――そんなアメリアを、俺は……。
トトの肩に罪悪感がのしかかる。
「アメリア様は帰ってくるなり、大声でご父母に泣きついていた。外で警護をしていた私達も、途切れ途切れではあったが聞いていた。
何があったのかは理解している。貴様がやったことも、そうせざるを得なかった理由も、おおよそ察しはつく。貴様のことは気に食わんが、それだけは個人的には良くやったと思っている」
「アメリアを泣かせたのに……良くやったっていうのかよ!」
「ああ。これでアメリア様は、何も思い残すことなく王都に行けるからな」
クレメンスの言葉に、トトは大きく目を瞠る。
そんな風に考えたことなど、一度もなかった。
「貴様に未練を感じていては、王都の訓練も身に入らないこともあり得た。だが、これでアメリア様は訓練に打ち込めるだろう。もはやなんの不安もない。貴様はよくやってくれた」
トトは何も言い返せなかった。クレメンスの言うことを、正しいと思ったからだ。
(だけど、それじゃあアメリアの気持ちのことなんか何にも考えてねぇじゃねえか!)
自分の存在が、アメリアの足を引っ張ることになり得た。確かに、王都での修行のことを考えれば、今日のことは必要なことだったかもしれない。
でも、だからといって、アメリアの心に傷を残したままで良いはずはない。
「アメリアはこれから頑張らないといけないんだ! たった一人で! 誰も知らないところで! それなのに始まる前から傷ついてどうすんだよ! せめてアメリアが悲しまないようにして、送り出してあげなきゃ!」
「ふむ、そうか。ではどうする?」
「そんなの決まってる! 謝って、ちゃんと話をするんだ! 俺の気持ちも、待てないって言った理由も、全部!」
「それを話してどうなる?」
「どうなるって、そんなの……」
そこまで言って、気づき、トトは愕然とした。
それを話せないから、アメリアを傷つけてしまったのだ。
「アメリア様はまだ幼い。その立場の重さも、政治的配慮にも納得は出来ないだろう。
それを分かっているからこそ、貴様は何も話さなかったのではないのか?
ふむ、そう考えると、貴様はそれを理解する程度の小賢しさはあるようだな。村人風情にしては大したものだ」
クレメンスはクツクツと笑い、続けた。
「だが、今は納得できなくとも、成長すれば自然と現実を理解する日が来る。なら、わざわざそれを今教えて、余計に傷つける必要はあるまい? それこそ、お前が言う通りな」
「そんな……そんなの……」
「受け入れられんか。まぁ、そうだろうな。貴様の目的を考えれば、諦めることなど出来まい」
「俺の目的……?」
思ってもないことを言われ、トトはクレメンスを見つめる。
そんなトトに、クレメンスは蛇のような笑みを見せた。
「貴様はあたかもアメリア様の為にと動いているように見えるが、それは違う。全て自分の為に行動しているのだ」
「自分の、為……」
「そうだ。謝罪も。己の心を晒そうとすることも。事情の説明も、全て。アメリア様に嫌われたくない。ただその一点から来ている。貴様は己の欲によって行動しているにも関わらず、それを他者の為という虚構で隠す、ただの卑怯者だ」
違う、そんなことは考えていない。ただ、アメリアに元気を出してもらいたくて……。
そう思っているのに、トトは声を出すことが出来なかった。ただ、体が震えていた。
「謝罪をすれば、アメリア様は許してくれるだろう。好意を伝えれば、その想いに応えようとするだろう。そう出来ない事情を話せば、アメリア様は賢者という地位と、国を恨むだろう。訓練をすることなく、貴様の元へ戻ろうとするかもしれん」
見透かしたように、クレメンスはトトを見る。
「自分の手に入るはずだった物を取られんが為に、貴様は行動しているのだ。身の程知らずにも、あわよくばアメリア様がお前の元に帰ってくることを期待してな。そんなことが許されるはずがないのに。
どうだ、少しは自分のことが分かったか?」
「…………」
違う、と、トトは言い切ることが出来なかった。
上手く言いくるめられている気もする。本当に、自分がそう思っていたのかも分からない。ただ、一つだけ――
アメリアに嫌われたくないという気持ちは、紛れもなくあった。
項垂れるトトに背を向け、クレメンスは言う。
「たかが村人の貴様に出来ることは、アメリア様の未練に残らぬよう、このまま嫌われ役を演じるだけだ。本当にアメリア様のことを想うのなら、諦めて大人しく身を引け。高望みするな。村人らしく、分相応に生きろ」
「ま、待ってください。俺は……!」
歩き出していたクレメンスだったが、舌打ちをしてトトへ振り返る。
「ここまで言っても分からんか。なら、今の自分と私をよく比べてみよ。そして答えろ。アメリア様に相応しいのはどちらなのかを」
憔悴していたトトは、言われた通りに、頭に二人の姿を思い浮かべた。
自信に溢れ、立派な鎧を纏う、家柄と実力の伴った騎士。
泥と吐瀉物に汚れた、薄汚い村人の子供。
どちらがアメリアの側に居られるのかは、明白だった。
「もう一度だけ言ってやる。彼女はもはや、貴様にごときが触れていい存在ではない。身の程を弁えろ、村人風情が!」
その言葉で、トトは限界を迎えた。
言い返す事すら思い浮かばず、ただ、衝動のままに。
トトは、その場から駆け出していた。
♦ ♦
「はっ……! ぎっ、ぐぅ……!」
嗚咽を堪えながら、トトは全力で走っていた。
少しでも早く、あいつから離れたかった。
側に居ると、嫌でも自分と比べてしまうから。
「はぁっ、ぐっ、うぅ……うぅううううう!」
誰も居ない場所を求めて、トトは走り続ける。無意識の内に、トトはそこに向かっていた。村から離れた、守り神を祀った祭壇にトトは辿り着いた。
夜の祭壇は、いつもと違う雰囲気を感じる。森も眠っているようだった。まるで世界に自分だけしか存在しないような、そんな静かさだった。
ここなら誰にも見られることもない。そう思った瞬間、トトは限界を迎えた。
「――うああああああああああああああああああああっ!」
この憤りを、悲しみを吐き出すように、トトは泣き喚いた。
嫌な奴なのに、騎士であるあいつを羨ましく思う、汚れた村人。そんな自分の姿が、羨むことしか出来ない自分が、どうしようもなく惨めだった。
今こうして苦しんでいることでトトはようやく気付いた。
前世のことだとか、中身が大人だとか、そんなの恥ずかしくて自分に言い訳していただけだ。
(――俺は、アメリアが大好きだったんだ!)
あの子が側に居るだけで、幸せだった。だから、それを奪われたくなかった。
たとえ国が相手だろうと。世界中の命が懸かっていようと。そんなことはどうでも良かった。ただ、彼女さえ側に居てくれたら、それで良かった。
全てあの騎士の言う通りだ。アメリアの気持ちなんか考えていなかった。ただ、自分が側に居てほしいだけだった。自分の欲望ばかりで、さらにアメリアが傷つくことに頭が回らない。そんな浅ましい人間だった。
「ぐっ! ふっ、うぅうぅう! だって、しょうがないじゃないか! 俺はただの【村人】なんだぞ!」
力さえあれば、たとえどんなに危険な相手だろうとアメリアの為に戦える。今は弱くても、いつかアメリアの隣に立つに相応しい男になってみせる。
しかし、トトは【村人】だ。戦う力なんて、これっぽっちもない。
「なんでっ……なんで俺は【村人】なんだ! 何でもいい……他のどんな弱い【天職】でも良かったのに……何で!」
他の【天職】さえ持っていれば、血の滲むような訓練を重ね、アメリアを追いかけることも出来た。だが、この世界では努力すらも許されない。どうしようもなく残酷な現実に、トトは怒りを感じた。
戦える【天職】を貰えなかったら、それはそれでいい。そう考えていたかつての自分をぶん殴ってやりたかった。もっと必死に、才能を求めるべきだった。
……いや、それも違うのだろう。それに気づくのが遅かろうが早かろうが関係ない。生まれた時から、全て決まっていたのだ。
自分が無力な人間であることも。
アメリアと必ず、別れなければいけないことも。
――求めても、何も変わらない。
「なんでもいい……力が欲しい……!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、掠れた声でトトは呟いた。
求めても何も変わらない。そう分かっていても、求めずにはいられなかった。
ずっと、アメリアの側に居たいから。
「なんだってするから、力をくれよ……! あいつを守れるだけの……あいつの側に居るための力が必要なんだ! 力をくれるなら、どうなっても構わない……お願いだから、誰か……!」
このまま情けない自分のままで居るのが嫌だった。どうしても、この理不尽を破る何かが欲しかった。
口にして、それが本当に叶うと思っている訳ではない。ただ、この辛い現実を認めたくなかっただけだ。このまま敗北者のままで、終わりたくなかっただけだ。
しかし、トトは幸運だった。
その願いを、聞いていた者が居た。
『その言葉、本当かい?』
「……え?」
頭の中に直接響くような声に、トトは泣くのも忘れ辺りを見回す。しかし周りには誰も居ない。気のせいかと思いかけた時、トトの目にありえない光景が映った。
見慣れた村の守り神の像が、薄っすらと輝いていた。
「え……あっ、え?」
混乱するトト。
しかし、それでも石像の変化は止まらない。徐々に光が強くなっていき、やがて、目を焼き尽くさんばかりの強い光が生まれる。
トトは咄嗟に目を腕で覆った。それから光が収まったのを感じ、ゆっくりと腕を下ろす。そして目の前の光景に、ぽかんとした表情を浮かべる。
「どうなっても構わない。その言葉、嘘はないだろうね?」
守り神の像は消え、一人の少年が祭壇に腰掛けていた。
その少年は、面白そうな瞳でトトを見ていた。
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