伝説の少女★

「けちな背教者め! 出ていけ!」


 尼僧プリーステスは牙を剥き、口汚く罵った。

 端正だった容貌は憎悪に歪み、見開いた双眸そうぼうは狂気に血走っている。

 

「神罰を受けるがいい! 女神ニルダニスの怒りの雷でその身を灼き尽くされろ! 炙られた蛞蝓なめくじのように無様にもだえて死ね! 死ね! 死ね! 死んでしまえ!」


 聖職者の口から止めどなく溢れる、罵詈雑言。

 清浄な祝詞でも清澄な賛美歌でもなく、怨嗟に満ちた呪詛が吐き出され続ける。

 

「……狂ってるわ」


「……ああ、同感だ」


 拘束される尼僧を前に、フェリリルとジグが嫌悪の呟きを漏らした。

 冷水を浴びせられたような不快な怖気が背中に走っている。

 人の形をした人以外のもの……狂信者プリースト・オブ・ファング

 しかしそれは紛れもなく、人間の本質のひとつなのだ。


「だからグレイ・アッシュロードを治療院からかどわかしたのかい?」


「そうさ! あの男はこともあろうに我らが聖女を奴隷にした! 女神ニルダニスの化身たる聖女を陵辱した! 奴は獣欲に塗れた男神カドルトスを信奉する背教者! ふたつ名のとおりの邪悪な暗黒卿レイバーロードよ!」


 尋問するドーラ・ドラに、尼僧がわめき散らす。


「それで、その邪悪な暗黒卿は今どこにいるのさね?」


「さあ、どこだろうねぇ? 魔界か冥府か、それとも地獄か。すべては女神の御心のままにってね。どこだろうと、奴に相応しい場所だろうさ!」


 元は下賎の生まれなのだろう。

 尼僧が下卑た表情と口調でドーラを嘲る。


「そうかい」


「な、なんだい、それは?」


 ドーラが取り出した小瓶を見て、尼僧の顔色が変わった。


「おや見覚えないのかい? これはあんたたちの寺院が作ってボルザッグに卸してる “与傷の水薬ライト・ウーンズ のポーション” さ」


「そ、それをどうする気さ?」


「もちろん使うんだよ。他の連中はみんな “グッド” だからこういう場面では使いづらいだろうけどね――あたしは違うよ」


 他の連中フレンドシップ7を背にうそぶくドーラに、獰猛な肉食獣のかおが浮かんだ。


「や、やめろ――ぎゃああああっっっ!!!」


 水薬を垂らされた尼僧の肌が水ぶくれ、見る間にただれていく。

 拷問は忍者であるドーラの試金石だ。


「なんだい? あんた自身が祈祷したかもしれない水薬だろ。たっぷりお上がりよ」


「痛いっ! 痛いっ! やめて――やめてえぇえ!」


「おやまあ、これぐらいで音をあげるなんて随分と薄弱な信仰心だねぇ――言え、アッシュはどこだい!? どこにやった!」


「そんなこと知るもんか! あたしはただ、あの男に神罰を下すっていう使徒に手を貸しただけさ!」


「使徒だって?」


「そうさ、あいつらは使徒だ! あたしは宣託を受けたんだ! 『聖女を陵辱した男に神罰を下したい。手を貸してくれ』って女神の宣託をね! ニルダニスはあたしを選んだ! あたしこそ――あたしこそが聖女なんだ!」


 狂喜する尼僧に、ドーラは沈黙した。

 これが治療院からアッシュロードが消えたからくり。

 皆が寝静まった深夜に当直だったこの尼僧が、外部の人間を招き入れた。

 篤信とくしんの下に隠されていた不遇感・劣等感を、アッシュロードの略取を企む何者かが刺激し、手駒にした。

 魅了みりょうの呪文など必要ない。

 ほんの少し理解を示し共感してやれば、赤子の手を捻るよりも易く籠絡できる。

 肥大し歪んだ自我を持つ者はどの世界でも、詐術の好餌でしかない。


「これ以上は無駄だろう」


「そうだね」


 レットが言葉をかけ、ドーラがうなずく。


「……女神を信じようと男神を信じようと、人間は人間なんだよ」


 パーシャが苦虫を噛みつぶすように呟く。

 親友であるエバ・ライスライトは “火の七日間” の折に、対立するカドルトス寺院から命を狙われ続けた。

 ニルダニスの聖女であるエバの出現は、カドルトスを信奉する人間にとって、脅威以外のなにものでもなかった。

 エバが宰相格である筆頭国務大臣のトリニティ・レインによって保護され、騒乱の終結後にはトリニティ自身がカドルトス寺院の総大主教グランド・ビショップと面談し、

 

上帝トレバーン陛下は、エバ・ライスライトをお気に召しておられる。もし猊下があの娘を害さんとするなら、それは陛下への明確な叛意とみなします。上帝陛下はなによりも強大な敵を欲しておられる。世界の半数を数えるカドルトス信徒との戦いとなれば、さぞやお血を滾らせることでしょう』


 上帝トレバーンの威を以て掣肘せいちゅうしたため総大主教は震え上がり、エバへの一切の干渉をやめた経緯がある。

 時と場所と当事者を変えて、同じ事が繰り返されたのだ。


「……女王は跳ね返りども抑えられるのか?」


 カドモフがボソリと核心を突く。

 政教一致の国家であり、ニルダニスの教えが国教であるリーンガミル聖王国では、女王マグダラが名目信徒の頂点に立っている。


まつりごとと信仰をひとりの人間が司るのは無理がありそうだ……」


「それでもやってもらわなければ困るわ」


 表情を曇らせるジグに、フェリリルが言い切る。

 女神は強く、人間は弱い。

 弱い人間だからこそ信仰が必要なのであり、その信仰が試されるのだ。


「――どちらにせよこの尼さんから聞き出せることはもうなさげだね。あの野暮天を見つけ出すには別口を当たるしかなさそうだ」


 ドーラは尼僧に背を向けた。

 アッシュロードは生きている。

 なぜなら世界が生きているからだ。

 アッシュロードが死ぬば男の中に封じられている魔王が甦り、世界が滅ぶ。

 世界はまだ滅んでいない。


◆◇◆


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16818023211794218473


「おひさしぶりね、セイントメリア」


「おひさしぶりです。熾天使セラフガブリエル」


「こうして会うのは三〇〇〇年ぶりかしら」


「はい。あの時から地上では長い月日が流れてしまいました」


「あなたは変わらない。あの時のまま」


「あなたは随分と変わりましたね」


「ふふっ、そうね。でもこの姿もとても楽しいわ」


(おいおい、何の話をしてやがる? おめえら知り合いなのか?)


 聞こえてくる天使と聖女の会話に、アッシュロードは混乱の極みだった。


(三〇〇〇年の昔だ? それってつまり伝説の勇者と聖女が魔王を討滅したときか? あのリーンガミルだって一〇〇〇年の歴史しかねーんだぞ)


 アカシニアに覇を唱え、空前の繁栄を誇っていた古代魔導王国。

 現在のリーンガミルなど足下にも及ばない、一大魔法文明を築いていた世界帝国。

 その大帝国を滅ぼした魔王。

 滅亡寸前の人類を憐れんだ女神ニルダニスは、ひと組の男女に退魔の力を与えた。

 男女は女神の力を借りて魔王を打ち倒し、伝説の勇者と聖女となる。

 しかし古代魔導王国は崩壊し、リーンガミル聖王国が成立するまでの長きに渡り、人類は暗黒の時代を迎える。

   

(聖典の内容なんて大概が強欲坊主どもが金を集めるための与太話だと思ってたが、まさか本当だったとはな……)


「お目にかかれて光栄です。当代の運命の騎士様」


 恭しく頭を垂れられる気配を感じて、アッシュロードはまごついた。

 聖典を枕に高いびきをかくような男だが、三歳児でも知っている伝説上の存在に頭を下げられては戸惑わざるを得ない。

 そう、このメリアという娘は、文字どおり伝説から抜け出てきた存在なのだ。


「いや、今までも散々言ってきたんだが、俺はそんなご大層なもんじゃねえ。ただの迷宮無頼漢だ」


 アッシュロードとて馬鹿ではない。

 ここまで多数の人間(または魔物)に『灯台の運転の騎士』だと言われるのなら、それなりの信憑性や自身が知らない事情があるのかもしれない。

 なぜなら自分には二〇年以前の記憶がないのだから。

 しかしだからといって肯定できるはずもなく、アッシュロードとしては言葉を濁すしかない。


「存じ上げております。あなたにお会いして、つい懐かしい思いに駆られてしまい、失礼を申し上げました」


 若々しいが、柔らかく包容力のある母性的な声。

 その温かみはアッシュロードのよく知る娘に似ていた。

 懐かしい気配が男に近づいた。


「御身を触れることをお許しください、ロード・アッシュロード」


 女神の御手 “神癒ゴッド・ヒール” の波動が、アッシュロードを包み込む。

 全身に負っていた大小の傷の他に、失われていた視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。あらゆる感覚が回復する。

 

「これで今しばらくの間は、気を楽にしてお話しすることができるでしょう」


 純白の僧服に身を包んだ蒼い瞳、白磁のような肌、そして長く煌めく銀髪の少女が微笑んでいた。

 やはりアッシュロードの聖女とは違った。

 まったくの別人だ。

 西方アカシニア人の特徴を色濃く引く少女――メリアの表情が引き締まる。


「女王に女神からの言伝があります」



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『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信・第二回~』

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