兆し

「これが……迷宮探索です」


 わたしは閉ざされたままの扉を見つめて、厳しい表情を浮かべました。


「ここまで来て、これかよ!」


 吐き捨てる早乙女くん。

 隼人くんも、田宮さんも、五代くんも――言葉にこそ出しませんが、失望と怒りの

ないまぜになった殺気じみた気配を漂わせています。


「ねえ、いるんでしょ、ルーソさん! 意地悪しないで出てきてよ! 何も酷いことしないから! わたしたち悪い人じゃないから!」


 安西さんが泣きながら扉を叩きます。


「……恋」


「ううっ! うわぁぁーーんんっ!」


 肩に手を置いた田宮さんに、泣きすがる安西さん。

 希望が先走りすぎたのです。

 道中が厳しかっただけに期待が膨らんでしまったのを、誰が責められるでしょう。

 今は……感情を吐き出すときです。


「気持ちを切り替えよう。まだゲームオーバーになったわけじゃない」


 安西さんの泣き声が小さくなったころ、隼人くんの静かな言葉が響きました。


「今から帰路を探す。途中で扉の鍵もみつかるかもしれない。俺たちはまだ動ける。まだ戦える。絶望する必要はどこにもない」


 さざ波のない、冷静なリーダーの声です。

 その声は火照った肌に触れた清水のように、動揺走るパーティを鎮めました。


「安西、地図を見せてくれ」


「グスッ……はい」


 鼻を啜り、涙を拭って、安西さんが丸められた羊皮紙を差し出します。


「ありがとう」


 隼人くんの笑顔に吊られて、安西さんの表情にも柔らかさが戻ります。

 地図を手渡すという至極簡単な仕事が、彼女に落ち着きをもたらしたのです。


「帰路があるとするなら、入口の手前にあったわかれ道しかない」


「見つけ損ねた隠し扉シークレット・ドアがない限り、そうでしょうね」


 うなずく田宮さん。

 全員が地図を覗き込んだので、ここでもわたしは周囲に警戒の視線を走らせます。


「幸いなことに魔法にはまだ余裕がある。ただ迷宮の深度的に “滅消ディストラクションの指輪” で消し去れない敵も多い。できるだけ戦闘は避ける。場合によっては五代――」


「ああ、斥候スカウト として先行する」


 ふたりの会話に、安西さんが身を固くする気配がしました。

 打ち続く極限状態の中で膨らんでいく、五代くんへの想い。

 経験があるからこそ危惧の念が頭をもたげてくるのを、抑えることができません。

 それとわかるように、ハッキリと口に出して忠告をすべきでしょうか?

 時として迷宮では、恋愛感情ほど危険なものはないということを……。


「瑞穂の意見は?」


「え? あ――魔法もですが、食料となにより飲料水の節約が重要でしょう。戦闘は避けられますが、水分の補給を怠るわけにはいきません」


「……そうだな」


 極力戦闘を避け、物資も節約する方針が確認され、パーティは進発しました。

 無事に生還できるか。

 それとも迷宮を長く彷徨した挙げ句、最後に “苔むした墓” を建てるか。

 神のみぞ知る道程です。


 南回りに複顔のトーテムポールのいた入口を目指します。

 早乙女くんや隼人くんが予想したとおり回廊は店舗の周りを巡っていて、ほどなく

門番の消えた入口に辿り着きました。

 目的のわかれ道は、ここから北に四区画ブロックです。


 わかれ道に立つと回廊は、南北と東に別れています。

 北は “鏡の広間” に。

 南はトーテムポールの門番のいた扉の前に。

 そして東は三区画先で行き止まりになっていて、北の壁に扉があるのが見えます。

 パーティが進むのはもちろん東です。


 扉の前までくると五代くんが危険の有無を調べ、安全が確認されると前衛の三人が蹴破って突入しました。

 後衛のわたしたちも間髪入れずに続きます。


異常なしクリア


異常なしクリア


 扉の奥は玄室でなく一区画先で、東西に別れる二股路につながっていました。

 魔物の姿もなく、異常は――。


「待ってください。一方通行です」


 最後尾で後方を警戒していたわたしは、入ってきたばかりの扉が消えていることに気がつきます。

 ハッと後ろを振り返るメンバーたち。


「問題ない。どうせ “鏡の広間” からずっと一方通行だ」


 ここでも隼人くんの冷静な声が、動揺しかかったパーティを落ち着かせました。


「言うとおりです。この際です。どんどん行きましょう」


 確保すべき退路は、あの隧道トンネルが崩れたときになくなっているのですから。


「そうね。消耗する前に行けるところまで」


 わたしの意見に、田宮さんも同意します。

 パーティは先を急ぎ、二股路に到達。

 東は三区画先で広間につながり、西は二区画先で北に折れていました。


「どっちに行くんだ?」


「東にしよう。広間があるなら調べておきたい」


 早乙女くんに訊ねられ、少し考えたあと隼人くんは答えました。

 反対意見は出ず、わたしたちは東に向かいました。

 行き着いた広間は北側に広がっていて、玄室でしょうか? 三区画先に二せんの扉が並んでいます。 

 東には二区画先で煉瓦造りの内壁になっていて――。


 思わず息を呑みました。

 東の壁には気味の悪い笑みを浮かべた悪魔の顔が、彫り込まれていたからです。


「な、なによ、あれ」


「差し詰め、迷宮版 “真実の口” ……といったところでしょうか」


「やめてよ。わたしあの映画好きなんだから」


 わたしの例えに田宮さんが、本気で嫌な顔をしました。

 ローマの観光名所にある有名な石刻と比べるには、悪趣味に寄りすぎていると言いたいのでしょう。

 ですが印象はそれに近いのです。

 内壁の真ん中に彫り込まれた、巨大で不気味な悪魔の笑顔……。


「む、無視はできないよな、当然」


「ああ」


 引きつる早乙女くんに、隼人くんが底堅い表情でうなづきます。

 あの顔を見つけてしまった以上、北側に並ぶ扉を先に調べる理由はありません。


「離れてろ――見てくる」


「用心しろ」「気をつけて!」


 進み出た五代くんの背中に、隼人くんと安西さんの声が重なります。

 リーダーとしての――勇者としての覚醒の兆し。

 輪郭を現しだした恋情の兆し。

 ふたつの兆しを見て取りながら、ストイックな友人の背中を見送ります。

 しかし、五代くんが扉に辿り着くよりも早く――。


「待ってください!」


「どうした!?」


 隼人くんが驚いた顔を向け、五代くんが立ち止まって振り返ります。

 そしてわたしが見つめるに気づき、唖然としました。


「な、なに? なんなの?」


「枝葉さん!」


 後ずさる安西さんをかばいながら、田宮さんが愛刀の柄に手を掛けます。


「わたしから、離れてください」


 それだけ言うとわたしは慎重に指先で雑嚢の蓋を摘み、持ち上げました。

 雑嚢は探索で得たキーアイテムパスポートを入れている物。


 カタカタカタ……!


 中でを流していたのは……。


「…… “悪魔の石像”!」


 嫌悪感に表情が歪みます。

 それは第三層の “赤い緞帳カーテンの部屋” で入手した品。

 真っ赤な血の色をした泉から現れた古代海洋神の眷属、“深きものディープワン” が持っていた不気味な石の彫り物です。


「瑞穂!」


「どうやら壁の悪魔に反応しているようですね……」


 “悪魔の石像” と “悪魔の石刻”


 符号はします。

 おそらくですが、この石像はここで使うものなのでしょう。


「試してみます――みなさんは離れたままで」


「気をつけろ、瑞穂」


 気遣ってくれる隼人くんに微笑み返し、わたしは悪魔の顔に歩み寄りました。

 何かをする必要はありませんでした。

 顔の前に立った瞬間石像は煙となって雑嚢から噴き出し、顔の口へと吸い込まれて

いったのですから。

 そして悪魔の顔はガンガンする声で叫びました。


『ようこそ! 我が魂と身体が守る部屋へ! 扉は今開かれん!』


 壁から微笑む悪魔が消え、代わりに扉が現れました。



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※スピンオフ第二回配信・開始しました!

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信・第二回~』

https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579

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プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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