膨張
「パーシャ、何した!?」
「知らないよ! あたいはただ犬に “
問い詰めるジグさんと、弁明するパーシャ。
そしてふたりを含む拠点を守るすべての人間の前で、
例えるなら人間を袋にして裏返したような、皮膚が内側に内臓が外側にあるような、気の弱い人なら一目見ただけで卒倒してしまうに違いない、グロテスクを極めた外見。
「……うっ!」
外側で脈打つ臓物を見て、フェルさんがたまらず
「な、なんなの、あれは……? パーシャの呪文で暴走してるの……?」
フェルさんはどうにか嘔吐感に堪え、手の甲で口元を押さえながら呟きます。
「暴走してるのならまだよいのですが……」
暴走ならば “
それなら、まだ付け入る隙はあります。
ですが、あれは……。
「……単に活性化しているだけだと思います」
それも……激烈に。
その時、ようやく “妖獣” の膨張が止まりました。
ギロッ、
脈動する臓物の間に巨大な目玉が浮かんで、わたしたちを睨みました。
剛毅なカドモフさんさえもが “……うっ” とたじろぐおぞましさに、その場にいた全員が凍りつきました。
その隙を衝いて反撃に転じる “妖獣”
大木の枝ほどまでに巨大化した触手が、唸りを上げて複数の騎士や従士を弾き飛ばし、巨体そのものも粘着質な大音を立てて移動し、周囲の味方を吹き飛ばします。
「気をつけろ! 動きが速いぞ!」
レットさんが大声で警告を発します。
そして大きな質量が高速で襲ってくれば、避け損なえば痛撃となるのです。
前衛は暴れ回る触手と本体そのものを回避するのに精一杯で、なかなか斬りつけることが出来ません。
「パーシャ、燃やしてください!」
わたしは叫びました。
こうなっては、頼りになるのは魔術師の呪文だけです。
「
自身の呪文が “妖獣” 逆襲の呼び水になってしまったパーシャが、憤怒ともに新たな呪文を詠唱します。
直後 “
「やったか!?」
「駄目です! 火力が足りません!」
レットさんに答えるわたしの横で、フェルさんの嘆願が終わっていました。
「――
轟っ!!!
“妖獣” の足下から、火山の噴火の如き炎が噴き上がりました。
「これでどう!?」
見事な魔法制御で、本来は複数立ち上る “
しかし――巨大に膨張した “妖獣” はふたりの練達の
炭化した皮膚が剥がれ落ち、色鮮やかサーモンピンクの肌が再び顔を覗かせ、それよりも濃い赤味の臓物が脈動する様は、悪夢が具現化したとしか言いようがありません。
さらに太く蠢く触手で数人の騎士や従士を絡め取ると、あろうことかその皮膚や臓物に押しつけたのです。
「喰っているのか!?」
「同化してるんだよ! 早く助けないと!」
「いや、もう遅い!」
取り込まれていく騎士や従士の断末魔の表情が、次第に無表情なデスマスクのそれへと変わっていきます。
その光景は……まさに現出した悪夢でした。
“焔嵐” は、火炎系の最上位の呪文。
それに一点集中の “焔柱” を加えてもまだ焼き尽くせない。
あの回復力と巨体では、風の刃でさらに切り刻んだとしても生命活動を停止させるまでにはいたらないでしょう。
残された手段は、純力と氷ともうひとつ。
純力も氷も、聖職者には扱うことは出来ません。
扱えるのは、最後のひとつ――。
女神 “ニルダニス” よ、わたしに御力をお貸しください!
胸の奥底で祈ると、ふっ……と意識が遠のく感じがしました。
代わりに温かく大きな何かが、身体の中に舞い降りてくる感覚。
ですが、直後にわたしの口から紡がれた祝詞は、温かな感覚とは裏腹に威に満ちたものでした。
そう、わたしたち聖職者は嘆願できるのです。
炎と風を超えるさらなる神の御業を。
「――慈母なる女神 “ニルダニス”。厳父たる男神 “カドルトス”。その他、天に御座す諸神に代わりて我、神々の代弁者にしてその意思の執行者たる、エバ・ライスライトの名の下に、今悔い改めぬ不敬なる者たちに神罰を与えん! 畏れよ、神の怒りを! “
顔の周りでふわふわと漂う銀色の髪の頭上、岩山の山頂を遙かに超えた天空から放ち落とされる、不敬なる者への神の怒り――
しかし周囲に満ちたのは、その先触れである放電現象ではありませんでした。
迷宮最下層の戦場に満ちたのは、神威の先触れである放電現象ではなく、圧倒的な冷気。
すべての物質を凍結させ、その分子運動をほぼゼロにまで低下させる絶対冷凍波。
次の瞬間、膨張した “妖獣” は複数の騎士や従士を呑み込んだまま、巨大な氷像と化していました。
漂っていた髪から銀色の輝きが失せ、肩に落ちます。
「今は待て、ライスライト。今はまだおまえのその力を使うときではない」
リーンガミル出身の魔術師でなければ使えない最上位の氷の呪文で、“妖獣” を凍結させたトリニティさんが、振り返ったわたしに言いました。
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