ミフューン

「俺か? 俺は……」


 険のあるドーラの問いに、男が焚き火に両手をかざしたまま答えた。

 寂のある声。

 男は少しの間答えあぐねて、そのまま周囲の凍った壁を見渡した。


氷壁こおりかべ三十郎」


 と答えた。


「まあ、もうすぐ四十郞だが……」


 あからさまに嘘臭い姓を名乗ると、男は再び炎に視線を戻した。

 焚き火にはひしゃげた鉄鍋が掛けられていて、沸騰した湯から白い湯気が立ち上っている。

 男を挟んで向かい側のに、取り上げられたドーラの曲剣が立てかけられていた。

 男を飛び越えなければ、武器を手にすることは出来ない。

 だがドーラは、徒手空拳での戦闘でこそ神髄を発揮する忍者である。

 得物を取り上げたことで油断をしているなら、手刀の一撃で男の猪首を刎ねてやるだけのことだ。

 しかしドーラは思い止まった。

 諜報活動もまた、忍者の神髄だからである。

 まずはこの男から、聞き出せる限りの情報を聞き出さなければ。

 そうすることが再合流への一番の近道であることを、猫人フェルミスのくノ一は経験として知っている。

 だからドーラは、アッシュロードを捜しに今すぐ走り出したい衝動を懸命に自制した。


「このあたしに当て身を喰らわせるなんて、あんた相当な腕前だね」


 さも感心したような口振りで、ドーラは称賛した。

 アッシュロードと同じ三〇後半という話だが、あの男よりもさらにやさぐれているせいか、老け顔で四〇半ばにも見える。

 顔の大半を無精髭が覆い、ボサボサの総髪のうえに曲がった髷が乗っていた。

 迷宮で拾い集めたのだろうか、この階層フロアの寒さを遮るにはあまりにも粗末なボロを幾重にも身体に巻き付けている。

 男のかたわらに置かれた剣は、ドーラの物よりも細身の曲剣――湾刀だった。

 ドーラの出身である “蓬莱ほうらい” で鍛えられる “サムライブレード” によく似ている。

 身なりからして、三層で遭遇した “浪人ローニン” のように見えた。

 だが、その腕前は桁違いだ。

 ドーラが吐いた称賛の言葉は、半ば本心なのである。


「こっちも凍え死ぬ寸前だったんでな。追い剥ぎをするしかなかった。ま、勘弁してくれ」


「気にしちゃいないよ。ここじゃ背に腹は代えられないからね。あんたの方こそいいのかい? 探索者を助けちまったんじゃ、守護者ガーディアン失格だろうに」


「守護者? なんでぇそいつは?」


 浪人者は炎から顔をあげて、不審げな面持ちでドーラを見た。


「あんただって “真龍ラージブレス” に召喚された口だろ? この迷宮をあたしらみたいな人間から守るために」


「召喚……ってのは、あのやたら眩しい神隠しのことか? それにその “真龍” ってのはなんでえ?」


「ここの迷宮支配者ダンジョンマスターのデカい龍のことだよ――あんた “蓬莱ほうらい” の生まれじゃないのかい?」


 ドーラは微妙に話が噛み合っていないことに気づいた。

 迷宮に守護者や人外NPCとして召喚された者は、まずその迷宮の主から説明を受けるはずだ。

 それがこの世界のシステムである。

 そうでなければ、召喚した守護者同士でを始めてしまう。


(そういえば……五層でも邪教徒と十字軍クルセイダーが共食いをしていたね。この迷宮はいろいろとおかしなことだらけだ)


「そんなおっかねえのは知らねえな。それに蓬莱とはまたみやびな呼び名だ。俺は自分の生まれた場所を、そんな洒落た呼び方で呼んだことなんざ一度もねえぜ」


「へえ、それじゃなんて呼んでたんだい?」


「ま、近ごろは攘夷だ開国だと騒がしくなって、藩だのなんだのよりもまとめて “日本” って呼ぶのが流行はやりみてえだけどな」


「……日本」


 それはあの聖女の故郷の名前であり、そしてミチユキの故郷の名前である。

 どうやらこの浪人者は、侍のようだ。


「それよか――おめえ、随分と毛深え面してるが、化け猫かなんかに祟られてるのかい?」


 いきなりの言葉に、ドーラは面食らった。

 猫人族に化け猫とは、暴言過ぎて怒りも湧いてこない。


「どうやら猫人フェルミスを見るのは初めてなようだね。あんたはね、あんたの言うやたら眩しい神隠しに遭って、別の世界――アカシニアに来ちまったのさ」


 目の前の浪人者は、自分よりもこの階層に詳しい。

 アッシュロードを捜すためは、この男の協力を取りつける必要がある。

 現在の座標が不明であり、地図もない。

 是が非でもこの男に、アッシュロードと別れた場所まで案内してもらわなければならないのだ。

 ドーラは男の信用を得るため、この世界と迷宮について辛抱強く説明した。

 相棒の命が風前の灯火という時に、それはまさしく忍耐の時間だった。


「……」


 浪人者――三十郎は黙ってドーラの話を聞いていた。

 ドーラは早くから、三十郎の瞳に智恵の光彩を見て取っていた。

 粗野な無頼漢ではあるが、頭は悪くない。

 むしろ飛び抜けて良いように感じる。


(――この男、アッシュに似ている)


 ドーラは思った。

 そして智恵があるなら、理と利に転ぶはずだ――とも。

 だから取引を持ちかけた。


「どうだい、その腕っ節あたしに売らないかい? あんたを用心棒に雇おうじゃないか」



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