やさぐれた男★

(……マズい!)


 回廊の先から白刃を煌めかせて突進してくる集団を見て、咄嗟にドーラは思った。

 月代を青々と剃りあげ、赤い鎧下のうえに黒鉄色くろがねの胴丸を着込んだ遙か東方の戦士たち―― “侍”

 上下動揺のない腰の据わった駈け様からして、その技量はネームドレベル8以上と見て間違いない。

 となれば “紫衣の魔女アンドリーナの迷宮” の中層に出現する “大大名メジャーダイミョウ” を超え、彼らの親衛隊を務める “侍大将チャンプ・サムライ” に匹敵する。


 さらに侍は “禅” という独自の精神修養を積んでいるため、戦士でありながら魔術師の呪文を扱うことまでできる。

 ネームドであるなら、第三位階の “焔爆フレイム・ボム” あたりまで唱えられるはずだ。

 その風変わりな闘士が、少なく見積もっても三〇人以上。

 三〇発もの “焔爆フレイム・ボム” を喰らっては、いかに古強者の探索者とはいえあっというまに消し炭になってしまう。


 魔法

 呪文の使えない少人数パーティにとっては “九岐大蛇ヒュドラ” などよりもよほど手強い、遭遇したくない相手だった。


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669763866946


(……アッシュ!)


 ドーラは振り返り、相棒にアイコンタクトを送った。


(……了解だ!)


 すぐさまアッシュロードが目でうなずき返す。

 “九岐大蛇” の屍に遮られ、幸いにしてまだ気づかれていない。

 連中に見つかる前にとんずらだ。

 ふたりが所持している “空の護符” にしろ “炎の杖” にしろ、封じられている呪文では中規模集団グループを相手にするのが精々であり、ここまで大規模な集団では焼け石に水だ。とても戦ってなどいられない。

 “滅消ディストラクション” が効果のない相手である以上、逃げるしか手がなかった。


 南は幻の “真龍ラージブレス” がいた玄室だが、またも一方通行の扉によって戻ることが出来ない。

 北は一区画ブロック先で十字路になっていて、“侍” たちはその北側から来ていた。

 逃れるなら東か西しかない。

 ドーラは西を選んだ。

 そちらの方が近い。

 まずドーラが、見事な軽業で十字路西の回廊に飛び込んだ。

 すぐさま、アッシュロードが続く。


 しかしこの時、予期せぬことが起こった。

 あろうことか、ふたりを “侍” たちの視界から遮っていた “九岐大蛇” の屍が、突然真っ二つに割れたのだ。

 氷結したのちに自重に耐えきれなかったのだ。

 そしてアッシュロードは運の悪い男だった。

 割れた隙間から、バッチリ姿が覗いてしまった。

 “侍” たちが黒衣の君主ロードに気づき、殺到してきた。


「アッシュ!?」


 ドーラはギョッとし、すぐさま身を翻した。


「構わず行けっ!」


 アッシュロードが怒鳴る。

 戦ったところで嬲り殺しに合うだけだ――と言いたいのだろう。

 ドーラとて、そんなことはわかっている。

 だが見つかってしまった以上、他にどのような手があるというのだ。


「いいから行けっ!」


 アッシュロードは再び怒鳴ると、それでも戻ろうとするドーラの視線先で雑嚢に手を突っ込んだ。

 水薬ポーションの小瓶を取り出し、封を切るのもどかしく身体に振りかける。

 途端にその姿が透明になって、ドーラの視界から消えた。

  “隠れ身の薬” だ。

 これまでにも何度かアッシュロードの危機を救ってきた、単独行ソロが多い保険屋の必需品である。


「――死ぬんじゃないよ!」


 ドーラは腹を括ると、再び身をひるがえして走り出した。

 猫人族フェルミスのくノ一である。

 足の速さなら誰にも負けず、隠身の術ではなおのことだ。

 “侍” どもを引き離してから身を隠せば、窮地は脱せられる。


 だが――だが――。


(ド畜生が! なんだって運のない男だよ!)


 ただでさえこんな最悪の階層フロアで帰り道がわからないってのに、今度は分断だって!?

 あの男は前世で魔王でもやってたのかい!?

 世界を滅ぼしでもしたのかい!?

 アッシュ! あんたは――あんたは――もうヘソ噛んで死んじまいな!


 ドーラは心のうちで口汚く罵りながら、全力で疾駆した。

 こうなれば一秒でも早く月代サムライどもをまいて、一秒でも早く合流し直すしかない。

 ドーラは自分でも驚くほど動揺していた。

 これまでにも彼女の目の届かない場所で、アッシュロードが危難に陥ることは多々あった。

 しかし今回は、これまでの窮地の比ではない。

 この階層の難易度は “紫衣の魔女の迷宮” の最下層に匹敵する。

 あの男はそんな無茶苦茶な場所で、独りになってしまったのだ。

 なんとしても再び合流しなくてはならない。

 ドーラの人生は、アッシュロードを見守り――守り続ける。その一点において価値を得ているのだ。

 こんな所で失うわけにはいかない。

 絶対にいかないのだ。


 不意を衝かれたのは、だからではない。

 ドーラが普段どおりの精神状態だったとしても、その気配を察することは出来なかっただろう。

 刹那の間に繰り返される生と死。

 相手はドーラの呼気を読み、己が “生” の間合いで、“死” のドーラを衝いたのだ。

 一瞬の当て身を受け、ドーラは昏倒した。





 火が爆ぜる音に、ドーラは目を覚ました。

 “動き回る海藻クローリング・ケルプ” の燃料が燃える匂い。

 やさぐれた男が身体を小さくして、赤々とした炎に両手を当てている。

 厳つい肩に無精髭。

 ボサボサの頭。

 だが、男はドーラの人生ではなかった。

 やさぐれていて、無精髭で、ボサボサの頭だが、アッシュロードではない。


「……誰だい、あんた?」


 ドーラはいつでも襲いかかれるように、身体を緊張させながら訊ねた。


「俺か? 俺は……」


 男が焚き火に両手をかざしたまま答えた。

 寂のある声だった。

 少しの間答えあぐねて、そのまま周囲の凍った壁を見渡す。


氷壁こおりかべ三十郎」


 男のボサボサの総髪には、曲がった髷が乗っていた。



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