慟哭

「……どうでしょうか?」


 わたしは不慣れなキッチンで、それでも一生懸命教えてもらったとおりに作ったスープをポトルさんに差し出し、訊ねました。

 キッチンはとても豪華で設備が整っていて、あらゆる調理器具や調味料が揃っています。

 それだけに、どこに何があるのか覚えるのが大変で、あっちでアタフタ、こっちでガッシャン、わたしは久しぶりに生来の鈍臭さを爆発させてしまいました。

 そうやってどうにかこうにか完成したスープを、ポトルさんは鬼火の揺れる瞳で味見をしてくれて……。


「……」


「……ど、どうでしょうか?」


 一口スープを口に含むなり黙考?状態に陥ってしまったポトルさんに、下からのぞき込むように恐る恐る、もう一度訊ねます。


「こ、こ……」


 こ、こ……?


「こ・れ・は・美・味・い・ぞーーーーっっ!!!!」


 感動にむせぶポトルさんの背後で波濤が逆巻き、後光が差し込みます!

 でも、すぐに――。

 ピカーッ!

 と例の緑色の粒子を含んだ柔らかい光が身体から溢れて……。


「――問題ない。わたしは高度な精神修養を積んで、感情抑制の能力スキルを得ている。どんな時でも冷静だ」


「……便利なのだか面倒なのだか、よくわからない能力ですね」


「とても上手に出来ている。これなら妻も満足するだろう」


 うむ、と頷くポトルさん。

 見れば見るほど “骸骨のような姿スケルトン・フィギュア” な人ですが、ちゃんとした五感を持つ血肉の通った人なのです。

 しかもその味覚は鋭く、舌の肥えたなかなかのグルマンときています。

 油断のできない、手強い相手なのです。


「そうですか。よかったです」


 ホッとした笑顔が浮かびます。

 どうやら、合格点をもらえたようです。


「少し、お塩が強い気もするのですが……」


 スープはコンソメをベースに、千切ったパンとチーズを入れて煮込んだものです。

 奥様の体調を考えると、もう少し薄口の方が良いのでは? とも思います。


「……妻は濃い目の味が好みなのだ。食事を彼女の数少ない楽しみにしてやりたい」


 わたしはうなずきます。

 これはポトルさんご夫妻が決めることです。

 充実した死を迎えるには、充実した生が必要……そう考えているのでしょう。


「塩分の取り過ぎのようなら、“解毒キュア・ポイズン” の加護で平常値に戻しましょう――ポトルさんもワインを飲み過ぎて二日酔いになったら言ってください」


 “解毒” の加護は、血中のあらゆる成分を平常値に戻す効果があります。

 血中のNa塩分やアルコールの濃度。血糖値だって、わたしに掛かればチョロパッパです。


「まさしく “ニルダニスの愛娘” よ」


 カカカカッと、ワインが大好きらしいポトルさんが愉快げに笑いました。


「調味料がいろいろ揃ってるので、つい使いすぎてしまいます」


 わたしも釣られて顔を綻ばせました。

 でも本当に食材も調味料も豊富に揃えられていて、


(お土産に、お砂糖と蜂蜜とメープルシロップを、あとハーブとスパイスを何種類か分けてもらえないでしょうか?)


 などと、主婦染みたことを考えてしまったわたしです。


「――では、行こう」


「はい」


 それからわたしたちは、出来上がったばかりのスープを運んで、もう一度奥様の寝室に向かいました。

 奥様はすでに目を覚ましていて、わたしたちが来るのを今か今かと待っていらしたようです。


「――まあ、とても美味しいわ。アンドリーナ、これはあなたが作ってくれたの?」


 開かれたレースのベッドカーテンの奥で、奥様はベッドテーブルに置かれたスープを優美な動作で口に運び、とても驚いた様子でした。


「はい。少しお塩が強いかとも思ったのですが……」


「そんなことはないわ。いいお味よ。あの本の虫だったあなたが、まさかこんなにお料理が美味くなるなんて」


 若々しく豊かに波打つ緑色の髪。

 同色のアーモンド型のつぶらな瞳。

 大理石のように白い肌。

 肉付きの薄い華奢な身体には、決して不健康な印象はなく――。

 若かりし日の姿のまま、ポトルさんの最愛の女性が微笑みます。


「活力を取り戻したようだな」


「それはそうよ。愛しい我が子が帰ってきてくれたんですもの」


「結構なことだ」


 仲睦まじい夫婦の会話。

 なんだか……お父さんとお母さんを見ているようです。

 もう何ヶ月も会っていない……。

 そんなわたしの様子に奥様が気づいて、


「まぁ、どうしたのアンドリーナ? 気分でも悪いの?」


「い、いえ、平気です。少し懐かしくなってしまっただけです」


 目尻に浮かんだ涙を人差し指で慌て拭って、笑顔を返します。


「……そうね。本当に懐かしいわ。あながたここを出て行ってから長い年月が経った。若く逞しい竜が老いて屍になり、その骨すらも塵になるほどの」


「ご、ごめんなさい」


 わたしはハッとして謝りました。

 今のわたしは、長く親不孝をしてきた不肖の娘なのです。


「謝ることはないわ、愛しいアンドリーナ。あなたのような若い生命が外の世界に憧れるのはむしろ自然なことで、決して間違いではなくてよ」


 奥様は優しく顔を横に振って、わたしの――娘アンドリーナの行いを肯定してくれました。


「さあ、話してちょうだい。あなたが目にし、耳で聴き、肌で触れたことを。ポトルとわたしが世界を閉ざしてから、母なる世界アカシニアはどうなったの? そこであなたは何を思い、何を感じたの?」


 わたしは戸惑いました。

 竜をも凌ぐ寿命を持つ “紫衣の魔女” の経験を――人生を語るなど、一五歳の小娘に出来るわけがありません。

 下手なことを話せばすぐにボロが出て、わたしが娘ではないとバレてしまいます。

 ですが――。


 スゥ……と、静かに息を吸い込みます。

 狼狽えてはいけません。

 ポトルさんを頼ってもいけません。

 今のわたしはアンドリーナ。そしてアンドリーナはわたし。

 “紫衣の魔女” も同じだったはず。

 初めて世界アカシニアに足を踏み出したときの思いは同じだったはず。

 目に見したもの美しさは、耳にした話の驚きは、出会った人の優しさは……経験したことの怖ろしさは、同じだったはず。

 そして、わたしは落ち着いた声で語り始めました。


「わたしが初めて訪れたのは、とても大きな城塞都市でした――」


 それはわたしの物語でありながら、アンドリーナの物語でもありました。

 その日の糧を得るために必死に這いずり回り、身近すぎる死に怯え、だからこそ今ある生を実感する。

 世間の過酷さに打ちのめされ、孤独になることに怯え、何ひとつ思い通りにならない現実に悔し涙を流し、それでも歯を食いしばる。

 きっと、あの人も――アンドリーナも同じだったはずです。


 奥様は……ポトルさんも黙って、ただ静かな表情でわたしの話を聞いてくれました。

 やがて話は終わり、わたしは大きな吐息を漏らしました。

 ほんの短期間の出来事のはずなのに、話し終えるまでずいぶん長い時間が掛かった気がします。

 見知らぬ世界に放り出された無知な少女が、多くの困難に傷つきながらも、沢山の人との出会いに助けられ、どうにか生き抜いた物語……。

 きっと、アンドリーナも同じだったはず……。


「それで、その人とはどうなったの?」


「……え?」


「あなたのお話に出てくる、あなたが初めて愛した人よ」


 奥様は優しい瞳で、わたしに微笑みました。


「い、いえ、わたしは――」


 わたしは “あの人” への気持ちは一切話していません。

 ただ親切な人に助けられ、とてもお世話になった――としか。


「隠してもわかるわ。わたしはあなたの母親で、何より同じ女ですもの。その “親切な保険屋さん” という人を愛しているのでしょう?」


 鋭いナイフが突き刺さったような痛みが、胸に広がりました。


「………………はい」


 そして絞り出すように答えます。


「……結ばれました、一度は……………………でも……」


 声はどんどん掠れていって……。

 痛みが……あの時お墓の中に閉じ込めて、置いてきたはずの痛みが甦ってきて……どんどん、どんどん甦ってきて……。


「……なくしてしまったのね」


「はい……っ!」


 わたしは両手に顔を埋めて泣き伏しました!

 今度こそ掌に熱い涙が、沢山、沢山零れました!

 消えてしまった彼!

 消えてしまった生命!

 閉じ込められるはずがないっ!

 置いてこられるはずがないっ!

 忘れられるはずがないっ!


 だって! だって! だって――!


 優しい温もりと懐かしい香りが、わたしを包みました。


「……辛かったわね。いいのよ、いいの」


「ずっと、ずっと誰かに話したかった! 誰かに聞いてほしかった! でも、でも、誰もいなくて、誰にも言えなくて! だから、だから――っ!」


 だから、必死に忘れようと――っ!


「忘れるなんてとんでもないわ。あなたのその悲しみと苦しみは、あなたの愛が真実だったからよ。それを忘れるなんてしてはいけないし、出来るわけがない」


「でも、こんなに悲しいなら、こんなに苦しいなら――っ!」


「出会わなければよかった? 気持ちが通じ合わなければ、愛し合わなければよかった?」


「違う、違うっ! そんなことないっ! そんなことないっ!」


 そんなこと、ないっ!


「そうでしょう。心から愛する人を失うことは、何よりも素晴らしいことなの。人は失って初めて愛の何たるかを知るのだから」


「――うわああーーーーーああんっっ!!!」


 寝室に慟哭が響きます。

 ずっと押し殺してきたわたしの悲しみと苦しみは、今ようやく受け止めてくれる母性を見つけて……解放されたのです。


 お母さんっ! お母さんっ! ――お母さんっ!



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迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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