交流

「あなたは…… “紫衣の魔女アンドリーナ” と……お知り合いなのですか?」


 深鍋から皿にスープをよそっているポトルさんの背中に、慎重に……とても慎重に訊ねました。

 ポトルさんの手が止まります。


「………………久しく聞かぬ名だ」


 長い沈黙のあと、湯気を上げる深皿ディッシュを手に、ポトルさんが振り返りました。


「――いかにも。彼の娘はわたしとわたしの愛する妻の間に生まれた、ただひとりの娘だ」


 衝撃が、全身を貫きます。


「ニルダニスの愛娘よ。おまえに頼みがある。間もなくみまかる我が妻を看取ってほしい。長く続いたすべての苦しみから解放され、安らかな眠りに就けるように」


 衝撃に続いて湧き起こる、激しい困惑。

 “紫衣の魔女アンドリーナ” が娘……?

 つまり、あの魔女のお父さん……?

 この骸骨のような人が……?

 え? え? え?


「情報過多で頭が混乱しているようだな。スープを飲むといい。そして、まずおまえのことを語ってくれ。人は聞くよりも語る方が、状況と情報を整理しやすいものだ」


 そういうポトルさんの背後に、どこからともなく座り心地の良さそうな安楽椅子が現れました。

 鷹揚な動作で、大きな椅子に身を沈ませるポトルさん。

 わたしは湯気を立てる琥珀色のスープを一口啜り、語り始めました。


「……わたしの名前はエバ・ライスライトといいます。でも、本当の名前は……」


 コンソメのスープは程よい熱さで、一口含む度に身体に活力が湧いてくる心持ちでした。

 わたしの舌は徐々に滑らかになり、この世界アカシニアに転移してからこれまでに起こった様々な出来事を語りました。

 ポトルさんは大変な聞き上手で、適切なタイミングで相づちを打ち、時に楽しげに笑い、また疑問に思った点を質問してきました。


 わたしは話すほどに、まるで大きな器に水を注いでいるような、そんな心地よさを感じていました。

 いくら水注いでも大丈夫。

 溢れることも、零れることも決してない。

 それはどんなに話をしても、拒絶も否定もされないという安心感でした。


「ふむ……聖女の恩寵を持つということは、おまえはまさしく “ニルダニスの愛娘” というわけだな。エバ・ライスライト」


「……正直にいうと、よくわからないのです。自分が本心からニルダニス様を信仰しているのかどうか。いえ、存在してらっしゃることは確かにわかっているのです。手で触れられるほどに、間近に女神様の息吹を感じますから」


「カカカカ、手で触れられるほどに存在を感じられているのなら、信仰を持つ必要などなかろう。女神などと言う概念は、未だ無知な人間が “の存在” を理解するために作り出した仮の概念に過ぎぬのだからな」


「“彼の存在”……ですか?」


「然り。この世界よりも高い次元に存在する “宇宙的規模の集合意識” だ。信仰心とは、その集合意識に接続コネクトする能力に過ぎぬ。だから信仰など欠片も持たぬ不信心者でも、才能さえあれば “集合意識” の力を引き出すことができる。おまえたちの言うところの “加護” としてな」


 頭の中に浮かぶ、信仰など欠片も持たない不信心な “彼の人” の姿……。

 なんだか、ストンときてしまいました……凄く。


「“ニルダニス” は、その集合意識中でも特に母性や慈愛の色濃いだ。人間たちが自分たちの世界を生み出した大地母神として奉るのも、ある意味無理からぬことよ」


 ポトルさんがスッと手を振ると空になったスープの深皿が消え去り、代わって香りのよいお茶が注がれたティーカップが現れました。


「あ、ありがとうございます」


 本当に凄い魔術です。

 あの “紫衣の魔女” の父親だという話も、信じてしまいそう……いえ、わたしはもう信じかけています。


「……娘のことを話してはくれまいか」


 わたしの表情を見て、頃合いだと思ったのでしょう。

 ポトルさんが切り出しました。


「……娘さんは……アンドリーナ……さんは……」


 それから、わたしは彼女について知っている限りの逸話エピソードを語りました。

 世界アカシニアを翻弄し続ける、“紫衣の魔女” の逸話――伝説を。

 相づちを打つことも、質問をすることもなく、ポトルさんはただ黙ってわたしの語る魔女の物語に聴き入っていました。

 話が終わってからも無言のままで、しばらくしてようやく……。


「…………愚かとは言うまい。娘とはいえ、一個の独立した人格。世俗に塗れることを選んだ以上、そこに求める何かがあったのだろう」


 深々と嘆息しました。

 それまでの、骸骨のような外見とは裏腹の精気に満ちあふれた気配は鳴りを潜め、本当に屍のような……疲れ切った声色でした。


「……あなた方はいったい……」


「我らは上代に生まれた、最古の人種。同胞はもはや、わたしと妻を除けば、おまえのいう “紫衣の魔女” とやらのみ」


 ぐったりと安楽椅子に身を沈ませたまま、ポトルさんが説明してくれます。


「亜種族間の “寿命の均一化”が成った今も、我らは竜をも凌ぐ長寿を誇っている。だが、それ故に新たな生命を授かることもない。長く生きられるとは言っても、しょせんは “定命者モータル” ……滅び行く者よ」


 この世界アカシニアでは、人間ヒューマン亜人デミヒューマン問わず、生の長さに差はありません。

 かつては長寿種族の代名詞だったエルフや、人間に比して長い寿命を誇っていたドワーフやホビット、ノームも、長い年月の果てに、人間と同じ平均して70年程度の寿命に落ち着いています。

 賢者たちが言うには、“癒やしの加護” のが人口爆発に繋がらないように、自然の摂理が働いたのではないか、とのことですが……詳しくはわかっていません。


「……賢者たちの見解は、おおよそ正しい。人は増えすぎると無意識に破滅への道を突き進む。それが生物の本能というものだ。生物は自らが属する世界を守るため、自らを滅ぼす。そして自然もまた自身の一部である生物に、誕生や進化・変異という名の干渉をして己を守る。不死属の誕生然り。性病の発生然り」


 戸惑うわたしに、ポトルさんの冥く落ちくぼんだ眼窩の、鬼火のような光が揺らめきます。


「意外か? 最初の不死者である “真祖” の誕生が、世界に人類が現れてからずっと下った時代なことは知っておろう?」


「ええ、それは」


「我らは世界との交わりを断つことで純潔を保ち、今まで生き長らえてきた。だがそれも終焉の時。如何に長寿を誇り、魔術によって時の流れから隔絶しようと、終わりは必ず訪れるのだ……」


 まるで自分自身に言い聞かせ、納得させているような口振りです……。


「時の流れと……隔絶?」


「然り。妻の命を長らえさせるため、この屋敷空間は我が魔術によって外界の時間から孤立している……」


「そ、それじゃ!」


 “玉手箱”! “竜宮城”!

 以前のアッシュロードさんの言葉が、恐怖と共に甦ります!


「――案ずるな。屋敷を出れば、ここに足を踏み入れた時間に戻ることができる。何十年も長居せぬ限り心配には及ばぬ」


「そ、そうですか」


 ……ホッと胸を撫で下ろします。

 それからわたしは、表情を静めて訊ねました。


「奥様は……お悪いのですか?」


「病ではない……だが長くはなかろう」


 その声には、病なら自分が絶対に治したのに――という、激しい憤りが籠もっているように聞こえました。


「――付いてくるがいい。妻に会わせようぞ」


 そういうと、ポトルさんが重い身体を持ち上げるように立ち上がりました。

 わたしは覚悟を決めて、後に続きます。



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