頭文字P
……カラン、
爪先が、何かを蹴飛ばしました。
細長いそれが、厚く積もった床の埃に、跡を付けながら転がります。
「どうしたの?」
「…… “
訊ねられたフェルさんに、顔を向けることなく答えました。
それは奇妙な符合でした。
“
杖自身、埃に塗れているのに、ぼんやりと銀色の光を放って存在感を示していました。
光沢ではなく、杖自身が発光しているのです。
不思議な光を放つ “杖” を見て、パーティの全員が同じ思いを抱いたでしょう。
『もしかして』……と。
これが探していた
わたしは手を伸ばし掛け、
「――触っちゃ駄目!」
パーシャの鋭い叱責に、ハッと引っ込めました。
「呪われてるかもしれない。いきなり触っちゃ駄目だよ」
そ、そうでした。
本当に集中力が切れています。
わたしは、コツンと自分の頭を叩きました。
「
背負い袋から戦利品を包むための防水布を取り出すと、パーシャが杖に被せました。
直接手を触れないように、慎重に拾い上げます。
「ど、どうですか?」
「今のところ、なんともないみたい」
ふぅ……と息を吐くパーシャの額に、珠の汗が浮かんでいます。
「とにかく持っていこう。これが “鍵” かどうかはわからないけど……」
パーシャは呟くようにいうと、防水布に包んだ “杖” を背負い袋に括り付けました。
「他にもないか探してみよう。慎重にな」
レットさんが続行を指示し、書斎と思しき玄室の捜索が再開されました。
一歩ごとに埃が立ち込める中、それからしばらく家捜しが続けられましたが、これといった発見はありませんでした。
わかったことはひとつだけ。
それはこの書斎の主の頭文字が “P” ということだけです。
見つかった日記や手紙には、必ず “P” という署名があったのです。
「…… “P”」
フェルさんが呟きながら、小首を捻ります。
「“
「ファミリー……ネームでしょうか?」
「それは今考えても仕方ないだろ……」
ため息交じりに反応したジグさんに、フェルさんとわたしも力なく同意するしかありません……。
「肖像画の玄室まで戻るぞ……休息を摂るにしても、こんな埃っぽいところはごめんだ」
レットさんの声も、明らかに忍耐力が薄れてきています。
わたしたちは重い足取りで書斎から、そして研究室から出ました。
それから再び長い回廊を北上し、“魔女の肖像画” のある玄室を目指します。
それは……まさしく彷徨でした……。
わたしたちはまるで迷宮の “
一〇年にも及んだ “トロイア戦争” が終わったあと、英雄 “オデュッセウス” を待っていたのは、さらに長く過酷な漂流の日々でした……。
(……大丈夫……大丈夫……例えこれが “オデュッセイア” でも大丈夫……だって “オデュッセウス” は最後は故郷に辿り着いて、愛する妻と再会できたのですから……だから大丈夫……)
わたしは繰返し自分に暗示をかけながら、両足を動かし続けました……。
迷宮支配者である “
この北が、“魔女の肖像画” の飾られた玄室なのです。
「……少し休もう。“トモダチ” の類が現われるかもしれない。この状態じゃ危険だ」
レットさんの言葉に、全員が糸の切れた操人形のようにその場に座り込みました。
“トモダチ” ……懐かしい響きです。
確かにキーアイテムが間違っていた場合、肖像画から “固定モンスター” が現われないとは限りません……。
全員が疲労困憊でした……。
“
(……還る……絶対に還る……絶対に……)
・
・
・
目を覚ますと、少しだけ気分が良くなっていました。
わたしたちはこうして、疲れては休み、疲れては休みを繰り返して、希望を手繰り寄せ、生ににじり寄っていくしかないのです。
「――準備はいいか?」
「ああ」
「……うむ」
「いいよ」
「いつでも」
「はい」
「――よし、行くぞ」
一×一
前回同様、魔物の気配はありません。
正面、北の内壁に掲げられた大きく豪奢な額縁の中から、紫の衣をまとった美女がたおやかに微笑んでいます。
「――パーシャ」
「うん」
レットさんに促されて、パーシャが進み出ます。
すでに背嚢に括り付けていた “銀色の杖” は外され、防水布越しに彼女の手に握られています。
「気をつけてください」
「……ありがと」
わたしに向かってニコッと微笑むと、パーシャがひとつ息を吐き、そして肖像画に向かって杖を掲げました。
すると杖から漏れていた銀色の光が徐々に強まり、ついには目も眩む光芒を周囲に放ち始めました。
五秒――一〇秒!
瞳が銀光に灼かれないように、目を閉じ、顔を背け、輝きが治まるのを待ちます!
やがて……。
時間を巻き戻すかの如く、杖から放たれていた光が弱まりだしました。
網膜を灼くようだった銀色の光は刺すような刺激に変り、それも次第に弱まっていき、最後は柔らかくも鈍い元の輝きに戻りました。
誰もが、パーシャの持つ杖を見つめています。
「……何も変ってない?」
パーシャが呆然と手中の杖に向かって呟きました。
杖は肖像画に向かって掲げる前、激しく輝き出す前と何も変らなく見えました。
(……そんなはずは……)
わたしはハッとして、肖像画を振り返りました。
「――いえ、見てください」
全員の視線が、杖から肖像画へと移ります。
額縁の中の美女は変ることなく、妖艶にも静淑にも見える微笑みを浮かべています。
膝の上に、銀色に輝く杖を握って……。
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