深奥にて待つ者
(……そんなはずは……)
わたしはハッとして、肖像画を振り返りました。
「――いえ、見てください」
全員の視線が、杖から肖像画へと移ります。
額縁の中の美女は変ることなく、妖艶にも静淑にも見える微笑みを浮かべています。
膝の上に、銀色に輝く杖を握って……。
それは…… “魔法” としか表現のしようのない現象でした。
つい先ほどまで何も持っていなかった女性の絵画が、今は優雅な仕草で瀟洒な杖を握っているのですから……。
「……見てください、扉が」
わたしは一×一の玄室の東の壁に、いつの間にか扉が現われていることに気づきました。
音もなく現われた扉。
いえ、わたしたちが認識できてないかっただけで、もしかしたら最初から存在していたのかもしれません。
皆が呆けた顔で、互いの顔を見比べました。
「…… “
やがて、フェルさんが小さく吐息を漏らしました。
「とにかく、これで道は拓けたってわけだな」
そういって、ジグさんがやはり安堵のため息を吐きます。
「この杖、どうしよう?」
手の中で鈍く輝く杖に視線を落とたパーシャが、確認を取りました。
「持っていった方がいいでしょう。“
“STATUE of BEAR” は “
地下二階の
キーアイテムにはこのように、複数のポイントで必要になる物もあるのです。
幸いにしてハンナさんの決意の行動で必要はなくなりましたが、“アレクサンデル・タグマンさん” の事件の折、地下八階に取り残されたアッシュロードさんたちを助けるために、わたしやレットさんたちが一度は取りに行こうとした品でもあります。
「そうだね……」
わたしの言葉にパーシャは素直に頷くと、防水布に包んだ杖を再び背嚢に括り付けました。
「――ジグ」
レットさんが魔法の段平を握ったまま、ジグさんを見ました。
「ああ」
ジグさんが東に現れた扉に近づき、また罠の有無、危険の有り無しを調べます。
何度となく繰り返される、神経を磨り減らす作業。
「……大丈夫だ。罠はない」
疲労が滲む声で額の汗を拭うと、ジグさんがみんなを招きました。
「よし、集中していくぞ」
バンッ!
前衛の三人が武器を手に扉を蹴破り、一気に雪崩れ込みました。
後衛のわたしたちも、すかさず追随します。
前衛の真ん中に立つレットさんが、素早く周囲を確認します。
「問題ない。魔物はいない」
そこはどうやら回廊の始点らしく、回廊は南に一
耳のよいジグさんとフェルさんが魔物の気配がないことを確認してから、進発します。
――と。
その一区画を進んだところで、わたしは浮遊感にも似た微かな目眩を覚えました。
(……あ、この感覚は)
「レットさん、今……」
わたしは目をパチパチさせて、レットさんを呼び止めました。
「ああ。飛んだな、今」
レットさんも頭を振って、目眩の不快感を頭蓋から追い出そうとしています。
「――パーシャ」
「わかってる。ここは使わないわけにはいかない」
迷宮での位置を知る “
ですが、
「“
念視を終えて瞑想から覚めたパーシャが伝えました。
「間違いないでしょうね――後ろを見て、壁が現れていつの間にか袋小路になってるわ」
パーシャの言葉を肯定するフェルさん。
言われたとおりに振り返ってみれば、確かにそれまでにはなかった煉瓦造りの内壁が出現していて、“肖像画の間” へ戻れなくなっていました。
「回廊は東に延びてる。そっちに行くしかないね」
「地図を描き終えたら出発しよう」
レットさんがマッピングをするパーシャをチラ見すると、すぐに意識を回廊の先に戻しました。
作業はすぐに終わり、わたしたちは初めての回廊を東に向かいます。
回廊は五区画進んだところで扉にぶつかりました。
ジグさんがすぐに罠と扉の奥の魔物の気配を探ります。
疲れ切ってはいても、愚痴や悪態はもちろん表情にも出しません。
普段は軽口ばかり叩いてはいますが、彼は
「――いいぞ、罠も魔物の気配もない」
しばらくして、ジグさんが振り返りました。
扉を開けると、回廊は東と南に分かれていました。
東は二区画先で北に、南は一区画先で西に、それぞれ折れています。
「地図を見せてくれ」
パーシャから地図を手渡されたレットさんが、羊皮紙の上に視線を落としたまま考え込みます。
「東に進んだ方が未踏破区画が多いな……」
「……帰路が隠されている確率が高い、ということですね」
「ああ」
同じように地図をのぞき込んだわたしの意見に、レットさんが同意します。
「特に北東の角を確かめてみたい。この階層は北西と南東の角に縄梯子があるからな」
「……ですね」
北西と南東の角に縄梯子があるなら、北東にもあるのではないか……そう思いたくなるのも人情でしょう。
しかし、南西の角には何もなかったのも事実です。
それでも、ここでそのことを指摘するのは野暮というものでしょう。
そんなことはレットさん自身、誰よりも理解しているのですから。
人が歩を進めるには、目的が必要なのです。
特に、こんな厳しい状況では……。
「ならば、迷うことはありません。東に行きましょう」
「よし」
快活に言い切ったわたしに、レットさんが久しぶりに口元をほころばせました。
ジグさんを先頭にしたいつもの一列縦隊で、再び進発。
わたしたちは東に向かいました。
二区画進んだところで北に折れ、さらに二区画。
行き当たりの北に三度扉が現れ、ジグさんが三度安全を確認、これを開きました。
そして……わたしたちは息を呑んだのです。
扉の奥に拡がっていたのは、
全員が言葉を失ったまま、眼前の光景を理解しようとしていました。
「……イ、
広さは四×三区画もある、広い広いホールです。
壁際の暖炉には火が焚かれていて暖かに爆ぜていますが、とてもこの広さを快適に出来るとも思えず……。
そうなると、幻覚……?
わたしたちは、いつの間にか詐術に懸かってしまった?
「ひょ、ひょの気配はないと思うけど」
わたしの呟きに、パーシャが自分のほっぺをギューっと引っ張りながら答えました。
そうだとするなら……あと考えられるとすれば、この空間の主がとてつもない魔法の遣い手……。
「……まさか “
フェルさん口から、震える声が零れます。
普通ならば、遙か遠方の地下迷宮の主がこんな場所に居室をかまえているとは思えませんが…… “
なによりも肖像画の件があります。
フェルさんの畏れが飛躍しすぎているとは言い切れません。
「……奥を調べてみよう」
レットさんがうながし、全員なにがあっても対応できるような心構えで北に向かいました。
それが帰路であるかは分かりませんが……ここに何かがあることは確かです。
広い応接間の奥は
そこに足を踏み入れた瞬間、フッ……となけなしの “
―― “消灯の罠”!
闇の中、誰の指示も待たずに即座に
大丈夫! わたしたちは冷静です!
突発的な事態にも、問題なく対応できています!
ヒタ……ヒタ……ヒタ……、
暗闇の奥から……足音が近づいてきます。
足音を消し、穏身をする様子はありません。
無造作、それ以上に無頓着ともいえる気配でした。
大丈夫……大丈夫です。
わたしたちは……わたしは冷静です。
状況は……見えています。
ですが……わたしのその冷静さも、すぐ間近の暗闇に ボゥ……と浮かび上がったそれを見たとき、一片の欠片も残さずに吹き飛んでしまいました。
冥く落ちくぼんだ眼窩に鬼火の如き虚ろな光を灯した、
“
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