旅路
「――よーし! 全軍、停止! 野営準備!」
行列の先頭で栗毛の駿馬に跨るドーラさんが、手を挙げ大音声で命じました。
すぐに伝令役の近衛騎士が行列の後方に馬を走らせ、ドーラさんの声が届かなかった人たちに行軍の停止を伝えにいきます。
お日様の傾き具合から、だいたい午後の三時過ぎでしょうか。
四時にはなっていないと思います。
野営(明るいうちなので野営です。夜に陣営を張るときは夜営となります)の準備をするには少し早いようにも思えますが、総勢一〇〇〇人を超える “リーンガミル親善訪問団” です。
常に行軍の訓練を積み、野営に慣れている騎士団や軍隊ならばまだしも、随員には普段は王城勤めの女官や、貴族やお役人に個人的に仕えている侍女もいます。
体力的にも一日に二〇キロメートルも進めれば、御の字なのです。
わたしたちはリーンガミルに続く大陸公路である古い街道から逸れて、その脇に広がる草原に足を踏み入れました。
少し離れた場所に森があり、近くに小川も流れている開けた土地です。
「うーーーんっ!」
わたしは、トリニティさんが今回の外遊に先立って上帝陛下から下賜された箱馬車から下りると、大きくノビをしました。
上帝陛下の御座馬車だったとはいえ、やはり何時間も乗っていれば身体が強ばってしまいます。
1、2、3、4、5678! と柔軟体操をして身体をほぐします。
苦手だった体育の授業を思い出します。
(……体育の授業かぁ)
本当に、遠いところに来てしまいました。
まさしく “思えば遠くにきたもんだ” ――です。
「ああ、いい風」
馬車から降りてきたフェルさんが、草原を吹き抜ける風に、心地良さげに目を閉じています。
「パーシャ、ノーラ、野営の準備をするわよ。起きなさい」
ハンナさんが屋根の上で熟睡しているふたりに声を掛けています。
世界一の大帝国の筆頭国務大臣が座乗する馬車の屋根に、日傘を立て、敷物を広げ、クッションを置き、食べ物と飲み物を並べ、お店を広げてしまっているのですから、なんとも奔放かつ豪胆な話です。
近衛騎士の中には、そんなふたりを見て眉を顰める人もいることはいましたが、肝心のトリニティさんが何も言わないので、何も言えません。
トリニティさん曰く、
『――そもそも上帝陛下からして、こういった仰々しい乗り物がお嫌いだからな。遅い・重い・小回りが利かないと、よほどの事がないかぎりご自身ではお使いになられない。むしろ、よくぞ屋根の有効利用法を考えたと褒めてくださるだろう』
辻馬車や乗合馬車なら、屋根の上は乗客の荷物を載せるスペースと相場が決まっているのですが、上帝陛下の御座馬車となるとそういうわけにもいかず、合理主義の権化のような今上陛下としては、無駄以外のなにものにも思えなかったのでしょう。
とても怖くて、できるなら半径一キロメートル以内には近づきたくない方ですが、そういう面では
「――ほら、おまえも起きろ、アッシュ。野営の準備をするぞ」
馬車の中から、車内の護衛役を起す帝国宰相の声が聞こえてきます。
ややあって、
「……ふあああぁぁっ」
大欠伸&目をシバシバさせたご主人様が、トリニティさんに続いて下りてきました。
ま、まぁ、
ご主人様が役に立つのは、日が暮れて危険が増してからなのです。
もっとも毎日野営する場所は、事前に入念な下調べが行われて安全と判断された場所ですし(世界一の大帝国の宰相たる筆頭国務大臣が夜を明かすのですから、当然ですよね)、警護するのはあのトレバーン陛下が任じた二〇〇名からの騎士の皆さんなのです。
おそらく、ご主人様の出番は夜もないでしょう。
「酸素が足りてない顔ですね。“
「……あれを喰らったら、即死だろうが」
「はい、深呼吸をしましょう。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」
「……」
無言で、わたしと一緒に深呼吸を繰り返すご主人様。
なんだか、お父さんとラジオ体操をしているような心持ちです。
「どうです? 少しはシャッキリしましたか?」
「……少しはな」
「今夜の晩ご飯はわたしが作る番ですから、楽しみにしていてくださいね♪」
「……(う)っす」
近衛騎士には、槍持や盾持ちといった数人の従士が仕えています。
彼らはトレバーン陛下の直臣ではなく陪臣で、直接の主君は彼らに俸給を支払っている近衛騎士となります。
戦場では主君と共に戦い、身の回りの世話も彼らがします。
食事の支度から馬の世話、武具の手入れに至るまで、その仕事は多岐にわたり、気転と要領の良さと、何よりも忠誠心が重要視される役目です。
(“ロード・オブ・ザ・リング” で主人公のフロドに仕えていたサムは庭師ですが、彼こそ従士の鑑だといえるでしょう!)
彼らは、主のために
ご主人様は近衛騎士ですが予備役であり、そもそも稼いだお金の大半を飲んでしまうノンベさんなので、従士を雇えるような甲斐性はありません。
さらにいえば、従士となるのは騎士を目指す騎士見習い人が大半であり、ご主人様に仕えても覚えられるのはお酒の飲み方ぐらいです。
だから、ご主人様をご主人様と呼べるのはわたしだけなのです。
だから、ご主人様はわたしだけのご主人さまなのです。←これが言いたかった。
それなのに――です!
なぜ、ご主人様のご飯の支度が持ち回り制なのでしょうか!
まったく、納得がいきません!
これも、ハンナさんが任務任務と横やりを入れてきて、フェルさんが使命使命と横車を押してきたせいです!
だいたい、ご主人様は優柔不断なのです!
なぜ、バシッと言ってくれないのですか、バシッと!
(……はぁ、まったく仕方のない人です。やっぱりあの人の面倒はわたしでなければ看きれませんね)
わたしはため息を一つ吐くと、それを最後に気持ちを切替えました。
これはむしろチャンスとみるべきです。
男の人なら誰しも、料理の得意な女の子が好きなはずです。
侯爵家のご令嬢であるハンナさんは料理が大の苦手ですし(それでよくご主人様のご飯を作ると言い出したものです)、フェルさんは木の実だのキノコだの葉っぱだのがご馳走だと思っている人です。
その点、わたしはお母さんにいろいろと教わって、いろいろなお料理ができます。
ご主人様の好物の “ゆで卵” など、大々々得意です。
(ちゃんと殻がくっつかないで、奇麗に剥けるんですよ)
ハンナさん、フェルさん、あなた方に本当の女子力というものを見せてあげましょう!
ピスピス! とわたしは大いにファイトを燃やして、輜重隊の荷馬車に今夜の食材を受け取りに行きました。
道中の糧秣は騎士が個人で用意もしますが、訪問団からも支給されます。
むしろこの規模の人数になると、個人で用意するのは “騎士の嗜み” といった程度の認識でしょう。
小回りが効かない大人数では、食料や馬匹が足りなくなったからといって、勝手に行列を離れて調達に行くわけにはいかないからです。
トレバーン陛下は、なにより配下の軍勢の機動力を重視します。
大部隊の迅速な行軍を実現するには、兵站の整備はかかせません。
戦闘部隊が身軽に動くためには、騎士に駿馬を与えるだけでは駄目なのです。
行軍、野営、また行軍。
このサイクルの中で、どれだけ時間的なロスをなくせるか。
輜重隊を充実させ、騎士たちから糧秣の(物心両面の)負担をなくせば、その分軍勢は身軽に動けるのです。
“大アカシニア神聖統一帝国” は強力な中央集権国家であり、それに即した軍隊を作り上げるために、トレバーン陛下や紫衣の魔女、そしてトリニティさんらの手によって軍制改革が続けられてきました。
貴族の私兵はそのほとんどが召し上げられて中央軍に組み込まれていて、貴族自身も領地ではなく、帝都で暮らしています。
戦の度に自領から一族郎党引き連れてはせ参じる、“いざ鎌倉” 的な封建制度な軍隊では、上帝陛下の望む機動性は得られないのです。
そして、すでにトレバーン陛下の帝国では、近衛騎士団以外の騎士団は存在せず、騎士は軍の各部隊を指揮する士官として陛下の兵をお預かりする、職業軍人となっていました。
輜重隊の荷馬車は大型で、その数は二〇台もあります。
この二〇台に積まれた食料を食べ尽くす頃には次の街に到着して、新しい輜重隊と合流する手筈になっているのです。
リーンガミルまでの道中にある街々には、物資を満載した同じ規模の荷馬車群が待機しているというわけです。
わたしは空の
少し離れた隣の荷馬車の列に、やはり食材を受け取りにきたパーシャとジグさんが並んでいました。
手を振るパーシャに、軽く手を振り返します。
周囲に並んでいる人が、この訪問団の “御神輿” であるわたしが並んでいることに、驚いたような表情を浮かべています。
(そ、そんなに注目しないでください。御神輿は御神輿でも、わたしは “軽くてなんとやら” な方なのですから)
わたしが面映ゆい思いで小さくなったとき、列の少し前に並んでいた女の人が足を引いていることに気づきました。
服装からして王城に勤めている女官ではなく、同行しているお役職のどなたかに仕えている
わたしは列を抜けると、その人のところに向かいました。
「どうしました? 足を痛めたのですか?」
「い、いえ、別に――せ、聖女さま!?」
声を掛けてきたのが “御神輿” だと気づいて、侍女さんがびっくり仰天します。
もしかしたら、わたしよりも年下でしょうか。
そばかすが可愛らしい、
髪の色よりも濃い
「そんなに驚かないでください。聖女とはいっても、根はただの探索者なのですから――足が痛いのですか?」
「え、あ、いえ…………はい」
「見せてください」
「い、いえ、とんでもありません! 聖女さまにそんな!」
「今も言ったとおり、わたしは一介の探索者にすぎません。少し前までは馬小屋が定宿だったのですよ――さ、見せて」
微笑むわたしに、
どうやら、マメを潰したまま歩き続けていたようです。
真新しい鹿革のブーツの下では、厚手の靴下が血でグッショリと濡れていました。
「ああ、これは酷いです。痛かったでしょう。待っててください。すぐに癒やしの加護を願いますから」
「め、滅相もありません。聖女様にそんな――」
言い掛けた女の子に唇に人差し指を優しく当てて、続く言葉を押し留めます。
「堂々巡りですよ」
そして、
「慈母なる女神 “ニルダニス” よ、傷を負いし我が子にどうか癒やしの御手をお触れください―― “
聖なる癒やしの光が掌から漏れ出し、女の子の怪我を見る見るうちに癒し、剥けた足の裏の皮を元通りにました。
「はい、いいですよ」
「あ、ありがとうございます。わ、わたし、癒やしの加護を受けたのは初めてです。こんなに気持ちがいいものだったなんて……」
女の子の顔に、恍惚とした表情を浮かんでいます。
「ブーツが合っていなかったのかしら?」
「その……はい。わたし、生まれてから一度も都から出たことがなくて。それで奮発して新しい旅用のブーツを買ったんですけど、履き慣れてないからマメができてしまって……」
「ふふっ、“あるある” ですね」
遠足の日に新しい靴をおろして、はしゃいで、履いて、歩いている最中に痛くなって。
わたしにも覚えがあります。
「え? “あるある” ?」
「そう、“あるある” です」
わたしは微笑むと、それ以上は説明せずに立ち上がりました。
「またできたら、いつでも言ってください。遠慮は無用ですよ。わたしは聖女であるまえに
自分の列に戻りかけたわたしの背中に、女の子が叫びました。
「や、やっぱりあなたは聖女様です!」
「え?」
「だ、だって、“馬小屋と聖女” は “ドワーフと髭” だから……」
恥ずかしげに、それでも精一杯の勇気を振り絞るように、女の子が言ってくれました。
「ありがとう」
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