出立★

「……あんなぁ」


 甲乙付けがたい三つのお尻の波状攻撃を顔面に受けて、複合的な意味で顔を赤らめたご主人様が、お尻の持ち主たちに言いました。

 仏頂面のようでいて、どこか必死にニヤけるのを我慢しているようにも見えます。

 誰のお尻が一番だったかとか、考えているのでしょうか。

 “三つの葛籠” ならぬ “三つのお尻” とか、思っているのでしょうか。

 えっちなのは、よくないと思います。


「おまえたちも年頃の娘だろう。野郎の服なんて後回しにして、まずは自分たちの服を見繕え。よくは知らんが、女にとって晩餐会だの舞踏会だのってのは、一種の戦場だって聞くぞ。よくは知らんが」


「た、確かに閣下の仰るとおりでもあります。晩餐会や舞踏会は、貴族社会の華ともいえる催しです。そしてその主役は、美しく着飾った女性たち。リーンガミルでも、国家の威信をかけた盛大な会が催されるでしょう。舞踏会にしろ、晩餐会にしろ、いずれも贅の限りを尽くした会になるはず――わたしたちも国家と個人の名誉にかけて、みすぼらしい格好などできません」


 ハッと、目が覚めたようなハンナさん。

 な、なんだか、お腹が痛くなってきました。

 わ、わたしは晩餐会も舞踏会、知りません。

 知っているのは運動会と謝恩会ぐらいのものです。

 せいぜい映画やアニメで、それっぽいシーンを見たことがあるぐらいです。


(あ、幼稚園の時に、お泊まり会というのもありました)


 と、とにかく。

 頭の先から尻尾の先まで、何をどうすればよいのか、まったくわかりません。

 ご主人様が部屋から出たがらなかった気持ちが、やっとわかりました。

 人にとって自分が “場違い”と感じたときほど、心細く思える瞬間はありません……。

 その時、ご主人様がわたしの後ろにまわって、両肩をガッとつかんでロゼッタさんに向き直りました。


「きゃっ」


「おい、主! 金に糸目はつけねえ! この店にある最高の生地で、この娘に一番似合う最高の服をあつらえてくれ!」


 頭の上で、ご主人様が決死の形相を浮かべてくれているのがわかります。


「ご、ご主人様」


 いやだ、ご主人様。かっこいいです。


「心配すんな。どうせ俺の金じゃねえ」


 いやだ、ご主人様。かっこ悪いです……。

 安定のセコさ、ありがとうございます。


!」


「ああ、わかってる! このエルフの娘も頼む! こっちもは極上のはずだ!」


 泣きそうだったフェルさんの顔が、ご主人様の “素材は極上” の言葉に一転、天にも昇るような笑顔になりました。その場で手を合せてくるくる回っています。くるくる。

 まったくわたしのご主人様は、天然ジゴロです。

 無自覚に女を墜としにきます。

 まったく、そうまでしてラブコメを続けたいのですか。プンプン!


!」


 そして、今度はハンナさんが泣き出しそうです。


「おまえは自分で選べるだろう」


「それでもです!」


「ああ、わかった! この娘のも頼む! リーンガミルの女どもがもしないやつを頼む!」


 バレンタイン侯爵家のご令嬢が、その場で手を合せてくるくる回っています。

 もう、浮かれすぎです。

 別にご主人様が作るわけでも、選ぶわけでもないのですよ。プンプン!


「――ついでだ、そこの寝ている小っこいのにも、余った切れっ端で……」


「はぁっ!」


 ドゴッ!


「ぐおっ!?」


 床に寝っ転がって手で頭を支えて大欠伸をしていたパーシャが、ご主人様の言葉を聞いた次の瞬間には、全身に回転を加えたアッパーカットを顎に叩き込んでいました(同時に繰り出した飛び膝蹴りは、ご主人様が吹き飛んでしまったので、当たりませんでした。命中していたら、ご主人様は寺院のお世話になっていたでしょう)。


「なにが余った切れっ端よ! 失礼ね!」


 あ~、うん、ご主人様。今のはご主人様が悪いです。


「確かに承りました。お客様が国とご自身の名誉をかけてリーンガミルのご婦人に挑むいうのであれば、この “シルバン・ラ・シェール” の総力をあげてお応えさせていただきます。当店が誇る職人・お針子を総動員して、今回の訪問でお客様が必要とされるすべての服を仕立てさせていただきます」


 なにやら瞳に蒼白い炎が燃えているような、メリル・スト……ロゼッタさん。

 意外と単純……ではなくて、愛国心のある熱い人のようです。


「ではまず、今日は出来合い品の中から、お客様の好みに合う品を探すことにいたしましょう。当店には専属の画家が描いた美麗にして精緻なカタログがございます。まずそれをご覧になっていただき、お気に入りが見つかりましたら試着していただきましょう。そのデザインを元にお客様にあった、お客様だけのお品を仕立てさせていただきます」


 そしてロゼッタさんは手を叩き、すべての店員に向かって凛とした声で命じました。


「今日はもう店を閉めなさい! 今日は筆頭近衛騎士 “グレイ・アッシュロード” 様御一行の貸し切りとします!」


 店内は一気に慌ただしく、臨戦態勢に移行しました。


「ご主人様、わたし頑張ります!」「、わたし頑張るわ!」


「その意気だ! 上流階級がなんだ! 貴族社会がなんだ! 晩餐会がなんだ! 舞踏会がなんだ! 時代は成り上がりだ! 垢抜けないってこたぁ、それだけ垢抜ける部分があってことだ! “スペインの雨は主に平野に降る” だ!」


 “今に見ていろ、ヒギンズ!” ――ですね!

 わかります! わかりますとも! お父さんが大好きでしたから!

 オードリー・ヘップバーンがどんどん奇麗になっていくのですよね!

 “マイ・フェアレディ” な空気がわたしたちを支配する中、ひとりパーシャだけが、


(……まーた、ノリだけで話を進めてるよ、この人たち)


 といった顔をしていました。


 ……うへぇ。






「――では、そろそろ行くとしようか」


 トリニティさんが、そういうと上帝陛下から下賜された御座馬車に乗り込みました。

 内郭王城に聳える幾つもの白亜の尖塔群のうち、もっとも壮麗で、もっとも高く、もっとも堅固な天閣 “セントラル・タワー”

 その足元にある “謁見の広場” に、総勢一〇〇〇名にも及ぶ “リーンガミル聖王国親善訪問団” が整列しています。

 先ほど、ほんの一瞬見送りのためにバルコニーに姿を現したトレバーン陛下の姿もすでになく、 周囲を睥睨していた圧倒的な気配も今はありません。

 出立前のすべてのセレモニーが終わり、いよいよその時がきたのです。

 派遣される随員の数から考えれば、驚くほど短い準備期間でした。

 それでも、わたしたち探索者の感覚からすれば、長い時間でした。


「はい」


 わたしは小さく頷くと、トリニティさんに続き乗り込みます。

 身体を包んでいるのは、今日がお披露目の白と青のフォーマルドレスです。


「はっ」


「ええ」


「はい、ニャッ!」


 帝国軍の軍服をまとったハンナさん、やはり初お披露目の桃色のフォーマル姿のフェルさん、そして可愛らしくおめかししたノーラちゃんが続きます。


「ちぇっ! まったく動きづらいったらないよ」


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669587785180


 普段着慣れていない正装の堅苦しさに、パーシャがぼやきました。

 白い大きな帽子(本当に “マイ・フェアレディ” の帽子にそっくりです)が落ちないように気をつけながら、同色のドレスのスカートを摘んで、危なっかしい足取りでえっちらおっちら踏み台を登る姿は、いつもの身軽な彼女からはちょっと想像できません。


「後がつかえてるんだ。早く乗れ、


「はぁ!? その言葉、そっくりそのまんま返してあげるよ! !」


 やはり慣れない近衛騎士の礼服を窮屈そうに着込むご主人様に、パーシャがやり返します。

 最後に車内の護衛役であるご主人様が乗り込むと、踏み台が外され、箱馬車の扉が閉められました。

 近衛騎士や、今や騎乗の士となった “フレンドシップ7” や “緋色の矢” の皆さんが、周囲の護りを固めます。

 馬が苦手なカドモフさんは、上帝陛下から今回の働きの褒美として長期の休暇を与えられた “偉大なるボッシュボッシュ・ザ・グレート” さんと一緒に、後続の馬車に乗り込みました。

 行列の先頭に立つのは、近衛騎士団の各中隊から選抜された、護衛の混成中隊の指揮を執るドーラさんです。

 その他、近衛騎士の従士の方や、わたしたちの身の回りの世話をしてくれる侍女や女官の皆さん。輜重隊の兵士さんたちが共にリーンガミルに向かいます。


 出立を知らせる角笛が、内郭城壁を越えて城塞都市の全域に響き渡りました。

 触れを受けた城門ゲイト・ハウスが重々しい音を立てて門を開き、深く広い堀に跳ね橋を下ろします。

 都大路を真っ直ぐ南に、はるか先、今は修復がなされた外郭城門まで視界が拡がりました。

 儀仗隊によってファンファーレが吹き鳴らされ、ドーラさんが駿馬の脇腹を蹴りました。

 運命を変えた――変えられた “大アカシニア”とも、少しの間お別れです。


「……行ってきます」


 わたしは馬車の窓から、ゆっくりと離れていく城塞都市に向かって告げました。



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迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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