デウス・エクス・マキナ

 ドーラ・ドラは麻痺パラライズしていた。

 全身凶器ともいえる “高位悪魔グレーターデーモン” の爪にかすられてしまったのだ。

 ダメージこそわずかだったものの、有毒な分泌物に神経を冒され身体の自由を奪われてしまった。

 次から次に仲間を呼び、また新手の集団グループが現れては増殖を繰り返す蒼氷色の悪魔を相手にし続けては、いつかは陥らざるを得ない状態だった。


 少し離れた場所に、盟友であるドワーフの老戦士 “ボッシュ” がやはり同じように身体の自由を失って倒れているはずだが、ドーラの視界には入っていなかった。

 たとえ “極上品ファーストクラス” の板金鎧と同等の防御力を誇る “中立の鎧ニュートラル・アーマー” を身に付けていようと、少しでも分泌物が皮膚に触れれば体内に浸透してしまう。


 ドーラの微動だに出来ない眼球は、幸運にも彼女がもっとも視界に捉えたい人間に固定されていた。

 猫人フェルミスのくノ一がその姿勢で倒れ込めたのは、偶然が半分。もう半分は執念ともいえる強靱な意思が、神経が麻痺毒に冒される直前に “監視対象” に向かって身体を捻らせたためだ。


(――やめろ、アッシュ!)


 ドーラは動かぬ唇で絶叫した。

 彼女の視線の先には本国の指示によって、一八年にわたり監視を続けている男がいた。

 “リーンガミル聖王国” の公儀隠密である彼女の任務は、その男――グレイ・アッシュロードが “全能者” として覚醒するのを阻止すること。

 しかし、今やそれは果たせぬ使命となりつつあった。

 アッシュロードが “全能者” として覚醒すれば、身の内に宿っている “悪魔の石デーモン・コア” が孵化し、かつて彼自身が単身討伐した “魔大公デーモンロード” が復活する。

 覚醒したアッシュロードは瞬く間に “高位悪魔” どもを殲滅するだろう。

 当然だ。

 蒼氷色の悪魔の前に現われるのは、彼らの “ロード” なのだから。

 そして帝国軍は勝利と引き換えに世界を失う。


(やめるんだ、ミチユキ! 魔大公が―― “魔王ルシファー” が復活してしまう!)


◆◇◆


「――!? 駄目、駄目だよ、エバ! やめてぇ!」


 親友からその気配が漂ったとき、パーシャは悲鳴を上げて彼女の腰にすがりついた。

 状況は絶望的で、自分も含めたこの場にいるすべての人間が死ぬだろう。

 生き残る術があるとすれば、もはや人成らざる力にすがるしかない。

 神でも悪魔でも、目の前に屹立する九体の “高位悪魔” を凌ぐ力を持つ存在に請い願うしかない――助けて! と。

 聖なる奇跡か、禍々しい契約か。

 どちらにせよ、それには高い代償を支払う必要があるだろう。

 まさに今、パーシャの親友であるエバ・ライスライトが彼女の帰依する女神に祈り嘆願しようとしているのは、その奇跡だった。


「繰返しだよっ! 繰り返しだよっ!」


 パーシャは泣きじゃくりながら、エバの腰にすがりつき身体を揺すった。


 いつもそうだ! いつもそうだ!

 この親友は、いつも自分を置いていってしまう!

 どうして、側にいてくれないの!?

 なんで、あたいじゃ駄目なの!?


 パーシャは激高し、絶望し、慟哭した。

 ホビットの少女の悲痛な叫びは届かず、目の前でフワフワと漂う親友の黒髪が銀色に変わっていくのを留めることはできなかった。


◆◇◆


 男には一八年より以前の記憶がなかった。

 覚えている最初の記憶は、“リーンガミル聖王国” と “大アカシニア神聖統一帝国” を繋ぐ大陸公路の真ん中に独り立っていたことだった。

 粗末な衣服とくたびれた財布に僅かな路銀(?)があるのみで、身を守るための道中差ダガーすら帯びていなかった。

 リーンガミルとアカシニア、自分がどちらから来たのかもわからない。

 名前すらも思い出せない。

 完全な記憶喪失だった。


 途方に暮れて立ち尽くしていたところを、若い猫人フェルミスの女に声を掛けられた。

 女は男から事情を聞くと、まずうさん臭げな顔をし、次いで小首を捻り、最後に肩を竦めて、男を次の町まで案内してくれた。

 女は “大アカシニア” の迷宮に向かっているのだという。

 なんでもその迷宮はアンドリーナとかいう魔女が作り出したもので、迷宮の奥底に潜む魔女を討伐すれば、大アカシニア支配者である上帝トレバーンの近衛騎士に取り立てられ、富も名誉も思いのままになるらしい。


 女は『冒険者になって一山当てるのだ』と陽気に話し、不便だからと “名無し” の男に名前までつけてくれた。

 記憶も、名前も、目的も、何もかも持っていなかった男は、結局その女猫人と大アカシニアまで旅を続け、流されるままに冒険者となった。


 迷宮は灰と隣り合わせの場所。

 そこに至る道もまた、灰色の灰の道。


 女にその名をもらったときから、男――グレイ・アッシュロードの新たな人生が始まったのだった。


 そして今、アッシュロードは記憶を取り戻していた。

 正確には以前の記憶が思い出され、現在の記憶を上書きしていた。

 一九歳の “灰原道行はいばら みちゆき” は不意に自我を取り戻し、自分の置かれている状況に困惑していた。

 目の前に九体の “高位悪魔グレーターデーモン” が仁王立ちしているのは、場所が見知った迷宮ではない。

 どこかの荒野の、それも戦場の直中だ。

 周りには見知らぬ国章を着けた兵士たちの累々たる屍が折り重なっている。

 阿鼻叫喚とはまさにこの光景にことだろう。


 さらにその地獄の様相と対を成すような、聖光を放つ見知らぬ少女。

 “眩い鎖帷子シャイニングチェイン” をまとったその僧侶プリーステスと思しき少女は、神々しい光を放ちながら自身を器に女神を降臨させようとしていた。

 フワフワと漂う長い髪は銀色に輝き、その姿には人を超越した美しさがあった。


(おいおい、勘弁してくれ。そんなことすりゃ、あんたも消えちまうんだぞ)


 自己犠牲サクリファイスが聖女の専売特許だとしても、目の前でやられるのは願い下げである。

 そう思いながらも、道行は不思議な感覚に囚われていた。

 目の前の少女――聖女を愛おしいと思ったのだ。

 身を挺して皆を救おうとしているからではない。

 身を挺して自分に――灰原道行に殉じようとしているからだ。

 理由はわからない。

 理由はわからないが、この聖女は自分を愛し、そしておそらく自分も――。


 道行は自分の装備を確認した。

 右手に “悪の曲剣イビル・サーバー

 左手に “魂殺しスレイ・オブ・ソウル

 長く愛剣にしていた “K.O.D.s” の剣、“退魔の聖剣エセルナード” には及ぶべくもないが、道行の技量ならば充分すぎる武器になる。

 道行は “呪いの大穴” の最下層で、何千という “高位悪魔” を葬ってきた。

 彼のレベルは256。HPは2200

 “悪魔の石デーモン・コア” をその身に宿し、麻痺を受け付けない道行にとって、禁呪を使って呪文を封じなくても “高位悪魔” の九体やそこらどうとでもなる。むしろ経験値稼ぎのよいカモだ。


(――だからおまえはそんな真似しないで、そこで大人しくしてろ。


 道行は自身にとって、もっとも馴染み深い魔物を一挙に屠るべく、四肢に力を込めた。


◆◇◆


 要するに、これは恋愛の話なのです。

 聖女だの、女神だの、信仰だの、自己犠牲だの、そんな崇高なお話ではないのです。

 わたしはこの人に恋をしていて、この人を愛していて、だから一緒に生きたくて、一緒に行きたくて、一緒に逝きたいだけなのです。

 だからそこに迷いはなく、怖れもなく、後悔もないのです。

 つまり、そういうことなのです。

 この人は草食系ですぐ逃げてしまうので、肉食系なわたしが追い掛けて捕まえていてあげなければならないのです。それが約束なのです。

 だから――だから、ひとりでは行かせません。

 もうひとりでは逝かせません。


 今度こそ一緒だよ……道行くん。


◆◇◆


 光と闇――瑞穂と道行というふたつの器に、聖と魔それぞれの力が宿らんとしたまさにその時。


 ――プオォォォォォォォッ!!!


 高らかに吹き鳴らされた角笛ホルンが、降臨しかけた女神と孵化しかけた魔王の気配を一瞬で掻き消した。

 いや、掻き消したのは角笛の音ではなかった。

 先触れ共に押し寄せてきた、圧倒的な “気” の奔流。

 女神すら、魔王すら、弾劾・切り裂く絶対の武威。


 蹄の音を轟かせて単騎突き進んでくる武将が姿。

 暴竜と見まごうばかりの漆黒の悍馬に跨るは、最高級の板金鎧 “真紅の衣ラスト・クリムゾン”をまとった壮年の荒武者。

 猛禽を思わせる双眸は見る者を射竦め、黒くこわい総髪は獅子のたてがみの如し。

 まっしぐらに一騎駆けしてくる真紅の武将が、無造作に腰の刀の鞘を払うと、幾多の戦場で万余の血を啜ってきた妖刀が、常に結露する刀身を曇天の元に妖しく煌めかせる。


 馬上、武将が八双に構え、そこから横一文字に薙ぐ。

 刹那、猛烈な剣圧ソリニックブレードが音を超える速度で放たれた。

 付近にいた兵士の多くが打ち倒され鼓膜を潰し聴力を失うほどの剣圧は、五〇メートルの距離から 九体の “高位悪魔” たちの胴を真一文字に両断し、上下バラバラに吹き飛ばす。

 運良く距離を置いていた者の目には、断ち割られた巨大な悪魔たちがスローモーションのように舞って見えた。

 巻き添えを喰らった探索者や兵士たちが土埃に塗れた顔上げると、そこにはあれほど猛威を振るっていた蒼氷色の悪魔の姿はなく、荒野を濡らす青い血の池があるだけだった。


 人の行き着くところの頂点。

 “全能者” の、これが力。

 “狂気の大君主マッド・オーバー・ロード” が絶対の力を以て、一瞬で勝敗を覆したのだった。


 上帝の鋭い眼光が微塵の揺らぎもなく前方を見据えている。

 視線の先にいたのは、いつの間にか迷宮の淵に立つ “紫衣の魔女ダンジョンマスター


 トレバーンとアンドリーナ。


 世界アカシニアを鳴動させ続けるふたりの “全能者” が、ついに対峙した瞬間だった。

 まずは “紫衣の魔女” が慇懃に頭を下げる。


 “お久しゅうございます。我が君マイロード


 その声はフードの下から半分だけ覗く容貌と同じく若く艶やかであったが、同時に数え切れないほどの歳月を重ねた深みを持ち合わせていた。


「――アンドリーナか。今回のそち手番、趣向を凝らしたなかなかに妙なる一手であった。褒めて使わす」


 “お褒めに預かり、恐悦です”


 表情も、物腰も、言葉遣いも礼を失してはいなかったが、ふたりの間に不可視の闘争が繰り広げられているのは誰の目にも明らかだった。

 生き残った数少ない騎士が、兵士が、探索者が、その闘いの激しさに呑まれ圧し潰され、瞬きひとつできなかった。


 そう……これは遊戯ゲーム

 “狂気の大君主トレバーン” と “紫衣の魔女アンドリーナ” との間で二〇年にわたって交わされている、大アカシニアを遊技盤とした遊戯友誼

 城塞都市を襲った、あの魔軍の襲来も……。

 迷宮の僅かな区域エリアを巡って交わされた血みどろの争奪戦も……。

 そして今の今まで行われていた絶望的な戦いも……。

 すべては地上と地下、二人の支配者の遊戯でしかなかったのだ……。

 自分たちは指し手の意のままに操られ、翻弄される駒でしかないのだ……。


 ボロボロに傷つき疲れ果て心を砕かれた誰もがそう思った。

 唯一人をのぞいて。


「――わたしたちは、あなた方の遊戯ゲームの駒ではありません! そんな遊戯ゲーム遊戯盤ボードごと引っくり返してあげます!」


 勃然と起こった怒りの声が、ふたりの “全能者” に割って入った。


◆◇◆


 手番?

 趣向?

 妙なる一手?


 そんなもののために、多くの兵士が戦場に屍を晒したのですか?

 そんなもののために、多くの探索者が迷宮に苔むした墓を建てたのですか?

 そんなもののために、彼は……あの人は……。


 わたしは身体を内側から灼き尽くすような激しい怒りに身を焦がしながら、この国を支配するふたりの “全能者” を睨み付けました。


「――娘、名は?」


 上帝トレバーン陛下が、恐竜のように巨大な悍馬の上からわたしを見据えました。


「エバ・ライスライトです」


「アッシュロードのか?」


 訊かれてしまいました。

 わたしにとって決定的な問いを。

 真っ正面から。

 でも、今は胸を張って答えます。


「違います。ですがいつかなります」


 見る者を屈服させる絶対の眼差しを真っ向から受け止めて、わたしは答えました。


「我らが遊戯に割って入るか」


「あなた方が、わたしたちの前に立ち塞がり続けるならば」


 目が眩み、足元が抜けるような圧力プレッシャーに、歯を食いしばり、爪が食い込み血が流れるほど拳を握りしめ、耐えます。耐えてみせます。

 弱き者の意地。

 虐げられし者の矜持。

 志半ばでこの世を去らなければならなかった人たちの想い。

 そのすべてが、わたしに膝を折ることを許さなかったのです。

 やがて、ふっ……とその圧力が抜け、身体が楽になりました。


「ライスライト――その名覚えておくぞ」


 トレバーン陛下はそういうと馬首を巡らし、黒馬の腹を蹴りました。


「――それも一興! やれるものならやってみるがよい!」


 駈け去る天下人。


「……はい」


 わたしは耳朶に残るその声に、静かに答えました。

 そしてわたしは、もうひとりの支配者に視線を向けました。

 “紫衣の魔女” がフードから覗く完璧に整った口元を微かにほころばせると、右手を掲げてみませます。

 たなごころの “護符アミュレット” が燦然と輝きだし、生き残った人たちの傷を瞬時に全快させました。


 “また会いましょう”


 転移の呪文を唱え、自身の城へ帰っていく魔女。


「……ええ、必ず」


 掻き消えた姿に向かって、小さくもキッパリと頷きます。

 こうして後に “火の七日間” と呼ばれることになる、城塞都市 “大アカシニア” を震撼させた騒乱劇は幕を下ろしました。

 得られたものは少なく、失ったものばかりが多い、虚しく悲しい七日間でした。



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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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