穏やかな会話
突然頭上に現われたあらたな “
すべての希望が絶たれ、残されたのは死、灰、消失。
大切な家族とも、愛する恋人とも、親しい友人とも、これで二度と会うことはできない。
絶望は恐怖に、恐怖は恐慌に、そして恐慌は潰走へと……。
「――おあつらえ向きだ! 取り囲んでタコ殴りにしてやれ! 皆殺しだ!」
アッシュロードさんが叱咤を轟かすなり手近な悪魔の足を切り付け、真っ青な血を噴き上げさせました。
出現するなりいきなり深手を負った悪魔の悲鳴が響き渡ります。
その悲鳴に我に返ったスカーレットさん等 “緋色の矢”の女戦士さんたちが、それぞれの魔剣で悪魔たちに斬り掛かりました。
「――帝国の守護者たる兵士たちよ! 怖れてはいけません! 希望は常にあなたたちの前にあるのです!」
わたしは叫ぶと “
「女神ニルダニスは常に勇ある者を愛し、そのかたわらにあります! 勇者よ、怖れるなかれ!」
さらにフェルさんがわたしに続いて、同じく “光壁” の加護を嘆願しました。
聖なる障壁が兵士たちの身体を包み込み、全身に
しかし今回に限って言えば、効果そのものよりも発現時の “エフェクト” が狙いです。
女神によって施された光り輝くプロテクションは、消え去りかけた兵士たちの士気を僅かなりとも震え立たせるはずです!
それにしても――この絶望的な状況をおあつらえ向きとは、言いも言ったりです!
わたしは積み上げられた土嚢や掘り下げられた塹壕を所狭しと駆け回り、強大な悪魔たちの足を切り付けまくっているあの人を見て思いました。
虚勢もハッタリも空元気も、ここまでくれば立派な統率力です。
そのとおりです、アッシュロードさん!
逃げるにしても、それは秩序ある撤退でなければなりません!
今ここで算を乱して潰走すれば、逃げ惑う背中に容赦なく高位攻撃呪文の嵐を受け殲滅されてしまうでしょう!
逆に接近して少しでも痛痒を与え続ければ、呪文を詠唱するための精神統一を妨げることが出来ます!
今こそ、“死中に活を求める” 時なのです!
「――たあーーーーっ!!!」
わたしは絶叫し、盾の持ち手を離した左手も加えて、渾身の力で
ガンッ!
まるで岩を叩いたような感触が両掌に返ってきます!
ですがトリニティさんに頂いた+1相当の強化が施された魔法のメイスは、わずかですが確かなダメージを巨大な悪魔に与えました!
すかさず飛び退いて距離を取ると、寸前まで立っていた場所を悪魔の巨大な爪が物凄い勢いで通過していきます!
「おい、あんま無茶すんな!」
「どんとこーいっ!」
バッと背中合わせにわたしを守って立ったアッシュロードさんに、間髪入れず答えます!
「レディ・アッシュロードに続けえっ!」
「聖女さまに続けぇ!」
勇気を奮い立たせた兵士たちが “
「レディ・アッシュロードだぁ!? なんだ、そりゃ!?」
「もちろん、あなたの奥さんのことです!」「緊急避難的な超法規的方便よ!」
狼狽した声を上げるアッシュロードさんに、わたしとフェルさんが同時に叫びます!
それよりも!
「今です、アッシュロードさん! 今こそ予備を投入する時です!」
わたしの叩きつけるような進言に、今度はアッシュロードさんが即答します!
「――よし! 信号兵! “血戦旗”
指示を受けた信号兵が首から下げていたラッパを帝国民では知らぬ者のない旋律で吹き鳴らすと、陣地の中央に立てられた通信用の柱に “赤と黒と黄色そして青” の一際目立つ旗が翻りました!
“狂気の大君主上帝トレバーン” が考案し、かつてその運を切り拓いたとされる重大な戦いの度に翻してきた、帝国軍でもっとも重い意味を持つ信号旗です!
――我らが興廃、この一戦にあり!
その瞬間スイッチが切り替わったように兵士たちの士気が高まりました!
いえ、これはもう高まったどころの話ではありません!
これはもう――これはもはや、“
後方に待機していた第五中隊から怒号のような鬨の声が上がり、こちらに向かって猛然と吶喊してきます!
わたしは直感していました!
わたしだけでなく、この戦場に立つすべての人が直感していました!
ここです! ここが勝敗の瀬戸際です!
ここで押し切るのです!
ここで押し切らなければ負けです!
そして奮戦が始まります!
兵士たちは自分たちの身の丈を遙かに超える六体の魔神に群がり、その巨体に薙ぎ払われ、吹き飛ばされ、引裂かれ、踏み潰されながらも、剣や、槍や、斧槍を突き立てました!
「――怯んではいけません! 今こそ勝利をつかむときです!
わたしは叫びながら、レットさんやカドモフさん、フェルさんと共に悪魔たちを殴り続けました!
鎖が装着された弩砲――ただ一基破壊を免れていた――の太矢が “高位悪魔” の身体を撃ち抜くと、何十人もの兵士がそれを引き、バランスを崩した悪魔を地面に引き倒します!
「今だ! 切り刻め!」
倒れた悪魔が、スカーレットさんたち “緋色の矢” の前衛を先頭に兵士たちに蹂躙されます!
奮戦です! 力戦です! 血戦です!
命を賭すのは、まさしく今この時です!
「……ぬんっ!」
鎖で引き倒された悪魔を見たカドモフさんが、頭上を掠め去っていく巨大な爪を掻い潜り、特有の低い重心から必殺の斬撃で悪魔のアキレス腱を断ち切りました!
たまらずよろけ、片膝立ちになる “高位悪魔” !
さらに唯一の “
しかし、強靱な
――ガッ!
あろうことかその巨大な手を盾で受け止め、小揺るぎもしないドワーフの戦士!
しかも、そのドワーフの戦士はカドモフさんではなく……!
「ふんっ、まだまだヒヨッコじゃな」
カドモフさんとは対照的な雪のように白い髭と眉を蓄えたドワーフが、巨大な悪魔の手を平然と押し留めながらジロリと同族の若き戦士を一瞥しました!
「来たか!」
アッシュロードさんがその老ドワーフの戦士を見て叫びました!
この老ドワーフこそ誰でありましょう!
かつてアッシュロードさんと共に “
近衛騎士ナンバー3ながら上帝トレバーン陛下に直訴して、長年にわたり工兵隊の育成に心血を注ぐ工兵隊長!
老いてなお城塞都市最強の戦士にして、古の名剣
その名も――!
「「「「「「「「「ボッシュ・ザ・グレート!」」」」」」」」」
周囲の兵士たちが、その名を歓呼と叫びます!
「“血戦旗” が上がったとなれば出ずばなるまいて」
面白くもなさそうに答える “偉大なるボッシュ” さん!
その直後!
ビュンッ!
古の名匠の鍛えし業物が一閃し、“高位悪魔” のすべての指を切り飛ばしました!
さらに!
ブシャーーーーッッッ!!!
頭上から滝のように降り注ぐ、真っ青な血の雨!
巨体を伝って転げ落ちてくる、巨大で醜悪な頭部!
頭を無くしてなお直立する別の悪魔の肩にしゃなりと立つ小柄な人影!
「にゃあ」
城塞都市最強の探索者にして、マスターくノ一!
くるりととんぼを切って軽やかに着地するドーラさんの背後で、首をなくした “高位悪魔” が地響きを立てて倒れました!
「復活したか」
「ちょほいと右腕がギクシャクするけど、あたしの身体の治療は完了さね!」
遅えんだよ、とばかりに苦笑するアッシュロードさんに、ドーラさんが魅惑的なウィンクを返します。
「それよか、あの時以来 “
「ああ、久しぶりに派手に踊るか」
「ふんっ、年寄りに冷や水をさせるな」
ドーラさんが
最初に “紫衣の魔女” を討伐した伝説のパーティ、“
「「「――Let’s Partyッッッ!!!」」」
・
・
・
それから、わたしたちは戦い続けました。
激闘、三時間。
“高位悪魔” は倒しても倒しても仲間を呼び、あるいは第三陣、第四陣と次々に後続部隊が現われ、死闘は果てしなく続いたのです。
やがて……呪文や加護が底を付き、全軍の先頭に立っていたドーラさんが、ボッシュさんが麻痺させられ、次いでスカーレットさんら “緋色の矢” の女戦士の人たちが同様に行動不能に陥りました。
レットさんやカドモフさんも麻痺してしまい、フェルさんや後方基地から合流したジグさんに運ばれて後方に下がりました。
そして今……麻痺の効かない特殊な体質のアッシュロードさんだけが、一〇分の一以下にまで減った兵士たちの前にそれでも立ち続けています。
しかし彼らをかばって立つその身体はすでに毒に冒され、指に嵌めている “
九体にまで増えた“高位悪魔” たちは呪文で一息に殲滅を計るでもなく、嘲るようにわたしたちを見下ろしています。
いえ、実際に嘲っているのでしょう。
勝敗が決し、敗北が決まったわたしたちを……。
そして風の乗って聞こえてきたのは、アッシュロードさんが口ずさむ微かな戯れ歌でした。
「……俺た……軍……予備の……備……金なし……運な……能力……し……それ……も潜る……地下……宮……」
やはり、いく気なのですね。
いってしまうのですね。
わかっています。
わかっていました。
あなたなら、必ずそうすると。
だから、わたしは止めません。
「――!? 駄目、駄目だよ、エバ! やめてぇ!」
わたしの髪がフワフワと柔らかく浮かび上がったのを見て、パーシャがすがりついてきます。
(ごめんね、パーシャ。ごめんね。でも、もうあの人を置いていくのは嫌なの。置いていかれるのは嫌なの。だからごめんね、パーシャ――わたしも一緒にいきます)
銀色の光が視界に漂いだし、わたしは静かに目を閉じました。
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迷宮保険、初のスピンオフ
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連載開始
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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m
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迷宮無頼漢たちの生命保険
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