灰の暗黒卿

 一週間が経ちました。

 慌ただしく休息する暇もない、戦後処理の期間でした。

 でも、その忙しさこそ救いだったのかもしれません。

 少なくともその間だだけは、失ったものの大きさ、心に負った傷の深さを忘れられていたのですから。


 わたしたちは働きました。

 “紫衣の魔女” が迷宮に姿を消したあと、茫然自失状態だったアッシュロードさんは我に返るなり、戦場に折り重なっている遺体の回収を命じました。

 王城のトリニティさんに連絡して応援を呼び、祈れる限りの “探霊ディティクト・ソウル” の加護を嘆願して、ひとりの見逃しもないように入念な捜索が行われました。

 発見された遺体は破壊を免れていた後方基地リア・ベース に仮安置されていき、三日目には、人間離れした強行軍を重ねた上帝陛下に置いてけぼりにされていた一〇万の “中央機動軍” が帰還を始め、一気に人手が増えました。

 そうして発見され後方基地から “カドルトス寺院” に後送された遺体は、最終的に六〇〇を超えていました。

 地上にいたのは四個中隊八〇〇名です。

 すでにこの時点で、一個中隊に近い兵士が消失ロストしていたのです。


 アッシュロードさんは、次にドーラさんやボッシュさん、それにスカーレットさんたち “緋色の矢” の探索者を伴って、迷宮に潜りました。

(今回の戦いでスカーレットさんたちは全員レベルが上がり、晴れて熟練者マスタークラスになりました)

 目的は “駆け出し区域ビギナーズエリア” と “ウォール” に打ち捨てられたままになっている遺体の回収と、帝国軍が後方に浸透された原因の究明です。


 “紫衣の魔女アンドリーナ” が姿を消した後、深淵の如く拡大していた迷宮の縦坑入口は地響きと共に塞がっていき、元の小さな縦穴に戻りました。

 地下一階に生息する魔物も以前と同じ “犬面の獣人コボルド” や “オークゴブリン” などが再び姿を現し、今回の変化が恒常的なものではなく “紫衣の魔女” のでしかなかったことが鮮明になりました。


 回収された遺体は二〇体に満ちませんでした。

 それでも、あの状況でこの数は多い方だと思います。

 帝国軍が迷宮軍に後方をやくされた原因は、座標 “5、0” の北の壁にありました。

 そこから無数の魔物が這い出てきた痕跡が発見されたのです。

 こちら側からは通ることも発見することもできない、一方通行の扉を使った “壁抜け” です。

 発見をしたアッシュロードさんたちも、報告を受けたわたしたちも、全員が慄然としました。

 迷宮に探索者が足を踏み入れてから二〇年。

 地上からわずか五区画ブロックの距離に、未だ発見されていなかった仕掛けがあったのです。


 アッシュロードさんはそれからの城塞都市の司令部に戻り、不眠不休で事後処理に当たりました。

 犠牲になった兵士の名簿を作り、家族がいるようなら見舞金の申請をするためです。

 消失ロストなら完全な見舞金。

 “カドルトス寺院” に安置されていて蘇生を待っている状態なら一時金となります。

 並行して生き残った者の勲功の精査と、勲章や報奨金の手配も行いました。

 これは司令官にとってある意味もっとも重要な仕事だと、以前お父さんが話してくれたのを思い出します。

 わたしも、今はその正しさが分かります。

 この手続きを終わらせない限り、司令官は――アッシュロードさんは休むことが許されないのです。


 そして、その作業が終わる頃……。

 いつしかアッシュロードさんは、“灰の暗黒卿アッシュ・ザ・レイバーロード” と呼ばれるようになっていました。


◆◇◆


「……心配だわ」


 “獅子の泉亭” 一階のいつもの円卓で、フェルさんが呟いたとおりの表情で階上を見つめています。


「……もうまる一日降りてこない。食事を摂っている様子もないし」


 そうですね……と、わたしもうなずきます。


「きっと疲れ切って眠り込んでいるのでしょう。今はそっとしておいてあげましょう」


 アッシュロードさんが駐屯地の司令部から戻ってきて、すでにまる一日以上が過ぎていました。

 昨夜半、不意に酒場の入口に現われ、駆け寄ったフェルさんに無表情に一瞥をくれると、そのまま重い足取りで階段を上がり自分の部屋に引き籠もってしまったのです。

 いつもの仏頂面も浮かべられないほど疲労困憊な様子でした。


「……まぁ、今回の騒動で一番働いたのはおっちゃんだからね。結果はどうあれ」


 口に咥えた木製のスプーンをピンピンと跳ね上げながら、パーシャが言いました。

 相変わらずアッシュロードさんには複雑な思いを抱いているようです。


「上帝陛下に助けられたとはいえ、実際そこまで持ちこたえられたのは、あのオッサンがいたからだからな。そりゃ疲れもするだろうさ」


「本当にそうよ。それなのに “灰の暗黒卿” だなんてあんまりだわ!」


 ジグさんの言葉に憤懣やるかたなし! といった顔を浮かべるフェルさん。


「だが、あれだけの犠牲を出したんだ。それも仕方ない」


 今回の戦いで生還できた多くの人が、自分の命が今もあるのはアッシュロードさんの力があったればこそだと理解しています。

 それでも非難とまではいかなくても、あの人を忌避する感情が生まれてしまうのは、レットさんの言うとおり仕方のないことなのかもしれません……。

 何事もなかったように前に進むには、あまりにも多くの血が流れすぎたのです……。

 アッシュロードさんが責められるのは間違っています。

 でも……責められないのもまた間違っているのです……。


「――なればこそよ!」


 勃然と立ち上がる、フェルさん。


「なればこそ、今のにはより添いが必要なの!」


 白磁のような顔を紅潮させると、エルフの友人は肩をいからせてカウンターに向かいました。

 そこで大きなトレーを受け取ると、その上にパンの固まりだの、腸詰めだの、チーズの大欠片だの、ワインの入った小壺だの、これでもかこれでもかと載せていきます。

 それからますます真っ赤な顔で、よろよろと階段を登っていきました。

 さすがに盛りすぎです、フェルさん。


「……あんたは行かなくていいの?」


 相変わらずスプーンをピンピンと跳ね上げながら、パーシャが面白くもなさそうに訊ねます。


「そうですね。これは行かないといけませんよね」


 わたしはクスッと笑うと立ち上がりました。


「――フェルさん、お手伝いします」


「もう、来なくていいのに」


 不満げなフェルさん。

 ほんと可愛いです。


「いえいえ、恋敵ライバルの抜け駆けを許すほど、わたしは聖女ではありませんから」


「……恋敵」


 わたしの言葉に、フェルさんは驚いた顔をしました。


「ええ、恋敵です――フェルさんはそうは思ってくれてはないのですか?」


「そ、そんなことあるわけないでしょ。わたしたちは友人であり恋敵よ!」


 友人であり恋敵であるわたしたちは、食べ物や飲み物を満載したトレーを協力して四階まで運び上げると、アッシュロードさんの自室で事務所である402号室のドアをノックしました。

 当然のように、返事はありません。


「まだ眠っているのかもしれませんね」


「なら確かめてみるまでよ!」


 当然のように言い放つと、フェルさんはドアのレバーを捻りました。

 凄いです、フェルさん。すごい馬力です。

 当然のようにドアに施錠はされてなく、わたしたちは中に入れました。

 以前みんなで半分だけ片付けたスイートルーム。

 その半汚部屋の真ん中に置かれたキングサイズのベッド。

 その上にアッシュロードさんが上半身を起して、ぽつねんと壁を見つめていました。


 ボサボサの髪。

 ピンピンと伸びた無精髭。

 いつもよりも曲がって見える背中。

 なにより、壁を見つめる生気の欠片もない三白眼……。


 わたしとフェルさんは、一瞬その姿に息を飲みました。

 普段の疲れ果てた老いたグレートデン……そんな生易しい姿ではなかったからです。

 その姿はまるで……。


 ここでも先陣を切ったのはフェルさんでした。

 駄目ですね、今日のわたしは本当に後手後手です。


!」


「……」


!」


「……」


!」


「……あ?」


 三度名前を呼ばれて、ようやくわたしたちに気がつくアッシュロードさん。


「……なんだ、おまえら……」


「ご飯食べて!」


「…………あ?」


「ご飯食べて!」


 緩慢な動きで視線を巡らすアッシュロードさんに、フェルさんがズイッとトレーにてんこ盛りされた食べ物を差し出します。


「昨日から何にも食べてないでしょ! ご飯食べて!」


 泣きそうな声で、いえすでに涙混じりの声でフェルさんが訴えます。


「……ああ……それじゃ……いただきます……」


 アッシュロードさんは口答えするでもなく、差し出された食べ物に手伸ばし、もそもそとやはり緩慢な動作で食べ始めました。

 アッシュロードさんのこの素直な反応が、フェルさんとなによりアッシュロードさん自身を救ったのだと思います。

 やがて身体が空腹だったことを思い出したのか、徐々にその勢いが増していき、得意の二刀流で腸詰めを囓り、チーズを頬張り、引き千切ったローストチキンを口に詰め込み、喉につかえるとフェルさんが差し出したワインで流し込みました。


「元気出てきた!」


「ふふっ、一二時間あればジェット機だって直るんですよ」


 わたしは満面の笑顔で喜ぶフェルさんに穏やかに微笑むと、


「お加減はどうですか?」


 視線をアッシュロードさんに戻して訊ねました。

 アッシュロードさんは上帝陛下と魔女が去った直後放心状態で、前後の記憶がなかったのです。


「ああ……別にっ……なんともっ……ねえっ……!」


 しいたけのような切れ目のある大きな酸味の強いパンに囓り付きながら、アッシュロードさんが答えてくれます。


「……おまえの……方こそ……どうなんだっ……?」


「ええ、わたしも別になんとも」


「……無茶するっ……てのはっ……未熟な……証拠だぞっ……!」


 あまりに大きく、あまりに固いパンに悪戦苦闘しながら、それでも上から目線を崩さないアッシュロードさん。

 どうやら本当にいつものこの人に戻ってきたようです。


「はい、気をつけます」


 わたしは小さく、そして柔らかくうなずきました。

 そんなわたしたちのやり取りに、フェルさんが『むぅ、』っと唇を尖らせたときです。

 開いたままだったドアから、誰かが入ってきました。

 カツカツと正確でキビキビした靴音を鳴らすその人は、見慣れない帝国軍士官の軍服を身につけた若い女性で、アッシュロードさんの前でカチッと踵を合わせると――。


「申告します。この度、アッシュロード閣下の副官 兼 秘書官を拝命したハンナ・バレンタイン中尉であります」


 呆気に取られるわたしたちの前で、探索者ギルドの受付嬢さんが見事な敬礼をしました。


「エバさん、フェルさん、こんにちは。今後閣下にご用がある時は、わたしを通してくださいね」


「「「――な、なんだってーーーーーー!!!?」」」



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