終わりの始まり

「――それじゃ、行こうか」


 酒場での最後の朝食を終えると、空高くんが立ち上がりました。

 道行くんが黙って続き、リンダが『よし!』と小さいながらも強く呟いて腰を上げます。


「はい」


 わたしもうなずき、席を立ちました。

 昨夜のうちに宿代の支払いは済ませてあるので、わたしたちはそのまま酒場を出ました。

 両開きの扉の前で立ち止まり、三カ月にわたってお世話になった店内を見渡します。


 初めてこの宿屋に来たときとは、宿泊している冒険者アトラクション参加者 の顔ぶれが大きく入れ替わっています。

 顔が見えなくなったのは、全員が迷宮に行ったまま戻らなかった人たち。

 新しい顔は、あとからこの “迷宮街”にやってきた新人さんたち――皆さん、わたしたち同じアトラクションに呑み込まれた人たちです。


「……名残惜しいか?」


「うん」


 道行くんの言葉に素直にうなずきます。


「今にして思うと楽しいことばかりだったから」


「……そうだな」


 わたしの隣に立った道行くんが、同じように酒場の中を見つめます。

 顔見知りの人も見送りはしません。

 いつの頃からか、それがここの流儀となっているのです。

 最後の探索に出る者は見送らない。

 言葉も掛けない。

 ただ酒場からいなくなる。

 そして元の世界に無事に戻れたことにされる。


 そうです。

 わたしたちは今日これから、最後の迷宮探索におもむくのです。


「行こう」


「……ああ」


 わたしはこの三カ月の間に自分の半身となった男の子と一緒に、宿屋 “アイノス” を出ました。

 外に出ると、やはり肩を並べて最後にもう一度大通りを見渡します。


 武器屋さん “三本の抜き身の店” があります。

 このお店では、主に空高くんとリンダがお世話になりました。

 赤い刀身の “レッドソード” と “シミター” という偃月刀は、しばらくの間、空高くんのメインウェポンとしてパーティを支えてくれました。


 “赤い羽根飾りの店” は防具屋さんです。

 空高くんはここで金貨一〇〇枚という高価な鎧を買いました。

 鋼を打って鍛えた板金鎧プレートメイルで、通常の鎧より高い+1相当の防御力のある逸品です。

 他にも空高くんは、大きな目玉の絵が描かれたちょっと不気味な円盾ラウンドシールドを買いました。

 この盾には “アーマー・エンハンス” という魔法が掛けられていて、通常の盾の倍の防御力が備わっているのです。


 “雨の妹の店” は薬屋さん。

 このお店がなければ、わたしたちのうち誰かは確実に死んでいたでしょう。

 それが原因で四つの “苔むした墓” が迷宮に並んでいたかもしれません。

 今日の探索のために貯めたお金で、わたしたちは昨日ここでひとり一瓶の “レッドポーション” を買いました。


 “トウトアモンの黒き祭りの店”

 もう説明の必要もないくらいお世話になった、魔道具マジックアイテムのお店です。

 “イラニスタンの油” は、わたしが一瓶、道行くんが二瓶。

 “黒竜の牙” は、わたしが二袋、道行くんが一袋。

 敏捷性を高める “ウィングブーツ” ―― またの名を “ジェットブーツ” は、今は全員が履いています。

 他にも道行くんは『……どうせ金の使い道はもうないんだ』と言って、これまで必要がないと買ってこなかった “霧の玉” を四つ購入しました。


 そして “自由な野良犬の店” ……。


「美味しかったね」


「……ああ」


「いつかまた食べたいね」


「……そうだな」


 わたしと道行くんとの初デートのお店……。

 今日の探索が上手くいっても行かなくても、もう二度と来ることはありません。

 来ることはできないのです。


「わたし、忘れないよ。絶対に忘れない」


「……俺もだ」


 わたしたちを三カ月もの間閉じ込め、そして守ってくれた “迷宮街”

 強襲&強奪ハック&スラッシュを繰返し、貯めたお金で装備を揃え、迷宮アトラクション攻略の準備が整うまで、ここがわたしたちの家だったのです。

 わたしたちが想いを育む間……。


「そろそろいいか?」


「……ああ」


「お別れ、すんだ?」


「うん」


 わたしたちがお別れをしている間、空高くんとリンダは待っていてくれたのです。


「よし、それじゃ行こう」


 磨き上げられた銀色の鎧を着込んだ空高くんを先頭に、わたしたちは大通りを東に向かいました。

 突き当たりを南に折れて、階段を下ります。

 目指すは最下層と言われている地下四階の一画。

 道行くんが描いてきた地図に残された、唯一の “空白地帯”

 そこに足を踏み入れた人は、誰一人として戻ってきません。

 迷宮アトラクションのゴールがあって、元の世界に戻れたのか。

 あるいは、強力な魔物がいて全滅したのか。

 それはすぐに明らかになるでしょう。


(……さようなら、わたしたちの “迷宮街”)


◆◇◆


 ハンナ・バレンタインは王城の地下室にいた。

 意識を失ったエバとリンダ、そしてノーラが寝かされている、迷宮の玄室と呼ぶのが似つかわしいあの部屋である。

 岩盤を荒削りしただけの剥き出しの床に六芒星の魔法陣が描かれており、その中に三人は並んで寝かされていた。

 エバへの精神潜行サイコ・ダイブが試され、トリニティ・レインの手によって他のふたりが彼女の精神領域に送り込まれてから、すでに三日。

 未だに三人が意識を取り戻す気配は、ない。


 ハンナは運び込まれた椅子に腰を下ろし、城の者の厚意で渡された毛布にくるまっていた。

 それでも地下深く結露した床や壁は氷のようであり、足元から這い上ってくる冷気は容赦なく彼女の身体を苛んだ。

 だが、骨の髄まで蝕んでくるこの冷たさも、三人を生き長らえさせることに役立っているとあっては否やはない。むしろ感謝してもしたりないぐらいだと、ハンナは思っている。

 近くでやはり椅子に座り毛布を被っているダイモン、クリス、エドガー、セダの四人も同じ心情だろう。


 現在エバ、リンダ、そしてノーラは昏睡状態で、食事も水も摂取することができない。

 トリニティは自らの魔術で三人を仮死状態にしたあと、“上帝派” の司祭を呼び、彼女たちに “保存” の術を施させた。

 本来は寺院で死体の保存に用いられる技術だが、今の三人には絶対に必要な処置だった。

 これで餓死の心配はなくなった……永遠に。

 そう……目覚めることがなければ、彼女たちは永遠にこのままなのだ。


 燭台に灯された蜜蝋の炎が揺らいだ。


「……様子はどうだ?」


「し、失礼しました」


 疲労もあったのだろう。

 メイドが食事を運んできたのかと思い顔が動かなかったハンナだが、聞き知った声に慌てて立ち上がり、声の主に無礼を詫びる。

 まとっていた毛布が床に落ち、結露を吸って湿った。

 迷宮軍の襲来以後多忙を極めている筆頭国務大臣のトリニティだが、それでも一日の終わり、今日が昨日になる頃には必ずこうして姿見せる。

 ずっと地下にいたのでわからなかったが、どうやらもう真夜中近い時間のようだ。


「……変わりありません。眠ったままです」


「……そうか」


 ハンナはトリニティの心情をおもんぱかり、胸を痛めた。

 本当なら彼女も、その知能と知識の限りを尽くして付きっきりで三人のサルベージに専念したいはずだ。

 そして同じ思いをトリニティもハンナに対して抱いていた。

 だからハンナが今一番知りたがっていることを伝えてやる。


「アッシュロードはよくやっているよ。“ウォール” が完成して、迷宮内に魔族除けの結界が張られて以来、戦線は膠着状態に陥っている。これならば上帝陛下が帰還するまで持ちこたえることが出来るだろう」


 トリニティの微笑を含んだ言葉に、ハンナは心ばかりか冷え切った身体にまで熱が籠もる気がした。

 思わず胸の前で右手を握り、瞳を閉じる。

 それは祈りよりも純粋な仕草だった。


「……愛しているのか?」


「……はい」


「……そうか、辛い恋だな」


 自分の仕草想いの発露を見たトリニティの労りの言葉に、ハンナは目を開け微笑んだ。


「辛くない恋なんてあるのでしょうか?」


 ハンナのその笑顔に、トリニティの胸に柄にもない感傷が去来した。


(――ああ、あの小さな娘がここまで成長したか)


 トリニティは一七年前に近衛騎士としてトレバーンに召し抱えられたときから、ハンナを知っていた。

 バレンタイン侯が溺愛する、目に入れても痛くない一人娘。

 幼い頃は活発なお転婆娘で、侯爵の家に招かれるたびに迷宮での冒険譚をせがまれたものだ

 そしてその際に何度となく語ったのが、自分のリーダーだった変わり者の話だった。

 ハンナが城での行儀見習いでなく探索者ギルドでの仕事を選んだと聞いたとき、予感はあったのかもしれい。


 興味は憧れに。

 憧れは恋心に。

 そして恋心は愛情に。

 少女の成長と共に、それは自然な変化だったのだろう。


(……応援してやりたいが)


 そこまで思ってトリニティは苦笑した。

 その道では自分はハンナ以上の素人だ。

 そういうものとは無縁の人生だった。


(……いや、本当は知っていたのかもしれないな。ただ見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまっただけで)


「あの、どうされました?」


 ふっ……と寂しげに笑ったトリニティを見て、ハンナが訊ねた。

 なんでもない――と帝国一の頭脳が答えかけたとき、長靴の音が石造りの階段に乱雑に響き、ふたりの静謐な時間を破った。


「なにごとだ」


 地下室に駆け下りてきた秘書官に向かってトリニティの鋭い視線が飛ぶ。


「は、はい。実は――」


「――なんだと!?」


 秘書官からの報告を聞き、冷静沈着のトリニティの顔色が変わった。


「ど、どうしたのですか?」


「……“駆け出し区域ビギナーズエリア” が落ちた」


「……え?」


「アッシュロードの “悪巧み” は崩壊した」



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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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