座標 “E5、N0”

 カラカラッ! カラカラッ! カラカラッ!


 ピーッ! ピーッ!


 迷宮に激しく響く、鳴子と呼子。


 “ウォール” に一番近い玄室 “第一” で予備隊として待機していたパーシャは、石畳に敷いた毛布から飛び上がった。

 他の四人の仲間や、周囲の兵士たちも同様である。

 時刻は、まもなく明日が今日になる頃だ。


 二×三区画ブロック――約二〇メートル×三〇メートルの玄室には、探索者が二パーティ計一一人。兵士が一個小隊約五〇人。司令部要員が約一〇人待機しているが、広さ的にすし詰めなのはいなめずストレスが強い。

 そのため玄室の扉は開け放たれ、その先の回廊も待機スペースとして使われている。

 どちらも等間隔に灯された “永光” に照らされ、闇は完全に祓われている。

 熟睡はしにくかったが、それでも迷宮の闇中で眠るよりもずっと安心できたので、不満を漏らす者は――特に探索者には――いなかった。


「懲りないやつらね!」


 パーシャはパッと立ち上がるなり小さな身体をグリグリ動かして、柔軟体操の代わりにした。

 今日も最前線の “壁” には二三回もの襲撃があった。真夜中から実に一時間に一回の頻度である。

 帝国軍はその全てを撃退していたが、兵士や探索者たち疲労は大きく、頻繁に予備隊との交代が行われていた。

 帝国軍(俗称『逆侵攻軍』)は一個大隊一〇〇〇人と軍と呼ぶには小規模すぎる編成だったが、それでもその全力を投入するには “駆け出し区域ビギナーズエリア” は狭すぎた。


 一個大隊は五個中隊(一個中隊は約200名)。一個中隊は四個小隊(一個小隊は約五〇名)。そして一個小隊は四個分隊(一個分隊一二名)で構成されている。

 一度に迷宮に潜るのは一個中隊までであり、それ以上は狭い迷宮では展開のしようがなかった。

 その一個中隊も、最前線である “壁” に一個小隊。そのすぐ後方の回廊に一個小隊。

 さらに一番近い玄室 “第一”に一個小隊。迷宮の入口を挟んで反対側の一番遠い玄室 “第三” とその周辺の回廊に二個小隊という配置だった。


(したがって実質戦闘に参加しているのは “壁” の一個小隊五〇人と、遊撃隊として戦闘に参加する探索者一~二パーティ一〇人程度である)


 これらの小隊が前線指揮官であるドーラ・ドラや、彼女が休息中の間は指揮を代行する中隊指揮官によって適宜交代させられ、中隊全体での迷宮での滞在時間は一昼夜――丸一日とされていた。

 さらに迷宮外の “後方基地リヤ・ベース” には四個中隊が駐屯しており、戦略予備としてアッシュロードが握っている一個中隊(第五中隊)をのぞく三個中隊が、交代部隊として待機していた。


「また揉んでやるから!」


 迷宮内ながらも、味方に囲まれた安全な環境で休息を摂っていたパーシャの体調はよく、士気も高かった。


「気合いを入れるのはいいけどよ、俺らは交代要因のさらに交代要員だからな。張り切りすぎて先に疲れちまうなよな」


 仲間の少女が話していた異世界の格闘技の準備運動 “四股”でも踏み出しそうな勢いのホビットに、ジグが肩を竦めてみせる。

 彼ら “第一” にいる部隊が前線に出るのは、“壁” のすぐ背後に待機している部隊のあとだ。


「俺たちはまだ予備の予備だぞ」


 ジグのその表現にエルフの少女がなぜか嬉しそうに表情を綻ばせる。

 彼らのパーティも、昨日の真夜中に迷宮に入ってからすでに三回前線に出ている。

 まもなく外の部隊との時間なので、もう今回の出番はないかもしれない。


「……まて、なにかおかしい」


 異変に気づいたのは、いかなるときも巌のように沈着なドワーフの戦士だった。

 敵襲には違いないだろうが、これまでになく空気が慌ただしい。

 動揺している。


「出るぞ。ここにいても状況がわからん」


 リーダーのレットがすぐさま決断し、一党は開け放たれたままの扉を抜けて “第一” を出た。

 北へ伸びる回廊はわずか一区画ブロックしかない。そこで東西に延びる回廊とぶつかる。

 東に行けば最前線の “壁”。西に行けば長い回廊の先に、地上へ出口である縦坑の底に行きつく。


 カドモフの言うとおりだった。

 確かにおかしかった。

 不穏な空気――もっと言えば兵士たちの動揺と混乱の気配は、“壁” のある東からではなく地上への出口がある “西” から伝わってきている。


 そんなはずはない。

 自分たちを含めた複数の探索者パーティの苦労が報われ、悪魔封じの結界は完成した。

 “駆け出し区域” への魔族の侵入は封じられている。

 現に結界が完成してからこの数日、一度も魔族の侵入はなかった。

 あの一連の作戦行動でパーシャなどは二度も死にかけたのだ。

 それが今になってまただと?

 レットたちの胸に憤りと悪い予感が同時に湧く。


 だが、彼らの予感は外れていた。

 西の回廊の先で起こっていたことは、魔族の侵入などという生易しいものではなかった。

 事態は悪いを飛び越えて、いきなり最悪だった。



 戦況は膠着していた。

 後に “火の七日間” と呼ばれることになる帝都 “大アカシニア” を震撼させた大騒乱劇―― “迷宮” との七日間にわたる戦争は、六日目を迎えていた。

 帝国軍の指揮官であるグレイ・アッシュロードが考案した迷宮内に “壁” を築いての遅滞戦術は、一応の成功を見せていた。

 “壁” が完成した直後こそ、後方に魔界から直接魔族を送り込む迷宮軍の撹乱戦術に悩まされはしたが、それもレットやパーシャたち探索者の機動的警戒と、“カドルトス寺院” の司祭たちによる悪魔封じの結界の完成によって、三日目以降は完全に抑え込んでいた。


 最前線である “壁” への襲撃は連日連夜、多い日には三〇波。少ない日でも二〇波にも及んだ。

 召喚魔法によって戦力を無尽蔵に供給できる迷宮軍の波状攻撃を、帝国軍は “壁” の防御力と守備兵を後方の玄室で待機してる予備隊と短時間で交代させる戦術で、なんとかしのいでいる。

 襲撃の頻度と激しさに比して負傷者は少なく、故に死者も少なく、故に最終的な犠牲者ロストも少なかったが、それでもジリジリと兵力を削られている事実は否めない。

 しかしそうだとしても、この損耗度なら上帝トレバーンが一〇万の兵力を持って帰還するまで持ちこたえられるはずだった。


 戦況は膠着していた……その時までは。

 その時が訪れたのは六日目の夜。

 まもなく今日が昨日になる時刻だった。


 “紫衣の魔女大魔女アンドリーナ ” の地下迷宮は、一辺が二〇〇メートルの正方形をしている。

 外周を硬い岩盤で覆われ、内部は堅固な煉瓦壁で仕切られた複雑な造りをしていて、その規模はそれぞれ構造の違う階層フロアが全一〇層にも及ぶ。

 時間と空間が歪められていることもあり、迷宮が出現して二〇年が経つ今も全容が解明されているとは言い難い。


 実際、迷宮内には “空白地帯” と呼ばれる探索者が一度も足を踏み入れたことのない未踏破区域が点在している。

 火竜のブレスでも貫通することのできない分厚い内壁に阻まれたその区域エリアには、扉はもちろん隠し扉シークレット・ドアも存在せず、通常の方法で内部に侵入することは出来ない。

 あるとすれば “転移テレポート” の魔法で内壁を飛び越えることだが、転移する先に何があるか不明な状況でそんな真似をする者はいない。

 飛んだ先が岩盤なら待っているのは “石のなかにいる!消失” だ。

 したがってグレイ・アッシュロードの “悪巧み” がそこから綻び瓦解したとしても、彼を責めることは出来ないだろうし、事実誰もアッシュロードを責めなかった。


 座標 “5、0” ――迷宮の入口から東にわずか五区画ブロック

 その場所は、かつてエバ・ライスライトが最初の探索で全滅した座標から二区画しか離れていない。

 その北側の内壁が、綻びの発端であった。


 帝国側には知るよしもなかったが、迷宮の各階層で外壁以外に “岩塊” が残されているのは最下層の一〇階のみであった。

 他の階層に “岩塊” の区画は存在しない。

 “転移” の呪文で飛んだとしても “石のなかにいる!” ことはなかった。

 これは宝箱に仕掛けられた “強制転移 の罠テレポーター” で、問答無用に探索者たちが消失ロストせぬようにとの、迷宮支配者ダンジョンマスターの慈悲だった。


 繰り返すがアッシュロード―― 帝国軍にこの状況を予見することは不可能だった。

 壁の向こう側を “透視” する魔法も、それを操る “超能力者サイキック” と呼ばれる職業も、この時代にはまだ生まれていなかった。

 せいぜい巡回警備パトロールを厳重にし、緊急時には鳴子を含めた警報システムで可能な限り早く異変を知らせるだけで、そして実際にそれらは行われていた。

 情報を収集し、考え得るすべての策を弄し、準備万端に整え、油断もしない。

 それでも時として破滅を避け得ないのが迷宮という場所だった。


 “E5、N0” の北の壁が音もなく消え去った。

 それは反対側からのみ発見・通行可能な一方通行の扉だった。


「GuRururuuu……ッッッ!」


 “永光” の明かりの届かぬ闇に、無数の赤い双眸が浮かび上がる。

 “壁” という名の要塞を無視して、その後方に大軍が送り込まれた。



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