(……そんなの許さない。あの娘が神だなんて絶対に)


 動きやすさだけを重視したダボシャツとジーンズでコーディネイトをまとめると、リンダはボストンバッグを肩にかけ部屋を出る。

 ドアのノブに伸ばした手を、誰かが掴んだ。

 成長するにしたがい消えるが、今はまだ消えていない肉球の柔らかな感触。


「……どこに行く気ニャ?」


 ノーラ・ノラが努めて恐い顔で、リンダを睨んでいた。


「あんた、目が覚めたの?」


 咄嗟に出たのがその言葉だったが、我ながら馬鹿な言い草だとリンダは思った。

 目が覚めたから、この猫人フェルミスの幼女は自分の手を掴んでいるのだ。


「エバに悪さしにいくニャか?」


 精一杯威嚇しているつもりなのだろうが、まったく恐くない。

 せめて “毛” ぐらい逆立てたらどうなのよ――とリンダは思った。力が抜ける。


「悪さじゃなくて助けに行くのよ。そのつもりで来たんだし」


 面倒くさいので適当にあしらう。

 “シルバニアファミリーのペルシャネコ” みたいなのに凄まれて、先ほど抱いていた不穏な感情も霧散してしまった。


「信じられないニャ。おまえからは悪い奴の臭いがするニャ」


「あたしは “イビル” じゃなくて “中立ニュートラル” よ――いいから離して。あの娘を探して会わないとならないんだから」


 そこでリンダはノーラを冷たい眼差しで見下ろした。


「それともあんたが代わりに行ってくれるの? 出来るの? ここはあんたが知ってる世界じゃないのよ?」


「……ぬっ」


 猫人の幼女に動揺の色がありありと浮かんだ。


(どうせなにも考えないで来たんでしょ。迷惑なガキ)


「いいからあんたはここにいて。お腹が空いたら一階の大きな白い箱を開ければ何か入ってるから」


 自分が出て行ったあとで家族に見つかろうがどうなろうが、知ったことではない。

 ここは本物の世界ではないのだ。


「ま、まつニャ!」


 ノーラが慌ててリンダを引き止める。


「お、おまえ運が良いニャ。ニャーはこれでも心の広い “猫” で通ってるニャ。仕方にゃ~から、ニャーがおまえを見張るってことで妥協してやるニャ」


「はぁ?」


「ね、猫は幸運を呼ぶニャ。逆に優しくしないと化けて出るニャ。尻尾が二つに割れて末代まで祟ってやるニャ。お、おまえはニャーに祟られたいのか?」



「……にゃ、にゃんにゃ、あの変なお城は? “レッドパレス” よりも高いにゃ」


 ノーラが都庁の第一本庁舎を見上げて、驚き半分怯え半分の表情で呟いた。

 リンダの家は新宿区の中央公園の西にある。

 最寄り駅は都営大江戸線の “都庁前” だ。

 中央公園を突っ切ってショートカットして駅に向かっていたが、(当然といえば当然だが)自動車を見れば “馬のいない馬車が走ってる!” と驚かれ、頭上を飛行機が横切れば “ドラゴンの襲撃だ!” とベンチの下に逃げ込まれ、住宅の窓から道路を見ていたに至っては文字どおり “卒倒” された。あんな “猫” は城塞都市どころか、アカシニア全土にだっていない。


「こ、ここは魔法の国ニャ! エバもおまえも魔法の国の住人だったニャ!」


「その言葉、そっくりそのままあんたに返すわよ」


 リンダは苛立ちを隠さずにノーラの手を引いた。

 いちいち驚かれ立ち止まられていたら、浦安に行くどころか電車に乗る前に日が暮れてしまう。

 駅までは近いが、駅に入ってから電車に乗るまでが長いのが、この界隈なのだ。

 ノーラは驚いて・固まって・また歩き出すのサイクルを繰り返している。

 そしてノーラ以上に目を白黒させて驚いているのが、ノーラを見た “魔法の国の住人” である。

 ワンピースのチュニックを着て毛むくじゃらの猫耳幼女を見ては、驚かない方がおかしい。

 中には声を掛けてきたり、スマホのカメラを向ける者もいた。

 最初は自分の麦わら帽を被らせて隠していたが、焼け石に水だったのですぐに開き直った。

 リンダはさも当然といった顔つきで、猫人の幼女の手を引いた。

 引くしかなかった。

 いっそ “アニメイト” の袋でも持たせてやろうかとさえ思った。


「な、なんニャ!? 地下に潜るのか!? 迷宮探索か!?」


「そうよ、迷宮探索よ。危ないからはぐれないでよ。消失ロストするわよ」


 あながち的を外してないノーラの驚愕に、リンダは心底うんざりした。

 “都庁前” はそれほどでもないが “新宿” などはまさしく地下迷宮だ。

 まったくテンションが下がる。

 自分の中を駆け巡っている激しい衝動に水が差される気がして苛つく。

 今は子守りなんてしている場合ではないのに。

 どうしてこんな子供を連れてきてしまったんだか。


 


 この慣れ親しんだ空気が、自分を


「な、なんニャ! 階段が動いてるニャ! 魔法の階段ニャ!」


 今度は上りのエスカレーターを見て固まる猫人幼女。

 お約束過ぎて笑いも浮かばない。


「いちいち驚かないでよ、目立つでしょ」


 これから “その手のイベント” に行く姉妹という設定なのだ。

 ちゃんとロールプレイをしてくれないと、ただでさえ目立つのにさらに注目を浴びてしまう。

 お財布ケータイがないので券売機で切符を買わなければならなかったが、混雑している上にノーラの手を離すわけにはいかないので、已むを得ず窓口で買う。

 駅員がギョッとした顔で連れを見たが、


「浦安のイベントに行くんです。朝から気合い入れてメイクしました」


 と作り笑顔を浮かべたら、あっさり納得された。納得されただけでなく感動された。

 どんだけオタク文化が浸透してるんだか。

 こうしてリンダは、ようやく最寄り駅のホームに下りることが出来た。

 目的地に向かう最初の電車に乗るだけで、精根が尽き果てる気がした。


「――て、鉄の大蛇サーペントニャ! 鉄の大蛇に食べられるニャ!」


 ホームに入ってきた電車を見て、その電車のドアが開いたのを見て、ノーラが仰天したのは言うまでもない。



 地下迷宮の “新宿駅” で乗り換え、さらに “東京駅” で京葉線の快速へ。

 ノーラは最初こそ怯えていたが、すぐに窓の外を流れる景色に吸い込まれるように魅入ってしまった。

 静かになった猫人幼女にホッとしたのもつかの間、そのノーラがポロポロと涙を零している。

 リンダは周囲の視線を気にして、小声で耳打ちした。


「……ちょっと、なに泣いてるのよ?」


「……凄いにゃ……こんなの初めて見たにゃ……」


「~そりゃそうでしょうよ」


「……マンマにも……マンマにも見せてあげたいにゃ……」


 何かに撃ち抜かれた気がして、リンダはまたしても苛立った。

 初めて見る景色に感動した子供が、母親にもその景色を見せてやりたいと思うのは極々自然な感情だ。

 なにも驚くようなことではない。

 自分が体験した感動を、自分の大切な人と共有したい。

 人として当然の願望であり欲求だ。

 そんな当たり前の感情に、なぜ自分はこうも動揺しているのか。


「……どうでもいいけど、静かにしててよね」


 すでに静かにしているノーラに向けて、リンダは呟いた。



 京葉線の “舞浜駅” を出ると、プンッと磯の香りが鼻をついた。

 以前来たときには気づかなかった香りだ。


(……これもあの娘の “イメージ” のせい? 実際にはどうだったっけ)


「な、なんニャ、この匂いは!? 初めて嗅ぐ匂いニャ!!」


「~だから、これが海の匂いよ」


 リンダは頭を抑えて呻いた。

 つい先ほどまで大変だったのだ。

 それまで静かに感動していたノーラが海が見えた瞬間 “大ハッスル” してしまい、なだめるのに苦労したこと苦労したこと……。

 いや、わかる。

 子供が初めて “海” を見たのだ。

 それは興奮して、はしゃいで、ハッスルするだろう。

 ましてノーラは、あの城塞都市以外の世界を知らずに生きてきた子である。

 せいぜい母親から話を聞くか、運が良ければ絵に描かれたものを見られた程度だろう。

 だから理解はできるのだが……。

 だが……。


(何度もしつこいようだけど、あたしはここに子守りに来たんじゃないのよ……)


 本当にいちいちテンションが下がる。

 ノーラが子供らしい反応をするたびに、いちいち毒気が抜かれる。

 自分にはなによりも毒気が必要なのに――だ。


「ニャ!? この匂いは!」


「だから、それは海の――」


「違うニャ! これはエバの匂いニャ!」


 鼻をクンクン、ヒクヒクさせて、ノーラが辺りの匂いを嗅ぐ。


「ちょっと、あなたあの娘の匂いがわかるの!?」


「もちろんニャ! この世界の空気は “エーテル” の匂いがしないから、“アカシニア” よりハッキリわかるニャ!」


 エーテルに匂いがあるなんて初耳だが、今はそれよりも――だ。

 もしノーラの話が本当なら、警察犬ならぬ盗賊猫としてあの娘の跡を追うことができる。


「いいわよ。やっとあんたの使い道が見つかった!」


「失敬ニャ! ニャーはいつでも “お任せ”ニャ!」


「意味わかんないわよ! とにかくあの娘のあとを追って!」


「あい・あい・にゃー!」


 そしてふたりは、瑞穂の残り香をたどる。

 案の定、匂いはすぐ近くのテーマパーク、“デゼニーランド” に向かっていた。


 チケットセンターでパスポートを二枚購入する。

 あの娘たちがどのアトラクションにいるのかわからないのだから、多少高くつくのも仕方がない。

 抽選もなく、オンライン購入の必要もなかった。

 やはり、この世界では新型コロナは流行っていない。

 ただ購入する際、特殊メイクをしていると思われ、お断りされかけたが、


『そういう “病気” なのよ』


 ――の一言で、呆気なく入場を許された。

 イメージが何よりも優先される企業であり商売である。

 SNS上で障害者差別など拡散された日には、売り子とその上司の首が飛ぶ程度はすまない。


 無事にチケットを購入し入場を許されたふたりは、猫の鼻を頼りに瑞穂の跡を追う。


「あのお城はにゃ」


 普段 “レッドパレス” を見慣れているノーラが、このテーマパークの顔ともいえる “プリンセス・キャッスル” を見てバッサリと斬り捨てた。

 ノーラは友人の匂いを追って、迷うことなく一直線に進む。

 そして……。


「……なによこれ。いったい、なんの冗談」


 行きついたアトラクションの前で、リンダが嫌悪感も露わに吐き捨てた。



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迷宮保険、初のスピンオフ

『推しの子の迷宮 ~迷宮保険員エバのダンジョン配信~』

連載開始

エバさんが大活躍する、現代ダンジョン配信物!?です。

本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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迷宮無頼漢たちの生命保険

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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