紫衣の魔女★
その瞬間、雷鳴のような沈黙が戦場を切り裂きました。
誰も彼も、騎士も兵士も探索者も、魔物さえもが声を失う中、獣人たちの大軍が割れていきます。
静々と、粛々と、整然と、魔物の大軍勢の真ん中に一本の道が出来ていったのです。
そして……わたしたちは見たのです。
蒼白い月光に照らされた紫の
いっさいの飾り気のない、紫一色で染め上げられた法衣。
目深に被ったつば広帽で、容貌も表情も窺い知ることは出来ません。
わずかに見えるのは、まっ白な肌と完璧なまでに整った深紅の唇のみ。
その口元に微笑を浮かべて、その人がわたしたちに向かって歩いてきます。
皆が皆、全員が全員、声を上げるどころか瞬きひとつ出来ません。
人も、魔物も、戦場にいるすべての存在が “
風の音すら、やんでいました。
それは……畏怖という名の静寂でした。
同時に、確信したのです。
“彼女” が来たのだと。
城塞都市に生活するすべての人々に、恐怖と絶望と敗北と死と灰をもたらすために、地下迷宮の最奥から “彼女” がやって来たのだと。
“彼女” が……来たのです。
https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669534847935
「――
押し潰されるような静寂を破って、アッシュロードさんの絶叫が――悲鳴が響きわたりました。
◆◇◆
その気配を感じたとき、アッシュロードは自分が “賭け” に負けたことを悟った。
かつて地下迷宮の最深部で対峙した絶対の “圧”
それが敵軍の奥からこちらに向かって近づいてくる。
背中合わせに互いをかばい合っていたドーラにも緊張が走り猫背になった。
相棒も、その “圧” を察したようだ。
声を発することが出来ない。
ただ顔だけが動き、ふたりしてその気配の方に向いた。いや、向けさせられた。
決して無視はできない。
無視はさせない――という意思さえ感じる圧力だった。
そして……そして、なによりも怖ろしいのが、この圧力がけっして
神ならざる、悪魔ならざる、魔物ならざるただの人間が、魔王にも匹敵する気配を身に宿し、まだ姿すら現さないのに戦場を支配・屈服させている。
統制などという言葉とは無縁の粗雑で粗暴な “
夜目の効く獣人には必要のない松明が、その両端にボッ……ボッ……ボッ……と、まるで主演女優の登場を知らせる先触れのように点っていく。
アッシュロードが、ドーラが、城壁を守るすべての兵士たちが、その光景を前に魂を抜かれた。
身体を貫いていた畏怖の念さえ忘れ去った。
指一本。
瞬きひとつ。
動かせない。
出来ない。
満ち月が煌々と照らす蒼白い夜空の下、紫のローブをまとった女が、獣人たちが開けた道をとおって真っ直ぐに歩いてくる。
遠目に見てもそれが女だと、誰もがわかった。
いや、最初から女だとしか思ってないなかった。
こんな真似が出来るのは “彼女” しかいないのだから。
飾り気のない紫一色のローブが城門に、アッシュロードとドーラに近づいてくる。
“カドルトス寺院” の因業坊主どもが身に付けているような、ゴテゴテとした虚仮威しの装飾などは一切ない。
染みひとつない、最も高いの熱量を示す光色。
つば広帽を目深に被っているためその容貌は窺い知れず、ただ新雪のようにまっ白な口元と、それとは対照的な深紅の唇が見えるだけだ。
女は気負うことなく、まるで勝手知ったる自分の庭園を散策する貴婦人のような足取りで、こちらに向かってくる。
そしてアッシュロードたちから五〇メートルほどの距離を隔てて、ついに立ち止まった。
“――久しぶりね”
魔女がそう微笑んだような気がした。
呪縛が解けた。
すくなくとも、アッシュロードとドーラの二人だけは。
それはまさに、かつて相対した旧友ふたりへのアンドリーナの慈悲だった。
「――
アッシュロードは振り返ると、背後の城門・城壁に向かって声の限りに叫んだ。
「“対滅” が来るぞーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
もはや破滅は避けられない。
崩壊を防ぐ手立てはない。
その時、アッシュロードは見た。
視線の先――城壁上の胸壁の狭間に、白地に青の僧服をまとった
――馬っ鹿野郎っ!!! なんでおまえがそこにいるっ!!!
そして、光が彼の視界を覆い尽くした。
◆◇◆
「――
押し潰されるような静寂を破って、アッシュロードさんの絶叫が――悲鳴が響きわたりました。
「“対滅” が来るぞーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
“対滅” ……?
“対滅” !!?
それは魔術師系最大位階に属する、最大最強にして究極の破壊呪文!
純力 = 物質量 × 光速力 × 光速力
魔術を志す者なら誰もが知っている、最も有名な魔導方程式から導き出される
「逃げて――逃げてくださーーーーーーいっ!!!! “対滅” が―― “アカシック・アナイアレイター” が――」
絶叫した瞬間、光がわたしの視界を覆い尽くしました。
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