カタストロフ

 その衝撃は、堅牢な石造りの “獅子の泉亭” を土台から揺るがした。

 酒瓶や陶杯が次々に床に砕け、窓という窓が店の内側に向かって粉々に砕け飛ぶ。


 宿の一階の酒場で溢れ返る負傷者の治療に追われていたハンナは、咄嗟に自分が手当てをしている探索者に覆い被さり、陶器やガラスの破片から守った。

 衝撃は瞬間的なものですぐに治まったが、天井から落ちてきた大量の埃で酒場にいた全員がまっ白になった。

 噎せ返る者が続出する。


 衝撃は外郭城門の方から届いた。

 ハンナは酷い耳鳴りにも気づかずに、蒼白な顔で南東の方角を見た。

 彼女の大切な人々のいるはずの方角を。

 あの一件以来、再び悪魔に心臓を鷲掴みにされたような思いに襲われ、彼女は恐怖した。


◆◇◆


 “食人鬼オーガ” に襲われた人族ヒューマンの女と猫人フェルミスの幼女を救ったダイモンたちは、ふたりを逃がしたあとも近くの家屋の軒下に座り込んでいた。

 探索者レベル1の彼らが、モンスターレベル4の魔物を倒したのである。

 “昏睡ディープ・スリープ” の呪文が運良く通ったとはいえ、これまでの彼らた相手にしてきた魔物を考えれば大戦果であったが、その反動も大きく、疲労困憊ですぐには動くに動けなかった。

 打ち鳴らされる鉦鼓の拍子が、彼らに外郭城門への集合を命じていたが、立ち上がることすらできない。


 そしてそのことが、彼らを “敵の魔法に巻き込まれて城門で戦死” という悲運から救った。

 彼らは貧民街の家屋ともども衝撃波に打ちのめされ、倒れ伏し、昏倒した。

 次に彼らが目覚めたとき、すべては終わっていた。


◆◇◆


「逃げて――逃げてくださーーーーーーいっ!!!! “対滅” が―― “アカシック・アナイアレイター” が――」


「――盾の壁!」


 待避も回避も間に合わないと悟ったレットさんが叫びました!


「こなくそっ!」


「……ぬぅ!」


 ジグさんとカドモフさんがレットさんと共に、わたしたち後衛かばって防御の陣形を組みます!

 フェルさんが “神璧グレイト・ウォール” の加護を願い、その祝詞が結ばれた直後――。


 光が視界を覆い尽くしました。


◆◇◆


 アッシュロードは城塞都市外郭双塔城門キープ・ゲートハウスを中心に生じた、凄まじい衝撃波によって吹き飛ばされた。

 閃光から顔を背けるのが精一杯で、“耐衝撃ショック、耐閃光防御” は間に合わなかった。

 軽く二〇メートル以上宙を舞い、覇王の道から外れた草むらの上に叩きつけた。

 いかに軟土の上だったとは言え、彼が意識を失わずに済んだのは、身にまとっていた “悪の鎧イビル・アーマー” の強力な呪詛による防御効果のお陰だった。

 彼はよろよろと、戦士の本能で手放さなかった “悪の曲剣イビル・サーバー” を地面に突き刺し、立ち上がった。

 切れ味の鋭すぎる剣は半ば以上が大地に突き刺さり、支えとしてはほとんど役に立たなかったが、それでもどうにかアッシュロードは身体を起すことができた。


 それから見た。


 顔を上げた視線の先、濛々たる土埃が薄れるにつれて、ついたった今、直前までそこに存在していたはずの城門が完全に消し飛んでいる様子を。

 自分たちが守り、支え、そして守られ、支えられてきた強大で堅牢無比な外郭城門は、文字どおり消失していた。

 それは信じられない光景だった。

 巨大建築の何たるかを誰よりも知るドワーフの匠たちが、長い年月と莫大な巨費を投じて建造した世界最大級の防御構造物が、たったひとりの魔女のたった一言の呪文で世界から消え去ってしまったのである。

 そして……それ以上に信じられないのは、

 その両隣で城門を支えていた防御塔も、上部かけられた歩廊や胸壁も、損害は激しいものの形を留めているのである。


 迷宮金貨一枚が完全に “純力” に変換された場合、帝都 “大アカシニア” が

 “対消滅” の物質量から純力へのエネルギー変換効率はほぼ一〇〇パーセント。

 使のだ。

 攻城戦では手中に収めるべき城塞や城を、野戦では自軍までも、まとめて吹き飛ばしてしまう。

 それを……見事に攻城の障害となる城門だけを破壊したのだ。

 城門を破壊するのに必要なだけの極小の物質を爆心点グランド・ゼロに形成し、それと正反対の属性を持つ物質を並行世界マルチバースに生成、現世界ユニバースに統合・衝突させ “対消滅” を起す。

 言うは易い。だが、実際にそんな真似が出来るのは神か魔王ぐらいだ。


 アッシュロードはその完璧としか言い様がない魔法制御にこそ、激しい怖れ抱いた。

 これで自分たちが守るべき城塞都市は丸裸になった。

 しかも城門を守っていた兵士の大半は爆発に巻き込まれて四散したか、生きていたとしても人事不省でもはや防衛の役には立たない。


 アンドリーナは右手を挙げ、彼女の軍勢に “総掛かり” をうながした。

 “犬面の獣人コボルド” や “オークゴブリン” の大軍勢が、一斉に足踏みを始める。


 ザンッ! ザンッ! ザンッ! ザンッ ザンッ!


 巻き起こる土煙。

 今や “迷宮軍” の士気は蒼月の夜空を貫き、眠りに微睡む天界にも届かんばかりだった。

 紫衣の魔女が右手を振り下ろしかけた、まさにその瞬間。

 アッシュロードは足の裏に徐々に感じ始めた微かな振動に、ウンザリした思いになった。

 それは獣人たちの逸る戦意を示す足踏みではなかった。


(……まったく……本当によく言ったもんだ)


 “最悪の状況に限って、最悪の事態は訪れる”


 探索者の間で交わされる冗句であり、忌避すべき法則。

 アッシュロードが勝負を決めるために放った一手が、遅ればせながら戦場に姿を現したのだ。

 巨大な鉄砲水の大濁流が、言葉どおりの津波となって獣人軍を呑み込んでいった。


◆◇◆


「――なんだって?」


 “王城レッドパレス” 最奥の帝国軍最高司令部で、伝令から前線指揮官であるアッシュロードからの言伝を伝えられた “トリニティ・レイン” は、まず呆れ、次いで懐かしい思いに囚われた。

 まったくあの男は……魔女アンドリーナの討伐を目指して、迷宮を駆けずり回っていた頃から何も変わっていない。

 生き残るために勝つためにいつも “悪巧み” を巡らせていて、転んでもただでは起きない。

 時に突拍子もないことを言い出してパーティの仲間を唖然とさせたが、よくよく考えるとそのすべてが理に適っている。


 そしてその突拍子もない “悪巧み” を形にして実現させるのが、自分の役目だった。

 およそ才能ある者にとって、自分の能力を認められた上でこき使われることほど快感はない。

 トリニティの場合、それは魔術ではなく頭脳だ。

 魔術を含めたこの脳髄の価値を理解された上でこき使われてこそ、彼女は快感エクスタシーを感じることが出来るのだ。

 トリニティは、目の前の巨大な作戦卓に広げられている城塞都市周辺の地図に視線を落とし、自分の記憶の中の景色と照合し、鳥となって大空からすべてを俯瞰する。

 理がもっともなら、あとはそれを成し遂げる算段をすればいい。


 そして今――。


 王城から “転移テレポート” の呪文で瞬間移動してきた彼女の眼前には、V字に切り立った峻険な峡谷の出口があった。

 ルタリウス大陸の中央部に位置する広大な平野部を、ゆったりと流れる母なる大河 “シルバーラサ”

 この峡谷はそのシルバーラサに合流する数多ある河川のひとつで、城塞都市帝都 “大アカシニア” にもっとも近いだった。


 アッシュロードからの伝令兵曰く、


 “どこでもいいからで河を堰き止めて、鉄砲水を起して敵を押し流せ”


 この “大アカシニア神聖統一帝国” の筆頭国務大臣に向かってよくも言ったり――だ。

 しかし理に適っている。

 あの城塞都市を救うには、これしか手はないだろう。

 あるとすれば、自分が “相互確証破壊”上等でアンドリーナと “対滅” を撃ち合うことぐらいだ。

 それも相打ち覚悟の半ばやけっぱちの戦術だ。

 例え勝てたにしても被害は甚大で、もはや都市は灰塵に帰しているだろう。

 果たしてそれが勝利と言えるのかどうか。


 トリニティは心を静め、呪文の詠唱を開始した。

 魔術師系第六位階の冷凍系最上位呪文 “絶零アブソリュート・ゼロ” 。

 “リーンガミル聖王国” 出身の魔術師メイジにしか使えない、このあらゆる原子運動を極限まで停止させる絶対零度の魔法で、この峡谷に氷の栓をする。

 魔軍を壊滅させるに必要な十分な容量の水が峡谷全体を満たしたら、今度はその栓を “対滅” で破壊し、人工的な鉄砲水を作り出して城塞都市に向かって解き放つ。

 巨大で強大な濁流が、すべてを押し流すだろう。

 アッシュロードは伝令兵を通じて最後に言った。


 “街は城門を強化して俺が守る。だから遠慮せずにぶっ放せ” ――と。


 しかし、トリニティは知らなかった。

 これからしばらく後、その城門がアンドリーナの手によって消滅させられてしまうことを。



---------------------------------------------------------------------------

プロローグを完全オーディオドラマ化

出演:小倉結衣 他

プロの声優による、迫真の迷宮探索譚

下記のチャンネルにて好評配信中。

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る