迷宮リアル鬼ごっこ

 円卓の空気は最悪だった。


 “獅子の泉亭” は四匹の獣憑きライカンスロープの襲撃から一日だけ官憲による現場検証と修繕のために閉鎖されたが、その翌日には営業を再開した。

 設備や備品に被害は出たものの従業員に犠牲者はなく、主な客筋である探索者はそもそも立ち直りが早い。

 仲間や顔見知りの無残な死に様を目の当たりにしても、少なくとも表面上は引きずったりはしない。

 彼らにとって日常茶飯事なのだ。


 それでも、その円卓の空気は最悪だった。

 椅子代わりの洋樽に腰を下ろしているのは五人。

 全員が人族ヒューマン

 男が四人。

 女が一人。


「……調子はどうだ?」


 リーダーである戦士のダイモンが、視線を傷だらけの卓に落としたまま訊ねた。

 酷くやつれた顔である。


「いいわけねえだろ」


 魔術師のエドガーが脊髄反射的に答える。

 普段は鬱陶しく、時に苦々しく思えるエドガーの向こうっ気の強い性格だが、今はありがたい……とダイモンは思った。

 最悪、無反応ではない。


 他の三人。


 戦士のクリス。

 魔術師のセダ。

 そして盗賊リンダ。


 は、やはりやつれ果てた顔でだんまりを決め込んでいた。


『……そんなわかりきったこと聞くな、バカ』


 トゲトゲしい気配が伝わってくる。

 ダイモンは、わびしい溜め息を胸の内で漏らした。

 彼らは一週間前の初めての迷宮探索で全滅し、仲間の一人の奮闘で運良く――本当に運良く全員が蘇生できたのだった。


 その仲間……エバ・ライスライト。

 本名、“枝葉えば 瑞穂みずほ” は、もうこのパーティにはいない。


 迷宮で身ぐるみはがされた彼らは、蘇生後に彼女から手渡された一人 200 D.G.P. に満たない金でこの宿で一番安い簡易寝台に泊まり、生命力ヒットポイント の回復に務めていた。

 蘇生直後は満足に動くこともできなかった彼らだが、ようやく階下に下りてこられるほどには回復したのだった。


 ダイモンは、胸の内でもう一度やるせない吐息を漏らした。

 今ここにエバがいれば、こんなにも重苦しい空気にはならなかっただろう。

 “鈍臭い不思議ちゃん” などと仲間内からは思われていたが、彼女は明るく、優しく、前向きで、よく気がつき、パーティの潤滑剤として欠くべからざる存在だった。


 先にたったひとり蘇生を果たしたエバは、そこから普段の彼女からは考えられない行動力を発揮し、獅子奮迅の働きで迷宮から彼らを回収し、全員の蘇生にまでこぎ着けた。

 その結果、4,500 D.G.P. という駆け出し探索者にとっては重すぎる額の借金まで背負ってしまった。

 そこまでパーティに、友人たちに尽くしてくれた彼女を、やむにやまれぬ事情があったとはいえ、自分たちは放逐してしまった。


 エバは、パーティで 唯一の回復役ヒーラーでもあった。

 彼女がいれば、その魔法で自分たちの体力ももっと効率的に回復できたはずだった。

 彼らは未だ全快にはほど遠く、再び迷宮に潜って金を稼ぐこともままならない。

 このままでは体力回復効果の低い簡易寝台に泊まり続け、ジリジリと所持金が減っていくばかりだった。

 そのエバはパーティを抜けた翌日にはまた迷宮に潜り、翌々日には新しいパーティを見つけて加わっていた。


 レベルも今や4。

 いまなおレベル1に留まっている自分たちより、一歩も二歩も先んじてしまっている。

 さらには熟練者マスタークラス君主ロードや忍者にも知己を得たらしく、自分たちがベッドに伏せている間にあっという間に新しい居場所を見つけて収まってしまった。


 俺たちはいったい彼女の何を見ていたんだ……と、ダイモンは忸怩たる思いを抱かざるを得ない。

 鈍臭い不思議ちゃんだなんて、とんでもない。

 その勇気も、決断力も、行動力も、自分たちの中では一頭地を抜いているではないか。

 自分たちが彼女を追放したのではない。

 自分たちが彼女に見限られたのだ。

 真実はどうであれ、それが事実だろう。

 そしてそれはダイモンだけでなく、ここにいる全員の胸に去来している思いだった。


「……みんな、聞いてくれ」


 それでもダイモンはリーダーとして、今度こそ最悪の事態を回避すべく行動しなければ、決断しなければならなかった。


「……このままじゃジリ貧だ。エバに代わる回復役ヒーラーを見つけない限り、身体が元通りになるころには金が尽きて新しい装備も買えなくなっちまう」


「だから具体的にどうするんだよ?」


 エドガーが苛立ちを隠せずに聞き返した。


回復役ヒーラーは引く手数多なんだぜ。俺たちみたいな装備もないパーティに入ってくれる奴なんているのかよ」


 実は彼だけは生命力が全快していた。

 一度蘇生に失敗して灰と化したエドガーは、より上位の加護である 男神の名を冠する、“魂還カドルトス” の加護を受けていたのだ。

 この加護は灰からの肉体の再生のみならず、失われた生命力すらも全快させてしまう。

 だが、逆にそれがエドガーの苛立ちを募らせていた。

 動けるのに動けない――彼の性格的にこれほどストレスの溜まる状況はなかった。


「……回復役を雇おう」


「あ?」


「……最低限の装備を買った残りの金で、回復役を雇うんだ」


 ダイモンには、もうそれしかないという思いが強い。

 エドガーの言葉は的を射ているのだ。

 こんな装備もない上に半病人なパーティに入ってくれる回復役なんていない。

 それなら雇うしかない。

 金を払って、あるいはその日の稼ぎの何割かを支払う条件で雇うのだ。


「本気で言ってるのか?」


「……ああ。他にもう手はないと思う」


「……」


 もはや、会話はダイモンとエドガーの間だけで行われていた。

 他の三人はうつろな表情で、リーダーの戦士と魔術師の会話を聞き流している。


「……このままじゃ、エバに借りてる金も返せねえ。金を返せなけりゃ、あいつ借金奴隷になっちまう」


 ガタッ、


 エバの名が出た途端、リンダが椅子代わりの洋樽を倒す勢いで立ち上がった。


「そんなの駄目よ! これ以上あの娘に借りを作るなんて!」


 狂気を宿した目で叫び、周りの円卓の探索者が何事かと顔を向ける。


「そんなの駄目……絶対に……絶対に許さない……絶対……」


 ブツブツと呟き続けるリンダを、ダイモンとセダがノロノロとした動作でなだめる。

 その様子をもう一人の戦士であるクリスが、冷めた視線で見つめていた。


◆◇◆


『……解せぬ』


 と言った様子で愛らしい眉間に皺を寄せたパーシャが、手元の羊皮紙をのぞき込んでいます。

 今わたしたちがいるのは、迷宮一階の北西区域エリアです。

 パーシャがのぞき込んでいるのは、彼女が丹精を込めて描き込んでいるその地図です。

 “死人占い師の杖ロッド・オブ・ネクロマンシー” を使った念視によると、寺院から アレクサンデル・タグマンさんは、この区域のどこかにいるはずなのですが……。

 ほぼほぼすべての玄室や回廊をしらみつぶしに調べたにも関わらず、アレクさんを発見することが叶いません。


「どうだ?」


「う~ん、今あたいたちがいるのがここ――迷宮の入り口から “7、18”。この三×三区画ブロックの玄室の真ん中なんだけど、これで北西区域は玄室も回廊も全部調べたんだよね」


『……解せぬ』


 といった表情を崩さないまま、パーシャがレットさんに答えました。


「“腐乱死体ゾンビ” っていや、ノロマの代名詞みたいな怪物だろ? それがなんで見つからないんだ?」


「それがわからないから悩んでるんでしょ!」


 横から地図をのぞき込んだジグさんをパーシャが蹴っ飛ばしますが、そうそう何度も蹴られるジグさんではありません。

 ひらりと身をかわすと、おどけたように肩をすくめて見せます。


「……ぐぬぬぬ!」


「いくら魔法の明かりを灯してないからって、動きの遅い “腐乱死体” がいるのを見逃すとも思えないし……確かに変ね」


 フェルさんもいぶかしげに小首を傾げています。


「エバ、あなたが念視したアレクはどんな様子だったの?」


「“腐乱死体ゾンビ” とはいってもまだばかりなので、腐敗は進んでいません。(かなり)顔色の悪い男性といった感じでした」


「それなら、多少は他の “腐乱死体” よりも素早く移動できるか」


「問題はそこじゃないよ。“腐乱死体” には知能がないから、本能的に早く動き回る必要がない限りノロマなのは変わりないんだよ」


「要するに、どういうことだ?」


「生者を襲う場合でもない限り、他の “腐乱死体” と動きは変わらないってこと」


「……なるほど」


「つまり、アレクの動きが速くて捕捉できてないってわけじゃないんだな?」


「そういうこと」


 ジグさんを一蹴したパーシャが、レットさんに頷きます。


「そうだとすると、他に考えられるのは――」


「「隠し扉シークレット・ドア」」


 フェルさんの言葉に、わたしとパーシャが同時に答え、“うん!” と頷き合いました。

 わたしとパーシャはあの救出行の折に、偶然発見した “隠し扉” の奥で悲しい目をした悪霊と出会ったのです。

 お金ができたら、あの時に手渡された “KEY?” の鑑定もしなければなりません。


「ほら見て。この北西区画にはまだ行けてない場所空白地帯が、ここと、ここと、ここにあるんだ」


 パーシャが子供のように小さな指で地図を次々に指し示します。


「この玄室の南にもそういう場所がある」


「どうしますか? “短明ライト” の加護を願いますか?」


 わたしはレットさんに訊ねました。

 隠し扉を見つけるには、今灯している角灯ランタンよりも強い光が必要なのですが、同じ位階に “小癒ライト・キュア” の加護があるので、これまで嘆願することを控えてきたのです。


「よし、使おう」


 レットさんが即断しました。


「ここで一度使っても、フェルとエバでまだ九回 “小癒” が使える。この階なら十分すぎる回数だ」


 わたしたちはこの玄室に来るまで四回魔物と遭遇し、その全てを撃退しました。

 “バブリースライム” ×5

 “犬面の獣人コボルド” ×3

 “野盗ブッシュワッカー” ×4


 都合一二匹の魔物を倒して合計 250 D.G.P. ほどのお金を得ましたが、全員が無傷です。

 パーティ全員がレベル4になると、よほどのことがない限り地下一階の魔物は脅威ではなくなるようです。


「……僧侶をふたり入れて正解だった」


 それまで黙々と周囲の警戒を続けていてくれたカドモフさんが、玄室の暗闇に注意を向けながら呟きました。

 そう言ってもらえると、本当に嬉しいです。


「エバ、頼む」


「はい」


 レットさんの指示を受けて、わたしは精神を統一し女神さまに祈りを捧げました。


「慈母なる女神 “ニルダニス” よ。夜を怖れる幼子たちに、どうか闇を祓う光をお恵みください―― “短明ライト” !」


 祝詞を唱え終わると、わたしを中心に眩しくも柔らかい光が発生して辺りを照らしました。

 短時間ながら角灯ランタン松明トーチとは比較にならない光量を生み出す加護です。


「レット、見て! あそこだよ!」


 パーシャが南東の角、その南側の壁を指差しました。

 魔法の光に照らされて、今までは見えなかった扉が浮かび上がっています。


「よし、探ってみよう」


 レットさんがロングソード 手にみんなをうながします。

 すぐに斥候スカウトであるジグさんが扉に向かい、全員がその後に続きます。

 いつもどおり慎重に扉に耳を当てて、中の様子を探る――。


 バンッ!


 その時、突然扉が内側から勢い良く開きました!


「おおっと!」


 ジグさんが飛び退って、頑丈な扉に殴打されるのを避けます!

 凄い反射神経です!

 扉の奥は南に続く長い回廊になっていて、そこから飛び出してきたのは――。


「アレクさん!?」


 それは青緑色の皮膚をした、わたしが “死人占い師の杖” を使って念視したアレクサンデル・タグマンさんその人でした。


「きゃっ!」


 アレクさんはわたしを突き飛ばして包囲の一角を崩し、玄室東の扉に向かって走りました。


「エバ、大丈夫!?」


「だ、大丈夫」


 顔を顰めて、駆け寄ってくれたパーシャに答えます。

 お尻を強かに打ちましたが、それよりも今は――。


「追え!」


 レットさんが叫びます。

 ですが、その時にはもうアレクさんの姿は扉の向こうに消えていました。


「な、なんだ、今のは?」


 身軽さが身上のジグさんが、呆然とアレクさんの消えた扉を見やります。

 生まれながらの君主ロードであるアレクさんです。

 その能力値は、ほぼすべての項目で種族上限に近いはずです。

 まして今は疲れも痛みも感じない、不死者の身。

 身体を労る必要のない動きは、あるいはマスターニンジャのドーラさんをしのぐ素早さを引き出しているのです。

 そしてなにより、アレクさんの目には激しい “怯え” がありました。


 つまり彼にはまだ理性が――



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