トモダチの部屋★

 わたしとパーシャの見上げる先――。

 そこにいたのは、角と長い牙を持つ、恐ろしい形相をした “豚面”の巨大な悪魔でした。


 身の丈、三メートル以上。

 でっぷりと太った腕回り、胸回り、お腹回り、顔回り。

 上顎から長い牙が二本。

 下顎から、それ以上に長い牙がやはり二本、飛び出ていて――。

 背中に生えた大きな蝙蝠の羽が、この魔物が “悪魔系” の魔物であることを示していました。

 その醜くたわんだ悪魔の脂ぎって吹き出物だらけの顔が、わたしたちを見下ろしています。


 わたしは恐怖のあまり立ち竦んでしまいました。

 金縛りにあったように指一本動かすことができません。


(む、無理。絶対に無理。こんなのに勝てるわけない。一瞬で潰されちゃう)


  “オークゴブリン” とも “犬面の獣人コボルド” とも “みすぼらしい男ならず者” たちとも違う。

 わたしがこれまでに遭遇したどの魔物ともレベルが違うのが、肌で、直感で、本能で感じ取れました。


「……ああ」


 パーシャの口から漏れる、絶望の吐息。

 濁った真っ赤な瞳が、わたしとパーシャを見つめています。

 小さな小さな、黒い瞳孔。


 でも……。

 でも、わたしは、どこかでこの瞳を……この表情を見たことがあります。


 寂しげで、痛々しくて、そのくせ、どこかこちらに

 わたしはこの瞳を知っています。

 居場所がなくて、誰からも相手にされなくて。

 いつも独りぼっちで。

 それでも一生懸命 好かれようと、好かれたいと願う瞳。

 わたしの知っている、“あの子” と同じ瞳。


「に、逃げて、エバ!」


 その時、不意に硬直が解けたパーシャが叫びました。

 わたしの手をつかんで、玄室の “隠し扉” へと引っ張ります。


「待ってください、パーシャ」


 わたしは悪魔の瞳から目を逸らさずに、パーシャの反応に抗いました。


「ど、どうしたってのよ!?」


「たぶん、大丈夫です」


 わたしはそういうと、パーシャの手から離れて一歩踏み出しました。


「あんた、悪魔に魅入られちゃったの!?」


 パーシャの悲鳴が玄室に響きます。

 でも、わたしは構わずに悪魔に近づきました。

 さっきまで感じていた恐怖は、もうどこかに消え去っていて。

 魅入られてはいません。

 ただ、知っているんです。


「あなた……何かわたしたちに伝えたいことがあるのですか?」


 紅玉のような瞳を見つめて、わたしは訊ねました。

 悪魔は何も言わずに、掌を差し出します。


「エバッ!?」


「大丈夫」


 差し出された掌には、ぼんやりと光る “何か” が乗せられていました。


「これをわたしたちに……?」


 悪魔は何も答えず、ただわたしに手を差し出しています。

 わたしはうなずくと、大きな掌からそれを受け取りました。


「ありがとう」


 お礼をいった直後、悪魔の姿が急速に薄まり、ぼやけ始めます。


「――あ、待って」


 しかし引き止める間もなく、巨大な悪魔は玄室の暗闇に霧散してしまいました。


「悪魔ではなく……霊体エンティティ……?」


 パーシャが呆然と、悪魔の消えた宙空に呟きます。


「……これは?」


 わたしは手渡された品を見ました。

 それは掌の上で薄らぼんやりと光っていて、どんな形をしているのか一見してわかりません。


「なにを渡されたの?」


「わからないのです。なんでしょうか、これ?」


 パーシャと魔物にもらった品を調べますが……。


KEY ?……かなぁ」


「そんな風にも見えますね」


「う~ん。ダメだね。不確定品じゃ、あたいらには判別できないよ。ボッタクリ親父の店か、モグリの司教ビショップに頼んで鑑定してもらわないと」


 迷宮で入手したアイテムは、この品のように往々にして “不確定品” と呼ばれる状態ステータスで手に入ります。

 この状態ではどんな品なのかおおよその見当しかつかないため、ボルザッグさんのお店で鑑定を依頼するか、同じく “鑑定” の職能を授かっている司教に頼んで識別してもらうしかありません。

 ただ、ボルザッグさんのお店では鑑定料が買い取り料となため、持ち込んだ探索者に儲けが出ず、滅多に利用されることがないそうです。当然ですよね。

 ボルザッグさんのお店が、“ボッタクリ商店” と呼ばれる所以です。


 念の為、わたしとパーシャは玄室の南側付近を調べてみましたが、壁に通りがかり?のエルフが残したと思われる、『この辺りに悪霊がいる……』ような意味の殴り書きがみつかっただけでした。


「悪霊というのは、さっきの “子” のことでしょうか?」


「たぶん」


「とりあえず、これは持っていきましょう。あとで何かの役に立つかもしれませんし」


「賛成」


 わたしとパーシャは、これ以上この玄室ですることはないと判断して、再び彼女の友だちが待っている “トモダチの部屋” に向かいました。

 “悪霊の玄室” の北の隠し扉から出て、慎重に来た道を戻ります。

 まずは西に一区画ブロック

 そして突き当たりの扉に耳を当てて、魔物の気配がないのを確かめてから押し開きます。

 扉を潜ると、一区画幅の回廊が南に長く続いています。

 この突き当たりに、 “光壁ホーリー・ウォール” の加護で “犬面の獣人コボルド” を防いだ扉があるはずです。


 わたしたちは目配せしあうと、それぞれ武器を手に歩き出しました。

 わたしが前でパーシャが後ろ。

 後方の警戒はパーシャに任せて、わたしは意識を前方はもちろん、にも集中させます。

 天井にへばりついていた “スライム” がボトリと落ちてきて、気づかずに下を通りかかった探索者を溶かしてしまう危険があるからです。


 訓練場で何度も注意されたことですが、実際に自分がその立場に立ってみると……怖いです。すごく。

 幸いにして、スライムによる落下攻撃はありませんでした。

 わたしとパーシャは、徘徊する魔物ワンダリングモンスター遭遇エンカウントすることなく南の扉に到達しました。

 あれから時間が経っているので “光壁ホーリー・ウォール” の加護は切れています。


「……うっ」


 床に何かを見つけたパーシャが、口を押さえて呻きました。

 それは、まだ新しい血がこびりついた “骨” でした。

 大きさと形から、たぶん “腕の骨” ……それも “犬面の獣人” のものです。

 あの戦いの際に、扉に挟まれて切断されたものでしょう。

 でも肉が一片もついてないのは、迷宮の掃除人である “スライム” がにしたからでしょうか。


(あるいは…… “犬面の獣人” 同士で)


 気分が悪くなるだけなので、それ以上の想像はしないように気持ちを切り替えました。

 再び扉に耳を当て、今度はさらに慎重に魔物の気配を探ります。

 もしかしたら、この奥でわたしたちが戻ってくるのを待ち構えているかもしれません。

 “犬面の獣人” がそこまで忍耐強いとは思いたくありませんが……。

 魔物の気配は……ないようです。


((……))


 わたしとパーシャはうなずき合うと、扉を勢いよく押し開けました。


「――っ!」


 扉の奥に転がるように飛び出します。

 すぐに戦棍メイスラージシールド を構えて辺りを警戒。

 “犬面の獣人” の姿はありません。

 広間から東に延びている回廊の、その一番端に立っています。


「……ようやくここまで戻ってこれた」


 パーシャが苦しげに漏らしました。

 顔には焦燥感が滲み出ています。

 残してきた友だちのことを考えると、いてもたってもいられないのでしょう。


「急ぎましょう」


「うん!」


 彼女の気持ちをおもんぱかったわたしに、パーシャは強くうなずくと早足で東に向かい始めました。


「こっち!」


 武器を握ったまま、パーシャに続きます。

 今度はわたしが後方を警戒する番です。


 パーシャはほとんど走るぐらいの速度で、回廊を進みます。


「パーシャ、天井にも気をつけて。“スライム” が」


「わかってる!」


 それでもホビットの少女魔術師は、歩速をゆるめることなく進んでいきます。

 こうなったら、ハラハラしながら後を追うしかありません。

 ただひたすら東に、どのくらい進んだでしょうか。

 目の前に三つの扉が並んでいるのが見えてきました。

 その時わたしは突然、軽く足元がぐらつくような感覚を覚えました。

 ちょっとした立ち眩み。


「気がついた? 今の。転移テレポートしたんだよ」


 パーシャが立ち止まると、肩越しにわたしを見ました。


「転移? それって迷宮の端と端がつながっている、次元連結ループとは違うのですか?」


 前回地下二階に潜ったとき、それなら経験したことがあります。


「次元連結は迷宮の外壁と外壁がつながってるだけだけど、 転移は迷宮の中ならどこでもありえるの」


 パーシャは三つの扉のうち、右の扉に進みながら言葉を続けました。


「気づかないでいると、地図の作成マッピングがグチャグチャになる。嫌らしい罠なんだ」


「そうなのですか」


「うん。だから少しでも変だと思ったら、すぐに “座標コーディネイト” の呪文で現在地を確認する必要があるんだ」


 “座標” は魔術師の第一位階に分類される呪文です。

 最も低位とは言え、“昏睡ディープ・スリープ” の呪文一回分の消費と考えれば、決して馬鹿には出来ません。


「でも、この転移はまだ可愛い方だと思うよ。これだけ真っ直ぐ進み続けたら普通なら迷宮を突き抜けてるころだからね。気がつきやすい――さあ、ここだよ!」


 扉の前に着くと、パーシャの声が明るく高まりました。


「この奥にみんながいる!」


 ここが “トモダチの部屋”ですか。

 ……本当なら、ここにはアッシュロードさんと来るはずだったのに。

 怒ってるかな。

 怒ってるだろうな。

 絶対に一人で潜るなって言われてたのに。

 ……ごめんなさい。


「――みんな!」


 一瞬わたしが、言いつけを破ってしまったアッシュロードさんを思ったとき、パーシャが力強く玄室の扉を開け放ちました。

 止める間もない出来事です。


「ダメ! いきなりは!」


「――え?」


「おおおおっっっ!」


 パーシャがわたしの警告に振り返ったまさにその瞬間、玄室から肺腑を振り絞るような雄叫びと共に、血塗れの戦士が飛び出してきました。

 右手で剣を振り上げ、わたしたちに向かってきます。

 ですが、その動きは悲しいほどに鈍く弱々しく、瀕死の状態であるのが一目見てわかりました。


「レット、だめ!」


 その戦士の名前でしょうか。

 パーシャが叫びながら戦士の腰に抱きつきました。


「があぁぁああっっっ!」


「レット、あたいだよ! パーシャだよ!」


 最後の命を燃やし尽くすようにもがき暴れる戦士に、ホビットの少女が涙ながらに訴えます。


「エバッ! レットを助けて!」


 パーシャがわたしを振り仰ぎ哀願します。

 わたしはうなずくと、錯乱する戦士に近づいて振り回される剣を盾で受けました。

 そしてすぐに剣を握る右手を抑えて、


「慈母なるニルダニスよ、傷を負いし我が子にどうか癒やしの御手をお触れください―― “小癒ライト・キュア” 」


 女神に癒やしの加護を嘆願しました。

 さらにもう一度。

 先ほど “犬面の獣人” の蛮刀を背中に受けたパーシャ以上に、この戦士――レットさんは血を失っているはずです。

 とても一度の “小癒” では容態を安定させられないと判断したのです。

 これで残る “小癒” はあと一回。

 パーシャの話では “盗賊の人” も傷を負っているようですから、その分は残しておかなくてはなりません。

 二度目の加護を受けると、レットさんの身体からガクッと力が抜けて、わたしに倒れかかりました。


「……よく、がんばりましたね」


 その身体を支えて、彼を労います。


「レットは!? ねえ、レットは!?」


 涙で愛らしい顔をグシャグシャにして、パーシャがわたしたちを見上げます。


「大丈夫。ギリギリだったけど間に合った」


 耳元に感じるレットさんの息遣いは穏やかになりつつありました。


「よ、よかったぁ!」


 パーシャは安堵によって、これまで抑えつけていたものが一気に噴き出したのか、わんわんと泣き出してしまいました。


「あたい、あたい、もう怖くて! 怖くて! 独りになっちゃうんじゃないかって!だから、だから――!」


 泣きじゃくるパーシャに、思わずもらい泣きです。

 うん、わかります……すごくよくわかります。

 しかし、いつまでも感涙にむせんでいるわけにはいきません。


「パーシャ、レットさんを寝かせてあげま――」


 その時、意識を失っていると思っていたレットさんが突然顔を上げて、


「後ろっ!」


 掠れた声を張り上げました。

 ハッとして頭を巡らすと、そこには蛮刀や短剣を携えた “犬面の獣人” や “オークゴブリン” たちがひしめいていました。


「どうして……こいつら仲が悪いはずなのに」


 怯えたパーシャが顔を青ざめたとき、今度はわたしが叫びました。


「前っ!」


「……えっ!?」


 振り返ったパーシャとわたしの視線の先で、それが立ち上がりました。

 かつてはきっと高価だったに違いない、貴族が着るようなジュストコールコートジレ袖無しベストキュロット半ズボン姿の……亡者。

 すべてがボロボロで、動くたびに腐敗した皮膚から腐汁が噴き出して……。


「ト、“トモダチ”」


 恐怖に打ち震えるパーシャ。


「そんな……こんなに早く復活するなんて」


 “トモダチ”


 あれが……あの亡者が。

 玄室の外には、 “犬面の獣人” と “小鬼” の大群。

 そして中からは、緩慢な動作で迫る “トモダチ貴族の亡者


https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669334290261


「……我ら、出ずること能わず」


 わたしに支えられたまま、レットさんが呟きました。


「……今際の時、来たれり」


 後ずさったパーシャが、わたしたちに背中をつけながら呟き返します。

 わたしたちはここまで来てついに、進退窮まってしまったのです。



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