隠し扉の闇に潜むもの

 …………バ……。


 ……バ……。


 ……エ……。


 ……エバ……。


「――枝葉っ!」


「は、はいっ」


 誰もいない放課後の教室。

 窓際の自分の席。

 窓からそよぐ春のうららかな風に微睡んでいたわたしを、誰かが現実に引き戻しました。


「起きてますよ。というか寝ていませんし。夢とうつつの間をたおやかに揺蕩たゆたうていただけです。精神的に」


 運動部の掛け声や、金属バットの放つ甲高い打球音。

 管弦学部が行うチューニングの音。

 意識の覚醒と共に、そんな色取り取りの音が押し寄せてきます。

 お天気のよい、普段どおりの放課後です。


「なんかそれ、ただの居眠りを誤魔化すために、無理に文学的な表現をしてないか」


 “隼人くん” が微苦笑を浮かべて、わたしを見ています。


 中肉中背。温和で少々優柔不断。そして少々オタク。

 どこにでもいそうな普通の男の子ですが、まぁ、幼馴染みのよしみです。

 ここは “見ようによってはハンサムに見える” と言ってあげましょう。

 実際、女の子にはそこそこ人気があるようですし。


「今の季節、“春眠暁を覚えず” ですよ。微睡びすいって書いて “まどろむ “ って読むの、好きなんです」


 わたしはグッと伸びをして、身体から微睡みの成分を散らしました。


「“全国の花粉症の人に謝れ!” ――レベルで、のんきで贅沢な奴」


 微苦笑をとおりこして呆れ顔の隼人くん。

 いえいえ、そんな大した者ではありやしませんよ、わたしは。


「春には春の過ごし方があるんです。花粉症になるまでは楽しむつもりですよ」


「やっぱり “全国の人に謝れ” レベルだな」


 あなたはそんなにわたしに、お詫び行脚をさせたいのですか?


「それで隼人くんは、わたしにどんな御用でしょう? まさか本当にお詫び行脚を勧めにきたのですか?」


「いや。リンダから伝言。“今日は監督に捕まってしまったので、わたしの屍を越えていって” ――だそうだ」


「それは……ご愁傷様です。リンダ、お気の毒に」


 リンダはバスケットボール部に所属する、一年生ながらポイントガードに抜擢されるほどの逸材です。

 監督さんの期待も大きいのでしょう。

 運動音痴なわたしとは大違いです。


「俺は運動部なんかに入らなくてよかった、ほんと」


 帰宅部を選んで正解――とばかりに安堵のため息を吐く隼人くんに、今度はわたしが微苦笑を浮かべます。


「情けないですね。そんなことだからいつもリンダに馬鹿にされるのですよ」


「運動部に入っていても、あいつは俺を馬鹿にするよ」


 まぁ、リンダですから、それは確かに。

 でも、それはそれとして――。


「隼人くん。そんなに運動神経悪くないと思うけど」


「悪くはないと思うけど、俺には決定的に足りない物があるから」


「? 才能?」


「いや、根性」


 シレッとのたまう隼人くん。


「……その根性を養うために運動部に入るという選択肢はなかったのですか?」


 やっぱり情けないです、この人。


「そうだな。枝葉がマネージャーとかやってくれるなら考えてもいいかな」


「わ、わたしがですか? 無理ですよ、どんくさいですし」


 な、なんで、急にそういう話になるのですか?


「わたしなんかがマネージャーになったら、皆さんに迷惑を掛けるだけですよ。ボールが入ったカゴとかオロオロしている姿が目に浮かぶようです」


 何の取り得もない、極々普通の女の子になにをおっしゃいますか。


「だからわたしには、こうして柔らかな春風にそよがれながら微睡んでいるぐらいが、分相応なんです」


「そんなこと言ってると癖になって、今に授業中でも “微睡む” ことになるぞ」


「なりません」


◆◇◆


 …………バ……。


 ……バ……。


 ……エ……。


 ……エバ……。


「――エバッ!」


「は、はいっ」


 自分を呼ぶ声に、わたしはガバッと身を起こしました。

 いけません、もしかして授業中に “微睡ん” でしまいましたか!?

 そう思った途端に、後頭部に走る鈍痛。


「――痛っっっ」


「だ、大丈夫?」


 すぐ目の前で、パーシャが心配げな顔をして、わたしをのぞき込んでいました。

 ……ああ、そうでした。わたし迷宮にいたのでした。


「うん、ちょっとたんこぶが出来ただけです」


 わたしは痛む頭をさすりながら、はは……と弱々しい笑みを浮かべます。

 後頭部が少し腫れているようですが、これぐらいのことは前の世界でも何度か経験しています。もちろん病院に行ったりはしていません。


「よかった。頭を打ってたみたいだから心配したよ」


「どのくらい気を失っていましたか?」


「ほんの一分くらいかな」


「そっか……」


 よい夢は、ほんの少しの間しか見られないようです……。


「ごめんなさい、もう大丈夫」


 わたしはそういって立ち上がりました。

 ふらついてパーシャに支えられましたが、それもすぐに治まります。


「わたし、どうしたのですか? いきなり壁が消えて……」


隠し扉シークレット・ドアだよ」


「 隠し扉? 」


「迷宮にある罠のひとつ。“短明ライト” みたいな魔法の明かりがないとみつけられないんだ」


 そういえば訓練場の座学で習いました。

 迷宮では角灯ランタン松明トーチのようなの光源では発見することのできない扉があると。


「あたいら壁だと思って、それとは気づかないで寄りかかってたんだよ。それで――」


「バタン、ゴツン、むぎゅ……ってわけですね」


 どうやらギャグマンガを地で行くような展開を演じてしまったようです。


「でもいいこともあったよ。隠し扉なら魔物も見つけられないはずだしさ。キャンプを張るには持ってこいだよ」


 パーシャはニヤリと笑って、玄室の床に聖水で魔除けの魔方陣を描き始めました。

 肩口で切りそろえた少しくせ毛な赤い短髪と、碧玉色エメラルドグリーンの瞳が愛くるしい女の子です。


「そうね……少し休まないと」


 大量の血を失ったパーシャはもちろんですが、すでに五回も加護を嘆願してしまったわたしも精神的な疲労が濃いです。


「動いて大丈夫ですか? 魔方陣、わたしが描きましょうか?」


「へーき、へーき。なんか一秒毎に元気になってる感じ。エバ、あんたの癒やしの加護、こーかてきめんだよ」


「そうですか……それならよいのですが」


 ホビットは耐久度バイタリティが低いと言われている種族なのですが……意外と頑健なのかもしれません。


「ここ、どこなのかしら……地下一階の北の方だとは思うんだけど」


 わたしはパーシャが描いた魔方陣の中で腰を下ろしながら、暗い玄室を見渡しました。

 玄室は一区画ブロック四方の広さで、澱んだ埃っぽい空気に満ちています。

 魔物の気配はありません。


「ここ? ここは 迷宮の入り口から “に13、に18” の玄室だよ」


 魔方陣を描き終えたパーシャが、わたしの向かいにチョコンと座りながら事も無げに言いました。


「え? なんでわかるのですか?」


「? そんなの数えてたからに決まってるでしょ」


「数えてたって……あの戦いの中で?」


「あたい地図係マッパーだもん。これぐらいは当然」


 パーシャは腰に下げていた皮袋を取るとひとくち口に含んで、『飲む?』と差し出してくれました。


「すごいです、パーシャ。人間 “GPS” ですよ」


 わたしは皮袋を受け取りながら感嘆します。


「ジーピー……? なにそれ?」


「あ、ううん、なんというか……あはは、うまく説明できないです」


 笑って誤魔化すしかないわたしに、


「あたい、昔から記憶力はいいんだ。これでも故郷の村じゃ “神童” って呼ばれてたんだよ」


 パーシャは硬い毛の生えた足の裏を合わせて、恥ずかしげに はにかみました。


「それじゃ、あなたのお友だちがいる座標も……」


「うん、それは間違いなく覚えてる。だってあそこは “トモダチの部屋” だから」


「ねえ、パーシャ。その “トモダチ “ って言うのは……」


 それは、わたしがボルザッグさんに話を聞いたときから、ずっと気になっていたことで……。


 ……カシャン、


「「――ひっ!!?」」


 突然の物音に、わたしとパーシャは思わず抱き合ってしまいました。


「な、なんです……?」


「だ、誰かいるの!?」


 わたしは怯え、パーシャは狼狽を隠せない声で誰何すいかしました。

 音がしたのは暗い玄室の片隅です。

 ここからでは、まったく見通すことができません。


「「……」」


「ど、どうする?」


 パーシャが訊ねます。


「ど、どうしましょう?」


 わたしが答えます。

 この場合、わたしたちが取り得る選択肢オプション は、


 1.何も聞こえなかったことにして休息を続ける。

 2.キャンプを解いて物音の正体を突き止める。

 3.すぐにこの玄室を逃げ出す。


 ……の三つだと思うのですが。


「1は……ないよね、あたい的にもあんた的にも」


「う、うん」


「2と3なら?」


「悩ましいかも……」


 うん、すごく悩ましいです。

 これが通常の探索行なら、間違いなく2の『物音の正体を突き止める』の一択なのですが……。

 今回は仮にも救出行――救出ミッションなので、無用な冒険は極力避けなければいけないところ……というか、避けなければなりません。


「でもここから逃げ出したとして……後をつけられたらどうします?」


 わたしは物音のした方から目を離さずに、怖々と訊ねました。

 後をつけられて他の魔物と遭遇したところを挟み撃ちにされたら、十中八九 “苔むした墓” がふたつ寄り添って迷宮に建つでしょう……。


「……よし、確かめよう」


 パーシャが意を決した様子で立ち上がりました。


「挟み撃ちにされるのは絶対に嫌だから」


 ホビットという種族は小柄ながらも、なんというか、ここぞと言うときの “勇気の馬力 “ が凄いです。

 迷宮の奥から、呪文の尽きた魔術師が一人で地上まで駆け戻ってきたことからも、それが分かります。

 わたしなら途中で恐怖に負けて、泣き竦んでいるでしょう。


「わ、わかりました」


 わたしも心を決めます。

 立ち上がって、戦棍メイス木製の大きめの盾ラージシールドを構えます。

 この場合、鎖帷子チェインメイルを着込んでいるわたしが先に行くべきでしょう。

 いつ何が襲い掛かってきても対応できるように、腰を落として一歩一歩慎重に進みます。

 パーシャも短刀ダガーを抜いてわたしの後に続きます。


 そろり、そろり……とおっかなびっくり物音のした方向、玄室の南側に向かいます。

 なにもいない……ですよね。

 澱んだ埃臭い空気以外は、なんの気配もありません。

 それじゃ、さっきの物音はなんだったのでしょう。

 ネズミでもいたのでしょうか。

 最初にに気づいたのは、パーシャでした。


「……ひっ!!?」


 と、突然身体を硬直させて立ち止まります。

 恐怖に引きつった顔が、わたしの頭よりずっと高いを見つめています。

 恐る恐る顔を上げて、彼女の視線の先をうかがうと……。


「――ひっ!!?」


 わたしも恐怖に引きつった顔で硬直しました。

 そこにいたのは、角と長い牙を持つ、恐ろしい形相をした “豚面”の巨大な悪魔でした。



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連載開始

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本編への導線確保のため、なにとぞこちらも応援お願いします m(__)m

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迷宮無頼漢たちの生命保険

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出演:小倉結衣 他

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