第14話 月祭
「師匠、これどうぞ」
迷宮ではなく、宿直の為にある生活棟の一室にて、青い石のついたカフスボタンを師匠に差し出すと、師匠は怪訝そうな顔になった。
「嫌だな師匠。今日は月祭ですよ」
「それは知ってる」
「じゃ、そんな顔しないで下さいよ。妹さん、帰って来たんですから」
迷宮から師匠の妹さんを連れ帰り、駆けつけた師匠は意識を失ったままとはいえ、妹さんと再会した。
そして妹さんは今、師匠のすぐ横の寝台で眠っている。
「そうだな……。まだ、夢でも見ている気分だが」
再会した時、師匠は妹さんを抱き締めて、泣いた。
もし私がその場に居なかったとしてもわかるくらいだと、今も赤い目元が証明している。
「……帰って来た」
「…………」
(ああ。やっと)
(おかえり)
もう一度、見たかった。
あの大学の図書室で一緒に過ごした、友人の笑み。
感情そのまま。笑うと意外なくらい子供っぽさが出る、
もう一度、会いたかった。
「良かったですね。あ、ユート兄さんが後で迎えに来るって言ってましたよ。丘の下に馬車を手配したから、妹さんを一度、念のために病院にって」
「わかった」
部屋を出る為、
「じゃ、私はウェル達にも月祭の贈り物渡してくるんで」
少しドアが開いた瞬間、師匠の声が背に届く。
「ああ。……メリーベル。ありがとう」
「あはは。もっと敬っても良いんですよー」
「調子に乗るな」
呆れたような苦いようないつもの声。
「はーい。じゃ、退散退散っと」
部屋を出て、後ろ手でドアを閉めると私は早足で廊下を行く。
(落ち着け。まだ。まず、外に)
なるべく足音は目立たないように。唇は軽く引き結んで。
駆け出すのを堪えて、食堂を通って厨房、外へ繋がる勝手口に。
(あと少し。湖の、ほとりまで行けば)
空は薔薇色から蒼と紫の混じる夕闇色へ。
白い月が顔をうっすら現している。
冷たい風が手招くように頬を撫でる。踏みしめた草の匂いはどこか熟したように甘い。
風にさざめく湖面と浅瀬に揺らめく光が、笑っている。
(大丈夫だと思うけど、念のため、ね)
メーラ達も疲れていたから、休むように言ってあるし、階段の結界も完璧に元に戻っていたから紙魚の心配もない。
湖畔を少しだけ歩き、ある程度図書館から離れた木陰を見つけた。
(ここなら、良いかな)
そう思った瞬間、ガクンと膝から力が抜けて地面にへたり込む。
「おい! 大丈夫か!」
「あ」
「…………!」
何処に居たのか。木立の中から飛び出したウェルは、こちらを見て固まった。正確に言うと、多分私の両目に浮かんで、片方の頬を今まさに滑り落ちた雫を見て。
「あ、いや」
うん。弁明したいんだね。わかる。けど。
「ウェル」
「はい!」
「おすわり」
させない。黙って座れ。名前とその一言にそんな思いを込めてみた所、どうやら無事に伝わったらしい。
蛇に睨まれた蛙みたいに、ウェルは黙って静かに正座した。
「…………」
「…………」
自分の顔が今、どんな状態か良くわかってる。表情が抜け落ちて、人形みたいだろう。
人形が泣いてりゃそりゃホラーなわけだけど、見に来たウェルが悪い。つーか私のプライバシーどうした。
「何でいるの」
「……出て行くのが見えた、から」
「何で隠れて追ってきたのかな?」
「…………何か様子がおかしいと思った。だから……」
心配して、来てくれたんだろうな。それはわかる。
しかし。
「許さん」
ポツリとこぼす。ウェルがビクッとして、項垂れる。
「背中貸さないと、許さない」
「背中?」
後ろ向け後ろ。片手の指をくるっと回す仕草を見せると、ウェルは若干何されるのかと警戒するような雰囲気をまといつつも、後ろを向いて今度は足を組んで座り直し、背を向けた。
足に力を入れる。一度抜けた力はそう簡単に戻らないが、何とか立てた。数歩よろめきながらウェルの背後にたどり着き、私もウェルに背を向ける形で座り込む。
くっつけた背中が温かくて、少しホッとする。
「これでも私は年頃の乙女なんだけどね? ウェル」
いつもなら即座にツッコミが入るだろうが、今はさすがにウェルもそれは出来ないと感じているらしい。
「悪かった。ごめん」
背中越しにウェルがさらにしゅんとしたのが伝わってきた。
(ま。別に本気で怒ってるわけじゃないんだけどね)
しかしこの際なのでもうしばらくこのままでいさせてもらおう。
緩やかに背中から広がる熱が心地好い。
互いに何も言わないで過ごす。木々のざわめきと、湖面の打ち寄せる音だけが楽しそうに笑って、図書館に灯りがポツリポツリ灯り始めた。
「願い」
「ん? なにウェル」
ぼんやりその灯りを見ていると、ウェルがポツリと呟いた。
「願いが叶ったのに、何かあったのか?」
「うん。乙女の秘密に踏み込むとはやるね、ウェル」
「うぐっ……」
「なんて、ね。冗談。…………叶ったから、だよ」
「え」
まったく。ウェルは私を何だと思っているのか。
「ウェル。私は何度も言うけどか弱い乙女だよ? 普通に考えて迷宮に友人連れ去られたり、命からがらのあれこれして、全然何も感じないわけないでしょ。私だって怖いとか疲れたとか思うんだよ」
叶ったから、押し込めていた諸々が溢れだした。
安堵と嬉しさ、押し込めていた感情とが一気に外に出て、この有り様だ。
「良かった。と思ってる。それは嬉しい。師匠も、笑ってる。言うこと無い。けど……」
どうしてだろう。同じくらい、寂しい。
嬉しいのに、なのに師匠の昔と同じ笑顔に、泣きたくなった。
「何でだろうね。ウェル。……すごく、寂しいんだ。おかしいよね」
「…………」
膝を抱えて、膝頭に額をつける。ボロボロ零れる涙の意味は自分でもわからない。
「わ! ちょっ」
後ろでウェルが
「頑張った」
「……うん」
「ずっと、頑張ってた。……お疲れ」
「……うん」
「俺はまだ短い時間しか知らないけど、それでも、頑張ってたのは、知ってる」
「…………うん」
「何で願いが叶って寂しいのか、俺にはわからない。わかる気も少ししてるけど、前にメリーベルが言ってたように、本当に他人の心の内をわかることは無いのかも知れない」
同じ嬉しいや美味しいでも、人によって意味が持つ重さは違う。同じ感情でも、温かいのか熱いのか、苦しいのか痛いのか、感じ方が違うように。その感情は、その人だけのものだから。
「だから、わからないけど、
ウェルがわしゃる手を止めてそう言った。
「わからないから、わかるまで。わかる時が来ないなら、その代わりに傍にいて、いつでも望めば手でも背中でも肩でも貸してやる。その寂しいが少しでも薄れるように」
「ウェルのくせに」
「おい、何だそ、れ……」
ほんと、いちいち優しくて、困る。
今、笑ってるのに涙が止まらないのは、ウェルのせいだ。
何て言えば良いのか言葉を探しているのか、ウェルは視線をうろうろさ迷わせ、結局見つからなかったのか口を閉ざして明後日の方を見る。
そして私は、一応辛うじてハンカチを常備する癖だけはついていたから、ポケットから取り出してみっともないくらい零れた涙を拭う。
立ち上がろうと足に力を込めると、今度は危なげなく立てた。
「よし! 帰ろっか。大将がメルを迎えに来るから、リューエスト殺されるかも知れないし」
「一応困るから阻止する必要があるな」
ウェルもそう言って立ち上がる。あながち軽口でもないのか、可能性が完全に無いとは言い切れないのか、若干早足で前を行く。その背に。
「ところでウェル。さっきの言葉、聴きようによっては愛の告白みたいだったけど、いやー照れる」
ピタリと。ウェルの足が止まり、ウェルが振り返る。
「だったら問題あるか?」
不覚だった。咄嗟に切り返しが遅れると、ウェルはニヤリと微笑んで、今度こそスタスタ先に戻っていく。
「……う、あ。何、これ」
風邪を引いたかも知れない。顔だけ何か熱いし、思考がまとまらない。
一生の不覚。何で言葉に詰まった。
「うぅ……ウェルのせいだ」
何でそこでニヤリなのか。いつもなら、狼狽えて何か言おうとするのに、何で今回に限って。
「おのれウェル……」
今度一泡ふかせてやる。
(暗躍と策略は乙女のたしなみだからね)
了
千年書館 ―迷宮書館の司書見習い― 琳谷 陸 @tamaki_riku
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